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9/13

目撃情報09:マーメイド

 聖都メリアス――その港。



 王都の物流を支える要所として知られる。

 今日も多くの漁船や交易船で賑わいを見せていた。

 ちなみに船の乗組員はほとんどがリザードマンだ。

 元々彼らの7割が漁師、2割が海難救助隊に就く。

 港町は水に強く、力もあって陸も歩ける種族にとっての活躍の場なのである。


 ――さて。

 その港の海岸に小さな岩場があった。

 取り立てて特徴のない――人が5人も乗れば座る場所のない小さな岩礁。

 しかしそこは国に指定された最上級の保管区域である。

 いや、正確に言えばフリムローダ王国ですらない、完全に独立した一つの国家でもあった。


 その極小の国家を統治するのは一人の女だ。


 彼女は普段は海の底で暮らしているが、たまに岩礁で一人歌った。

 その姿は長年変わることなく、歌声は人々を引き寄せる。

 美しい人の上半身に、銀色の鱗をした魚の下半身。


 ――彼女は人魚だった。


 月に一度だけ、彼女への謁見が許される日がある。

 その日は多くの国民が詰め寄せ、彼女に悩みを相談した。

 過去を知り、全知を持ち、海を知る。

 人魚の叡智にあやかりたい人間は後を絶たない。


 だがある日。

 謁見日でもないのに、彼女を訪ねた男がいた。

 彼は憲兵に何やら書面を見せている。

 すると憲兵は敬礼して男を通した。

 そして岩礁へと乗り上げると、頭を下げて彼女の名を呼ぶ。


「セセラギさん。海洋学者のコバルト=ホライズンと申します」

「えぇ、いらっしゃい。話は()()()()から聞いてるわ」


 人魚のセセラギの声は、とても柔らかく気持ちが安らいだ。

 そう、これから話す内容とは裏腹に、だ。

 コバルトは本題を切り出した。


「今日はギルガノットについての相談に来ました」




 本来今日は謁見出来る日ではない。

 その為岩場にはコバルトとセセラギ――そして鳥が一羽いるだけだった。

 鳥は無邪気に岩場をピョンピョンと跳ねている。


「この子が気になるかしら?」

「あぁ、いえ――」

「随分前に翼を怪我していてね。私が手当てしたのだけれど、治った今でも飛んで行こうとしないの」


 人魚は少し達観的なところはあるが、尾びれを除けば何処から見てもただの人だった。

 ――だけどこの国の人間ならば知っている。

 彼女が遥か昔――国の統一を賭けた戦争の頃から生きていることを。

 龍と違い表に出てこないが、真の海の支配者と思われていたことを。

 戦争から今に至るまで、常に全種族に対して中立を貫き、龍にも特権階級と言う名の監視をつけられていることを。

 そしてその瞳には微生物から龍まで、全て等価の命として映っていることを。


 コバルトは彼女に聞きたいことが沢山あった。

 優先すべき質問も多くある。

 だがついつい"今気になっている"ことを聞いてしまうのは学者の性だろう。


「アイルダとは龍のことですか?」

「あら、そうね。確かにその名前で呼ぶのは今では私だけかも知れないわね。そうよ、あの仮面の龍で合ってるわ」

「初めて聞きました」

「あの子は()()()()()()()()()()()()()()()()()当然でしょうね。龍と言えば彼女のことを――いえ、神と言えば彼女のことを差すようになりたがってたわ」

「神……」

「えぇ、龍神にね」


 コバルトが生まれたときには既に、龍は間違いなく神であった。

 だがまるでセセラギの言い方だと、彼女はどうやっても神になれないようにも聞こえる。

 もっと聞きたかったが、あまり深入りすると人魚は口を閉ざしてしまう。

 彼女はあくまでも誰の味方でもなく、ただ事実の表面を教えてくれるだけなのだ。

 コバルトは次の質問を投げかけた。


「ギルガノットはどこから来たんですか?」

「もう何となく察しはついてるんでしょう?」

「まぁそうですね。やはり異世界の生物ですか?」

「そうよ。西海岸の虹を潜ってやってきた――ただの迷い子」

「迷い子……ですか」

「えぇ、この国はあの子を必要以上に恐れている。でも()()()()()()()()()()()()()()()()。あなたには分かってるみたいね」

「……そうですね」

「あと聞きたいのは何かしら。あの子の弱点? 能力? それとももっと単純に倒し方かしら。残念だけどそのどれも教えることは出来ないわよ。異世界の生物でも海の一部に過ぎない――私は誰の味方もしない」


