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1-終 青春の牢獄

 五日目。

 私はこの五日間、ノルブのヒアリングを終える度に彼の候補を選び直してきた。この日も私は彼に合いそうな候補のプロフィールを用意していたが、ある確信を得て持ち出すのを止め、彼との面談に臨んだ。

「ノルブくん。いきなりだけど、ドッペルゲンガーって知ってる?」

「自分の生き写しのことだろう。見ると死ぬっていう。それがどうかしたか」

「そう、いわば半身。分身とか、片割れとか言い方は色々あるけど……でもね、私は何もそれは見た目のことを指しているだけじゃないと思うの」

 ノルブは出会ったときから必死にメッセージを発していた。分かりにくくても、彼なりのやり方で。それに応えたくなった。

 自分を苦境に追いやったものが許せない。離れていった人が許せない。何も知らないくせに陰口を叩いたやつが許せない。彼は架空のキャラクターに仮託して叫んでいた。

 私は彼の言いたいこと、身に起こったことを推測してみた。

 最初、ノルブは物静かな人だった。人と関わることに積極的ではなく、やがて孤立していった。ノルブはそれを、青竜偃月刀のせいだと思っている。孤独に耐える日々は、彼の精神面を鍛えた。だが、それがなんだというのだ。たとえ未来を予測できたとしても、貴重な青春時代を犠牲にしたいとは思わない。彼の日常は活力を失った。自分はこれから先も、一人で生きていかないといけない。半ばやけになっていたときに、何と出会ったか。

「この世に自分の理解者なんていないって思ったときに現れる、同じ趣味や価値観を持ったもう一人の自分、もう一つの人生。そんなものに出会ってしまったら、まさに死ぬほど惚れ込むだろうって。この人の恋人になりたい、結婚したいとまで考えるだろうね」

 ノルブは身を焦がした。その人のことを知れば知るほど思いは強くなっていく。だが自分には、良好な人間関係を築ける自信がない。願い下げだと断られるかもしれない。

 また、諦めなければならないのか。結局自分は、何一つ望んだものを手にできない。

 ノルブは黙っている。

「私、あなたのいう半身って何かずっと考えてた。もし、今言ったみたいな運命の相手と結婚できたなら、私でもその人は〝伴侶〟をこえて〝半身〟と呼びたいなって」

 私はまっすぐノルブの目を見た。

 今もノルブは苦境に立たされている。これまでの付けが回ってきたのだ。大学を休学するほど追い込まれた彼の心に、最初に浮かんだ人とは。頼りたくなった相手とは。目の前を飛んでいく小鳥を見る度に思い出す誰か、絶望のふちに突き落とされたとき、思わずつぶやいたその人の名は。

「あなたがずっと探していた半身とは、カチュのこと。最初から、彼女に会うことが目的だったんだね」

 ノルブはかっと目を見開いた。驚きを禁じ得ないようだった。

「なんという炯眼」

 ノルブは、最初に会ったときのように独特のポーズを取った。

「さてはキサマ、何でも見通す神通力の持ち主かっ!」

 ノルブはこれがやりたかったんだろうか。最初からこの展開を期待していたみたいだ。

「見通すも何も、カチュが話してくれたよ」

 ノルブの表情に動揺が見られた。

「おれのこと、何て言ってた」

「カチュいわく、永遠のライバルだって」

 カチュの話によると、二人はかつて同級生だった。同じクラスになっても、結局一度も話さずに卒業したことを彼女は残念がっていた。

 そして私は気になったので聞いてみた。永遠のライバルとはどういうことと。すると彼女はこう言った。

「追いついたのか、追い越したのか確かめることができない謎の相手です」

「だから、永遠のライバル……」

「はい。私がここまで努力できたのは、彼のおかげです」

「でもそれって怖くならない?どこまで頑張ればいいか分からないでしょ。見えない相手と闘うみたい」

「確かに辛かったです。彼の置き土産に、苦しめられもしました」

 置き土産が何なのか聞いてみたが、カチュは教えてくれなかった。

「でもそれ以上に、いいものに出会ったな、という喜びの方が大きかったんです」

 彼女が懐かしそうに語ったことは、私から見れば、もはや友情のような、恋のような……。彼女はあくまでライバルと呼んだ。彼女が打倒ライバルに燃えている頃、ノルブはどんな気持ちで過ごしていたのか。私は彼女と話し込むうちに、案外二人は似た者同士で、話せば気が合うのではないかという気がした。

