01 虚無
1
重度の記憶障害。名称…記憶喪失。
基本的生活の仕方などを除き、現在よりも前。患者が目を覚ます以前の記憶がすべて末梢されていると思われる。
原因は腹部に傷を負った際に発生した激痛、もしくはその後、転倒し頭部を強く打ちつけた時の衝撃によるものと思われ、頭部にあった傷からして後者のほうの可能性が高い。
思った通りだった。やはり、俺は、記憶をなくしている。おいおいおいおいおい、ホント何の冗談なんだコレ……?
すべての合点がいった。俺がここにいる理由が何一つ思い出せないのも、妹であるはずの少女のことが分からなかったのも、自分自身の名前が分からなかったのも、すべて。あたりまえだよな……俺には過去がない。過去がないのに過去のことが分かるはずもない。だが・・・。
俺は……これからどうすればいいんだ?
……
な~んてね。
最初こそ動揺したが、考えてみれば俺が悩む要素なんてない。記憶喪失、ショックですか?いえいえだってさ、記憶喪失って言われても、記憶なくしてますし、過去の記憶を持ってた記憶も一緒になくしてますから、記憶喪失なんて自覚ねぇし悩めと言われたところで困る。
それに対して妹は俺に起こった災難を聞いて蒼い顔をして、再度泣きだしてしまい。俺は再度どうすればいいのか対応に困ってしまった。約5分間、医師は沈黙しこちらを眺めていた。
あくまでこれは推測だが、俺、妹、医師の三者がそろったあの場所で一番ケロッとしていたのは俺だろう。だから、医師から記憶喪失であると伝えられたときの俺の第一声は
「あっ、やっぱりそうですか」
だ。
医師も看護師も診断結果を伝えるときは深刻そうな顔をしていたし、妹も前述の通り。むしろ、記憶をなくしている不憫な青年の第一声に皆もそろってマヌケ面をさらしてくれた。別にいらないけどね。
その後、白衣をまとったお方がこの後どうすればいいのかを丁寧に説明してくれた。
ありがたい。話のうち97.91パーセントはしっかりと真っ白な記憶に余韻すら残さず消えてくれた。残りの2.9パーセントは刻み込まれたが、それは、普通の生活をしていれば次第に戻ってくる。という部分のみだ。
ちなみに、ほとんどが新しい過去として刻み込まれなかった話を聞いている(ふりをしている)間に何をしていたかというと、医師である白ひげを生やしたおっさんは、クリスマスイブに夜な夜な世界中の家に不法侵入を繰り返し、何も取らずによい子にだけプレゼントを与えるという差別的な行為をしているのにも関わらず、通報どころか目撃証言すらない、怪盗に永久就職でもしたらどうかと勧めたくなる赤服の不審者の役をやらされそうだとか、どーでもいいことを考えていた。
しかし、もし、怪盗に永久就職したら、ルパンやキッドといい勝負だと思うぞ。
平成のシャーロック・ホームズならぬ平成に現れた第二のルパン。かっこいいじゃないか。代わりに子供たちの夢と希望と憧れと信頼を失うだろうけどね。
はい!ずいぶん話がそれてしまった。
で、俺はあと1週間入院して問題がなければそれで退院できるそうだ。それと、皆、忘れているかもしれないが、俺が入院している原因はあくまで腹の傷である。
そういえば、この腹の原因はなんなんだ?悪いが教えてくれないか?