 この答えは予想通りだった。

 これまで彼女の元を訪れなかったのはこれが理由だ。

 確かにいくらかの納得を得られる。

 だけど、それは戦いや勝利には何も繋がらない。

 人魚は海の化身――こと海においてその力は龍にも匹敵すると言われている。

 しかし彼女は決して直接手助けはしてくれないだろう。


 ――本来ならば。


 コバルトには今回、彼女を一部味方につける手立てがあった。

 もっともそれを思いついたのはつい先日のことなのだが。

 彼女に近づいて、それを口にした。


「セセラギさん。俺はギルガノットを―――――」


 ――……――……――……――


 コバルトは来たるべき決戦の日の作戦を伝えた。

 人によっては憤慨するかも知れない作戦。

 しかし人魚ならば、むしろ同意が得られると踏んだのだ。

 セセラギは話を聞き終えると、呆れた様な顔をした。


「また随分と無茶をしようとしてるわね。アイルダには伝えてあるの?」

「いいえ、龍に言うつもりはないですし、聞いてもらえるとも思いません」

「でしょうね」

「だから龍がギルガノットを殺してしまえば、何の意味もない作戦です。と言うよりもそれならそれで問題はないんですけどね」

「あなたはドライなのか人情深いのか分からないわね。――私たち人魚に考えが似てるわ」

「手を貸していただけますか?」

「――分かったわ。あくまでも私セセラギ個人はね。海の底にいる人魚全体がどうかは期待しないほうがいいわよ」

「分かってます。それだけで十分です」


 コバルトは顔には出さなかったが、心の中で喜んだ。

 この作戦にはどうしても彼女の助けが必要となる。

 そして一番何を考えているか分からない相手だ。

 この説得が成功したのは大きかった。


「あら、もう行っちゃうの?」

「えぇ、まだまだ話に行かないといけない人がいるので」

「ふーん、そうだ最後に少しだけサービスしてあげる」

「……? なんですか?」

「"魚"って知ってる?」

「いえ……知りません」

「太古に滅びた――()()()()()生態系。あなたたちがギルガノットと呼ぶあの子には、その亡霊が味方してるわ。名もない彼らのことを忘れないであげてね」

「…………分かりました」


 人魚はサービスと言っても、こちらに有利になることは言わないだろう。

 つまりこれは学者であるコバルトへの呼びかけなのだ。

 それはコバルトに、心を戦いに染めずに学者として見ろと言っているようにも感じた。


「そうだな……」


 そうだ、せっかく未知の海洋生物と正面から向き合えるのだ。

 楽しもう。

 好奇心を満たそう。

 こんな不謹慎な想いだって、海は薄めてくれるだろうから。





「ふぅ……」


 海洋学者が去った後。

 セセラギは一息ついて、隣に座る鳥を撫でる。


「なかなか楽しい男だったわ――ね、リヴァイアス」

「クー」


 リヴァイアスとは神話上の戦神の名前だ。

 鳥につけるには大仰過ぎる名前だが、今はそれに追及する者もいなかった。

 空はどこまでも自由で高く。

 海はこの国の喧騒など知らぬかのように穏やかだ。


「――だけどこの平穏は長くは続かない」


 セセラギは海を覗き込むように顔を近づけ、そのまま海面に口づけをした。

 すると――――



 ――サザァー



 静かに音をたてながら、海は細く――だが真っ直ぐ浜辺まで()()()()()()

