捨てられない女に捨てられた俺
俺はとうとう彼女に捨てられた。原因は俺の浮気。これまでも何度となくこういった危機はあったが、今回は完全に見限られたようだ。3年間同棲した愛の巣から「出て行って!」と叩きつけられたのだ。
3年前、俺は彼女の部屋に転がり込んだ。女のひとり暮らしには珍しく、2LDKの賃貸マンションで、ひと部屋余っている事もあり、転がり込みやすかった。余っている部屋を与えてもらい、快適に暮らした。それも今日で終わりだ。
彼女は仕事に出掛けている。帰って来る前に荷物をまとめて出て行く約束だ。とはいえ、行くあてはない。しばらくはネットカフェでの生活になるだろう。
支度を終えると部屋を出てリビングにやってきた。リビングを見渡す。3年間という歳月が思い出される。本当にこれで終わりなんだなぁ。
しかしこうして改めてリビングを見ると、物が多い。多すぎる。10畳ほどあるリビングには、物が溢れかえっている。彼女は俗に言う〈物が捨てられない女〉だ。もったいない精神が強く、物を捨てる事に罪悪感を覚え、物に囲まれていると安心する。口癖は「また使うかも」だった。
俺もだらしない方だから、そこまで気にはならなかったが、冷静に見ると酷いな。
リビングの壁際にある大きな棚には、大量の漫画、料理本、雑誌、小説、CD、DVDが隙間なくぎっしり詰め込まれている。それだけでは足らず、入り切らない漫画やCDなどが、床や棚の上にいくつも山を作っている。買った事を忘れて、また買ってしまう事もあるから、同じ本もいくつかある。一度売ることを勧めた事があるが、「うん、そうだね」と言ったきりで終わった。足元に無造作に置かれた断捨離の本が目に入った。「する気ねぇだろう」と思わずひとりごちる。
部屋中に、置物やUFOキャッチャーで取ったぬいぐるみなどが大量に置かれている。こけしにはまっていた時期があったので、こけしも色々な所から顔を出している。ちなみに、今はカエルの置物にはまっていて、こちらも増殖中だ。
ハンガーラックは3つ。おびただしい数の洋服が無理矢理に掛けられていて、満員電車を想像させる。
片付けようという意識はあり、その証拠に収納ボックスがいくつもある。雑貨屋で、可愛い収納ボックスを見つけるたびに、買ってくるようになり、収納ボックスも増えていった。
それでも、収納ボックスとして物を収納しているならいいが、買ってきた事ですっかり安心してしまい、空のまま放置されているものも多い。収納ボックスを収納するボックスがいるぐらいだ。
テレビ前のテーブルには、美顔器が古い型から最新型まで4台が並び、古い型は使ってないのだが、「壊れたわけじゃないし、また使うかも」とお得意の言葉を発し、置きっぱなしになっている。
テーブルには化粧品も大量に置かれている。中には、空になったマネキュアやバネの緩んだビューラー、毛先がパサパサに乾いたマスカラなんかも捨てずに取ってある。
他には、ネット通販で購入した、長い間使われてないダンベル、ヨガポール、表情筋を鍛える運動器具が無造作に置かれてある。フィットネスバイクは、ペダル部分が取れているが捨てずにそのまま置きっぱなしになっている。場所を取っているし、本当に邪魔でしかない。
収納スペースとしては、押し入れがある。中には、ホームベーカリー、故障した扇風機、サーフボード、七段飾りのひな人形もあるらしい。一度、ひな人形を自慢げに見せてあげようかと言われたが、丁重に断った。残りのスペースには、今は使ってない掛け布団や敷布団。そして、何が入っているか分からない段ボール箱が積まれている。
俺はフッと笑ってしまう。物を捨てられない女に俺は捨てられてしまうのか。とんだ笑い話だなぁ。
情けない気持ちになる俺の目に、彼女の部屋のドアが映った。
俺は、その部屋に一度も入った事がなかった。2人でいる時はリビングにいたし、愛の営みをする時は俺の部屋だった。
彼女に「汚いから絶対入らないで」と言われていて、生真面目にその言いつけを守り通した。彼女のプライバシーを尊重したかったし、無理矢理入って喧嘩になっても面倒だと思った。転がり込んできた身だから、遠慮していたのかもしれない。
その反動なのか、今、猛烈にドアを開けてみたいという衝動に駆られている。手がむずむずと疼いてくる。最低かもしれないが、別れた彼女のプライバシーなんて尊重する必要もないし、二度と彼女に会う事もないから、喧嘩にもならないだろう。
それに、ずっと彼女の言いつけを生真面目に守り続けていた自分自身にも腹が立つ。どうやら、欲求を押さえられる理由はないようだ。
足は彼女の部屋に向かっていた。一瞬だけ。見てすぐに閉めればいい。俺は禁断の部屋のドアノブに手を掛け、ゆっくりと回した。
部屋は文字通り、足場の踏み場がなかった。
すぐにドアを閉めるはずだったが、怖い物見たさもあり、俺は吸い込まれるように部屋の中に入っていった。
物を踏まないように、つま先立ちで中へ進んでいき、ベッドの前にある小さなスペースを見つけた。この陸の孤島以外は、物、物、物、物、で覆いつくされている。
段ボール箱が部屋のいたるところに積まれてあって、試しにひとつ中を覗くと、CDがぎっしり入っていた。リビングにしこまたあるのに、まだあるのかと呆れてしまう。
積まれている段ボール箱をよく見ると、側面に「小説」「漫画」「DVD」「CD」「ビデオ」と書き込まれていた。ビ、ビデオ!と俺は目を見開き驚く。しかし次の瞬間、更なる衝撃が襲う。小型サイズの段ボール箱があり、その側面に「MD」と書き込まれていた。MD!
