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息切れ・痛風・老眼おっさんパーティ、“老齢の塔”に挑む  作者: けんぽう。


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第19話 山に試される足取り

 十二階層セーフエリア。


 二階層と同じく——この場所では、魔物たちの「敵意」はすっかり抜け落ち、「知恵」を得て暮らしていた。


 足元には柔らかな草原が広がり、踏みしめるたびにしっとりとした感触が返ってくる。

 中央には、天井まで届きそうなほどの大樹が一本、どっしりと根を張っていた。その幹のまわりを囲むようにして、煉瓦造りの家々が大小さまざまな背丈で無造作に並んでいる。


 二階層の街に比べれば、人通り——いや、魔物通りは少し静かだ。

 それでも、市場はきちんと開かれ、宿屋の看板には魔物文字で「営業中」とでも書いてあるのだろう、黄色い灯りが揺れている。


 角の生えた魔物が荷車を押し、毛むくじゃらの魔物が屋台で串焼きを売り、甲殻に覆われた魔物が宿の前を掃き清めていた。


 そんな異様でどこか牧歌的な光景の中を——四人の人間がひときわ目立ちながら進んでいた。


「とりあえず……宿に運びましょう……」


 エドガーが汗だくになりながら言う。

 その肩には、巨体の男が全体重を預けていた。


「あぁ……しかし重いな……」


 反対側でダリウスも息を切らせながら、オットーの腕を担いでいる。

 オットーは意識こそあるものの、脚が棒のように動かず、ほとんど引きずられる形だった。


 そんな三人の後ろで——ひとりだけ元気な少女がぴょんぴょん跳ねていた。


「フレーフレー、ダリウス! エドガー!」


 ミラは、どこで覚えたのか分からないチアリーダーのような動きで、両手をぶんぶん振り回しながら声援を送っている。


「……お前が一番元気だな……ミラ……」


「応援係も大事なんだよ? 心のポーションだから!」


「……そのポーション、筋肉には一滴も効いてない気がするんだが……」


 ダリウスはぼやきつつも、どこか救われたように小さく笑った。


 そうして、三人がかりの「大荷物」は、魔物の営む宿屋へと運び込まれていった。



 一日後の夜。


 月明かりが淡く草原を照らし、十二階層の空気は静かに冷え始めていた。

 セーフエリアの一角にある飲み屋のテラス席では、ランプの炎が揺れ、木製のテーブルの上に温かな光の輪を作っている。


 そのテーブルを、四人の影が囲んでいた。


「——乾杯!」


 ダリウスが杯を掲げる。


「乾杯!」


 他の三人もグラスを持ち上げ、音を立ててぶつけ合った。


 オットーが、待ちきれないとばかりにグビグビと酒を流し込む。


「くぅう……なんだか久しぶりに飲んだ気がするぜ!」


「久しぶり?」


 ダリウスは呆れたように眉をひそめる。


「毎日飲んでるだろ、お前」


 エドガーは杯を揺らし、琥珀色の液体を眺めながら肩をすくめた。


「アルコールで脳がやられたくなかったら、一日二杯までですよ。

 ……もっとも、オットーの場合はすでに手遅れになっているかもしれませんが」


「誰が手遅れだ! 誰が!」


 オットーが即座に噛みつき、ミラがくすっと笑う。


「それよりさ、オットー。試練ってどうだったの? 何かと戦うとか?」


 興味半分、心配半分といった顔で首をかしげる。


 オットーは、困ったように頭をかいた。


「それがな……覚えてないんだよ……。なんか、めちゃくちゃいい酒を飲んだ気がするんだが」


 そう言いながらも、喉の奥に、説明できないざらつきが残っている気がした。

 楽しい酒のあとに残る余韻とは、少し違う何かだ。


 ダリウスは杯をそっと置き、表情を引き締める。


「……まさか、試練の間の記憶を食われたんじゃないか?」


 エドガーは顎に手を当て、推理するように目を細めた。


「確かに……あの衰弱具合からして、相当な試練を受けたはずです。それなのに内容を覚えていない。妙ですね……」


 ミラはひゅっと息を呑み、肩をすくめる。


「失敗したら今までの人生の記憶、成功しても……試練の記憶が食べられちゃうってこと?」


 ダリウスは腕を組み、月を仰ぐように視線を上げた。


「どちらにせよ、塔の“栄養”になるってわけか。よくできているというか、なんというか……性格が悪いな」


「まぁ俺もよく分からねぇがよ……」


 オットーは言いながら、杯を見つめた。

 しばらく黙っていたが、やがて口元を緩める。


「なぜかわからんが——お前たちと酒を飲めて、心底嬉しいぜ……」


 それは、飾り気のない、本音の言葉だった。


