表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結済】息切れ・痛風・老眼おっさんパーティ、“老齢の塔”に挑む 旧:塔の頂きへ  作者: けんぽう。


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/93

第35話 話さない約束


 トロールの亡骸から、少し離れた場所。

 なだらかにくぼんだ地面に、四人はささやかな野営地を設けていた。


 焚き火の炎が、夜の森をゆっくりと照らし出す。

 木々の梢のあいだから覗く星々は遠く、風が梢を揺らすたび、光と影がかすかに揺れた。


 ミラは、ひとりずつの前に膝をついていた。

 胸元のネックレスをきゅっと握りしめ、そっと祈りの言葉を紡ぐたび、淡い光が彼らの身体を包み込む。


 光が引いていくのを確かめてから、ダリウスはゆっくりと上体を起こした。

 頭に手をやり、肋骨や肩を確かめ、そして小さく息を吐く。


「もう大丈夫だ、ミラ。……ありがとう」


 いつものように、少し照れた笑みを添えて。


 その隣で、オットーは地面に仰向けになったまま、大きく息を吐き出した。


「俺もだ。助かった」


 まだ膝に鈍い違和感は残っている。それでも、さっきまでの地獄の痛みを思えば、今の痛みなど何でもない。


「よかった……ほんとによかった……」


 ミラは、ネックレスをぎゅっと握りしめたまま、胸の前でそっと手を組んだ。

 安堵と疲労が一度に押し寄せてきて、目尻がほんの少しだけ潤む。


 そこへ、焚き火の向こうから、エドガーが歩み寄ってくる。


 ミラの加護の光がすっかり消えたあと、焚き火の赤が、静かに揺れていた。


 エドガーは魔導書を閉じ、膝の上にそっと置く。

 そして、ちらりとオットーの方を見かけて——わざと視線を外し、焚き火の向こうを眺めるふりをしたまま、口を開いた。


「オットー。あなたの盾、前に出すぎかもしれませんね。……あまり無茶はしないようにしましょう」


 さらりと言ったその声音は、いつも通りの皮肉混じりに聞こえる。

 けれど、口元の微笑だけは、どこか柔らかかった。


 オットーは、地面に寝転んだまま、同じようにエドガーから目をそらす。

 星の見える夜空を仰ぎながら、ニヤリと片方の口角だけを上げた。


「そうだな。……お前の魔法がなかったら、今回もやばかったぜ」


 それだけ。

 謝りもしないし、「ありがとう」とも言わない。


 けれどその短いやり取りの中身を、二人ともよく知っていた。

 “もういい”“気にしてない”“頼りにしてる”——そういう言葉を、互いに飲み込んだうえでの、ぎこちない落としどころだということを。


 エドガーは小さく息を吐き、肩の力を抜く。

 オットーもまた、胸の上で腕を組み直し、どこかほっとしたように目を細めた。


 長い年月、何度も喧嘩して、何度も同じようなやり取りを繰り返してきた。

 正面から謝ったり、涙ながらに抱き合ったりするような性格ではない。

 焚き火を挟んで、二人はほんの一瞬だけ視線を交わし、そろって小さく鼻を鳴らした。


 それでも、わかる。

 背中を預けて良い相手かどうかなんて、もうとっくに答えは出ている。


 ふと、エドガーが夜空を見上げた。


「……今日は、少し冷えますね」


 焚き火の向こう、濃い闇の裂け目みたいに、葉の隙間から星が瞬いている。


 オットーも同じ空を見上げ、鼻を鳴らした。


「あぁ。そうだな」


 それきり、言葉は続かない。

 しかし、さっきまであった冷たい沈黙とは違う。


 火の粉が夜空に消える

 森を渡る風が、二人の間をゆっくりと通り過ぎていく。


 言葉にしなくても、伝わることがある。

 この夜の心地よい静けさそのものが、二人の間に新しく刻まれた信頼のかたちだと、誰より二人がよくわかっていた。



 ——だが、またしても。


「えっ!! 二人、仲直りできたの!!」


 静かな空気を、ミラの声が盛大にぶち抜いた。


 彼女は焚き火の横から勢いよく飛び出してきて、ぱあっと顔を明るくさせる。


「よかったね!! でもちゃんと謝らなきゃ!! あと仲直りの握手も必要だよ!!」


 エドガーとオットーは同時に固まった。

 さっきまで肩の力が抜けていたのに、今はもうガチガチである。

 わかりやすく視線が宙をさまよい、微妙に顔が引きつっている。


 沈黙。

 薪の表面が赤く呼吸し小さく弾けた。


「ミラ!」


 慌てて割り込んできたのはダリウスだった。

 彼はミラの両肩をがしっとつかむと、そのままぐいっとこちらに向き直らせる。


「空気を読むんだ! 今いい感じだったろ!? すごく、こう……いい感じにまとまってたろ!?」


 ミラは不満げに頬をふくらませる。


「読んだよ、ちゃんと読んだよ!? 『あっ、これは仲直りの空気だ!』って思ったから言ったの!」


 ダリウスは、額を押さえ、その手をそのまま顔全体にずり下ろした。


「違うんだ! 根本的に!!」


 焚き火の明かりの中で、ダリウスは必死に言葉を探す。


「あのままで良かったんだよ……なんていうか、あの“言葉少なめのまま”が正解なんだよ!! あれで仲直りは完了してたんだ!」


「えー!? おかしいよ!」


 ミラは全力で抗議する。


「ちゃんと『ごめんね』って言って、『ありがとう』って言って、ぎゅーってして——」


「しない! あいつらはそういうタイプじゃない!!」


 ダリウスは、思わずオットーとエドガーを振り返る。

 二人はというと——


 焚き火の向こう側で、石像みたいに固まったまま、見事に顔を真っ赤にしていた。

 視線は合わさず、しかし耳までしっかり赤い。


「だから、仲直りはもう終わっているんだ」


 ダリウスは、できるだけゆっくり、言い聞かせるように繰り返す。


 ミラはじっとダリウスを見つめ、それからオットーとエドガーを交互にちらちらと眺めた。


 しばらくの沈黙。


「……わからないけど」


 ミラは、焚き火の前にちょこんと腰を下ろし、膝を抱えてぷいっと顔をそむける。


「……わかったよ」


(……大人って、仲直りするのも、難しいんだな)


