目撃情報07:ゴースト
勇者はギルガノットに喰われながら考えた。
何故こうなってしまったのかと。
……………………
「霞む紫暮の笛囃子~湖影の月に悪魔も唄う~……っと」
勇者とは世に一人だけ、天から授かる才能だ。
それは血筋も身分も関係なく、この国の誰かしらに与えられる天与の異能と言われている。
だがバベルはそうとは思わなかった。
そんなものは綺麗な建前だ。
あくまでも全国民に希望を与えるための方便だ、と。
彼の家は裕福だった。
昔から力のある貴族で、働いたことすらない。
子供の頃から指一つで、人の人生を変えることも出来た。
顔は良く、恵まれた体は負け知らず。
だから自分が勇者だと知ったとき――
そこには何の感動もなかった。
ただ「世の中は良く出来ている」とだけ思ったものだ。
それに常識だってある。
例え勇者であろうとも、龍にだけは逆らってはいけない。
そんなことは分かりきっていた。
おまけに頭さえ下げれば、鎧だって金だって何でも貰える。
命令されれば靴だって舐めてみせるだろう。
エルフや魔女の魔法は確かにすごい。
だかこの魔法を無効化する鎧に、聖なるものを切り裂く魔剣。
協会の結界だろうと止められる者はいない。
――実際。
ギルガノットだって簡単な相手だったのだ。
いくら王国を騒がす災害と呼ばれど、所詮はただの海獣に過ぎない。
ほどほどの魔法。
ほどほどの膂力。
恐れるべき要素は特にない。
そもそも奴は何故か弱っていた。
恐らくは誰かに切り伏せられたのだろう。
沼地で見つけたとき、奴は自分の体を休めるので精一杯だったのだ。
バベルの仕事は簡単だった。
場所は紫の月が煌々と照らす夜の沼地。
生物の気配は彼だけだ。
気持ちの良い月夜につい童歌など口ずさみながら、彼は仕事の準備を始めた。
荷物から取り出したのは――ボウガンだ。
剣ではなくボウガン。
それを卑怯だと言う者もいるだろう。
勇者の"勇"とは何なのかと。
勇者には体裁もまた大切なのだ。
しかし人目のない場所でわざわざ危険を冒す必要はなかった。
勇者によっては常に勇を持ち義を尊ぶ人もいたが、バベルはあくまでも勇者を仕事の一つとして捉えていた。
それを賢いと呼ぶか、臆病と呼ぶかは彼の知ったところではない。
バベルは静かにボウガンに矢を装填した。
瀕死で泳ぐ標的を見つけ、憲兵から借りたこいつで止めをさす。
魔法で抵抗されても、こちらは鎧で無効化出来る。
簡単な仕事――簡単なはずだった。
――そう、ゴーストさえ出なければ。
◆
コバルトは毎晩眠る前に考えた。
自分がギルガノットを追う理由とは何なのかと。
以前スピナに言われた。
『分からないのか? それはお前に奴を殺す気がないからだ。――いや、それどころか何故殺す必要があるのか、とすら思っているな』
その通りだった。
コバルトはギルガノットに恨みはない。
守りたいとも思っていないが、積極的に倒したいとも思わない。
なのにどうしても放っておくことが出来ないのだ。
海洋学者として興味?
それだけだろうか?
彼には自分の気持ちが分からなかった。
同時にコバルトはギルガノットの気持ちも分からない。
突然現れて何故危険を冒してまで人を襲うのか。
案外ただの食事目的かも?