「そうか……」

 カチュのその一言を受けて、ノルブは落ち込んだだろうか。それとも救われただろうか。

 だが、こうして私と話しているだけではノルブは思いを遂げられない。せっかくここまで来たのだから、カチュに引き合わせてあげたいが……。

「一つ聞いてもいい? どうしてカチュがここにいるって分かったの?」

「SNSだ」

「ああ、なるほど……」

 カチュがSNSをやっていても不思議ではない。推測だが、ノルブはカチュのアカウントを見つけて、発信された情報をもとに、この場所を突き止めたのだろう。

「浅からぬ因縁のライバル、か……。二人の間に何があったの?」

 ノルブの目が泳ぐ。数秒の間があった。

「……いや、何もなかった、な」

 ノルブは強くかぶりを振った。

「何も? 同じクラスで、意識しあってたんでしょ? 恋に発展したりは?」

 何もなかったと言うものの、苦い思い出でも頭に浮かんだのか、複雑な顔でもう一度かぶりを振った。

「その頃おれは厄介な問題を抱えていた。のうのうと恋愛などできるわけがなかった」

 ノルブは多くは語らなかった。私のような部外者が、立ち入ってはならない領域のようだった。

「でも、今だったら話せるんじゃないかな。ちょうどお昼休憩だし、呼んでこようか?」

 私は席を立った。

「ま、待ってくれ。いきなり会うのはまずい」

「今更何を言ってるの。そのつもりでここへ来たんでしょ」

 ノルブは急にあわてだした。私は逃げ出すんじゃないか心配だったが、昼食を取っていたカチュに声をかけて戻ってくると、彼はちゃんと座っていた。

「さあ、あとは若い二人にまかせて……」

 二人とも気まずそうだった。だが、同級生だった頃とは違う。二人はもう大人なのだ。私にすがるような目を向けたりはしない。自分たちで、何とかできるはず。

 私はそう信じて、席を外した。


 それから数日が過ぎた。

 私はここしばらく、仕事が手につかない状態が続いていた。彼のために奔走したあの五日間は、本当に密度の濃い時間だった。力を出し尽くした私は、来談者のいない張り合いのない日常にすっかり抜け殻と化していた。

 あれから二人からは連絡はない。どうなったんだろう……。

 あの場を二人に任せたことは正しい判断だったのか。立ち会ってあげるべきじゃなかったのか。そんな後悔が頭をよぎる。

 私があの場に立ち会わなかったのは、結婚相談員が介入すべきではないと判断したからだ。

 ノルブが会いに来たのは会員でもなく結婚の意思もないカチュ。きわめて特別なケースだが、私がすべきことは、結婚を成立させることではなく、二人の下す決断を尊重すること。もちろん、私は二人がくっついてくれることを期待している。その方が、私の苦労も報われるってもんだ。

 この先普通の来談者を担当しても、私は物足りなさを感じてしまうのではないか。そう思い始めていたとき、代表が私を呼びに来た。

「来たよ。彼が」

 私は急いでエントランスに向かった。そこにはあの黒い服に身を包んだ彼がいた。ほんの数日しか経っていないのに、なんだかとても懐かしく感じられた。

「いらっしゃい。来てくれてありがとう」

 私たちは相談室に入った。

「で、どうなったの」

「あのあと、二人で近所のカフェに行った」

「デートじゃん! それで?」

 私はわくわくしながら聞いた。

「結果から言うと、ダメだった」

「できれば詳しく聞かせてもらっていい?」

「そうだな……」

 彼は話し始めた。

「席に座ったおれたちは、たわいない話をした。そのあと、いざ本題に入ると、おれの口からは凝った設定も、気の利いた言葉も出てこなかった。頭の中がまっしろになったんだ。だから、ここまで来た勢いで、ただ一言で好きだと伝えた」

「……うん。それで?」

「そしたら、おれとは付き合えない、と言われた。おれは理由を聞いた。その理由は、私はきみのことを知らなさすぎるから、だった」

「それでノルブくんは、何て言い返したの?」

「お互いに知らないことはたくさんある。徐々に知っていけばいい、と。そしたら、首を振られてこう言われた。知らないことも怖いし、知ってしまうのも怖い。だからこのままがいい。きみのことは、嫌いになりたくないから」

「カチュがそんなことを……」

 これまで言葉を交わしてこなかった彼らは、お互いのことについてこうだろうと推測するしかなかった。こうだろうはいつしかこうあってほしいという理想に変わっていった。カチュは、現実を知ることによって、自分の理想を壊してしまうことを恐れた。理想にしがみつく姿がなんとももどかしい。

「カチュは、最後にこう付け加えた。気を悪くしないで、私はきみを誰よりも信頼してる、と」

「それを聞いて、どう思った?」

「信頼を裏切ることは、おれもしたくない。嫌われるくらいなら、引き下がろうと思った」

「そう……。でも、大丈夫。次があるよ」

「そうだな。今は不思議とそう思える」

 ふられたことに反して、彼の表情は明るい。

「ノルブくんは、もっといろんな人に関わるべきだと思う。試しに、私が選んだ人に会ってみない?」

「そのことなんだが……」

 彼はまた独特のポーズを取った。言いにくいことを言うときの癖だろうか。

「今日は退会するためにここへ来た」

 私はノルブの入会時に、お見合いにはその都度お見合い料が必要になると説明した。また、レイダンには会費というものがあるとも。会員でいる限り毎月払わなければならないものだが、カチュに会い、思いを伝えるという目的を果たしたのだったら、これ以上お金を出す気にはなれないか。

 私はそうか、そうだよなと納得はできても、まだ彼の相手探しを終えたくないという思いに気づいた。

「もうここには来ないの?」

「ああ。だがここへ来て良かった。ずっと心の中にあった執着と決別できたんだ。おかげで復学する決心がついたよ」

 私はそれ以上何も言えなかった。言いようのないさみしさが襲ってくる。来談者に入れ込みすぎだろうか。

 私は見送りのために、相談所の外に出た。

「じゃあ、これで」

「うん、いってらっしゃい」

 私の仕事は、この国に貢献したとまではいかなくても、少しでも彼を幸福へ導けただろうか。

 だんだん遠ざかっていく彼が、くるっと振り返った。

「わが伴侶を探す旅も、ようやくメドがついたようです」

 彼の見せたその笑顔は今も私の心に残っている。

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