 不満げに拗ねた横顔を見て、ダリウスは小さく息を吐く。

 その背後では、ようやく動き出したエドガーとオットーが、互いに目を合わせまいとしながら、同時に咳払いをした。


 夜の森に、焚き火のぱちぱちという音と、くすぐったいような気まずさだけが、静かに溶けていった。



 ダリウスがしっかりと上体を起こせるようになると、いつものように当然の流れで立ち上がった。


「よし……今日は簡単なのでいくか」


 袖をくいっとまくり上げる。

 次の瞬間、まな板の上で包丁がサクサクと小気味よく鳴り始めた。


 スライスされたパンが皿の上に整然と並べられていく。

 焚き火の上には小さな鍋が吊るされ、中ではチーズがゆっくりと、とろり、とろりと溶けていた。

 熱にあぶられ、表面に小さな泡が浮かんでは消え、ふわりと香ばしい乳脂の匂いが漂う。


「ほら、できたぞ。フォンデュだ」


 ダリウスが鍋を軽くゆすり、滑らかなチーズの海を見せるように傾けてみせると、ミラの目がきらりと光る。


「やった!」


 ミラは待ちきれないとばかりにソーセージを一本つまみ、フォークで刺して鍋の中へ沈めた。

 とろとろのチーズがソーセージの表面にまとわりつき、持ち上げた瞬間——


「わぁ……」


 伸びたチーズの糸が、焚き火の明かりを受けて淡く光る。

 ミラはそのまま、スライスしたパンの間にソーセージを挟み込んだ。

 パンの温もりでチーズはさらに柔らかくなり、じわり、と染み込んでいく。


 一口かじると、こんがりと焼けたパンの香りと、塩気の効いたソーセージの肉汁、濃厚なチーズのコクが一度に口の中に押し寄せた。


「……あぁ……幸せ……」


 ミラは目を細め、頬をゆるませながら、心の底からしみ出るような声でつぶやいた。

 焚き火のはぜる音と、チーズフォンデュの香りが、夜の森にゆっくりと溶けていった。


 チーズの香りがまだ濃く残る焚き火のそばで、オットーが空になった皿を土の上にそっと置いた。

 その仕草がいつもより静かなのを、ダリウスは見逃さない。


「……ダリウス。超集中のことなんだが」


 顔を上げたオットーの目は、酒の抜けた本気の色をしていた。

 ダリウスも手を止め、皿を横に滑らせる。


「あぁ」


 短い相槌に、続く言葉を促す重さがにじむ。


 エドガーも、口元を布でぬぐいながら視線を上げた。

 さっきまでミラの暴走に巻き込まれていた顔からは、すでに学者と冒険者——二つの顔を併せ持つ、冷静な眼差しが戻っている。


「なぜ今回は、三十秒で切れたんですか?」


 ミラだけが一人、話そっちのけでパンにチーズをどっぷりつけては、幸せそうに頬張っている。


「んぐ……なに? 超集中? おいしい……」


 誰もツッコまない。焚き火の火だけが、ぱちぱちと場をつないでいた。


 ダリウスは腕を組み、少し視線を落とす。

 胸の内で、あの瞬間の景色がゆっくりと巻き戻されていく。


「時間の問題じゃない。……多分、思考のノイズだ」


「ノイズ?」とオットーが眉をひそめる。


「三十秒が来た時に、迷ったんだよ。

 このまま斬りきるか、シールドまで戻るか……一瞬だけな」


 あの一瞬。

 呼吸が乱れ、足に鉛が入ったように動かなくなった感覚。

 たったそれだけで、世界の速度は「いつもの時間」に引きずり戻された。


 エドガーが顎に手を当て、言葉を選ぶようにゆっくりとうなずく。


「なるほど。……綱渡りをするような力ですね。

 一歩でも踏み外せば、落ちてしまう」


 オットーは腕を組み、唇の端をわずかに噛んだ。


「だが、あれがなかったら全滅だったのも事実だ。

 あのトロール、俺の盾だけじゃ押し返せなかった」


「あぁ、そうだな」


 ダリウスは顔を上げ、二人の顔を順に見た。

 エドガーの眼差しは慎重で、オットーのそれは実感を伴った肯定だ。


「だから——全部自分で考えるのはやめようと思う」


「……どういうことだ?」

 オットーが首をかしげる。


 エドガーは、ふと目を細めた。


「役割分担、ですか?」


 ダリウスは小さく笑って、それから真剣な眼差しに変わった。