 エドガーはふっと笑みを浮かべ、杯を軽く掲げて見せる。


「もう酔いましたか? まだ一杯目ですよ」


「ちっとも酔ってねぇよ!」


 オットーは照れ隠しのように笑い、もう一口ぐいっと飲み干した。


 ミラも笑い、ダリウスも肩の力を抜いて杯を傾ける。


 魔物たちのざわめきと、笑い声と、木のグラスのぶつかり合う音——。

 十二階層の穏やかな夜は、静かに、更けていった。



 翌日。


 ダリウスたちは市場で食料やポーションを買い込み、

 武器や防具のメンテナンスを済ませた。


 刃を研ぎ、革紐を締め直し、背負う荷物の重さを一つひとつ確かめていく。


 それぞれの準備が整ったころ——四人は、再びダンジョンの入口へと向き直る。


 次の階層へ。

 老いた身体で、なお前へ進もうとする者たちの背に、セーフエリアの風がそっと吹いた。



 十三階層。


 視界いっぱいに、空が広がっていた。


 そこは眩しいほどの青空と、柔らかな草原だった。

 足元の草は膝まで届きそうなくらい伸びていて、風が吹くたび、緑の波がさらさらと揺れていく。


 そして——目の前には、山がそびえていた。


 雪はかぶっていないが、見上げても頂上が遠い、二千メートル級はある険しい山脈。

 切り立った岩肌と、ところどころに貼りつくような森。山の斜面には、獣道のような細い道が、雲の中へと続いている。


「うわーっ、気持ちいいね!」


 ミラは両手を広げ、草原をぴょんぴょん跳ねながら進んでいく。

 金髪が風に流れ、スカートの裾がふわりと舞う。洞窟続きだったせいか、その嬉しさは限界突破しているらしい。


 そんな背中を、ダリウスは半眼で見つめた。


「……一旦、引き返すか」


「えっ?」


 ミラが勢いよく振り返る。

 エドガーは早々にため息をついた。


「……そうですね」


「だな」


 オットーも頭をかきながら、山を見上げる。


「ちょっと待って!」


 ミラは草をかき分けて戻ってくると、三人を順番に睨んだ。


「なんでなんで!? あんなに綺麗なところなのに!」


 ダリウスは、まるで「ここからが本題だ」とでも言うように、苦笑しながら肩をすくめた。


「山だから、だよ」


「???」



 十二階層・セーフエリアの市場。


 煉瓦造りの家々の間に屋台が立ち並び、魔物たちが品物を売り買いしている。

 干し肉、保存食、ロープ、登山用のピッケルに見える鉄具……。

 それらを横目に見ながら、ミラは頬をぷくっと膨らませていた。


「なんで戻ったの!? すごく綺麗なところだったよ?」


 不貞腐れた声に、ダリウスはまたひとつため息を落とす。


「あぁ、綺麗だったな。けどあれは“登頂してください”って山の顔だ」


 エドガーは市場全体を見回しながら、冷静に言葉を継いだ。


「装備を軽くしないといけません。

 魔物に遭遇した時、『息が上がっていて動けません』では——その場で終わりですよ」


 オットーも腕を組み、空を仰ぐ。


「軽くしすぎるのもいけねぇしな。

 それに山は天候も変わりやすい。晴れてるからって油断して登って、途中で吹雪かれた日には……地獄だぜ?」


 焚き火のない、凍える夜。足を取られる傾斜。視界を奪う雪。

 オットーの声には、現役時代の経験からくる重みがあった。


 ダリウスは真剣な表情で、ミラへと視線を戻す。


「魔物と出くわした時も、基本的に“あっちが上”を取ってる可能性が高い。

 高所から石を落とされるだけで、こっちはひとたまりもない」


「……」


 ミラは、さっきまでの“遊覧気分”が少しずつ薄れていくのを自覚した。


 ダリウスはそんな彼女の表情を見て、ふっと笑みを和らげる。


「まぁ、フィールドに合わせないと大変だってことだよ。

 “綺麗だからそのまま突っ込んだ”って理由で、足をすくわれた冒険者は山ほどいる」


「山だけに、ですね」


 エドガーがさらっと付け足し、ダリウスが「今それ言うか」と肩を落とす。


 ミラは少しだけ考えてから、観念したようにうなずいた。


「……じゃあ、ちゃんと“登山用の支度”してからだね?」


「あぁ」


 ダリウスはうなずき、背負っていた荷を一度下ろす。

 余計な荷物を外し、必要な物資のリストを頭の中で組み直す。


「ここから先は、一歩間違えれば命を落とす。

 だからこそ——準備で、半分はもう決まってるんだ」


 そう言って、ダリウスは市場の奥へと歩き出した。


 ミラはその背中を追いかけながら、自分の荷物の重さをもう一度確かめた。

 さっきまで“ピクニック”みたいに思えていたこの冒険が、急に本物の山登りに変わった気がした。


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