1-2 幸せの国で、幸せ探し
次の日。昨日、話の途中で急に帰ってしまった如意宝珠は、あのあと次回の面談の予約を入れる電話をかけてきた。そして今日、約束通り彼はレイダンに姿を現した。昨日に引き続き私が対応すると、彼は露骨に嫌そうな顔をした。
「担当を変えてくれ」
私はまあまあ、と彼をなだめて、相談室に入らせた。頭の中ではどうすれば彼の信頼を得られるだろうかとずっと考えていた。
「……そうだね。昨日の話の続きをしようか」
私は昨日彼が書いたプロフィールを取り出した。彼は席に座ると、私の顔は見ずに片腕を机の上に乗せ、体を斜めに向けた。
「では、さっそく。このRPGって、ゲームのことだよね。ゲーム好きなの?」
「人並みにな」
「最近はまっているゲームとかある?」
「最近は『シューパク』だな」
「何それ?」
「『集結! 梁山泊』。百八人のキャラクターにそれぞれストーリーがあって、全員を梁山泊に入山させて流星を見ればエンディング。コンプリートまでがかなり難しい」
「そんなゲームがあるんだね」
「このゲームは、A大学の学生が起業して開発したらしい。A大学では、みんなスマホにかじりついて遊んでいるらしいな」
「へえー」
A大学と言えば、カチュの大学だ。後で聞いてみよう。
「でも意外。如意宝珠くんは、そういう流行に乗らないかと思ってた」
「ま、まあ人並みにな」
彼は先程と同じ言葉を繰り返した。虚をつかれたのか、あわてて取り繕う様子が面白い。
「じゃあ、次に結婚観についてだけど……これはどういう意味?」
「会員どうしの相性の良さを考えることはここでもやっているだろう。我はそれを判別する独自の理論を編み出した」
「その理論に基づくと、如意宝珠くんと相性ぴったりなのは誰なのかな?」
「それは勿論、わが半身をおいて他にないっ!」
彼はまた手を天井の照明にかざして叫んだ。今度は私は驚かなかった。
「はいはい。じゃあ、好きな芸能人っている?」
「そうだな……あれにはまったな。ジャガーファイブ」
「ええ! 意外!」
ジャガーファイブはヒョウの耳と尻尾をつけて歌って踊る人気女性アイドルグループだ。今朝のニュースで今月いっぱいで解散すると報じられていた。確か五人組だったはず。
「どの子が好きだった?」
「それは……いや、この話はもういいだろう」
如意宝珠は好きなタイプについて話すことをためらった。だが、だんだん彼のことが分かってきた気がする。私は話を聞きながら、できる限り詳細にメモを取った。キャリアカウンセラー時代にもやっていたことだ。
「なるほど……如意宝珠くんの意外な一面を知れたところで……そうだ、写真撮っていかない?」
「は?」
「プロフィール写真。登録に必要なの。登録は、まだ迷ってる?」
「……写真は嫌いだ。写真写りが悪いから」
如意宝珠は椅子から立ち上がった。
「えっ、帰るの?」
「今日は少々しゃべりすぎた。また出直す」
彼は決まりが悪そうに出て行ってしまった。ドアが閉まって、相談室はしんと静まり返る。
私は彼のプロフィールとにらめっこする。
「やっぱり、これじゃあ載せられないよなあ……」
プロフィールもダメ、写真もダメ。相談所的には八方塞がりの彼だが、どこかほうっておけなかった。
行き詰まったときは、誰かと会話することで道が拓けたりする。しかし、相談しようものにもレイダンの雰囲気がおかしい。なぜだかピリピリしている。来たばかりのときは気づかなかったが、代表も同僚も目を吊り上げて働いているように見えた。
ふと、カチュのことがよぎった。私でさえ話しかけづらいのだから、学生のカチュはなおさらに違いない。だんだん心配になってきて、この日の昼休み、別室へ様子を見に行こうとしたところ、レイダンから出て行く彼女を見かけたので、気になって呼び止めた。
「カチュ! どこに行くの?」
「モナミさん……」
聞けば、お昼を買いに行くだけだった。余計な気の回しすぎだったようだ。
「何を食べるの?」
「軽食で済ませようかなって」
「この辺りに詳しいの?」
「そこまでは……」
「私も一緒に行っていい?」
「……じゃあ、私が気になってるお店に行きませんか? 誰かと一緒なら、入れそうなんです」
その店は、レイダンから歩いて数分の所にある小さな大衆食堂だった。
「ここ! 私も気になってたの。確かに、一人じゃ入りづらいよね」
この店の前は何回か通ったことがあった。外から店内の様子は見えないが、おいしそうな料理の匂いで食欲がかき立てられる。カチュという味方を得て気の大きくなった私は、何の迷いもなく扉を開けて中へ入った。
店内にはカウンター席とテーブル席が五つ。おしゃれとは言えないが私たちの興味はそこではない。あのおいしそうな匂いの正体だ。
すでに何組かの客がいて料理を食べている。長く愛されている店という感じがした。
「どうだった? 気になってたお店の味は?」
昼食を食べ終えてレイダンへと帰る道すがら。カチュに尋ねた。
「おいしかったです。また来たいです」
「それはよかった」
私も味にはおおむね満足だ。ただ、残念なのはメニューのほとんどがA国でも普通に見かける料理ばかりだったことだ。本場のB国料理を期待していた私が頼んだのは何の変哲もないオムライス。まさかこんなことになろうとは。おいしかったけれど、外から店の中が見えない弊害が出た。
「おいしいものを食べたら元気が出てきました。これで午後からも頑張れそうです」