俺は、ただ単純に気になった。だが、返ってきた返答は想像もしていなかった。冗談でもなければ考え付くはずもない。
医者も看護師も妹も、いや、その空間そのものが記憶喪失を告げられた時よりも重かった。
「あなたは……3週間前」
通り魔に刺されたんです。
……人はこういうときどんな反応をするんだろう。きっと、俺に限らず俺と同じ状況になった人がいるならば10人中10人が同じことを思い、同じ反応をするのではないだろうか。
この時、何を言われたのか、理解できなかった。
2
これは、1週間前のこと、つまり、今はもう退院して、病院から家へ帰るタクシーの中にいる。
妹は、心から祝福してくれた。心からの笑顔で本当に心から。
同じように俺は確かにうれしかった。だが、はっきり言って複雑な心境でしかない。勝手に俺がいろんなことを考えているだけなのかもしれないがこの1週間、俺が刺された理由を考えていた。考える必要はなかったのかもしれないけれども考えずにはいられなかった。
ただ単純に、刺されただけなのか、通り魔に何の理由もなくやられただけなのか?それとも誰かが明確な殺意を、敵意を持ってやったのか。
それは、いくら自問自答したところで答えなんて出てこないが今の俺はみじめだ。それは分かる。みじめでしかない。
近くにいる奴を頼らなきゃ何1つ、事実をつかめない。
知りたくても、知ることができない。これをみじめ以外になんて言えばいいのだろう。
「お兄ちゃん!!」
「うわっ!?」
果てしな~くでかい妹の声だった。
「何ボ~ッてしてんの?着いたよ?」
ああ……すまん。
そうだ、なんだかんだ言っても過去よりも今をどうにかしなければならん。俺はこいつの兄貴なんだ。しっかりしなきゃな。
妹に続くようにタクシーを降りれば当然家が目に入る。俺の家らしい家が。
まぁ、何と申しましょうか……見事な一軒家だった。一体、何年ローン組んでるのだろう……。親は一体何者か?曲者か!?
ンな訳ねぇって。
何いってんだ俺。
ついに、脳までおかしくなったか?まっ、もうおかしくなってるんだけどね。実際記憶喪失って言うことになってるんだけどね。よって何もできないし、笑うことしかできないし、親が何者かなんていったところでそれを調べるすべ何ざ……聞くっていう手があるけど……、妹から聞くことはできてもこの(妹にとって)かなりの一大事兼悲しいことが起こっている時にそのうち顔を拝むことになるだろう親のことなぞ聞くよりも他に聞くべきことがあるだろう。よって、今は聞くべきではない知りたければ相手の脳の記憶を覗く超能力でも使えばいい。俺が持っているかと問われればこの世に存在する人々の多く(常識的に考える範囲で)いないだろうと思う。少なくとも俺は持ち合わせていないし、いないだろうではなく、ほぼ確実にいない。
だから、こんなことはどうでもいいんだよ。って自分から話し出してんのにいってるんだろうね。ほんとにおかしくなっちまったか(障害者的な意味で)?
さて、では俺は今この状況でいったい何を、聞くべきなのだろうか?
っと、そう言えば……。
「なぁ」
俺は、決死の想いで妹に話しかけた!!ちなみに、なぜ決死の想いであったかと言えばとても重い話であったというべきではなく、果てしなくマヌケかつ恥ずかしかったからである。俺はこの一週間、つまり妹と初めて会った(感覚的に)からとても大事でごく一般的に記憶喪失になったら一番に来るはずにことを忘れていたのだ。とはいえ、はじめは俺も思っていたのだ。しかし、いつの間にか後でいっか的なことになり自然消滅していた。できれば過去に戻ってやり直したい。
そこまで思うほどのこととはいったい何なのか……それは!?
「お前の名前って結局なんだ?」
うん!マヌケとしか言いようがない!!改めて、いや、もう一度確認のために言っておくが、俺とこいつは出会って一週間である。
「ああ、やっぱり言ってなかったっけ?」
気づいてたなら言えって妹!なんで言わねぇんだよ妹!てかいつから気づいてたんだよ妹!さっさと言えよ妹!
「えーとね……私は鈴音、お兄ちゃんはそのまま名前で呼んでたよ」
ああ……そうか、全然、思い出せんがそうなんだな。鈴音は、俺の嫁……。いやいや、違う!何てことを考えていたんだ俺は。今の発言は前後の文とまったくかみ合っていないし、ちょっとどころかリアルにやばいぞ。妹だぞ!あの娘は妹だぞ!何てこと考えているんだ!(二回目)
これまでの会話から関係は悪くなくむしろ良好であるとわかったのだが……こんなこと言っててさらに先に進んでみろ、俺に彼女ができたら(まぁ、いないだろうと仮定して)ヤンデレ的なことになり、殺され……る訳ねぇよ。
そう、そうして俺は気がついた。なぜ俺は、ヤンデレなぞというワードを覚えているのかと……。