コバルトには分からない。
そして他の人々は分かろうともしないだろう。
あの人形のような黒い瞳に何を見ているか。
コバルトには分からなかった。
そのまま眠りへと落ち――そして彼は夢を見た。
夢の中でコバルトはまだ10代の少年だった。
海の事ばかりを考えていたあの時期。
その青い水底には何があるのか。
水平線の果てには何がいるのか。
海を調べることが楽しくて仕方なかった時期。
毎日西海岸に行っては、そこに流れ着く不思議な物を探していた。
切っ掛けは、拾い物の中にあった何でもない――透明な紙のような切れ端だ。
初めはそんな生物かと思った。
だが家に持ち帰り調べると、それが未知の素材で出来ていることが分かったのだ。
――ワクワクした。
当時は学会などには興味はなく、ただ知らない世界の存在に心躍らせていた。
無垢で世間知らずな探求の日々。
――それに転機が訪れる。
その未知の物質を見せてくれという学者が現れたのだ。
彼は海洋生物に詳しく、話しながら様々なことを教えて貰った。
特に海岸から異世界へと続く虹の道――その話は新鮮な驚きに満ちていた。
学者は言う。
――この素材も恐らくはそこから流れ着いたものだ。
いつかはもっとすごいものが現れるかもしれない、と。
独学で研究をしていたコバルトにとって、この世界の先人の言葉は目新しく甘美なことばかりだ。
コバルトは思った。
――研究者とは海が好きな人が集まっている――なんて楽しそうなんだ。
だからその男に誘われ、新素材の研究結果を学会に持ち込んだのも当然の流れだった。
そして世間を知らない少年の冒険はそこで終わる。
『異世界の素材だと!?』
『この世界に神たる龍が産み出せぬ物などない』
『龍に対する冒涜だ!』
古代龍論者と呼ばれる一派がある。
彼らは龍こそがこの世界を産み出した神と主張しており、全知全能な神は全てを知ると説いているのだ。
そしてその研究発表は、龍論者だけが集められたものだった。
投げ掛けられる罵倒と否定の嵐。
結局その漂流物は古代龍文明の遺産だと言われ、異世界漂流論は完全に消されることとなる。
後に――コバルトを導いた海洋学者が、龍至上論者の筆頭であることを知った。
丁度その頃は異世界の存在が信じられ始めており、それは龍が最高の技術と知識を持ちうるとする古代龍神説とは相性が悪かったのだ。
だからあえて子供に学説を発表させることにより、その信憑性を失わせた。
コバルトは学者として認められ、同時に学者として見放された。
何も知らない人々からは責められる。
知っている人からは嘲笑われる。
その世界において自分は何も知らない異邦人であり、思えば足を踏み入れた瞬間から排除される恐怖に苛まれていたと思う。
息苦しい。
ここは孤独だ。
深海の底もここまで冷たくはないだろう。
誰か助けてくれないのか。
その想いは届かず、ただただ暗い水中へと沈んでいった。
そして意識は現実へと引き上げられる。
「…………やな夢」
まだその感覚は生々しく覚えていた。
そもそもそれはコバルト自身の記憶なのだから仕方ないのだが。
処世術を身に付け、過去を忘れて一人立ちした自分には必要のない記憶だ。
そう思っていた。
――――今までは。
コバルトは不思議なことに、その記憶と宿敵の姿がうっすらと重なるのが見えたのだ。
もしかして、もしかすると――――
「ギルガノット……お前もそうなのか……?」
それならば、自分がするべきこと。
するべきことは奴を殺すことではない。
コバルトはスピナの元へと走った。
◆
――――ボウガンを構え。
バベルがギルガノットに止めを刺そうとしたとき、不意に背筋を寒気が走り抜けた。
彼は慌てて周りを見渡す。
すると辺りはいつの間にか、霧で覆われたように白んでいた。
勇者として戦いに生きてきたバベルだ。
それがただの霧でないことは知っていた。
「ちっ! こんなときにゴーストか!」
死霊。
霊魂が魔力を受けた姿。
魔物と現象の中間にいる存在と言える。
物理魔法を問わず、あらゆる干渉を受けない。
ゴーストからも直接触ることは出来ないが、死を纏う彼らには近付くだけで精神を蝕まれてしまう。
バベルは動くのを止めて、そっと息を潜めた。
「………………」
ゴーストは殺意や恐怖――絶望と言った負の感情に反応する性質がある。
慣れていないものは恐ろしさに飲み込まれてしまいがちだが、無心で過ぎ去るのを待てば無害な存在なのだ。
そしてそれは海獣とて例外ではない。
特にギルガノットは非常に頭が良いと聞いていた。
きっとゴーストの性質にも気付いているだろう。
ただでさえ重症なのだ。
ゴーストが去るまでは一時休戦はやむを得ないはず――――
「アアああァアアあアぁアァァー!!」
あの世から轟くような叫び声。
ギルガノットの声ではない。
かと言ってバベルの声でもなかった。
本来は触ろうにもすり抜け霧散する奴ら。
それが苦悶の表情を浮かべて、千切れ――まるで焼かれるように傷口から浄化していく。
(こ、こいつ――ゴーストを喰ってやがる……!)