 水魔法ではない。

 水を操る人魚でなくては出来ぬ奇跡の業。

 彼女はそこに、今度は弱く優しい水魔法でリヴァイアスを降ろす。

 そして首をかしげる友に言った。


「この偽りの楽園もお仕舞いの時間よ。あなたもあちら側に帰りなさい」


 リヴァイアスはまだ去ろうとしない。


「私? 私はねぇー。うーん行きたい気持ちもあるけど、まだお客さんが残ってるみたいなの。それが終わったら、ね」


 彼女が一緒に来ないと悟ったのか、リヴァイアスは「クー」と一声鳴いたあと――パタパタと羽を動かしながら浜辺へと走っていった。

 セセラギはそれに手を振って見送っている。

 近くに船はいない。

 憲兵の元にも誰も来ていない。

 それはそうだ。

 最後の来客は地上の客ではないのだから。


「さぁ、あと一仕事しましょうか」


 セセラギはザブンと海に飛び込んだ。

 暗い水中でも見通せる人魚の目。

 だがその海は、そうでなくても透き通すような綺麗さだった。

 そして岩礁の下を潜っていくと――来客は既にそこで待っていた。

 美しい灰色の体。

 強さの象徴とも言える大きな口。

 そして黒真珠のように綺麗な瞳。

 セセラギは来客に微笑みかける。


「いらっしゃい――ギルガノットさん? いや、それとも――」


 何の反応も示さないギルガノットに彼女は問いかけた。



「名も無きホオジロザメさんってお呼びしたほうが良いかしら?」




 ギルガノットは彼女を前に微動だにしない。

 それは恐れている、あるいは警戒しているわけではなさそうだ。

 まるで本当に、彼女に相談しに来ているかのようだった。


「うわぁ、聞いていたよりもずっと立派ね。ジャイアントの力がなくてもさぞかし大きな体だったんでしょうね」


 そう言いながらセセラギはギルガノットの体を撫でた。

 ギルガノットはそれでも抵抗しない。


「なんで自分の種族を知っているのかって? ふふ、私は海のことなら何でも知ってるのよ。それに今はいないだけで、昔は魚も――そしてあなたと同じサメだっていたの」


 セセラギは目を瞑り昔を思い出していた。

 多くの鮮やかな魚が泳ぎまわる綺麗な海。

 弱い魚。強い魚。

 そこにあった喰うもの、喰われるものの戦いの美しさを。


「――だけど龍はその弱さが許せなかった。海こそが地上を支配すべきだと考えてしまった。弱くて知性もない魚たちは絶滅させられ、そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ギルガノットには知りえぬ話。

 それでも動揺する気配はない。


「あなたのラーニング能力は元々備わっていた才能だわ。でもそれを起こしたのは、きっと迷える彼らの魂。そして能力と引き換えに、彼らは一つのささやかな呪いを与えた」


 セセラギは続ける。


「――それは龍に対する憎しみと、その道を示す呪いよ」


 海流は西海岸から聖都まで流れていると言っても、あくまでも数ある流れの一つに過ぎない。

 その中でギルガノットがかつての海流をなぞっていた理由。


「魚たちは昔の道しか知らなかったのね。そこは既に森に変わり、氷に閉ざされ、渓谷――あるいは大都市の一部と化していると言うのに。本来海にしか生きられないあなたには困難な道のりだったでしょう」


 ――でも、とセセラギは続ける。


「――でも、あなたは辿り着いた」


 多くの種族の力を奪い。

 多くの人々の恨みを背負い。

 時には死にかけ、時には傷つき。

 それでもギルガノットは龍の膝元まで辿り着いた。

 後は龍に向かって突き進むだけだ。


 そのために――そのためにここに寄ったのだ。



「えぇ、勿論分かってるわ。龍の元に行くために私の力が必要だってことくらい」



 セセラギはそう言うと、両手を広げてギルガノットを見据えた。


「私はこの海の中立者。これが自然の成り行きだと言うなら、あなたに食べられるのも摂理の一つ。さぁ、遠慮なく食べていいわよ」


 ギルガノットはそれを見てもまだ動かない。


「ふふっ」


 セセラギはそんなギルガノットに笑いかけると、牙にそっと手を置き――そのまま突き刺した。

 赤い血が海を――ギルガノットの口中を流れていく。


「実を言うとね。私たち人魚は中立者ではあるけど、決して感情がないわけじゃないのよ? ただ使命に従って我慢しているだけなの。これは本当に秘密なんだけどね――」


 彼女は更に顔を口へと入れて――


「――龍はあまり好きじゃないの。だから一泡吹かせてあげてね」


 血の臭いに堪えられなくなっているのだろう。

 ギルガノットの口は、セセラギの頭を咥えたまま徐々に閉じていく。

 そして――


「あ、一つ言い忘れていたけど、コバルトって言う海洋学者がね。あなたを――」



 ――――――



 それは数百年に渡り、人々の悩みに答えた人魚の最後の言葉だった。

 そして、今際の台詞を伝える人間は誰もいない。




 ギルガノットは食事を済ませると、ゆったりと海上へ浮上していった。



 誰のためでもない。

 自分が食い千切りたい相手に会うために。





 スピナは西海岸の浅瀬に足を浸していた。


 ここに来ると思い出すのは父のこと。

 彼女の父スパイクルは海上保安官だ。

 日々浜辺の平和を守り、仲間からも慕われて仕事に終われる父に対し、幼い頃の一人娘スピナが思っていたことは一つ。


 ――何故父は弱いのにこんな仕事をしているのだろう?


