目撃情報06:ガーゴイル
ギルガノットはサメスキル【分体】を使った。
スライムから手に入れたそのスキルは、まず自身の水分に体液を混ぜてゼリー状にする。
それを口から吐き出したら、次は魔力をこめて自分の形へと変え――その時に一定の命令を組み込むことで、まるで命を得たかのように動き続けるのだ。
弱点としては持久力も耐久力もあまりなく、強力な攻撃を受けるか一定時間で崩れてしまうこと。
その代わりに、水さえあれば僅かな魔力で量産することも可能だった。
単純にして強力な数の力。
それこそがスライムが渓谷の主として君臨出来た理由でもある。
ギルガノットは数十の分体を作り終える。
先日のものとは違い、如何にも大量生産されたクオリティの低いコピーたち。
余程遠目で見ない限りは、すぐに本物と区別がついてしまうだろう。
だが今回はこれで良かった。
――どうせすぐに壊れるのだから。
ギルガノットは海の一箇所に分体を集めると、これまでで最大の魔力を練る。
それは発動と共に、爆発的な上昇気流を生み――海水ごと分体たちを舞い上がらせた。
――風上級魔法アップドラフト。
青天を穿つように分体たちは空を泳ぐ。
気流はやがて横へと傾き――
――その先にある大都市イアを目指して飛んで行った。
そしてギルガノット本体はゆっくりと海へ沈んでいく……。
◆
イアへ観光にやってきた人間族のカップル。
照りつける日差し。
彼氏は少し休もうかとトンネルへと誘った。
ひんやりした暗闇は一時のオアシスだ。
水を飲み、そろそろ行こうかと彼は言った。
二人は手を繋いで日の下へと戻る。
――眩しい。
彼女は一瞬目を瞑って天を仰ぎ見た。
――次はどこへ行こうかしら。
という彼女の問いかけ。
しかし彼は答えない。
口がなくては――手だけでは答えられない。
片手だけを残して、消えてしまった恋人。
彼女は悲鳴をあげた。
――急に曇って来たね。
話すのは獣人の子供たち。
先程まで焼けるようだった日の光。
それが僅かな間に陰りを見せている。
だが彼らは近所の悪戯好きグループだ。
悪天候なんて知ったこっちゃない。
いつもの4人組――いや4人と1匹?
――誰だよペット連れてきたのは。
全員が首を振る。
こんな怖い顔のペットなどゴメンだった。
こんな怖くて――口が大きくて――
雨より先に赤い雨が降り。
4人は3人に。
3人は2人に――。
――アイス一つ買うのにどんだけかかるの!
怒っているのはエルフの少女。
――待たせてごめんよ。
彼は多分兄なのだろう。
整った顔がそっくりだった。
――でもこんな大きいの買ってきたんだぞ!
兄は妹の機嫌を直そうと、手のアイスを差し出した。
しかし。
――た、確かに大きいけど……!
顔面蒼白になる妹。
兄の手にアイスは既になく。
代わりに怪物が尾を立てて食らいついていた。
大都市イアに突然の雨が降り出す。
人々は逃げ惑っていた。
無論雨になどではない。
それと共に落ちてくる恐ろしい捕食者。
その牙から逃げていた。
街は未曽有の大混乱。
次々と無差別に喰われていく人々。
種族、家柄、年齢、性別。
あらゆるものを超越して死は降ってくる。
一方、地面に落ちた捕食者は弾けた。
まるで水風船のように。
奴らは食うために襲ってきているのではない。
正に災害――正に天災でしかない。
やがて最初は生き延びた人の頭上にも彼らは訪れる。
恋人の手を握って泣く女性の元に。
友達が消え、座り込んで震える少年の元へ。
兄の死を直視できない少女の元へ。
彼ら彼女らに牙を持つ雨が降り注ごうとしたとき。
その間に何かが割り込んできた。
――バシャア
それが持つ剣は怪物を両断し、それらは水のように弾け飛ぶ。
人々は見た。
イアの上空にその姿を。
石造りの体。
鳥のような翼。
仮面を被り剣を携える。
人々は知っている。
その石像が普段は屋根に鎮座する守り神であることを。
今回、対ギルガノット用に調整された石像。
彼らは真っ直ぐに空からの脅威を見据えていた。
街を護る――その石像の名はガーゴイル。
「どうやら上手く動いたようで良かった……」
「空から来るのは想定外だったが――相性は悪くない」
それを仕込んだ二人組は屋根からその雄姿を見ていた。
コバルトとスピナ。
二人は既に先回りして、ギルガノットの襲来に備えていたのだ。
コバルトは鋼鉄の傘を差して呟いた。
「では、予定通り人間の逆襲と行こうか」
◆
ギルガノットの襲来前日。
イアの庁舎では町長と憲兵が口論を繰り広げていた。
「グラムオンでの惨劇を見ましたか!? イアでも対策を行うべきです!」
「隣町と言っても、あそことは距離も離れている。それよりも観光客が不安がらないかの方が心配だ」
「ここはグラムオンよりも海に近い。むしろ警戒すべきです。それに人口だって違う。もし海亡が現れれば被害は比較になりませんぞ!」
