親父の死と口座の貯金額
はじめまして。ノビー・モリスビルです。
僕は父親が死んで二年たちますが、その事実にどうも馴染むことができずにいます。反面、死んだ父親の話を面白ろ可笑しく知人にすると、とても笑ってくれます。
その可笑しみの欠片を使い、フィクションを書けば、面白い物が書けるかな、と思い執筆してみました。
親父が死んだ。
特別なことじゃあない。
順当な順番であれば、ほとんどの人間が遅かれ早かれ経験することだ。葬式も終わり、私は嫁と子供たち二人と母親と共にビールをチビチビと飲みながら、実家でくつろいでいた。
癌が見つかって、わずか一カ月で死んだ。あっけないものだった。入院する前の日まで元気に酒を飲んでいたらしい。なんなら、死んだ本人が一番驚いているだろう。
「ねえ、ちょっと聞いてよ」
お袋が私に話かける。親父の生前、お袋は親父にずいぶん文句を言い続けてきた。いかに親父がダメな人間か、ということを言い続けた。よくもそんなに怒りが持続するものだ、と関心もするが、聞かされる親父本人はもちろん、周りにいる私たちもたまったもんではなかった。
それも終わった。親父は死んだのだ。しかし私の考えは間違っていた。
「お父さんの口座を調べてみたら、あの人、貯金が六万円しかないの! 呆れちゃったわよ」
六万円。
親父だって、癌が見つかる一カ月前までは、死ぬ気なんてなかっただろう。生きていくには金がかかる。それなのにたった六万円の残高。ほぼ資産はないと言って良い。プラスマイナスゼロ。親父は自分の金を使い切って死んだことになる。ある意味見事だと言える。あの世には金は持っていけないのだ。
「でも、親父のおばさんが死んだとき、その財産が五百万だか六百万だか入ったって言ってなかった? あれ何年前だっけ?」
「12年前」とお袋は言った。
「年金だってもらってるんだし、私たちみたいな老人なんかそんなにお金使わないんだから、六百万円なんて大金、そんなに使う必要ないのよ。家のローンだって払い終わってるんだし」
本当にそうだ。お袋の言う通りだった。
「親父、六百万円も何に使ったんだよ?」