あり得ない。
あってはならない。
ゴーストに触れられるはずがない。
霊に干渉できるのは唯一、洗礼を受けた聖職者が浄化の義を行った際だ。
だがそれだって事前の準備が必要な上、長く修行を積んだ僧侶でやっと使える例外的方法だ。
とは言え、現にギルガノットはゴーストに食い付いている。
それは動かし様のない事実であった。
――そして。
バベルは一手遅れて、自分が窮地に立たされていることに気付いた。
「まずい! 死ね! ギルガノット!!」
勇者バベルは刃をギルガノットへと突き立てた。
彼の持つその武器の名は不滅の魔剣ベオウルフ。
代々勇者の力を得た者の元に出現し、例え火口に投げ入れようとも、再び勇者の手に舞い戻る伝説の剣であった。
だが数々の宿敵を切り裂いてきたその刃は、手応えなく――煙を斬るかのようにギルガノットの体を通過していく。
「ぐっ……!」
やはりラーニングしている。
バベルは更に目にも止まらぬ連撃を繰り出した。
――攻撃は空しく通り過ぎる。
次にレジストされぬよう、死角からの雷魔法を。
――攻撃は空しく通り過ぎる。
更に勇者のみが使えると言う、魔法を剣に宿らせ斬りつける技を。
――攻撃は空しく通り過ぎる。
そして、膨大な魔力そのものを衝撃波に変えて叩き付ける奥義を。
――攻撃は空しく通り過ぎる。
自分が持ちうる全ての力を浴びせ――
――ギルガノットに傷一つつけることも叶わず、魔剣ごと腹の中へと沈められていく。
勇者はギルガノットに飲み込まれながら考えた。
自分がいなくなって――誰がこの国を守るのだろうと。
それは彼の性格からすると珍しい――増長でも見下しでもない純粋な疑問であった。
咄嗟に脳裏に浮かんだのは、本来の守護者である龍ではなく――一人の学者の名前だった。
会ったことはない。
だがギルガノットと惹かれ合うように、何度も繰り返し出会う青年だ。
バベルもこの戦いに赴く際には彼の調査報告を読んできた。
淡々と書こうとしながらも、興味のままに脱線していく若々しく学者らしい報告書だ。
最低限の情報だけ欲しかったバベルは、10回目までを流し読みしただけだったが――
(もう少し楽しんで読めば良かったな……)
彼はあの黒い瞳に何を想っているのか。
鋸のような歯で体を刻まれる直前――
――今はただそれだけが気になっていた。
………………
ゴーストの力を得たギルガノットには、夜がそれまでと違う姿に見えた。
暗いけれど、暗くなく。
寂しいけれど、寂しくなく。
寒いけれど、寒くなく。
ギルガノットにとって見慣れぬ紫色の月ですら――見ていると何故か心が安らいだ。
わずかながらも沼にある、清く澄んだ水溜り。
そこには月が空と変わらぬ姿で映っている。
そして――――
ギルガノットはまるで惹き寄せられるように――その湖面の月へと吸い込まれていった。
◆
・ギルガノット調査書12
グラムオンでの偽死体事件。そしてこれまでの目撃報告から、ギルガノットが他社の能力や特性を奪う力を持つことがより濃厚となった。
エルフのレジスト、リザードマンの鱗、魔女の魔法、ジャイアントの怪力と、今までも大まかに調査対象の得た能力を記してきたが、ここにきて更に明確に被害者の技能を振り替える必要が生じたと言える。
特に私が今回詳細にまとめたいのは、3番目の被害報告である魔女姫ミィアラキスの"魔法"についてである。
希代の天才と吟われる彼女は、既存の四属魔法(火、水、風、土)全てを扱えたのは既に周知の事だろう。
実際調査対象も火魔法(ジャイアントの焦げ痕から)、水魔法の派生である氷魔法(スライムの断片から)を使っているのは認めなくてはならない事実である。
