第24話 役割が崩れる瞬間
このパーティには、明確な“弱点”があった。
それは——良くも悪くも、エドガーの超火力魔法に依存してしまっていることだ。
これまでは、どれだけ詠唱に時間がかかろうと、その間さえ守り抜けば勝利は約束されたも同然だった。
盾が砕けようと、足がもつれようと、血を流しながらでも——最後にはエドガーの一撃が、全てを焼き払ってくれるはずだったのだ。
*
ワーウルフは毛を一振りした。焦げた匂いが散る。身体は焦げ跡ひとつ見せないまま、首だけを少し傾けた。
エドガーの喉が鳴る。魔導書の端を押さえる指が白くなる。いつもなら整う声が、出だしでわずかに揺れた。
「魔法無効化ですか……誘われましたね……
貫通術式を付与した魔法に切り替えます。ダリウス、粘れますか?」
ダリウスは息を吸い直し、口の端だけを持ち上げた。笑いに見せるが、頬の筋肉が引きつっている。
「あぁ……粘るしか、ないんだろ」
オットーが一歩前に出ながら吠えた。返事を待たない声。
「ミラ、ここを頼む!」
盾から斧へ持ち替える。握り替えの一瞬、腰が沈んだ。気づかれないよう膝で受け直し、そのまま前線へ飛び出す。
ワーウルフは影みたいに形を落とした。四足。床を滑る。進路は後衛。
「——っ!」
爪がミラの目前に落ちる。火花。簡易結界がきしみ、光の縁が薄く揺れた。ミラの肩が跳ね、足が半歩下がる。それでも結界は割れない。
「オットー!」
声が裏返りかけた。
呼びかける前に、オットーが滑り込む。
「ったく! 《シールドバッシュ》!」
光の壁が厚く立つ。ワーウルフは一度、鼻先で壁を測るように止まり、低く唸った。黄色い目が細くなる。
オットーが盾越しに吐き捨てる。
「……こいつ、 頭が回りすぎだろ。完全にダリウスから削る気だ」
ダリウスの喉が鳴った。息を飲む音が自分で聞こえる。視線を外さず、足の位置だけを直す。
(そうだ……狙いは最初から、俺だ)
ワーウルフが人型に戻る。今度は急がない。爪をカチリと鳴らし、距離を測るように歩く。目はダリウスを固定したまま、時々だけ後衛へ流れる。
ダリウスが剣を握り直す。革の巻きが軋む。手首を回し、肩の力を落とそうとして落ちない。
エドガーの言った“超集中”。
ミノタウロス戦で、世界が静かになったあの瞬間。耳の奥がすっと冷え、相手の動きだけが線になって見えた。
ダリウスは下唇を噛んだ。痛みで現実に戻すみたいに。
(もう一度……あそこに入るしかない)
胸が早い。呼吸が浅い。脚の裏が重い。肩の古傷が鈍く疼く。
ミラの声が背中のどこかに刺さる。焚き火の前で笑っていた時の声だ。オットーの大笑い。エドガーの説教。
剣先がわずかに揺れた。揺れを止めようと握ると、逆に腕が固くなる。
(いけるのか、 俺に? 本当に?)
言葉が喉まで上がってきて、歯で噛み潰す。
目線の端で、ミラが結界の手を組み直している。オットーが盾を押し返す位置を調整している。エドガーはページをめくり、息を整えている。全員、動いている。止まっているのは自分の足だけだ。
ダリウスは踵を床に軽く打ちつけた。石の冷たさが足裏に返る。
(怖いに決まってるだろうが)
歯を食いしばる。顎の筋が浮く。剣の柄が軋む。
(けど——)
塔の麓の景色がよぎる。荷を下ろした指の震え。ミラが飛び跳ねた声。
「行こう」と言ったのは誰だ。背中を押したのは誰だ。守り切ると決めたのは誰だ。
「——行くぞ」
声は低い。自分に言った。
一歩、間合いへ踏み込む。
ワーウルフの口角が吊り上がる。歯が見える。目は笑っていない。
爪が走った。
「——ッ!」
ダリウスは身を捩る。致命は避けたが、頬が裂ける。熱いものが顎へ落ちた。血だ。
視界の端が赤く染まる。そこで頭が一瞬熱くなる。
(違う……まだだ。あの感覚じゃない)
息が速くなる。肩が上がる。剣先が浮く。
落とそうとしても落ちない。踏ん張りが前に出る。
(集中しろ、 集中しろ、 集中——)
ワーウルフの腰が沈む。重心が落ちる。爪じゃない。
ダリウスの視線がその一瞬を拾う。声にならない息が漏れた。
(——蹴りだ)
気づいた時には、体勢が少し崩れていた。爪を避けた反動が残っている。
ワーウルフの回し蹴りが、横から入る。
「ぐ、あっ——!」
側頭部に鈍い衝撃。視界が回る。足が床を探して空を踏む。
背中が岩壁にぶつかった。肺の空気が一気に抜ける。咳が出ない。音だけが途切れる。
床の感触が遠い。松明の火が滲む。仲間の声がどこかで響いているのに、輪郭が取れない。
(……やっちまったな)
口が勝手に歪む。笑いにならない。
目の端で、ワーウルフの黄色い目が動いた。視線が後衛へ移る。
(悪い……あとは、 頼んだぞ)
誰に向けたのか、言葉の行き先が定まらないまま、ダリウスの瞼が落ちた。