「君は人口の大小で優先順位を変えるのか?」
「今はそういう話ではないでしょう!」
結論も具体的な対策もあがらない。
あまりにも無駄な時間であった。
町長の対応はあくまでも冷たい。
「せめて海亡がこの街に来る根拠さえあれば、考えなくもないがね」
「そ、それは…………」
「いや、次来るのはこの街で合ってますよ」
突如現れた第三の声。
町長も憲兵も怪しいものを見る目で、訪問者を眺める。
「君は誰だね?」
「あー、俺は海洋学者のコバルト=ホライズンといいます。ちなみに横にいるのが騎士のスピナ=ターナー」
スピナはペコリと頭を下げる。
身元が分かったことで、彼らも少しだけ警戒を解くのが分かった。
「君が今噂になってるコバルトさんか。海亡を追ってるんだか追われてるんだかという」
「追ってるんです。いきなり言われて信じられないかも知れませんが、ギルガノットの動きを考えると、次はイアを通るのが一番可能性が高いんです」
「奴の目的地が分かるのか……?」
町長は再び怪しんでいる。
当然だ。まだその法則は(本気で探していないにしろ)龍ですら見付けていないのだから。
「えぇ、奴は海流に沿って移動しているんです」
「か、海流だと!? バカなことを」
確かに方角としては合っている。
西海岸から聖都への道のり。
だがギルガノットは内陸部であるティルシハやグラムオンに訪れているのだ。
「その2つも海流上にあるんですよ。ただし数百年前のですがね」
「なんだと!?」
「水位が下がって陸が増えたんです。ティルシハの河やグラムオンの渓流や地下水脈はその名残なんですよ。かつての海流はもっと内陸にあったんです」
町長は今度は驚くだけで、声をあげなかった。
スピナは事前に聞いていたが、それでも大胆な考えだと思う。
コバルトに数百年前の地図を見せられなければ、未だに疑っていたかもしれない。
「それで次はこの街に来ると言うのだな……」
「そうです。ただでさえ海に近い街ですから危険はこれまで以上ですよ」
町長は唸る。
それはコバルトの説に反論できないからに他ならなかった。
そして、数分の思慮の果てに答えを出した。
「…………避難勧告は……出さない」
「町長!!」
「だが代わりに警護を貸しだそう」
「警護?」
「そうだ。この街の守護神――ガーゴイルを」
◆
飛来するギルガノット分体はあまりにも多く、いかにガーゴイルと言えど完全には防ぎきれない。
それでも混乱する町民を勇気づけるには十分だった。
ただ逃げるのではなく、敵を迎え撃とうとする人々も現れ始める。
そう、エルフも獣人も本来は海獣に負けぬ力を持っている。
未知なるものへの恐怖が彼らの刃を曇らせていただけなのだ。
更にそれを支援するように、街にはギルガノット対策の放送が流される。
『海獣襲来中。すぐに屋内に避難してください。また海獣は一定以上の衝撃で飛散しますが、それでもある程度は動き続けます。足元にはご注意下さい。氷魔法――そしてレジストの使える方はそれらで完全に停止させる事も可能です。ご協力ください』
氷魔法とレジスト。
これは正にギルガノット自身からヒントを得た対策だった。
魔力で動くスライムを殺しきるのは難しい。
だからレジストで魔力を封じ、凍らせて動きも封じるのだ。
恐らくギルガノットが渓谷でスライムを倒したときも、同じ方法を使ったのだろう。
体に付着していた氷がその証拠だ。
「レジストお願い!」
「任せて――――せーの」
「レジスト!」
「フリーズ!」
二人のエルフが声を揃えて呪文を放つ。
すると地面に落ちても動き続けていた分体が活動を停止した。
同時に両魔法を使える者はエルフでも少ない。
だが、協力し合えば恐れることはないはずだ。
「もう一匹くるわ!」
「ふんっ、何度来たって同じよ――せーの」
「レジス――」
「フリー――」
――シュイン
エルフたちが魔法を唱えた瞬間だった。
更に大きな光が街の上空を、輪のように広がっていったのだ。
そして本来発動していたはずの魔法。
その全てがかき消されている。
これはもう氷と抵抗魔法の合わせ技なんてレベルではなかった。
魔力の限界値を超えたレジストは、周囲の魔力を根こそぎ消してしまうことさえ可能だと言われる。
正に伝説にのみ語られる――
「魔力現象消失魔法……」
「気をつけて! 空から何か降ってくる!」
叩きつける雨の中、そいつは降りてきた。
光の輪とその中央から差し込む日の光。
それに照らされて、キラキラと光る奴は天の使いのようで――
「え…………」
「きゃ――――」
つい漫然と天を仰いでいたエルフ二人を一口で飲み込み――
――そのまま地面へと着水した。
「ギルガノットの本体が来たぞっ!」
上がり続けた人々の士気は再び落とされる。