「そうだ。俺が超集中に入る時は、もう戦闘のことだけを考える。

 いつ切るか、押すか引くか——そういう判断は全部、俺から外に出す」


 オットーに視線を固定する。


「オットー。超集中を切るタイミング、それから撤退か押し込むかの判断。

 それを、俺の代わりに頼む」


 一拍、間があった。


 その間に、オットーの中で何かがカチリと噛み合う。

 いつもの軽口ではなく、腹の底からくる短い返事がこぼれた。


「……おう」


 それは「重い役目だ」という愚痴ではなく、「任された」という色の濃い声だった。


 ダリウスは次に、エドガーへと視線を移す。


「エドガー。お前には、その間、全体の指示を頼みたい。

 俺の代わりに、戦場全体を見てくれ。詠唱は、一旦途中で止めてくれ」


 エドガーの指先が、膝の上でごくわずかに震えた。

 それは恐怖ではなく、「任された責任」の重みを受け止めた証だった。


「……最適解ですね」


 やわらかな笑みを浮かべながらも、声には迷いがない。


「わかりました。

 あなたが前に出るなら、その間は私が“頭”になりましょう」


 オットーがニヤリと口角を上げる。


「これで、戦術の幅は広がりそうだな」


「えぇ。ようやく、ですね」


 エドガーも、ふっと笑みを返した。

 さっきまで冷たくなりかけていた空気は、いつもの「三人と一人のパーティ」に戻っている。


「……ねぇ、このチーズ、全部私のお腹に収まってるんだけどおかわりはあるの?」


 いつの間にか鍋の底をさらっていたミラが、ほっぺたをふくらませたまま不満を訴える。


 ダリウスは思わず吹き出し、エドガーとオットーも同時に肩を揺らした。

 焚き火の火がぱちぱちと弾け、その笑い声を照らし上げる。


 ミラは、残り少なくなったパンをもぐもぐしながら、ふと思い出したように顔を上げた。


「ねぇねぇ、その“戦術の幅”ってやつ? オットーって攻撃のスキルはないの?」


 その一言で、焚き火の音だけが妙に大きく聞こえた。


 ——一拍の沈黙。


 オットーは、マグを握ったまま目を伏せる。

 ダリウスとエドガーが、ほんのわずかに視線を交わした。

 「触れたくない話題だ」と、長年の勘でわかる種類の沈黙だ。


「……」


 オットーはわざとらしく肩をすくめてみせると、無理に軽い調子を作った。


「……まぁ、俺はシールドバッシュを極めるために、他のスキルは覚えてねぇんだよ」


 あたかも、それがすべてだと言わんばかりに。

 だが、焚き火の明かりに浮かぶ横顔には、どこか自分で話を打ち切ったような固さが混じっていた。


「何も問題ありませんよ」


 エドガーが、火に照らされた表情を崩さぬまま続けた。


「オットーのシールドバッシュは、もう“異常”の域ですからね。

 他のスキルなんて、いりませんよ」


 さらりとした口調。

 けれど、それ以上“他のスキル”について掘り下げないよう、きっちり線を引く言い方でもあった。


「異常って言うな」


 オットーはぼやきながらも、どこか救われたように鼻を鳴らす。

 マグの中身はとっくに空だ。それでも、指先だけはやけにその取っ手から離れなかった。

 ——あの一つだけある攻撃スキルについては、誰も触れない。


 ダリウスは二人のやりとりを見て、ぱん、と手を叩いた。


「よし、今後の方針はここまでだ。今日は早めに寝よう!」


「賛成だ、身体がもうバキバキだ」


 オットーが「よっこらせ」と立ち上がる。その背中には、さっきまでの重さが、ほんの少しだけ薄れていた。


 一方でミラは、一人首をかしげている。


「……???」


 唇に指を当て、きょとんと三人を見回す。

 何か隠している気配は感じる。けれど、それが“冗談めかして流すべき種類の秘密”だということまでは、まだうまく言葉にできない。


 ダリウスとエドガー、オットーはというと、妙にそそくさと寝床の準備に取りかかっていった。

 この話題はここまで——そう決めた大人たちの、無言の合図を交わしながら。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