カチュが笑顔を見せる。どうやら彼女も今のレイダンの張り詰めた雰囲気を感じ取っていたようだ。少し申し訳なくなる。しかしそんな雰囲気にもめげずにカチュは笑う。その姿が今の私にはまぶしく映る。
「……カチュはさ、仕事で行き詰まったらどうする? どう頑張ったらいいのか分からなくなったときは?」
学生の女の子に何を聞いているのだ、私は。
「うーん、難しいですね……。でも、私、ゲームが趣味なんですけど、ゲームでは進み方が分からなくなったときは、とにかく情報収集。ゲーム内のいろんなキャラに話しかけまくるんです。他には、自分の持っている道具や能力を見直してまさかの事態に備えておくとか。すみません、現実じゃない話で」
「なるほど、ゲームか……ううん、貴重な意見だよ! ありがとう!」
私は考えが甘かったのかもしれない。自分が頑張ったところでこの状況は変わらないと諦めかけていた。だがそれは違う。まだ八方手を尽くしていない。今から打てる手は何かあるはずだ。
「でもカチュ、ゲームやるんだね。なんだか意外」
「最近はやれてないんですけど。昔は一日に何時間もやってました」
「そういえば、『集結! 梁山泊』だっけ? 流行っているって聞いたんだけど」
「ああ、『シューパク』ですか? 周りでやっている人はいますけど、私はあんまり……」
カチュの反応は冷ややかだ。ゲーム好きなら誰でもはまるというわけではないらしい。
「有名なのはうちの大学のなかだけだと思います。みんな身びいきでやってるんですよ」
「うーん、そうか……」
ということは、本当はみんな面白いとは思っていないのか。私の中でふくらんでいた興味がしぼんでいく。
それにしても、如意宝珠はA大学の学生しか知らないような学内の流行を、どうして知っているのだろう。
三日目。
その日、彼は午後になってから姿を現した。
「いらっしゃい。待ってたよ」
「またキサマか」
彼の反応は、好感触とは言いがたい。うーん、嫌われたかなあ。
「担当を変えてくれと言ったはずだが」
「私じゃだめかな?」
「もっと、我に年の近い者がいないか」
「失敬な。私、そんなおばさんに見える?」
彼はふん、と鼻であしらう。
彼には、何か複雑な事情があるのかもしれない。だが、ここは結婚相談所。私は分をわきまえて接しなければならない。
昨日と同じように、相談室に二人で入る。
「今日は、ちょっと話を進めてみない? 会員の中から如意宝珠くんに合いそうな人を選んでみたの。如意宝珠くんはまだ登録していないから紹介はできないけど、どうする?」
昨日、昼食から戻った私は、思い切って同僚に話しかけ、如意宝珠の件についてアドバイスを求めた。同僚は多少カリカリしていたものの、親身になって相談に乗ってくれた。私は出された意見を参考にしながら、もう一度どんな人がふさわしいか考えた。昨日の午後はずっと彼のことだけを考えていたと言っても過言ではない。それなのに彼は、平気な顔で人の頑張りを踏みにじるようなことを言う。
「無駄だ。その中にわが半身はいない」
私の心にさざ波が立ち始める。あなたのために、あんなに苦心して選んだんだよ。
「探してる半身って、結婚相手のことだよね。理想の条件を教えてもらえないかな?」
「少なくとも、結婚相談所に登録するようなやつには、会う気になれんな」
「じゃあ、誰に会いに来たの。あなたの言う半身は、ここの登録者じゃないの?」
「キサマが選んだやつなど、願い下げだ」
「そんな言い方しないでよ。私は真剣に選んだんだよ」
「頼んだ覚えはない」
「私だけじゃない。みんな真剣だよ。みんな真剣に相手を探しに来てるんだよ」
「興味ないな。反吐が出る」
そのとき、私の中でせき止めていたものが決壊した。
「何、その態度! 半身、半身って、ふざけるのはいいかげんにして! もう、付き合いきれない!」
気がつくと、私は怒りをぶつけていた。彼の口から出される否定的な言葉の連続に、感情を抑えられなくなったのだ。
「ふざけてる、だと……」
しまった、と思った。次の瞬間、彼は椅子から立ち上がった。
「やっぱりだ。本当のおれを見せても見せなくても、みんな離れていく。もう、うんざりだ」
彼は強い怒気を込めた声で、叫んだ。
「おれを好きになってくれる人など、いるわけがないんだ」
私ははっと息をのんだ。なんて悲しい考え方をするの。
彼は、そのまま帰ってしまった。
ああ……やってしまった。彼は、もう来てくれないよなあ……。
私は代表に謝りに行った。
「すみません……来談者を怒らせてしまいました」
「そう肩を落とすことはないよ。口論なんてしょっちゅうだよ」
「でも、私は、私だけは、匙を投げちゃいけなかったのに……」
「そうだね。それじゃあ、今日はもうあがっていいよ」
「それは、仕事をするなということでしょうか……」
「そうじゃない。困ったときは、ここに行ってみるといい」
私は、代表から一軒のカフェを紹介された。そのカフェ「コロンボ」は相談所から歩いて数分の所にあった。扉を前にして、立ち止まる。
うう、気が重い……。
自分を好きになる人などいるはずがない……。そう思い込んでいる彼に、結婚相談員の私はどうすべきだったんだろう。しかし、彼の力になりたいのに、彼の言いたいことが分からない……。
そう簡単に答えは出ない。こんな問題が、解決するとは思えないが……。