同じように風魔法と、土魔法も使えると考えて動くべきだと私個人は考える。
問題は彼女が魔女姫の称号を得るにあたり――それだけの功績と認められた"ある研究"についてだ。
これは魔女内での称号であり、研究の発表も一般には公開されていない。
分かっているのは『既存の四属性に属さない新たな魔法の開発』という研究内容――そしてそれが成功したことだけだった。
仮に魔女に詳細を訊ねたとしても、閉鎖的社会である彼女らが話をする可能性は極めて低い。
しかし私には対話に持ち込むにあたり勝算があった。
それは魔女姫ミィアラキスと直接話したときの、ある発言に関連している。
以下が当時の会話である――
『妾がこの称号を得たのは、基本の四属性魔法に加えて新たな属性魔法を開発したからじゃが――それだってただの副産物に過ぎぬ。まぁ、今度ゴーストに困ってるらしい"沼"の魔女どもに売りつけてやるつもりじゃがな』
沼のゴースト。
一般に静めることは出来ても、倒すことは不可能とされる。
つまりミィアラキスはその不可能を可能にしたのだろう。
実際これを元に知人の魔女にカマをかけたところ、彼女は驚くほどすんなりと詳細を教えてくれた。
――いや、彼女は聡明なウィッチだ。
こちらが探っていることを承知した上で、魔女姫の不祥事(※魔女連盟では沼の魔女と取引するのは違反行為にあたる)を隠すためにもあえて話した可能性が高い。
ともかくミィアラキスの魔法は判明した。
それは仮に"聖魔法"と名付けられている。
基本的に無害で無意味だが、ゴーストなどの"負のエネルギーそのもの"に干渉する属性らしい。
理論は魔導書として残されているものの、未だ彼女の跡を次いだ使い手はいないので、それ以上の事は彼女らにも分からないそうだ。
ミィアラキスは四属性魔法と思われているが、聖属性を加えて五属性魔法の使い手であった。
同時にギルガノットも同じであると私は推測する。
この情報が今後どのような役に立つか――あるいは立たないかは現時点で不明であるが、調査対象の討伐にあたり少しでも助けになることを願い、今回の報告を終えようと思う。
霞龍歴227.15.20
著:コバルト=ホライズン
「ふぅ……」
スピナは報告書を閉じて、目を休めた。
既に何度も読んではいるが、繰り返し頭に入れて馴染ませることで、戦闘中の思考の時間を減らすことが出来る場合もあるのだ。
相手が姿を見せないときは、こうしてイメージを固めるのが彼女の日課となっていた。
そして報告書を読むと分かる。
コバルトはただ知識があるだけでなく、柔軟な想像力を持っていることが。
それは経験だけではどうしようもない、ギルガノットのような未知の相手にはなくてはならない能力だ。
だけど彼は所詮は学者である。
スピナが今感じている勘のようなもの。
同じようにその事を感じ取るのは不可能だろう。
だから彼にあったら素直に伝えよう。
――この戦いの決着は近い、と。
根拠はないと言っても、きっとコバルトならば真剣に考えてくれるはずだ。
そんなことを思っていたら、いつの間にか来客がドアを叩いているようだ。
スピナは足取りも軽く、玄関へと赴く。
誰が来たかは分かっている。
もっともそれも、ただの勘であった。
★ギルガノット(種族ホオジロザメ)はサメスキル【幽体】を取得しました。
◎異世界サメメモ
この鮫は元々頭が良い個体であった。一説には海洋研究所での実験体が逃げ出したものとも言われていたが定かではない(そもそも種類が違うとの噂も)。
次話は明日(10/16)の22時に更新予定です。




