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【完結済】息切れ・痛風・老眼おっさんパーティ、“老齢の塔”に挑む 旧:塔の頂きへ  作者: けんぽう。


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第42話 ジェリーとタッカー


 ボス部屋の片隅に、小さなテントがひと張り。

 その前で焚き火が揺れ、石床と四人分の影を、ゆらゆらと壁に映していた。


 テントのそばには簡易の調理台。

 ダリウスは袖をまくり上げ、無言で鶏肉に衣をまぶしている。油鍋にそっと落とした瞬間——


 じゅわっ、と軽快な音がはねた。


 揚げ油とスパイスの匂いが、まだかすかに残る血と焦げの臭いを、少しずつ上書きしていく。


 そのすぐそばでは、ミラが膝を抱えて座り込み、期待に目を輝かせていた。

 エドガーは木箱を椅子代わりに腰掛け、膝の上で魔導書の背を指先でなぞっている。ページの擦り切れ具合を、何度も確かめるように。


 見慣れた、戦いのあとの光景——のはずだった。


 ただ一人を除いて。


 テントの入口のすぐそば。寝袋にくるまったオットーが、丸い腹を上下させながら静かに寝息を立てている。

 いつものように酒瓶片手に騒ぐことも、くだらない冗談を飛ばすこともなく、ただ深く眠り続けていた。


「オットー、すごかったね!」


 ミラがぱっと顔を上げ、揚げ鍋に向き合うダリウスへ笑顔を向ける。


「阿修羅のオットーって呼んじゃおうかな! ねぇ、ダリウス!」


「あぁ……」


 短い返事。

 ダリウスはミラの方を見ようとせず、油の中の鶏肉だけをじっと見つめていた。

 表情はいつもと変わらないはずなのに、焚き火の陰影のせいか、どこか悲しげに見える。


「いつになったら起きるのかな?」


 ミラは、期待に胸を膨らませたまま続ける。


「起きたら絶対、自分で自分の武勇伝語り出すよね! それ聞きたいんだけど!」


「…………」


 エドガーは、椅子代わりの木箱の上で背筋を伸ばし、視線を落とした。

 魔導書を持つ指に、知らず知らず力がこもる。ページではなく、自分の罪をなぞるように。


 ぱち、ぱち、と油が弾ける音だけが、妙にはっきりと響いた。


 やがて——寝袋の中で、何かがもぞりと動く。


「……ん……んぁあ」


 太い腕が、ごそりと寝袋から飛び出した。

 オットーは大きく両腕を天井へ伸ばし、背骨を鳴らすようにぐっと身体を反らせる。


「……よく寝たわい……」


 かすれた声でそう呟き、ゆっくりと上体を起こした。

 ぼんやりとした視線が焚き火を、仲間たちを順にとらえ、最後にほっとしたように細められる。


「オットー!!!!!」


 ミラが弾かれたように立ち上がり、全力で駆け寄ってきた。


「起きたんだね!!! もう今日のMVP間違いないよ!!!」


 勢いそのままに目の前でぴたりと止まり、顔をぐいっと近づける。


 オットーは、そんなミラの頭に大きな手を乗せた。

 いつものように、ぐしゃぐしゃに金髪をかき回しながら、少しだけ柔らかい笑みを浮かべる。


「ミラか……」


 噛みしめるように名前を呼び、焚き火の光を宿した瞳で彼女を見つめる。


「どうやら——また会えたみたいだな……」


「????」


 ミラは首をかしげた。


「どういう意味?」


 その無邪気な問いかけに、オットーはすぐには答えなかった。

 ただ、ミラの頭をもう一度、そっと撫でる。


 揚げ油の音が、ぱち、ぱち、と一定のリズムを刻んでいる。


 ダリウスは火加減を一度だけ確かめると、ふっと小さく息を吐き、手元の作業を止めた。

 濡れた布で指先と手のひらをぬぐい、その布を無造作に桶の脇へ放る。


 それから、ゆっくりとオットーの方へ歩き出した。


 焚き火の光が、ダリウスの表情の半分を明るく照らし、残り半分を影に沈める。

 近づく足取りは重いが、迷いはない。ただ、胸の奥に何かを押し込めるような静けさがあった。


「……何年、使った?」


 オットーの前で立ち止まり、ダリウスは低く問うた。

 責める響きはない。ただ、自分自身に刃を向けるような、静かな怒りだけが滲んでいる。


 オットーは、一瞬だけ目を閉じる。

 まぶたの裏に、さっきまでの戦闘の光景が焼きついたまま離れてくれない。


「腹の致命傷の回復と……」


 言いかけて、オットーは視線を横にずらした。


「エドガー。何分ぐらい、俺は暴れてた?」


 問われたエドガーの肩がぴくりと揺れた。


 膝の上で開いていた魔導書を、ぎゅっと握りしめる。紙がきしむ音が、焚き火の音の合間にかすかに混じった。

 その指先は、わずかに震えている。


「…………三十分ほど、です」


 絞り出すような答えだった。

 悔恨が喉に絡みつき、言葉の末尾を重くする。


 ミラは会話の流れから置いていかれたまま、三人の顔を交互に見つめていた。

 何かとても大事な話をしていることだけは分かる。けれど、言葉の意味がつながらない。


(えっ……どういうこと? “何年”って……?)


