表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結済】息切れ・痛風・老眼おっさんパーティ、“老齢の塔”に挑む 旧:塔の頂きへ  作者: けんぽう。


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/93

第41話 阿修羅


「《阿修羅》——解放」


 瞬間、オットーの瞳が、ぎらりと赤く光った。


 次の呼吸で、世界が反転する。


「ぶぉおおおおおおおお!!」


 腹の底から絞り出された咆哮が、空気そのものを震わせた。

 それはもはや人間の声ではない。野太い獣の吠え声と、鉄を軋ませるような悲鳴が混ざった、聞く者の背骨を直接かきむしるような音だった。


 エルダードラゴンの爪が、まだオットーの腹を貫いている。

 普通なら、そこから崩れ落ちるように膝をつくはずだ。だが——


「……ぐっ」


 オットーは、その爪を、両手でがっちりと掴んだ。


 筋肉が軋む。血が噴き出す。

 腹から背中へと貫かれていた爪が、ぎりぎりと嫌な音を立てながら、ゆっくりと引き抜かれていく。


 べちゃり、と血だまりが広がる。

 常ならば即死級の傷。だが——


 オットーの腹部が、みるみるうちに再生を始めた。


 裂けた肉がうごめき、ちぎれた血管が勝手に繋がり、皮膚が下からせり上がるようにふさがっていく。

 痛みはある。常軌を逸した激痛が、頭蓋の内側を直接殴り続けるように襲いかかっている。


 それでも——


「俺の腹をやったのは、この爪かぁああああ!!」


 オットーは、絶叫と共に、その爪を素手でへし折った。


 バキィン、と金属めいた音が響く。

 エルダードラゴンが驚愕に目を見開くより早く、オットーは地を蹴っていた。


 ——弾丸。


 その動きは、もはや「走る」ではなかった。

 視界から姿がかき消えたかと思えば、次の瞬間にはエルダードラゴンの背後に回り込んでいる。


「エドガーとミラをやったのは——」


 オットーは、巨大な翼の付け根に腕を回し込んだ。

 肩の筋肉が膨れ、背中の筋が浮き上がる。


「この翼かぁああああ!!」


 吠えるような声と同時に、翼が根元から引きちぎられた。


 ずるり、と肉が裂ける音がする。

 分厚い鱗ごと剥がされた翼が、血飛沫を撒き散らしながら床に叩きつけられた。


 エルダードラゴンの咆哮が、ボス部屋の空気を震わせる。

 痛みと怒りと、そしてそこに混じる、理解不能な「恐怖」が滲む叫びだった。


 だが、オットーは止まらない。


「まだだ……!」


 片手でぶら下がったまま、もう片方の手を別の翼に突き立てる。


「こっちも、だぁああああ!!」


 片膝で踏ん張り、背中を反らし、全身の力を翼に叩きつける。

 肉が裂け、骨が折れ、鱗が飛び散る。


 ビリビリと嫌な感触が腕に伝わってくるが、構うものか。

 暴れるエルダードラゴンの巨体が、オットー一人では制御しきれないほど揺れ動く。


 それでも、オットーの腕は離れない。


「うぉおおおおおおおお!!」


 喉が裂けそうな咆哮と共に、二枚目の翼が、力ずくで引き裂かれた。


 ぼとり、と千切れた翼が床に落ちる。

 緑色の血飛沫が、雨のようにオットーを染め上げていく。


 鎧も、肌も、髪も、すべてがドラゴンの血でべったりと濡れた。

 鉄臭さと、熱気と、魔物特有のむせかえるような匂いに、部屋の空気が塗りつぶされる。


 エルダードラゴンの悲鳴が、空間を切り裂いた。


「ぎぃ……ぉおおおおおおおおお!!」


 その声は、先ほどまでの「楽しげな咆哮」とは違っていた。

 今度のそれは——明確な、恐怖の混じった悲鳴だった。


 かつて何百もの命を奪ってきた捕食者が、初めて「自分が狩られる側」になったことを、理解した声だった。


 オットーの口元が、ぐにゃりと吊り上がった。


「——最高に気持ちよくなってきたぜぇえええええええ!!」


 叫びはもはや雄叫びというより、狂気そのものだった。

 声に押されるように、一歩でエルダードラゴンの首筋まで駆け上がる。


 大きく跳躍し、そのまま巨体の顔面へと飛び乗った。


 エルダードラゴンが頭を振る。

