ユミルの大きな木
毎回ジャンルに悩んでいます。
魔法という単語を入れていますので、こちらのジャンルにしてみました。
「晩餐を始める前にみんなに聞いてほしい」
晩餐会が今まさに始まろうとしていた時、この国の王太子サキアが立ち上がった。
高くも低くもなくよく響く声は広い会場でも隅まで聞こえている。
「ユミル、君との婚約をこの場で解消したい」
波紋のように会場に動揺が広がる。侯爵令嬢ユミルは言葉を失い大きな翡翠色の目を大きく見開いていた。
王太子の斜め後ろにはいつの間にかひとりの令嬢が立っており、ユミルに勝ち誇ったかのような顔を向けていた。
「私は、シリラ嬢と結婚しようと思う」
静かだが、決意のこもった声だった。
これほどの人がいても不気味なほどに静まりかえっている。
ユミルの流す涙の音でさえ聞こえてきそうなほどの静寂だった。
「うれしい、サキア様喜んでお受けいたしますわ!」
伯爵令嬢シリラのうわずった声だけが異様に大きく聞こえる。
「ではシリラに受け入れてもらったところで、もうひとつ聞いてほしい。私はこの騒動の責任を持つために王太子を返上し、王族からも退くことにする」
今度はシリラの目が大きく見開かれる。
「サキア様お待ちになって!そんなこと聞いてないですわ!王族をやめるだなんて考え直してくださいまし!!」
「シリラは私がいればそれでいいって、そう言ってくれたよね?ふたりで田舎でゆっくり暮らそう」
騒ぐシリラにサキアはゆっくりと話しかける。
「ご、ごめんなさい。わたくしやっぱりサキア様のこと好きと思っていたのは間違いだったみたいです。わたくしが本当に好きなのは……」
少しずつサキアから距離を取るシリラがジリジリと下がった先には近衛騎士団が立ちはだかっている。
「次期宰相のイズマかな?それとも筆頭魔導師候補のスズカミ?もしかして第二騎士団副団長のマシオ?誰のことが好きなんだい?」
「そ、それは……」
サキアの挙げた三人は静かにサキアの後ろに陣取りシリラに冷ややかな目を向けている。
「君はうまくやっていると思っていただろうけど、ごめんね全てこちらは把握済みなんだ。お父上のムラサキ伯も確保している、君も変な気を起こさない方がいい」
会場の中央あたりでシリラの父ムラサキ伯が騎士団に抑えられている。
その他にも数人拘束されていた。
「そ、んな……」
シリラはその場で膝から崩れ落ち、待機していた騎士団に連れ去られて行く。
その日の晩餐会は王家主催の大規模なもの。
事前に許可があるまで一言も発してはならぬというお触れがでていた。
ムラサキ伯が隣国と手を組み、王家の簒奪を企ていたという話は瞬く間に広がった。
王太子はじめ数人の青年たちが娘のシリラに惑わされたフリをし、この動きを事前に止めたと、その働きを賞賛された。
が、一番の功労者であったはずのサキア王太子は、宣言通りにユミルとの婚約を解消し王太子を返上。そのまま王家から去り、消息をたった。
ひとりの王子が忽然と姿を消した。
〜・〜・〜・〜・〜・〜
あの日から一ヶ月。
サキアから婚約を無かったことにされたユミルは、自室の寝具の上で今日も涙を流していた。
幼い頃からの婚約で十年以上婚約者として過ごした。
政略的な意味の強い婚約だったが、お互い少なからず思い合っていたはずなのに、サキアが去っていくことをなにも知らされていなかった。
ユミルの元に残されたのは、サキアからの短い手紙が一通と、王家からの多額の慰謝料。
そして行き場のないサキアへの想いだった。
(どうしてなにも言ってくださらなかったの)
(わたくしから逃げ出したかったの?)
(君の想う相手と幸せになってくれだなんて……)
「馬鹿にしてるわ……。そんなこと望んでなんかいやしない」
ユミルはサキアと幸せになりたかった。
それこそ、サキアとなら市井に降りても構わなかったのに。
もともと、ユミルは活発な方である。
王太子の婚約者となり、淑女教育を受け表面上はお淑やかにしていた。
だが本質はお転婆で賑やかなことが好きだ。
(このまま泣き寝入りなんて、しない)
人の気持ちを考えず、相談も無しに勝手に婚約解消し姿を消しておいて、挙げ句の果てに他の男と幸せになれだなんて、ふざけている。
ユミルの中でふつふつと怒りが湧き上がる。
(絶対見つけ出して、直接文句を言ってやるわ)
一ヶ月、篭って臥せっていたユミルはゆっくりとベルを鳴らした。
〜・〜・〜・〜・〜・〜
「ユミルは死んだと、思ってください」
父侯爵であるアサギ侯爵は、久しぶりに自室から出てきたかと思えばいきなり物騒なことを言い出した娘に目を白黒させた。
「うん、ユミルの突拍子のない言動には慣れてはいるけどね。まずは順序立ててどうしてその結論になったのかを教えてもらってもいいかな?」
アサギ侯爵は執務机から立ち上がりソファーの方へ移動する。
ユミルにも座るように促し、メイドにお茶の用意をさせ、ユミルの母親、夫人のサラモアを呼ぶように伝えた。
「なるほど……。ユミルはサキア様を探しに行きたいんだね。それは侯爵家で雇った者たちに探させるのではダメなのかい?」
一通りユミルの話を聞いたアサギ侯爵はユミルに問いかけた。
「いいえお父様。自分で探し出して一言言ってやりたいんです。でないと、前に進むこともできない。それに、他の人との結婚も考えられないの。なので私を勘当して欲しいのです」
ユミルの目は真っ直ぐアサギ侯爵を見据えている。