コバルトは何とか冷静に努めて分析をした。
そんな彼にスピナは聞く。
「地面に潜ったぞ!?」
「多分――土魔法マッドロードだ。本来は地面を泥化させる魔法だけど、奴の力がすごすぎるのか液状化してるみたいだな」
「チッ! 次から次へと」
「落ち着け、奴が火水風土の四属魔法を操るのは想定済みだ。それともいけないのか?」
「まさか、あまりに想定の下ばかりで驚いただけだ」
「じゃあ、次に顔を出したときがチャンスだ」
「――分かってる」
冷静に見れば、地面はゆっくりと横に波打っている。
水と違って魔法を使わねば進めない硬い地面。
動きは遅く、また読みやすかった。
やがて1人の女エルフの足元が膨らむ。
彼女は足が地面に埋まって動けそうにない。
そこに容赦なく牙が襲い掛かった――
「ギルガノットォォ!!!」
ギルガノットの牙が襲ったはずの場所に人はおらず。
代わりに一本の槍が投げつけられていた。
「スピナ! 刺さったけど傷は浅い!」
「見くびるなコバルト。ただの挨拶だ」
ビルの上から飛び降り、エルフを担ぐとまた飛んで槍を投げる。
スピナは神業に近いことをやってのけたが、それでは決定打にはならなかった。
コバルトは上からギルガノットの動きを追い続ける。
「また地面に潜ったか……!」
スピナは女性を無事安全な高台へと下ろしたようだ。
不意打ちは失敗に終わったが、手応えはあった。
コバルトは今回の作戦決行前――自らがスピナに話したことを思い出していた。
『ギルガノットは何でも出来るわけじゃない』
『それはそうだろう――神じゃあるまいし』
『――だけど、出来ることはかなり多い。だからこそ奴の能力を改めて把握すべきだ』
コバルトは紙に箇条書きでまとめていった。
①ラーニング、食べたものの能力を得る。
②鱗による環境適応。
③レジスト、魔法を無力化する。
④属性魔法、少なくとも火と水魔法は使うことが分かっている。
⑤スライムのような分身を作る。
『あの魔女姫の力を持ってるんだ。まぁ、風と土の魔法も使うとみたほうが良いだろうな』
『後は巨人から得た怪力か……』
『スピナはこれを見てどう思う?』
『そうだな――――』
スピナがギルガノット本体の出現を警戒していると、地面の一部が赤く光った。
――炎魔法フレアキャノン。
スピナ目掛けて真っ直ぐ飛んできたそれは――
「はぁ!」
彼女が持つ剣によって軽く弾かれていった。
コバルトはそれを見て安心した。
まぁ、スピナは自分で言っていたのだ。
『そうだな――どれも問題にならない』
――それが証明された。
その後も炎魔法と雷魔法が地面から放たれた。
毎回違う方向から。
更に速度に差をつけて敵を翻弄しようとしている。
だが彼女はまるでそれらが分かっているかのように、どんな死角から攻められようが次々と打ち落としていった。
「こんなものか! ギルガノット! こんな攻撃では海が干からびようとも私までは届かぬぞ!」
スピナはリザードマンと人間のハーフだ。
彼女の肌は二つの良さを掛け合わせた特別性だった。
僅かな風の流れも、魔力すら感知する触感。
鱗は魔法を受け流し、衝撃を緩和する。
野生に身を置いたように研ぎ澄まされた五感に、それを次の行動へと繋げる感受性に想像力。
そこに数百年に一人とも言えるほどの、戦闘の才が宿っている。
そんな彼女が戦う理由を見つけたのだ。
たかだか魔法を使う海獣一匹――敵であろうはずがない。
「む……」
「どうやら奴は魔法で仕留めるのを諦めて潜ったみたいだぞ」
激しい攻撃から一転。
地面は波すらなく、街から音が消えた。
だが液状化魔法は使い続けているようで、周りの建物がズブズブと地面に沈んでいく。
それでもスピナは欠片も動じなかった。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚。
当たり前の力を当たり前に全力で使い続ける。
それ自体が常人離れの集中であることを彼女自身は知らない。
そして激突の瞬間はやってきた。
「スピナ! 上だ!」
ギルガノットは沈み行くビルの壁から飛び出してきた。
どうやら静かに液状化しながら、壁を登っていたらしい。
だがコバルトが声を出す前に――既にスピナは構えに入っている。
ギルガノットが全速で空から牙を剥き――
「終わりだぁぁあああーー!!!」
スピナの剣がそれを切り裂いた。
「やったな!」
「――いや、まだ奴は生きてる!」
確かに手応えはあった。
体を切り裂き、そこから血が吹き出たのを見た。
だがギルガノットはまだ動けたようで、地面に潜っていったのだ。
「土魔法だけでは遠くまでいけないはずだ!」
コバルトはギルガノットの影を探した。
だが一向に見つからない。
もしかして潜ったまま力尽きたのか……?
