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【完結済】息切れ・痛風・老眼おっさんパーティ、“老齢の塔”に挑む 旧:塔の頂きへ  作者: けんぽう。


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第45話 反抗期

 三十二階層——。


 果てのない草原の、ちょうど真ん中をくり抜いたように、巨大な湖が横たわっていた。

 湖畔には石造りや木造の建物がひしめき合い、そのまま桟橋が水面へ伸び、その上にも支柱で支えられた家々が立ち並ぶ。

 水の上に街が張りついたようなその様子は、まさに「水上都市」と呼ぶにふさわしい景色だった。


 桟橋の先では、鱗に覆われたサハギンたちが釣り竿を垂らしている。

 釣れた魚を掲げては仲間と笑い合い、子どものサハギンがはしゃいで跳ねる。

 魔物たちもまた、ここでは知性ある“住人”として、静かな昼下がりを楽しんでいるようだった。


 その一角、湖を見下ろすテラス席で、ダリウスたちはランチを取っていた。


「……なんとか、ここまでって感じだな」


 ダリウスはフォークとナイフを器用に操り、皿の上の魚をひと口すくいながらぼそりと漏らす。


「えぇ」


 エドガーは口元をナプキンでぬぐい、グラスの水を一口飲んだ。


「いろいろと、考えないといけませんね」


「あぁ、そうだな」


 オットーは大きな口でパンと魚を一緒に頬張り、もぐもぐと噛みしめる。


「率直に言うと、今の戦力で行くと全滅だ」


 重い言葉がテーブルに落ちる——が、それをあっさり飛び越える声がひとつ。


「みんな、それよりこれ美味しいよ!!」


 ミラが、フォークに刺さった白身魚を高々と掲げた。


 皿の上では、皮目がじっくり焼かれた切り身が、陽の光を受けてつやりと光っている。

 ナイフを入れれば、ぱり、と小気味いい音を立てて皮が割れ、その下から湯気をまとった白い身がふわりとほぐれた。


 立ち上る香りは、焦がしバターの濃厚なコク。

 それを包むソースは、白ワインとレモンを合わせたような、きりっとした酸味をたたえている。

 バターの重さをほどよく洗い流し、白身魚本来のさっぱりとした旨味をぐっと持ち上げてくる。


 外はカリッと香ばしく、中はしっとり。

 ひと噛みごとに、湖の恵みとバターの甘さが舌の上でほどけていく——


 水上都市名物の、白身魚のムニエルだった。


 ミラが白身魚をかじって「おいしい!」と目を輝かせた。


「そうだろ!」


 オットーがガハハと豪快に笑い、ジョッキをぐいっとあおる。


「やっぱりこれを食うと、力がみなぎるぜ」


「えぇ」


 エドガーもこくりと頷き、口元をナプキンで丁寧に拭った。


「ダリウスの料理も捨て難いですが、これはこれでいいんですよね。研究の合間に、こういう“完成された味”が楽しめるのはありがたいです」


「ねぇねぇ、これなんのお魚?」


 ミラは無邪気なまま、フォークに刺した白身をひらひらと振る。

 ダリウスはニコッと笑い、彼女の顔を見た。


「サハギンだ」


「……えっ?」


 ミラの瞳から、すっと光が抜け落ちた。


 さっきまで「おいしい!」で満ちていた世界が、かちり、と音を立てて裏返る。

 目の前の白身魚が、さっき桟橋で釣りを楽しんでいたサハギンたちと、ぴたりと重なった。


(さっき……一緒に笑ってた……あのサハギン……?)


