疑惑
薄暗い部屋だ。なぜ自分がここにいるのかわからない。
身体中が重く痛い。どうやら横たわっているようだ。身体を押さえていた手のひらを見ると血だらけになっている。
「命の火が消える前に、あなたの魔力と魂をもらってあげる」
いつの間にか目の前に女がいた。長い白髪に燃えるような透き通る赤い瞳。その瞳に移る姿は、若かりし頃の、自分。
どういうことだ、なぜ若い頃の自分が、と考えを巡らせ始めると同時に女の唇が自分の唇に触れる。抵抗しようにも身体が鉛のように重く動かない。
どんどん魔力が失われていくのがわかる。そして徐々に意識も遠退いていく。
「……ナール!シュミナール!!どこだ!!」
意識が朦朧とする中で聞こえてきたあの声は、元筆頭魔導師のジャノス。
「ちっ、もう嗅ぎ付けてきたのか」
唇を離して悔しげな顔をする女。
「命拾いしたわね」
女はにっこりと微笑みながら出現した魔方陣の中に消えていく。
「シュミナール!すまない、私のせいでこんなことに……」
悲壮な顔をして駆けつけてきたジャノスは思っていたよりもずいぶんと若かった。
どうしてあなたが……と言葉にならない言葉を発しながら目の前は暗闇になる。
「……!?」
飛び起きたシュミナールの目に映るのは執務室にある仮眠用の部屋の壁だ。本人はベットの中にいる。身体はどこも痛くないし、両手を見ても血はついていない。
バクバクと鳴り響く心臓を落ち着かせるようにゆっくりとベットから降りて洗面台へ向かった。鏡に映るのは虚ろな目に少し長めの髪と無精髭のある壮年の男だ。
「あの夢は一体なんなんだ……」
自分は生まれて間もない頃から魔力は雀の涙ほどしかなく、吸われるほどの魔力などどこにもない。なのに夢の中の若い自分には魔力があった。
しかも夢の中で女は魔力と魂を吸い上げ奪おうとしていた。あれはまさかエルシュの言っていた人形の器なのだろうか。
だが夢だ。そう、夢であるはずなのにまるであるはずのない昔の記憶を無理やり掘り起こされているかのようだった。いつ何時であっても揺らぐことのない男が珍しく冷や汗をかき、体を震わせていた。
ドンドン、と扉を叩く音がする。
「団長?シュミナール団長?いらっしゃいますか」
こんな夜中に一体誰だ、しかもこんな時に……と扉をあけるとそこには騎士団No.2のニアがいた。
ブロンドのボブショートの髪に美青年のような端正な顔立ちだがニアは騎士団の中で数少ない女性であり、女性でありながらその魔法と剣術の腕前は団員の中でも一際群を抜いている。
策略にも長けているため騎士団No.2の座に就いており複数の隊を束ね、シュミナールにも一目置かれた存在だ。
「……どうした」
「執務室からうめき声が聞こえてきたので、何か異常があったのかと。ご無事ですか」
心配そうなニアの様子にシュミナールは一瞬眉をしかめるがすぐにいつもの無表情に戻る。
「別になんでもない。そんなことよりもまだ残っていたのか」
「溜まっていた事務作業をしていたらこんな時間になってしまい、これから自室に戻ろうとしていたところです」
「そうか。俺は大丈夫だから心配しなくていい。お前も早く休め」
「ですが……お顔が蒼白です。具合が悪いのでは。医務室へ行って夜間担当の医師を呼びに行って参ります」
シュミナールが冷や汗までかいているのがわかる。団長のこんな姿はあまりにも珍しく、ニアは急いで医務室へ行こうとした。が、その手をひっぱってシュミナールは執務室へ連れ込み扉を締める。
「余計なことはするな。俺なら問題ないと言っている。……だが気が立っているからお前はすぐにここから立ち去れ」
ニアを壁に追いやり口元に手を押しつけて黙らせる。
立ち去らねば今の俺はお前に何をするかわからない……といいかけてシュミナールはやめた。それは信頼する騎士団No.2へ発する言葉として相応しくないからだ。
ニアを解放し、シュミナールは後ろを向く。
「……そうであれば尚更引けません」
ニアの言葉に思わず振り向くとニアは腕まくりをして意気込み勇んだ顔をしている。
「…は?」
「こちらには確か簡易な台所がありますよね。お借りします。団長は仮眠部屋でお休みください」
「いやお前俺の話を聞いていたか?」
シュミナールの言葉はニアには全く届いていないらしい。さっさと台所へ消えていくニアを眺めながらシュミナールは困ったものだなと頭をかいていた。
シュミナールが仮眠部屋のベッドに腰かけていると、ニアがお盆にコップを載せて持って来た。
「お待たせしました」
近くの机にお盆を置きコップをシュミナールへ差し出す。
中には暖かいミルクが湯気をたてていた。ミルクの他にほんの少しだけ良い香りがする。
「ホットミルクにブランデーを少したらしたものです。心が落ち着かない夜に飲むと効果的です」
受け取ったシュミナールはその良い香りにつられて一口ホットミルクを口にする。調度良い温度で飲みやすく、ふわりと香る良い匂いに安心する。
「うまいな」
シュミナールの言葉にニアは嬉しそうに笑う。
「よかったです」
「いつまでそこに突っ立ってるんだ。横に座ったらどうだ」
シュミナールがポンポンと自分の横を叩くと、ニアは少し驚いた顔をする。
「いえ、失礼に当たるのではと…」
「別にそんなことはない。それに変なことはしないから安心しろ」
シュミナールの気遣いをニアは嬉しく思い、それでは失礼しますと腰をかける。
「……おかしな夢を見たんだ。若い頃の自分の夢なんだがあまりにも現実的すぎて、起きた時に何が起こったかわからなかった」
ぽつり、とシュミナールが告げると、こんな団長は今まで見たことがないとニアは心の中で少し驚く。
「弱々しい姿を見せてしまったな。幻滅したか」
「いえ、そんなことはありません!」
ふっと悲しげに頬笑むシュミナールに、ニアは思わず大声をあげてしまい慌てて両手で口をおさえる。
「ぷっ」
思わずシュミナールが吹き出す。
「ふっ、ははは。お前に話したら少し気が楽になった。ありがとう、すまなかったな」
「いえ。ここの所色々とありましたし、次の任務の準備や調べもので忙しかったからきっと疲れがたまっていたんですよ。だから変な夢を見たのでは。私でよければいつでも話を聞きますので」
もちろん誰にも言いませんし二人だけの秘密です、とニアが言うとシュミナールはほんの少しだけ瞳を揺らし、またすぐいつもの虚ろな瞳に戻ってニアにもわからないほど微かに頬笑んだ。
「あぁ、よろしく頼む」