ビルを降りてスピナの元へと急ぐ。
するとそこでは、スピナが地面を見下ろしていた。
「スピナ!」
「コバルトか……またやられた」
「これは……!」
そこにあったのは水道管だった。
確かに血がついているし、水ならば難なく逃走出来るだろう。
だが――――
「どうやってこんな細い水道管に……」
「私には……分からない……」
そこでコバルトは思い出した。
スピナとギルガノットが戦った場所。
その近くで獣人の子供が分体に襲われていたのを。
「獣人は人間よりも遥かに骨格構造が多い……。だから一見すると不可能なほどの狭い場所にも潜ることが出来るんだ。ギルガノットは恐らく獣人の子供の死体を喰ったんだろう。そして新たな力を得た奴は水道管に無理やり体を押し込んだんだ……」
「ねぇ……コバルト――」
気付くとスピナは泣いていた。
「また……倒しきれなかった……。これでまた大勢の人が殺される……!」
スピナは始め――父の復讐にとらわれていた。
その怒りは剣を――判断力を鈍らせた。
だがコバルトと共に動くことで、この事件に関わる多くの人を見て――少しずつだが彼女は変化している。
いや、今の言葉こそがむしろ騎士である彼女本来の想いなのだろう。
そしてスピナは自分自身を取り戻すと同時に、彼女が持ちうる力を十分に発揮できるようにもなっていた。
――コバルトはそっとスピナの肩を抱き寄せる。
「まだ終わっちゃいないさ。今は救っている最中なんだ。その証拠に――ほら」
スピナの元におずおずと近付いてきたのは、先程スピナが助けたエルフの女だった。
彼女はスピナに何度も感謝を言葉を告げると、イアの人々は同調するように拍手を贈った。
ここにスピナを責めるものは一人としていない。
コバルトは改めて彼女に告げる。
「次の街に向かおう。この世界を助けてやるために」
◆
聖都メリアス。
その王宮にある男が呼び出されていた。
彼は魔力耐性のある鎧を纏い、神を斬ったとも言われる魔剣を背に携えている。
その魔力は魔女やエルフを凌駕し、力は巨人をねじ伏せる。
――人々はそんな人間を"勇者"と呼ぶ。
本来は誰にも縛られず、自由の象徴とも言われる彼。
そんな男が王宮の一室に入るなり――膝をついて頭を垂れた。
【顔を上げなさい、――勇者バベルよ】
「はっ」
勇者が顔をあげると、そこには面をつけた女が立っていた。
心に直接訴えてくるような、美しくも力強い声だ。
【どうやら例の海亡が近くの沼地まで迫っているようです】
「沼地――堕ちた魔女と霊魂の住処にですか……」
【別に彼女たちは堕ちてなどいませんよ。ただ少しばかり趣味が悪いだけです】
「はっ、失礼いたしました」
【情報をくれたのはコバルトという海洋学者ですが――まぁ裏はないでしょう。単に私たちに気をつけろと言っているのでしょうね】
「それで、俺は何をすれば?」
【――言うまでもないでしょう?】
「――そうですね。言うまでもないです」
勇者バベルはそれだけ言うと立ち上がり、女に背を向けた。
面の女はその背に問う。
【――して勝算は?】
「――俺が勝てなければ、世界中どこにも勝てる者はいないでしょうから」
そこで彼は「おっと危ない。忘れてた」と付け足した。
「美しき龍よ――貴女を除いてはね」
★ギルガノット(種族ホオジロザメ)はサメスキル【柔軟】を取得しました。
◎異世界サメメモ
ホオジロザメは本来固い骨のない軟骨魚類であるが、【巨力】を得たこの鮫の骨格は哺乳類に近いものに変化している。
次話は明日(10/15)の22時予定です。




