1-1 幸せの国で、幸せ探し
幸せの国、といわれる国をご存知だろうか。その国は数年前、国民を対象としたアンケートで、「あなたは幸せですか?」という問いに、九十五パーセントの人が「はい」と答えたそうだ。
幸せとは何か。
何をもって幸せとするかは個人によって違いがあるが、その要因の一つに、人生を支えてくれるパートナーの存在があるだろう。ではこの国は、誰もが最良のパートナーと添い遂げることができるのか。いいや、違う。近年では男女ともに家庭で過ごす時間は減り、離婚率が上がっているというデータがある。
幸せの国で何が起こっているのか。政府は頭を悩ませた。経済発展の傍らで、置き去りにしてきたものがあったのではないか。今こそ、足元を見つめ直すとき。そう、この国の挑戦はこれから始まるのだ。幸せな結婚という難しいテーマを抱えた、幸せの国ではなく、幸せを目指す国。
これは、新人結婚相談員の私・モナミの、幸せ探しの記録だ。
まず、私がこの国へ来た経緯を書いておこう。
私はこのB国へ来る前、A国の地域若者就業支援センターという所でキャリアカウンセラーとして働いていた。ある日、この施設のセンター長が退職されることになった。聞けば退職後は結婚相談所を始めるというのだ。どうやら前々からやりたいと心に決めていたらしい。私にもスカウトの話が来た。まだまだ今の仕事を続けたい気持ちが強かったが、次第に結婚相談員の魅力に惹かれていき、数年だけならやってみようという気になった。センター長の何よりも目を輝かせて夢を語る熱意にほだされて、未知の分野への挑戦である結婚相談員に転身することになったのである。
ある日、研修中の身だった私は、同僚から面白い話を聞かされた。B国が海外ボランティア事業団体を通して結婚相談員を募集している、とのこと。
「B国かあ……どんなところなんだろう」
私が興味を示すと、センター長も勧めてくれたので、早速応募してみることにした。
最初は想像すら難しかったB国での暮らしが、現実味を帯びてきたのは、合格通知が届いたとき。私は小躍りして喜んだ。センター長と同僚に報告すると、二人とも笑顔で喜んでくれた。かくして、私のB国行きが決まったのである。いざ、出国!
私は当初、B国について未開発な、秘境の小国というイメージを持っていた。だが、来てみてそのイメージは覆された。小国といっても車の交通量は多いし、スマホの画面に見入っている人であふれる光景は、A国となんら変わらない。侮るなかれ、ゲームアプリの開発では、先進国にも引けを取らない群雄割拠の時代らしい。
私の勤めることになったレイダン結婚相談所は、利用が呼び掛けられているとは言え、利用者の数は伸び悩んでいた。昔から顔見知りが多いコミュニティで育ち、結婚相手は自分で見つけるという価値観が残るこの国で結婚相談所を運営していくのは、なかなか挑戦的なことかもしれなかった。
勤務初日。この日の朝礼で、私は初めて相談所のスタッフと顔を合わせた。代表の説明の後、私は挨拶する。
「改めまして、モナミです。皆さんと働くことを楽しみにしておりました。どうぞよろしくお願いします」
拍手が鳴る。続いて、今日からインターンシップに参加する学生の女の子が紹介され、私と同じように挨拶した。
「A大学から来ましたカチュといいます。本日から五日間よろしくお願いします」
拍手が鳴る。私は朝礼が終わると、カチュのそばへ駆け寄った。
「私も初めて仕事するの。お互い頑張ろうね。ファイト!」
「はい。ありがとうございます」
カチュが笑顔を取り戻したので私は安心した。
さて、どんな仕事を任されるかなと意気込んでいた私は、早速肩透かしを食らう。
仕事が、無い。
もともと登録者も少ないうえ少人数でも回っていたので、突然やって来た外国人の私に求められる役割はなく、ただ事務室に個人用デスクが与えられただけだった。しばらく私は呆然と座っていた。
「私に何ができるんだろう……」
私はこのままではいけないと思い立ち、カチュを誘って相談所を見学させてもらえるよう代表に掛け合った。私にも彼女にも、それが必要なことだと思ったのだ。
OKをもらえたので、私たち二人は職場見学へと繰り出した。
「私、A国で少しだけ勉強していたから、分からないことがあったら聞いてね」
私は出国前にボランティア事業団体の訓練を受けて、B国で活動するための準備をした。そこでは経験者から話を聞く機会があり、レイダンでの仕事の進め方も教わっていた。そのときのことを思い出しながら、なるべく相談員の邪魔にならない場所から解説することにした。
「相談員ってまず何をするんですか?」
「まずは、訪れた人から話を聞いて、プロフィールを書いてもらうの。検索システムに登録して、理想の相手をすぐに見つけ出せるようにね」
検索システムはレイダンの相談員がお見合い相手を探す際に使用するもので、条件を打ち込めばその人の希望に合った相手を見つけ出せる。私は実際にパソコンを操作して使うところを見せようと思い、適当な条件でしぼり込み、登録者の情報を表示させた。
「住所とか連絡先も書いてあるけど、そこは、見なかったことにしてね」
カチュは口が堅そうだが、念のため言っておいた。