 胸の奥で、不安がじわりと広がる。


 オットーは肩で一度息をつくと、真っ直ぐにダリウスを見上げた。

 先ほどまでの、寝起きのぼんやりとした目ではない。覚悟を決めた男の色だ。


「……そうか」


 一拍おいて、静かに続ける。


「おそらく……六、七年だな」


 焚き火の火が、ゆらりと揺れた気がした。


「そんなに……」


 ダリウスは呆然とつぶやいた。

 握りしめていた拳から、ゆっくりと力が抜けていく。


 六、七年。


 ただの数字のはずなのに、その重みが胸に落ちた瞬間、胃の奥がきゅっと縮む。


「……あと、何年残っているんだ?」


 問いながら、自分が聞きたくないことを聞いているのだと、ダリウス自身がよく分かっていた。


 オットーは焚き火越しにダリウスを見つめ返す。

 冗談を挟む隙間もない、真っ直ぐな視線。


「多分……あと二十年ぐらいだと思う」


 その言葉は、やけに淡々としていた。

 自分の寿命の残りを告げるにしては、あまりに普通の調子で。


 ダリウスは俯いた。

 ずっと強張っていた指から、力がほろりとこぼれ落ちる。


「……そうか」


 それ以上、言葉が続かなかった。


 胸の奥で渦巻いているのは、悲しみだけではない。

 「もっとやり方があったはずだ」という、自分自身への怒り。盾に頼り切ったこと、指示役としての限界、自分の“力不足”。


「……すまない。俺の、力不足だった」


 ようやく絞り出したその言葉は、焚き火の煙と一緒に、静かに天井へと昇っていく。


「…………私も、です」


 エドガーが、かろうじて続けた。

 顔を上げることはできない。視線を落としたまま、魔導書を握る指だけがわずかに強まる。


「もっと早く撃てていれば……もっと早く、決めきれていれば」


 その先を口に出せば、全部「たられば」になる。

 だから、飲み込むしかなかった。


 そんな二人を、オットーはゆっくり見渡した。


「……誰も、悪くねぇよ」


 真剣な声。

 冗談も誤魔化しも一切混じらない、盾としての結論だった。


「全員がベストを尽くした。それだけだ」


 その言い方は、自分で自分を許すためでもあり、仲間を縛らせないためでもあった。

 今日の戦いを、「後悔」だけの記憶にしてしまえば、本当に何年も無駄になる。


「ね、ねぇ……」


 ここまで黙って聞いていたミラが、耐えきれないように口を開く。


「さっきから、何の話をしてるの?」


 不安と怖さと、理解したい気持ち。

 その全部が混ざった声だった。


 オットーは一度だけ大きく息を吸い込み、ミラの方へ顔を向ける。

 その表情に、あえていつもの陽気さをかぶせた。


「なぁに」


 わざと明るい調子を作ってみせる。


「俺の切り札の《阿修羅》ってスキルな——寿命を使うんだよ」


「……っ!?」


 ミラの目が大きく見開かれる。


 頭の中で何かが追いつく前に、心だけが先に反応した。

 喉の奥がきゅっと締まり、うまく息が吸えない。


「に……二十年って……」


 言葉が震える。

 確認しなければいけないのに、聞きたくない。


「……何の、二十年……なの?」


「俺の残りの寿命だ」


 オットーは、あっけらかんとした口調で言った。

 まるで、本当にどうでもいいことのように。


 ダリウスは顔を伏せたまま、小さくつぶやく。


