1話 空白の記憶
こんにちは 熊 真輝 です。
「オブザーバー」は私の初めての作品です。
温かい目で読んでもらえると幸いです。
―その街は、小さな箱庭のようだった。
ビルの列。
交差点を流れる、僅かな人波。
路地裏に積もる埃まで、精密に作りこまれている。
その中心に、彼はいた。
名を天法 慧という。
監視カメラのメンテナンスを生業とし、日々、町の動きを眺めている。
今日もまた、彼は決まった時間に職場へ向かい、決まった手順で、街を「見る」。
それが、彼の世界だ。
彼自身すらも、その世界の一部にすぎない。
————
朝7時。
ケイは機械的に目覚ましを止め、暗い部屋の中で伸びをした。
カーテンの隙間から差し込む光は鈍く、灰色に濁っている。
着替えを済ませ、簡単な朝食を口に押し込む。
どこにでもある、退屈な始まりだった。
駅まで歩き、無表情な群れに紛れて電車に乗る。
いつものルート、いつもの人混み。
誰もが誰かに気にするふりをしながら、誰にも興味を持っていない。
ケイはポケットからスマホを取り出し、始業までに届いていた連絡を確認した。
——定期点検依頼。第4区画。カメラNo.6、7、9、11。
ため息をひとつは吐き、スマホをしまう。
これもまた、いつのも仕事だった。
勤務先のビルに着き、エレベーターで地下の管理室へと降りる。
そこには、数百台のカメラ映像が並ぶ巨大なモニタールームがあった。
白い蛍光灯の下、静まり返った空間。
同僚達はそれぞれのモニターに向かい黙々と作業を続けている。
ケイは自分の持ち場につき、PCを起動し、システムにログインした。
定期点検の手順は決まっている。
前日の記録映像を確認し、異常がないかチェックし、報告する。
簡単な作業だ。
退屈だが、ケイにとってはそれでよかった。
だがその日は違った。
No.6番カメラのログを開いたとき、画面に妙な空白があった。
「.......?」
ファイルリストをスクロールする。
深夜2時14分から3時05分までの50分間ーー
記録が抜けていた。
ケイはPCを操作し、データベースを再読み込み。
しかし結果は同じ。ファイルは存在しているはずなのに、内容が空白だった。
不自然だ。
だが、確証はない。
しばらく考えた後ケイは席を立った。
「コバヤシさん、いいですか?」
「何だ?」
管理室の端の席。
上司のコバヤシは、タブレットをいじりながら顔だけを上げた。
「第4区画のカメラ記録50分間だけ抜けていました。No.6と7両方です。」
ケイの報告にコバヤシは眉をひそめた。
その態度は、異常を異常と認めたくないようにも見えた。
「..........了解です。」
渋々返事をして席に戻る。
だが、ケイの胸の中には言いようのないざらつきが残った。
何かが、おかしい。
けれど、彼自身もその感覚を、まだ言葉にすることはできなかった。
仕事を終え、夜の街を歩く。
街灯の光はどこか寒々しく、歩道を照らしていた。
誰もが顔を伏せ、足早に通り過ぎている。ふとケイは辺りを見渡した。
——まるで、誰も「ここ」にいないかのような、そんな感覚に襲われた。
すぐに首を振り、足を速める。
仕事の疲れだ。きっと。
アパートに帰り着き、靴を脱ぎ捨てる。
狭い部屋の奥、デスクの上には、自作のジオラマが広がっていた。
白いビル、交差点、ミニチュアの車、歩道。
全て手造りだった。
ケイはピンセットを手に取り、小さなフィギュアを配置する。
歩道を歩く人々。公園に座る人影。
——ここでは、すべて自分で決められる。
世界の形も、そこに生きる人々の動きも。
それがケイにとっての唯一の自由だった。
だが、その時
視界の隅に、微かな違和感を覚えた。
「あれ,,,,,,,,,,?」
ジオラマの北側。
ビルとビルの隙間に、身に覚えのない建物が建っていた。
低い三角屋根、白い壁。
記憶にない。作った覚えも、置いた覚えもない。
ケイは建物を手に取ろうとしたが、指先がなぜか震えた。
「...........気のせいだ。」
自分に言い聞かせるように、彼はピンセットを置いた。
小さなため息とともに、椅子にもたれかかる。
そのとき、
ジオラマの街灯の一つが、かすかに——
瞬いた。
まるで誰かがそこに「いる」と告げるように。
いかがでしたか?
次回の話は来週に公開する予定です。