 頭の中で、何かがぷつぷつと音を立てて切れていく。


「どうしたミラ?」


 オットーが不思議そうに首を傾げる。


「サハギンのムニエルは初めてか?」


「……は、ははっ……」


 ミラは乾いた笑いを漏らした。

 口だけが勝手に動き、声だけがぽつりと落ちる。


「ちょっと急に……食欲が……」


 フォークが、皿の上にカチャリと落ちた。


 テーブルの向こうで、エドガーがこっそりダリウスの袖を小突く。


「また、例の反抗期ですかね?」


 真顔で言うのが、かえってひどい。


「うーん……いままでそんなことはなかったんだけどなぁ」


 ダリウスは腕を組み、娘の横顔をしばし観察する。

 ミラはその視線から逃げるように、遠くの湖を見つめたまま、かすれた声でつぶやいた。


「………………おいしい? 何が? 魔物……? うそ……?」


 湖面で跳ねる水しぶきが、やけに鮮やかに見える。

 桟橋の先では、別のサハギンが釣れた魚を掲げて笑っている——さっきまでと変わらぬ、のどかな光景。それがミラには、悪い冗談にしか見えなかった。


「急に来るもんだよ」


 オットーが、わざとらしくダリウスにウィンクした。


「おれもある日突然、かぁちゃんの飯食うのが嫌になったぜ」


「そうですよ」


 エドガーはナプキンで指先を拭いながら、もっともらしい口調で続ける。


「特に女の子ですし。ダリウスが片親みたいなもので、男性としてのダリウスと、父としてのダリウスで……いろいろと難しいんでしょう」


 ふっと目を細めると、遠い故郷へ視線を投げた。


「私も片親だったので、気持ちは痛いほどわかります」


(……いや、そういう話じゃないでしょ……)


 ミラは、目の焦点を失ったまま、空の一点を凝視する。


「…………ダメだ……このニンゲンたち……根本的に……ダメなんだ……」


 そこへ、腰にエプロンを巻きつけたサハギンの店員が、ぴちゃ、ぴちゃ、と濡れた足で近づいてきた。


「ニンゲン、リョウリ、ドウダッタカ?」


 ぎこちない共通語。けれど、その瞳は仕事に誇りを持つ料理人そのものだった。


「あぁ、とても旨かったよ」


 ダリウスが、自然に口元をほころばせる。


「焼き加減もソースも見事だ。腕のいい料理人に教わったのか?」


 褒め言葉に、サハギンの顔がぱあっと明るくなる。

 鱗に覆われた頬が、どことなく照れているように見えた。


(……さっき、食べた子だ)


 ミラは、目の焦点を失ったまま、その背中をじっと見つめる。

 桟橋で釣りをして笑っていたサハギン。

 今は、丁寧に皿を下げ、追加のパンを運ぼうとしている。


(どんな気持ちで……料理、運んでるの……?)


 口の中で、ほとんど声にならないほど小さくつぶやいた。


「ニンゲン、コレデ、ゴニン、コノマチ」


 サハギンのウェイターが、指を一本一本折りながら数える。


「……五人?」


 オットーが、テーブルをバンと叩いて身を乗り出した。


「いるのか、この街に。俺ら以外の人間が!」


「エリー、イル」


 サハギンは、誇らしげに胸を張ると、湖の向こうの建物群を、ぬらりとした指で指し示した。


「エリー、ツヨイ。サカナ、ヨク カッテクレル」


「一人で登ってきているということは……」


 ダリウスの目が、すっと鋭く細められる。


「相当の実力者だな」


「戦力になりそうですね」


 エドガーが、横目でダリウスを見ながら静かに言う。


「特に、あのエルダードラゴン級がまた出てきたら——」


「……滞在している場所を教えてくれないか?」


 ダリウスは椅子から立ち上がり、サハギンの方へ身をかがめる。

 真剣な眼差しに、サハギンはしばし言葉を失い——それから、こくりと大きくうなずいた。


「エリー、アノ トウ、ウエノ ヤド。ニンゲンヨウ、ヘヤ アル」


 湖の上に突き出した、塔のような宿屋を指さす。


「助かった」


 ダリウスは礼を言い、銀貨をテーブルの端にそっと置いた。


 ミラはまだ、冷めていくムニエルを前に、遠い目でサハギンの背中を見送っていた。

(……この街、やっぱり、根本からおかしい……)

