預金額の行方
私は親父が何に金を使ったかお袋に聞いた。
「それがねぇ。なんだか株に使ったみたいなのよ」
お袋は忌々しげに答えた。
株。親父が株をやるなんて聞いたことがなかった。
「株って、いったって、競馬とかと違って、マイナスだからってゼロになるもんじゃないだろう? いくらかは残ると思うんだけど」
「だから、あの銘柄が駄目なら次。それが駄目なら次。って感じで使っちゃったみたいなのよ」
良いカモとはこのことだ。老い先短い老人から搾れるだけ搾り取る株屋は腹が立つが、彼らも商売だ。それに乗せられた親父は呆れる他ない。どうせ相続された金なんて、博打で勝ったときのあぶく銭程度にしか思ってなかったのだろう。
それで残額が6万円。
八十年の人生で、まともに働くことなかった親父。親父からすれば、ちゃんと働いていた、というだろうが、仕事に一生懸命な親父の姿は見たことがないし、親父から仕事に対する哲学みたいなことを、一言も聞いたこともない。
夜はナイターとビール。ビールを飲むのに飽きれば日本酒。夜の七時から九時。その時間にはきっちり家にいたから、仕事熱心ではない、という私の予想は間違っていないと思う(お袋は家でよく何かしらの仕事を持ち込んで働いていた)。
「なんで、ナイターは試合の途中から途中までしか中継しねえんだよ!」(かつて毎日関東では読売巨人軍の試合を全試合中継していた)と愚痴を言いながらも、楽しそうに酒を飲んでいた。
子供の頃の私は、父親は真っ当なことを言っている、と感心したものだった。
株でとかした数百万円の行方がはっきりして、私の好奇心はとりあえず満たされた。残っていれば、いくらか手元に入るかもしれないが、そんな父親を持った自分の運のなさを笑った。
しかし、その数百万円の使い道は、株じゃなかったことを後に知ることになる。