さよならリンドウ
便箋を取り出し、ろくでもないことを考える。
リンゴ、ゴリラ、ラッパ、パセリのしりとりで、馴染のないパセリがでてくるのは何故か、なんて。
そして、じゅうぶん気が満たされると、ゆっくりとペンを執った。
これで、すべてが終わる。
*
「また明日」
「じゃあねー」
下校時間を迎えた小学校は、児童たちの笑い声で賑々しい。
それなのに、階段の踊り場の姿見にうつった私は、案の定、悲しそうだった。
いつもそうだ。
私の表情はくらい。
蝋人形、あるいは点かない豆電球のように、うつろだ。
別に―悲しいことも、辛いこともないのに。
「ちほちゃんて、いつも悲しそうな顔してるね」
「保健室行く?長谷川さん」
クラスメイトから浴びせられる定番のセリフに私は悶える。
―全くもって、悲しくないからだ。
でも、クラスメイトたちの気遣いをないがしろにするのは心なく、私は、“ほんとうに悲しい子”を自作自演していた。
そんな馬鹿馬鹿しいことをしていたからだろう。
ある日、悲劇は起こった。
「悲しんでいるあなたを愛する」
クラスメイトのひとりに、そう言われてしまったのだ。
本当は、つゆほども悲しくないのにだ。
黒髪の美しいその子は、私に、リンドウと呼んで欲しいと注文付けた。
リンドウの言葉をききながら、私は決意を固めた。
―ほんとうは悲しくない、と正直に打ち明けようと。
しかしその日はタイミングが悪く言えず、まだ時期尚早なんだと自分自身に弁解した。
あの日の自分に会えるなら、私は忠告する。
打ち明けるなら、早いほうがいい。
引きずっても、ろくなことがない、と。
*
「私は、悲しそうなあなたが好きだけど、気になるんだ。何が、そんなに悲しい?」
リンドウがそう訊いてきた日は梅雨で、日暮らし、雨が降っていた。
「何が、って…」
言葉を濁す私に、リンドウは言った。
「いや、あなたがいつも悲しそうなのには、何か理由があるのではないかと思って」
私は、毒気を抜かれた。
そして、困惑した。
―理由も何も、悲しくないのだ。
私は、半ば衝動的に、嘘をついた。
「仲の良かった子に裏切られて、いじめられた」
リンドウは、憐憫の眼差しを向けると、おもむろに口を開いた。
「大切だった存在が敵にまわったのか…弟も、いっしょだよ」
「え?」
「弟はね、好きだったこんにゃくゼリーで窒息死した」
それは辛かったでしょ?と同情するが、リンドウは顔色一つ変えずに、淡々と言った。
「そっくりだ。弟と、あなた」
私は、首を縦にも横にも振れず、ただ間の抜けた返事をした。
*
リンドウは他のクラスメイトから、カンザキさんと呼ばれていた。
でも、私は徹底してリンドウと呼んだ。
リンドウも私を本名で呼ばなかった。
私にも何かあだ名を付けてよ、と言うとリンドウは子細顔でこたえた。
「あだ名なら…ミツキにしよう」
「ミツキ?」
「私の弟のなまえ」
「なんで?」
「大好きだったんだ、弟」
「そう、なんだ」
リンドウは伏し目がちにうなずくと、今は亡き弟との思い出を滔々と語りだした。
弟が叱られると必ず自分がかばったこと、ケンカしても一分で仲直りできたこと、そして、弟が生まれた時のこと…。
彼女の説明は、とてもドラマチックで、まるでその場を見ているのかと錯覚させるほどに臨場感があった。
「結局、あだ名はミツキで良い?」
リンドウが思い出したように尋ねた。
「うん、いいよ」
「良かった。あなたたちは似た者同士だから、丁度よいと思ったんだ」
リンドウは不器用にウインクをし、それから、と付け加える。
「これから、あなたには、ミツキ…弟の代わりになってもらうから」
私の、心もとなげな うなずきを合図に、壮大な姉弟ごっこは幕を開けた。
*
「おはよう、ミツキ!」
「うあっ!なにっ!」
学校に着いた私は、文字通り、腰を抜かした。
リンドウに抱きつかれたからだ。
唖然とする私に、リンドウは不敵の笑みを浮かべて言った。
「いままで、さみしい思いさせて悪かった。これからは、毎日お姉ちゃんにあえるよ」
児童の目線が私達二人に一極集中する中、リンドウは私に再度ハグした。
そして、
「給食のプリン、はんぶんあげる」
と満面の笑みで言い放った。
「困るよ」
言うと、リンドウは、
「ごめん、長谷川」
そう言って、逃げるように駆けていった。
駆けていった、はずなのに…
給食の時間、
「プリン、やっぱり全部あげる!」
そう言って隣に座ってきたのだ。
今日は自由席でーす、と能天気に言った担任が恨めしい。
そのまま、こうべを垂れていると、
「ミツキ、遠慮するなって。食べて食べて」
リンドウはそう言って、私の口にプリンを突っ込んだ。
スプーンが歯にあたり、不愉快な不協和音が口内で奏でられる。
美味しい美味しいプリンだけれど、なぜか、このときばかりは無味だった。
*
「おねえちゃん、文具屋にいきたいよう」
「よし、ミツキがそう言うなら行こう!」
私は、完全完璧な“ミツキ”として、リンドウ“おねえちゃん”と文具屋に行った。
今日は終業式で早帰りだったから、時間はゆうにあるのだ。
「ミツキ、なにか欲しい?」
リンドウが尋ねる。
私は、待ってましたと言わんばかりに口を開く。
「便箋!便箋がほしい!」
「便箋か。分かった!」
今のところ、計画は、順風満帆に進んでいる。
リンドウがレジに向かうのを見送って、私は自問自答した。
―ほんとうにこれでいいの?
―いい。覚悟はできてるよ。
―ちょっと、いきなりすぎない?
―だって、こうするしか、ないんだもん!
「どうぞ」
リンドウから手渡されたのは、花々のあしらわれた便箋。
「ありがと!また明日ね!」
鼓動の早まりを感じながら、私は帰路についた。
*
便箋を取り出し、ろくでもないことを考える。
リンゴ、ゴリラ、ラッパ、パセリのしりとりで、馴染のないパセリがでてくるのは何故か、なんて。
そして、じゅうぶん気が満たされると、ゆっくりとペンを執った。
これで、すべてが終わる。
『神ざきひとみ 様
白じょうします。
わたしは、もとから、悲しくなんてなかった。
顔だけ、悲しそうなんです。
すべて、えんぎでした。
ミツキくんとわたしは、ほんの少しもにてません。
長谷川ちほ』
隅にカンナの花の絵を描いて、私はリンドウ―神埼さんの家のポストに投函した。
カランという乾いた音でポストが閉まると、
“顔だけ悲しそう”な私は、不意に、悲しくなった。
7月19日のことだ。
リンドウ
花言葉:悲しんでいるあなたを愛する
カンナ
花言葉:情熱、妄想、永遠