あの目は自分の考えを曲げない時の目だ。
「まったくユミルは頑固もので、いったい誰に似たんだろうね?サラモア?」
ユミルの母サラモアはにっこり微笑んだ。
アサギ侯爵とサラモアの結婚も一悶着あったものだ。
ユミルの性格はサラモアによく似ている。
さらに言えばサラモアは更に猪突猛進型で、当時は大騒ぎしたものだった。
「ユミル、サキア様をもし見つけられたとして、自分の求める結果にはならないかもしれないのよ?」
サラモアはユミルの覚悟を確かめるように言った。
「はい、お母様。それでも、私を捨てて黙って消えてしまったことの真相を確かめたいの。それに……私、サキア様に一度も好きだと言ってなかった。きちんと言葉にして伝えたいのです」
サキアには何か隠していたことがある事は、アサギ侯爵とて分かっていた。
そしてそれを知れば、可愛い娘が傷つくだろうということも。
だからこそサキアはなにも言わず、ユミルをわざと突き放して消えたのだ。
(サキア様はうちの娘を少し甘く見ておられたようだ)
黙って捨てられるような娘ではなかったのは、サキアの誤算だろう。
ユミルは侯爵家に籍を置いたまま、他国へ遊学に行くという程でサキアを探すということになった。
幸いユミルは魔法が得意だ。
マナーの授業なんかより魔法の実技がとても好きだった。
ユミルくらいの魔法があれば冒険者をしながらあちこちを巡りサキアを探すこともできるだろうと考えた。
〜・〜・〜・〜・〜・〜
サキアを探し始めて一年。
ユミルはサキアを見つけた。
冒険者になりレベルを上げた事でユミルの魔法の精度が上がった。
途中知り合った魔法使いにユミルには追跡魔法の特性があることを教えられ、ユミルは必死に追跡魔法を強化した。
そして、去年の聖誕祭に交換したお互いの瞳の色の石がついたピアスについた微妙な魔力をつないでサキアへ辿り着いた。
サキアは小さな丘の小さな病院のベッドの上にいた。
身体が枯木のように硬くなり、カラカラに乾いてやがて息絶える原因不明の奇病なのだという。
どんなに探してもサキア自体の魔力が無いことにユミルは焦っていた。
死んでしまったのではないか、と。
サキアにはもう意識はなく、ただ呼吸をしているだけだと説明された。
それでも、まだ懸命に生きていた。
「サキア様は馬鹿ですね……。こんな病気ごときで私が引くと思ったんですか」
あのときサキアが逃げずにユミルと向き合ってくれていたら、意識がなくなるまでのわずかな時間だったとしても幸せな時間を過ごせたかもしれないのに。
1人でこんな寂しい場所にこさせてしまった。
ポタポタとユミルの涙が乾いたサキアの手に吸い込まれていく。
「好きです。好きです。サキア様が好きなの。他の人となんて無理。サキア様とじゃないと幸せになんてなれないの」
サキアに会えたら言ってやりたかったことが沢山あったはずなのに、ユミルはサキアのことが好きなのだというその気持ちを伝えることで精一杯だった。
「はしたないと、思わないでくださいませね」
一度目はピアスを贈りあったあの日だった。
普段表情がわかりにくいサキアの目が潤んでいたのをユミルはよく覚えていた。
カサカサのサキアの唇にユミルは小さな口付けを落とした。
〜・〜・〜・〜・〜・〜
ユミルは朝起きたとき、夜寝る前、花が綺麗に咲いたとき、雪が降り始めたとき、雷が鳴ったとき、鳥が鳴いたとき。
どんな時でもサキアに口づけをした。
それからもサキアの病はゆっくりゆっくり進行した。
水だけしか与えることができないが、それでも生きていた。
時折体から小さな芽が芽吹く。
ユミルはそれを優しく摘んで、大地へと植える。
木など生えていない草原の丘だったのに、病院の周りは背の低い木々でいっぱいになった。
「サキア様好きです」
毎日たくさん伝える。
ユミルは幸せだった。
五年が過ぎた頃、サキアから芽が出てこなくなり始め、やがて水も飲めなくなってきた。
徐々に硬くなっていく身体を、ユミルは毎日優しく撫でた。
そしてある朝、サキアの呼吸は静かに止まった。
もう、息をする事はないその唇にユミルは最後の口づけをした。
サキアから芽吹いた木々を植えた丘の隅に穴を掘り、そこへサキアを埋葬することにした。
昨日までは無かった芽が、サキアの胸の位置から出ていることに気がつき、ユミルはその芽を優しく摘んだ。
『私もユミルのことがとても好きだったよ』
摘んだ瞬間、確かにサキアの声が聞こえた。
堪えていた涙が溢れ、ユミルは大声で泣いた。
お姫様の口づけで、王子の呪いは解けるのでは無かったのか。
寝たきりの姫は、王子の口づけで目覚めるのでは無かったのか。
あんなにたくさん口付けしたのに、奇跡などなにも起きやしなかった。
涙と声が枯れてもユミルは泣き続けた。
サキアを埋葬した場所にはいつのまにか大きな木が生えていた。
他の芽は低木だったのに、その木だけは見上げるほど高く伸びた。
最後にサキアの胸から摘んだ芽は鉢植えにして、ユミルがどこにいく時も持ち歩いている。
「わがままを聞いていただき、ありがとうございました」
ユミルは侯爵家に戻り、翌年に十ほど歳の離れた辺境伯の後妻になることになった。
あの丘の領地を治める領主だ。
ユミルの事情を知ってなお、それでもいいと受け入れてくれた。
大切な人を亡くしたもの同士、二人は寄り添いあった。
領地のどこにいても、サキアの大木は目に入った。
まるでサキアが見守ってくれているようだった。