 そう思いながらも、彼女はフォークを握る指先に、ほんの少しだけ力を込める。


 ——この先に進むためなら、もう少しだけ、目をそらさずに見ていなきゃいけない。


 そんな覚悟と、どうしようもない嫌悪感とが、胸の奥でごちゃごちゃに絡まり合っていた。



 湖上都市の外れ、桟橋の先に突き出した古い宿屋の二階。

 湿った木の廊下に、こつ、こつ、と靴音が響く。


 ドアの前に立ったダリウスが、拳で控えめに扉を叩いた。


「すいません」


 ——しん、と静まり返る廊下。


 ……と思った次の瞬間、部屋の中から「ゴトッ」と、何かが床に落ちる音がした。

 どう考えても、人の気配。


 しかし、そのあとが続かない。


「…………」


 沈黙が妙に長い。

 ミラがダリウスの背中から、そっと顔を覗かせる。


「……居留守?」


 小声で囁きながら、自分の唇に指を当てて目だけをぱちぱち動かす。


「だろうな」


 オットーが、ニヤニヤしながら一歩前へ出た。

 そして、わざとらしいほど大きな声で宣言する。


「——あぁ、こりゃしかたねぇ。ドアをぶち破るしかねぇな!」


「「……はぁ」」


 ダリウスとエドガーのため息が、見事にハモった。


 その瞬間——


 バタンッ!


 勢いよく扉が開き、内側から怒鳴り声が飛び出してきた。


「やめなさい!」


 ドアにしがみつくように立っていたのは、青い長髪をぼさぼさに乱した女だった。


 寝癖でふわりと跳ねた青髪。

 はだけかけた寝巻き。

 口の端には、乾きかけのよだれの跡。


 なのに——


 大きな青い瞳に、長い睫毛。

 整った顔立ちと白い肌は、どうしようもなく「絶世の美女」の枠に収まっている。


 そして何より目を引いたのは、そのこめかみからすっと伸びた——

 人間よりも少し長く、優美に尖った耳。


「……!?」


 四人の思考が、一瞬でフリーズする。


 口をあけたまま固まるダリウス。

 盾を中途半端に構えたまま固まるオットー。

 ミラは目を見開き、エドガーに至っては声ひとつ出ない。


「な、なに? そんな顔して?」


 扉の向こうの美女が、眉をひそめる。


「い、いや……」


 ダリウスは、目を瞬かせながらまじまじと彼女を見つめた。


「エルフなんて、本当にいたのか? と思って」


「お、おう……」


 オットーもまた、場違いなほど真顔でうなずく。


「かぁちゃんの昔話でしか聞いたことねぇぞ……」


 ミラは、なぜか探偵のように彼女を頭のてっぺんから爪先までじろじろ観察し——


「お肌ぷるんぷるん……化粧水はどちらのを?」


 とんでもない角度からの第一声を投げ込んだ。


「…………」


 今度こそ、四人と一人、全員の思考が止まる。


 唯一動いているのは、エドガーだけだった。

 いや——動いているといっても、雷に打たれたように硬直したまま、彼女の耳と横顔を凝視しているだけだが。


「………………」


 謎の美女は一度、深く息を吸った。

 そして、無理やり落ち着きを取り戻したように、咳払いをひとつ。


「それより。あなた達は誰?」


「あ、すまない。混乱してしまって……」


 ようやく正気を取り戻し、ダリウスは慌てて頭を下げた。


 簡潔に、自分が冒険者であること。

 そして後ろにいるエドガー、オットー、ミラの名前と役割を紹介していく。


「——というわけで、俺はダリウス。こいつが魔法使いのエドガー、盾役のオットー、そして……」


「ミラです! 十六歳です! お肌のお手入れも頑張ってます!」


「自己紹介にそれ入れなくていい」


 ダリウスが即座にツッコむ。


 美女は、胸に片手を当て、面倒くさそうにため息をついた。


「……私は、今は“エリー”って名乗ってるわ」


 “今は”という妙な言い回しに、エドガーの眉がぴくりと動く。


 だがダリウスは、その違和感をひとまず飲み込んだ。


「エリーさん、少しお願いがあるんだ」


 きちんと姿勢を正し、真剣な声で続ける。


「どこかの時間をもらって、話を聞いてもらえないか?」


 エリーは、じとっとした目で四人を順番に眺めた。


 明らかに「めんどくさい」と額に書いてある視線。

 それでも、彼女はやがて観念したように肩を落とす。


「……今からでいいわ」


 ぶっきらぼうに言い放つ。


「さっさと済ませたいし。——中に入りなさい」


 そう言って、エルフの美女・エリーは、廊下から身を引いた。

 ダリウスたちは顔を見合わせ、ごくりと唾を飲み込みながら、未知の部屋の中へと足を踏み入れていった。


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