「……飯を食おう」


 焚き火のそばの鍋からは、相変わらず香ばしい匂いが立ちのぼっている。

 油の中のフライドチキンは、きつね色に揚がり、パチパチとごきげんな音を立てていた。


 誰もが、その匂いが「生きている今」をやたらと強調してくるのを感じていた。



 皿の上には、こんがりと揚がったフライドチキンが山のように盛られていた。


 衣の表面はところどころ焦げ目がつくほど香ばしい色をしている。

 爪先でつつけば、さくり、と軽やかな音がした。すぐにじわりと油がにじみ、立ちのぼる湯気が鼻先をくすぐる。


 ニンニクと数種類のスパイスの匂いが、焚き火の煙と混ざり合って、ボス部屋の一角を満たしていく。

 胡椒の刺激がほんの少しだけ鼻腔を刺し、その奥から、揚げた油の甘い香りがふわりと追いかけてくる。


「……いただきます」


 誰ともなく、かすれた声が漏れた。


 ミラは骨付きの一本を両手でそっとつかみ、恐る恐るかじりつく。

 衣が「パリッ」と気持ちの良い音を立てて歯の間で砕けた瞬間、熱々の肉汁がじゅわっと口の中に広がった。


 外は軽やかに香ばしく、中の鶏肉は驚くほど柔らかい。

 噛むたびに、肉の繊維の間から旨味がほぐれていき、ニンニクの風味とスパイスの香りが舌の上でゆっくりと混ざり合う。


 本当なら——


「うまぁっ! なんだこれ、店出せるぞ!」

「ダリウス、これレシピあとで教えて!」

「ニンニクをこれ以上増やすのはやめてください。明日、匂いでモンスターが寄ってきます」


 そんな声が飛び交って、オットーのくだらない冗談にミラが笑い転げ、エドガーがマニアックな香辛料の解説を始めて、ダリウスが「はいはい」となだめながら次の一皿を運んでいたはずだ。


 だが今は、誰も余計なことを言わなかった。


 揚げたてのチキンは、いつもと同じ味のはずなのに——

 口の中に広がる旨味が、どこか遠く感じられる。


 オットーのくだらない笑い話も、ミラの天然な世間話も、エドガーの魔法談義も、ダリウスの作戦会議も——

 いつもなら賑やかに並ぶ“いつもの音”が、今夜はどこにもなかった。


 チキンの味が薄く感じるのは、レシピのせいではない。

 それぞれの胸の内に沈んだ言葉たちが、香りも、旨味も、少しだけ遠ざけているのだと、四人とも気づいていた。


 しばらく、フライドチキンを噛む音と、焚き火のぱちぱちという音だけが続いた。


 その沈黙を破ったのは、オットーだった。


「……ミラ。聞いてくれるか?」


 唐突な呼びかけに、ミラはびくりと肩を揺らす。

 俯いたまま、少し迷ってから、こくりとうなずいた。


「……うん」


 オットーはマグをテーブルに置き、視線を遠くへ投げる。

 焚き火の向こうではなく、もっと、ずっと昔のどこかを見ているような目だった。


「俺の、このスキル——《阿修羅》が初めて発現したのはな。エドガーたちと組んで、まだ間もない頃だった」


 その一言に、ダリウスとエドガーの背中がわずかにこわばる。

 二人とも、手の動きを止め、ただ黙って続きを待った。


 オットーは、少しだけ懐かしそうに笑った。


「あの頃は若くてな。無理と無茶と……無謀の連続だった。

 何かあればエドガーが全部吹き飛ばす。

 どんだけ無茶な攻勢も、俺が受け止める。

 ダリウスが、何があっても支援してくれる。

 