 子供ゆえの残酷な考え――で済ませるにはあまりにも残酷な評価。

 しかもそれは父を知らないからでなく、父の力も自分の力も良く分かった上での結論だった。

 人間とリザードマンのハーフであるスピナは、生まれつき自分に戦いの才能があることを知っていた。

 二つの種族の強さを合わせた――いや、掛け合わせた奇跡の身体能力。

 神が間違い与えたとした思えない戦闘のセンス。

 対して父はリザードマンとしては並程度の力しかない。

 彼女からすれば、さぞギリギリの仕事をしているように思えただろう。


 だがスピナは弱いことそのものを軽蔑したり、また決して見下したりはしなかった。

 ただ強い者だけが弱い者を守れば良いと考えていただけだ。

 それこそ龍、あるいは人魚ほどの力があれば、この一国を守れるほどの――少なくとも海獣被害をなくすことだって出来るはずだ。

 そんな彼女が王国の騎士を目指したのは、極々自然な成り行きだった。


 高い志を持って入った騎士団の世界。

 そこでスピナの思想はより強く歪んでいく。

 騎士の世界にあったのは、ハーフへの差別、亜人種への偏見、家柄や人を陥れる策謀が溢れる――つまりはありふれた社会だった。

 問題はその当たり前が、彼女の考え方とあまりに相容れない点だ。

 能なき者が上に立ち。

 能力があっても潰されて。

 力ある者も上にいけば戦わず。

 彼女自身も飼い殺しにされる。


 意味なき世界に嫌気がさした。

 そして、嫌気がさした世界に奴が現れた。


 そいつはただただ力の象徴で、狡猾で生きるために術を選ばず、善も悪も強さも弱さも噛み砕いていく異次元の存在。

 もしただ存在を知っただけならば好奇心と共に、いくらかの羨望を抱いただろう。

 この窮屈な龍の檻を破壊してくれるかもしれないと、不謹慎な期待すら寄せたかもしれない。


 だが最初に壊されたのは彼女の父親だった。


 絶望、嫉妬、羨望、憎み。

 あらゆる感情が渦めき、スピナは単身怪物を倒しに走った。

 この不誠実な世の中の答えを、仇の亡骸から探すために。


「それを狂ったと言うのだがな……」

「誰の話だ? スピナ」


 後ろからコバルトの訝しげな声がした。

 確かに今の発言だけ聞けば、それこそ不審者でしかないだろう。

 スピナは笑った。

 笑えるようになった。

 彼女が抱き続けた疑問の答え、それは間抜けなことに怨敵を倒す前に見付かってしまったのだ。

 この海洋学者は自分では戦えないくせに、誰よりも奴の近くで戦っていた。

 一度は追い返したものの、気付くとこいつなくして勝負は成り立たないほどに、彼の存在は事件に大きく関係している。

 出没する場所を予測し、敵の能力を分析し、作戦をたてる。

 この世界の常識に縛られず、この海の法則を知り尽くした彼しか出来ない――戦い方だ。


 そう、答えは簡単なことだった。

 自分が弱いと思っていた人々は弱くなかったのだ。

 自分を知って、自ら戦場を決めた人は、全知全能の神すら凌駕する。

 弱くないから守ることが出来る。

 いつまでも自分は子供だったと、スピナは今では恥じていた。

 だが、それでも正しかったこともある。


「コバルト」

「うん?」

「私は強いぞ」

「知ってるよ」

「いや、知らないさ――自分の戦場を見付けた私の強さまではな」

「それも――知ってるよ」



 ――スピナはいつだって無敵の強さだった。



 コバルトがそう言うと、スピナはコクンと頷いた。

 迫る決戦の日。

 既に手は尽くした。

 後はその時を待つだけだ。

 己の強さを信じながら。





★ギルガノット(種族ホオジロザメ)はサメスキル【水心】を取得しました。

◎異世界サメメモ

このサメはスキルにより強靭な肉体を手に入れたが、その鋭い感知能力は(魔力探知を除き)生来のものである。優秀な視覚、聴覚、嗅覚に加えて電流をも感じとる能力は、既に完成された力なのだ。



次話は(10/18)の22時に更新予定です。

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