2話 書き換えられる街
翌朝、ケイは妙な夢の余韻を引きずったまま目覚めた。
白い部屋。
無表情な人々。
誰かの視線──いや、無数の視線が、彼を遠くから見下ろしている。
嫌な汗が首筋を伝った。
「……夢、だよな。」
そう呟きながら、ユウトはいつも通りの準備をした。
けれど、何かが違っていた。
通勤路。
見慣れた角を曲がった先に──
一軒のカフェが建っていた。
白い壁、三角屋根。
それは、昨夜ジオラマに現れた「見覚えのない建物」と瓜二つだった。
「……え?」
足が止まる。
だが、周囲の人々は誰一人として気にする素振りを見せない。
当然のようにカフェの前を通り過ぎていく。
ケイは慌ててスマホを取り出し、地図アプリを開いた。
すると、そこにはしっかりと──
『Cafe Arca』
という名前の店舗情報が載っていた。
設立日:17年前。
レビューも数百件。
「昔からある有名店」と記載されている。
(そんなはず……)
ケイは小さく頭を振った。
何かがおかしい。
だが、誰もそれを疑っていない。
まるで、世界そのものが、何事もなかったかのように書き換えられている。
「……俺だけが、おかしいのか?」
胸の奥がひどくざわついた。
管理室。
ケイは昨日と同じように作業を始めた。
だが、集中できなかった。
モニターに映る街並みも、
記録映像も、
どこか──昨日までと違う気がしてならない。
(あのカフェだけじゃない。……他にも……)
考えがまとまらないまま、午前中の業務を終えた。
昼休憩。
ケイはためらいながら、コバヤシに声をかけた。
「コバヤシさん、第4区画のカフェって、いつできたか知ってます?」
「カフェ?どこだ?」
「駅から三つ目の信号を曲がったとこに……『Arca』って。」
コバヤシは一瞬考え込んだ。
「……ああ、昔からあるだろ。あそこ、コーヒーは高いけど美味いって有名だぞ。」
「……そう、ですよね。」
ケイは曖昧に笑いながら引き下がった。
だが、違和感は消えなかった。
──俺だけが、何かを見落としている?
それとも。
──俺だけが、何かを知ってしまった?
夜。
再びジオラマの前に座ったケイは、注意深く街を観察した。
北側、カフェと似た建物。
そこから少し離れた場所に、見覚えのない小さな橋が架かっているのに気づいた。
(これも……前はなかった。)
心臓が静かに脈打つ。
手に取ったピンセットが、汗で滑りそうになる。
気のせいではない。
ジオラマは、確かに変わっている。
誰かの手によって。
ケイは深く息を吸い、デスクの引き出しから古い設計図を取り出した。
──もともとの街の、設計図。
何年もかけて、正確に再現したはずのもの。
ページをめくる。目を凝らす。
──そこには、カフェも、橋も、どこにもなかった。
(じゃあ、今あるそれは──何だ?)
ふいに、部屋の電気がふっと揺れた。
「……?」
ジオラマの上に設置した小さな街灯が、
一瞬だけ、淡い光を放った。
ピリリ、と空気が震える。
誰かが、どこかから、こちらを見ている。
そんな感覚が、確かにあった。
ケイは、そっと立ち上がった。
部屋の隅。
暗がりの中に、何かが──
ぼんやりと、立っていた。
それは、人の形をしていた。
だが、顔はあるが目しかついていない
目だけの、空白の存在。
ケイが瞬きをしたその刹那、
それは、かき消すように姿を消した。
残されたのは、
かすかに冷えた空気と、
胸の奥に刺さるような、鈍い痛みだけだった。
(何だ……..今のは)