 視界を奪おうと、振り落とそうと、必死で喚き散らす。


 だが、オットーの手は離れない。

 がっしりと額の鱗を掴んだまま、もう片方の手で、赤く光る瞳に指を突き立てた。


「ここだろぉがよぉ……!」


 ずぶり、といやな感触が手のひらを通じて伝わる。

 粘ついた液体が一気に噴き出し、指の間をぬるりと流れ落ちる。


 エルダードラゴンが、耳をつんざく悲鳴を上げた。


「ぎぃっっ……ぉおおおおおお!!」


 オットーは躊躇なく、そのまま目玉を掴み出す。

 握りつぶすでも、捨てるでもなく——その場でがぶりと噛みついた。


 ぐしゃり。


「……なんだ。なかなかうめぇじゃねぇかよ」


 血と体液にまみれながら、ニィッと笑う。


「てめぇ、ふざけてんのかぁああああ!!」


 怒声と共に、残ったもう片方の目も、同じように抉り取られる。

 視界を完全に奪われたエルダードラゴンの咆哮には、もはや威厳も余裕もなかった。ただただ、純粋な恐怖と混乱だけがあった。


 その咆哮を、オットーは鼻で笑い飛ばす。


「目ん玉潰したからよぉ——」


 顔の上から、ひらりと飛び降りる。

 今度は、巨体を支える太い脚の付け根へと回り込んだ。


「……何も見えねぇってことだよなぁ?」


 大斧を一閃。


 ずしん、と重たい感触と共に、エルダードラゴンの片足が根本から断ち切られる。

 緑色の血が噴水のように吹き上がり、床一面を染めていく。


 巨体がバランスを崩し、片側に大きく傾く。

 もがき、ジタバタと床を掻きむしるように暴れる姿は——もはや「頂点捕食者」ではなかった。


 それは、はっきりと「獲物」の動きだった。


「……あぁ、いいな。その顔だよ」


 オットーは、心底楽しそうに笑った。


「簡単にコアは壊さねぇぜ」


 ずるり、と血溜まりの中を歩きながら、エルダードラゴンの腹部へと近づいていく。

 先ほどの氷の刃がこじ開けた傷口から、脈動するコアがかすかに覗いていた。


「時間は——たっぷりあるからなぁ」


 大斧を肩に担ぎ、赤い瞳で獲物を見下ろす。


「嬲ってやるよぉおおおお!!」


 そこから先は、ほとんど一方的な蹂躙だった。


 斧が振るわれるたびに鱗が砕け、骨が折れ、肉が裂ける。

 エルダードラゴンは本能的に反撃しようとするが、翼をもがれ、片足を失い、視界すら奪われた巨体は、もはやオットーの速度についていけない。


 咆哮は次第に悲鳴に変わり、悲鳴はやがて、嗚咽にも似たかすれた声へと落ちていった。


 それでもオットーは止まらない。


 腹部の結界を、斧で何度も何度も叩き割るように攻撃し、ひびを広げていく。

 ただ勝つためではなく——これまで仲間たちに与えられた痛みを、すべて上乗せして返すかのように。


 最後には、腹部の中心に浮かぶコアだけが、辛うじて形を保っていた。

 ひびの走ったそれが、かすかに明滅しながら、なおもドラゴンの命を繋ぎとめている。


 オットーは、荒い息のまま、ゆっくりと斧を構え直した。


「……ここまでだ」


 先ほどまでの狂気じみた笑みが、ほんの一瞬だけ、静かな表情に変わる。


「あいつらの——旅はよぉ」


 斧が振り下ろされる。


「続くんだよぉ!!」


 砕ける音は、叫び声と同時だった。


 コアが粉々に砕け散ると同時に、エルダードラゴンの巨体から、力が一気に抜けていく。

 巨大な頭ががくりと垂れ、全身の鱗から、命の灯がふっと消えた。


 ボス部屋の中に、重たい静寂が落ちた。


 オットーは、その場に立ち尽くしていた。

 赤く光っていた瞳が、ゆっくりと元の色へと戻っていく。


 ひざが、ふいに笑う。


 支えを失ったように、その大きな身体が、ゆっくりと前のめりに倒れた。


 どさり、と鈍い音を立てて、エルダードラゴンの血の海の中に倒れ込む。


 眠り、というより、落ちる、という表現が近い。

 意識は一瞬で暗闇に引きずり込まれ、視界も、音も、痛みさえも、すべてが遠ざかっていく。


(……また……会えると……いい……な……)


 阿修羅の代償として訪れた深い眠りの中へ——

 オットーは、そのまま静かに沈んでいった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