しかし、一人一人の情報が思ったより少なくて寂しい。プロフィールの項目をもう少し増やしてみてもいいかもしれない。
「見つけたあとはどうするんですか?」
「何人か候補を紹介して気に入った方がいたら、こちらで出会いの場をセッティングする。初回は相談員が立ち会うみたい」
こういったところは私のいた所と同じだ。
「あれは何をしているんですか?」
カチュは電話で話している相談員を指差して尋ねた。
「あれは、交際を始めた二人に、その後はどんな感じか聞いてるのかな。成婚までたどりつくこともあるし、うまくいかなかったら、また新しい出会いを探す」
「思ったより大変そうです」
カチュにも、結婚相談所の仕事のおおよその流れが分かったと思う。そして私は、この相談所の仕事についてまだまだ改善の余地はあると思えた。相談所の質の向上のため、A国のノウハウを伝えることも、私の重要な仕事の一つと考えた。
午前中が終わろうとする頃、私は代表のもとに行き、その点を報告してみた。すると、こんなことを言われた。
「モナミは仕事熱心だね。午後からは実際に来談者を担当してくれる?」
「えっ。もう担当させてもらえるんですか」
「うん。ちょうど予約が入ってね。今からお見えになるよ」
「正直不安です……」
「大丈夫だよ。相談員の仕事は、もう頭に入っているようだし」
代表は私の報告書をぱらぱらとめくり目を通してからつぶやいた。
「素晴らしいね。モナミはうちの救世主になってくれるかもしれない」
何だか心に引っ掛かる言い方だ。そんなにここの経営は危ないのだろうか。
私は代表に言われるがままエントランスに向かい、予約した人物を待った。緊張で鼓動が早まる。私の初めて担当するお方。まだかな。
するとまもなく、それらしき人が現れた。
「ようこそお越しくださいました。初めてのご利用ですか?」
「予約した如意宝珠だ」
「如意宝珠さま。お待ちしておりました。私はモナミといいます」
如意宝珠はまだ若者だったが、全身を黒い服でかためていて、少し近寄りがたい雰囲気だった。私はちょっと怖じ気づきながら、彼を相談室に案内した。
私たちは部屋に入ると、四人用の机に向かい合わせに座った。
「本日はご登録ですか?」
「いきなりだな」
「え? ああごめんなさい。当相談所では、登録を迷っておられる方にはまずヒアリングを行います。結婚に関する悩みなど、何でもお聞かせください」
「探しているのだ」
「はい。一緒に探しましょう」
「悠久の彼方に消えた、わが半身をっ!」
如意宝珠は勢いよく手を天井の照明にかざし、大声で言い放った。私は突然のことに驚いて目をぱちくりさせる。如意宝珠は続けた。
「我と半身は、天地開闢以来二つで一つ、完璧なる存在であった。性質が正反対であるからこその相互補完、まさに芸術のごとき親和性。そもそもこれが破られたのは……」
「え? 半身?」
彼はなおも続けた。
「我と半身を約定もろとも引き裂いたのは、青竜偃月刀。あの日を境に半身は雲の向こうに消えたかのようだった。半身を見失ってからは、我は精彩を欠き、苦難の道を歩むことを余儀なくされ、今日に至るまで苦汁をなめ続けることになったのだ。おのれっ、許すまじ! 青竜偃月刀!」
彼が机を強く叩いたので、私は思わず身構えた。
「失ったものは大きい。我に残ったのは、理屈をこねる手段のみ……」
そこまで話したところで彼がうなだれたので、私はおそるおそる尋ねた。
「ちょっと待って。あなたは〝伴侶〟を探しに来たんだよね?」
「なに……」
彼は本気なのか演技なのか大袈裟に目を見開いてみせた。
「ここはわが〝半身〟を探してくれる場所ではないのかっ!」
「ちがいます!」
なんなのだろう。新手の冷やかしかな。帰ってもらおうか……と思っていると、如意宝珠は私の手元の書類に目を留めて言った。
「それは何だ」
「ああ、これはプロフィール記入用紙だよ。登録に必要なんだけど……書いてみる?」
「それを書けば、我の情報がここにいる全員に知れ渡るのか」
「いいえ。ご安心ください。個人情報は厳守しますから」
私は彼がどこまで本気なのか疑わしかったが、用紙を差し出した。
「……ふん。まあ書いてやってもいい」
数分後、書かれたプロフィールに、私は唖然とする。
年齢 失われた二十年
職業 透明人間
趣味 たらい回されごっこ
性格 RPGの主人公
結婚観 結婚相手とは生まれた時から決まっている。この人だという確信は直感的だが論理的な裏付けが隠されているものだ。
……え? 大喜利?
彼は結婚相談所で遊んでいるのか? 私はうーんと唸る。
「この、透明人間というのは? さては、求職中かな。私、前はキャリアカウンセラーだったの。相談に乗ろっか?」
私は前職の血が騒いだ。すると、彼は私の面倒臭くなる空気を感じ取ったのか、話を切り上げようとした。
「……長居は無用。また出直す」
「あ、待って……」
如意宝珠はそそくさと退散してしまった。私は空いた席を見つめながら、気が抜けていくのを感じた。
「なんだったんだろう……」
如意宝珠は変わった人だ。だが同時に、底が見えないなとも思った。
彼ともっと話してみたい。彼から本音を引き出してみたい。私には不思議と、そんな気持ちが芽生えていた。