 他にも弓のアシュレイ、モンクのタッカー、後衛には回復の加護持ちのジェリーがいた。

 アシュレイは、いつも一番冷静なくせに、一番最初に矢を番えて前に出る奴だった。

 タッカーは、一番臆病なくせに、一番誰かを見捨てられない馬鹿だった。

 ジェリーは、誰より怖がりなくせに、土壇場になると一番先に前へ出る奴だった。

 ——完璧無敵、そんな布陣だと、“思っていた”。」


 最後の一語だけ、ほんのわずかに重くなる。


 ミラは、チキンを持つ手を膝の上に下ろし、小さく呟いた。


「……昔は、いろいろな仲間がいたんだね……」


 それ以上、聞きたくない。

 でも、聞かずにはいられない。そんな顔だった。


「あぁ。いたさ」


 オットーの口元から、懐かしさが消え、代わりにゆっくりと後悔の影が差していく。


「そんな時だ。未踏破ダンジョンに挑もうって話が出たのは。

 二十四の若造がよ。『行ける、行ける』ってな」


 自嘲するように、鼻で笑う。


「俺たちは進んだ。調子に乗って。

 最下層で待っていたのは——魔神だった」


「ま、魔神……!?」


 ミラの肩が跳ねる。


「そんなの、神話の話だよ……?」


 信じられない、というより「信じたくない」という震えが混じった声。


「事実ですよ……」


 ぼそりと、エドガーが呟く。

 魔導書を持つ指が、白くなるほど強く握り込まれていた。


 オットーはゆっくりとうなずく。


「あっという間に追い詰められた。満身創痍でな。

 ミラ、お前も加護が使えるなら、呪いのことはわかるだろ?」


 問いかけられ、ミラは喉を鳴らしてから答える。


「……生贄の供物を使って、呪いを与えるもの、だよね?」


「あぁ」


 オットーは、目を閉じて一度だけ息を吐いた。


「初めにその話を出したのは、ジェリーだった。

 二人を生贄にすれば、残り四人は助かるってな」


 ミラの顔から血の気が引いていく。


「まさか……人間を……供物に?」


「そうだ。人間をだ」


 焚き火がぱちりと弾け、四人の影が揺れる。


「くじ引きだった。……ジェリーは細工をして、自分が供物になるようにしてやがった。

 タッカーはモンクだからな。超直感ってやつで、あえてハズレを引きやがった」


 オットーの目が、今ここにない二人の姿を見つめる。


「……あの二人の顔が、今も夢に出る。

 『行ってくる』って笑った顔も。

 最後にこっちを振り返った時の顔も。全部な」


 隣で、ダリウスがそっと目を伏せる。


「俺たちは必死に反対した。

 こんなやり方、間違ってるって何度も言った。……でも」


 ダリウスは唇を噛んだ。


「タッカーとアシュレイに押さえつけられてる間に、ジェリーが呪いを完成させちまったんだ」


 短く、悔いだけを噛みしめるような言葉だった。


 オットーは、マグを手に取り、残った酒をぐびっと一気に飲み干す。


「俺の《阿修羅》は、その呪いの力だ。

 ジェリーを生贄に捧げて、タッカーを巻き込んで——俺たちはその力を使い、“逃げた”」


 最後の二文字だけ、焚き火の音より重く沈んだ。


 ミラは、胸の前で握りしめた両手に、ぎゅっと力を込める。


 悲しみ。恐怖。

 そして、そんな過去を背負っている三人が、今ここにいることへの安堵。

 それら全部がごちゃ混ぜになって、自分の中身がぐちゃぐちゃにかき混ぜられていくようだった。


「…………なんて……言ったらいいか……わかんない……」


 言葉を探して、見つからなくて、それでも絞り出す。


「でも、やっぱり……三人が生きてて……私は、よかったって……心から思う……

 ……私、ひどいよね……でも……そう思うの」


 口に出してミラは、自分がどれだけ身勝手なことを口にしたのか気づいて、胸の奥がきゅっと痛んだ。


「ミラ……」


 ダリウスが、名前を呼ぶことしかできない。


 ミラは俯いたまま、震える声で続けた。


「……じゃあ……寿命って、その……使ってる時間で、なくなるの?」


 オットーは、しっかりとミラの顔を見る。


「あぁ。短時間なら、ほとんど減らねぇ。

 だが今回みてぇに、長時間ぶっ続けで使って、瀕死からの回復まで含めちまうと——一気に吸い取られる」


 焚き火が、ふっと風に揺れた。


 ダリウスは、テーブルの縁をつかんだまま、ぽつりと呟く。


「……今日は……みんな、疲れてるだろう。もう、寝よう」


 誰も反対しなかった。


 それぞれが静かに皿を片づけ、寝袋へと潜り込んでいく。

 テントの天幕越しに、遠い石天井が黒く沈んでいた。


 オットーは、一番奥に敷かれた寝袋に身体を沈める。

 背中で布の冷たさを感じながら、じっと天井を見上げた。


(……あと二十年)


 数字だけを見れば、十分長い。

 だが、さっきまで「老齢の塔」の先を、当たり前のように四人で歩いて行けると思っていた、その感覚からすれば——唐突に床が抜け落ちたような短さだった。


(……もう、一秒だって無駄にしねぇ)


 誰にも聞こえない声で、心の中だけで呟く。


(飲んだくれてる時間も、くだらない愚痴で潰す時間も……それでも、全部ひっくるめて“今”だ。

 だったら、笑って過ごしてやる。喰って、戦って、バカ言って、仲間を守って——)


 オットーは、そっと目を閉じる。


(……今、この瞬間を。生ききってやる)


 焚き火の赤い光が、ゆっくりと弱くなっていく。

 やがて、小さなテントの中には、三人と一人分の、いびきと寝息だけが満ちていった。


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