もちろん段ボール箱だけではなく、本棚、CDラック、タンス、化粧品ケース、大き目の衣装ケースなんかもあり、全てキチキチに詰め込まれてあった。
窓際のセミダブルのベッドは、横になるスペースは残っていたが、雑誌や美容グッズがいくつも転がっていた。ベッドの下が収納スペースになっている作りだが、そこにも物を詰め込み過ぎていて、引き出しが閉まっていなかった。
足元にあった段ボール箱の封が開いていたので、何気に中を見たら、CD、小説、漫画、アクセサリーなど様々な物が入っていて、統一性がないなぁと思っていたのだが、中に入っているアルバムを取り出して見ると、俺と彼女の写真ばかりだった。この段ボールは、俺らの思い出が詰まっていると分かった。
二人でよく聞いたCD、二人がはまった漫画、デートの参考にした雑誌、俺が彼女に贈ったアクセサリーや香水。
映画館や水族館、テーマパークなどの半券を輪ゴムでまとめたモノまで出て来た。彼女は俺との思い出を大切に取っていたのか。
輪ゴムを外して、半券を1枚1枚見た。その頃の思い出が蘇ってくる。自然と顔がほころぶ。
そろそろ部屋を出ようと思った時、俺はとても懐かしい物を発見した。本棚に小学校から大学までの教科書が並べられてあった。
その本棚の隣には、見るからに古そうな洋服ダンスがあった。まさかあの中には…タンスを開けてみると、思った通りだった。彼女が子供の頃に着ていたであろう、小さな可愛らしい洋服が出て来た。他にも、体操服、ブルマ、セラー服もある。ゴムの伸びきったパンツや穴のあいたスエットを見つけた時には、俺は思わず苦笑いを浮かべた。捨てられない歴、何年だよ。
もういい。いい加減退散しようと思ったが、目の前にある大量のペンが入ったマグカップが気になった。この中に使えるペンはいくつあるのだろうか。インクのあるのを探すほうが大変なんじゃないか。 さらに近くにあったジュエリーケースの中を見ると、トップがとれたネックレスや、バラバラになったパーツがあるのはもちろん、子供用のおもちゃの指輪まである。
古いスマートフォン、ガラケー携帯、パソコン、ワープロ、ファミコン、PCエンジン、卒業証書、英検3級の証明書、小学生の時のテスト用紙、旅行のパンフレット、5年前のカレンダー(おそらく探せば何年分も見つかるのだろう)支払いの終わった携帯電話の請求書…などなど、俺にとってはゴミと区別出来ないような物ばかりが出て来た。
俺は怖さを感じ始めていた。改めて部屋中を見渡した。異様な妖気が充満しているようで、息苦しさを感じる。さっさと出て行こうと思ったが、視線が吸い寄せられるようにクローゼットをとらえる。
あの中はどうなっているのだろう。もはや引き返せない。俺はクローゼットに近づき、勢いよく扉を開けた。やはり…
物、物、物、物、物、物、物、物、物、物、物、物、物、物、物、物、物、物、物、物、物、物、で溢れかえっていた。そして、冬物のコートを吊るしてあるスペースの隙間に、ひとりの男が立っていた。
俺は恐怖のあまり、声を出す事も出来ず固まった。
男は軽い口調で言った。
「違うんだ。怪しいものじゃない、と言っても怪しいと思うだろうが。強盗とかそういうんじゃなくて。えっと、その、俺は、あんたよりも前からここにいる。要は元彼なんだ」
「元彼!?」
元彼がなぜ彼女の部屋にいる。元彼と浮気していたのか。それとも、俺と別れる本当の理由は、元彼と寄りを戻すためか。恐怖はすっかり消え去り、怒りが込み上げてきた。
俺の思考を読んだのか、男は慌てて言った。
「あの、違うぞ。あんたの考えているような事は一切ないから、安心してくれ」
「じゃ、どうしてここにいる」
俺はいかめしい声を発した。
「それは…俺を捨てられなかっただけじゃないか」
「ハァ!?」
「ほら、彼女ってさ…そういう性分じゃない」
彼女はこの男と別れはしたが、捨てる事は出来なかった、という事か。まさか彼氏も捨てられないとは。
俺はふいに思った。彼女はこれまでに何人の男と付き合った事があるんだ。そんなに多くはないと言っていたが…3人、いや、4人…。もしかしたら、この部屋の何処かにあと何人か隠れているかもしれない。視線が大き目の衣装ケースを捉える。少し動いたような気がした。
彼女の部屋から出た俺は、洋服などの最小限の物だけを詰め込んだバックを持ち、玄関へ向かう。
ズボンのポケットに振動があったので、スマートフォンを取り出すと、彼女からのLINEだった。
トーク画面を開いてメッセージを見る。
〈私が帰ってくるまで待ってて。もう一度話し合いましょう〉
どうやら、俺の事も捨てられないようだ。
彼女にとって俺は、この部屋にある大量の物と同じなのだろう。あのゴミと区別できないような物たちと…
そこまで落ちぶれてたまるか!俺は玄関のドアを開けて、外に足を踏み出そうとしたが、立ち止まった。行くあてなどないのだ。ネットカフェよりは……
終