目撃情報05:スライム
1匹のスライムがいた。
ここはフリムローダ内陸部グラムオン。
乾燥した何もない谷が続く土地だ。
豊かな土地が大半を占めるフリムローダに来て、わざわざここを訪れる者は少ない。
もっとも人が寄りつかない理由はそれだけではなく――
スライムは渓流に来ていた。
このスライムの種族――グリーンスライムは特別な力はあまり持たない、最もスライムらしいスライムである。
代わりに生命力は高く、一度水を飲むだけで半月は生きていける。
この日もいつも通りに水を飲みに来ていただけだった。
だが川に近付いた時――何かに見られている。
そんな気配を感じ取った。
「…………」
スライムはゆっくりと水から後ずさる。
これで"そいつ"も気付かれた事を悟っただろう。
このまま互いに交戦することなく終われば良いが――
――しかし"敵"はそう甘くはないようだった。
――バシャア
"敵"は水から跳ねて、スライムに食らいつく。
大きく、素早く、躊躇のない攻撃。
スライムは避ける間もなく一口に喰われた。
――かに思えたが。
襲撃者――ギルガノットは噛んだ瞬間に気付く。
それが既に偽物と入れ替わっていたことに。
グチャっとした感触。
そこに生命の気配はない。
本体は既に、体積を増してギルガノットの背後に忍び寄っていた。
「――――!!」
巨大なギルガノットの体を覆う、更に巨大な緑の流動体。
抜け出そうと必死にもがくも、その柔なる牢には何の意味もなかった。
やがてスライムは巨体の全てを封じ込め、渓流には静寂が戻る。
――そう、ここは最恐たるスライムの支配する不可侵の谷。
美しい渓谷は今日も人を遠ざける。
◆
コバルトがグラムオン憲兵待機所を訪れると、中から猛々しくも美しい怒声が聴こえた。
つい先日も聞いたばかりのこの声は――
「嘘をつけ! これは何かの間違いだ!」
声の主は案の定――スピナだった。
彼女もコバルトと同じ号外を見て飛んできたのだろう。
そう思っていると、正にその紙を憲兵に付きだして訴えだした。
「ギルガノットの死体が見つかっただと!? あいつはそう易々と野たれ死ぬ程間抜けではない!」
「そうは言いましてもねぇ――えーと、リザードマンのお嬢さん」
「スピナ=ターナー。フリムローダ第四騎士隊46期訓練兵として登録されている。私には真偽を確かめる権利があるはずだ」
――彼女は騎士だったのか。
どうりで強いわけだ、とコバルトは思った。
いや、悪手だったとは言え近衛兵であるザルバが手も足も出なかったのだ。
この実力は訓練兵などというレベルではないだろう。
だが、対応する憲兵は彼女に冷ややかな視線を送る。
「んー、女で――そしてリザードマンの半人……。おまけに市民の出とは、さぞかし苦労して訓練兵になられたのでしょうねぇ。でもねぇお嬢さん。そんなもの貴族ならば、10歳の少年でもなれるのですよ? 言ってることもまぁ子供と大差ないようですがねぇ。ほほほ」
「貴様――!!」
「やめろスピナ。つまみ出されるぞ」
コバルトは咄嗟に剣に手をかけたスピナを制止した。
彼女は一瞬驚き、次に忌々しげな顔を向ける。
「学者! 貴様にも関係ないだろう!」
「いーや、なくもない――憲兵さん、俺はコバルト=ホライズン。海洋学者です。今日はギルガノットの死体を見せてもらいたくお願いに来ました」
「これはこれは。しかしねぇ、こちらが回収した物を市民に見せるわけには――」
「残念ながら憲兵さんに俺たちを止める権利はない。憲兵で死体の管理が許されるのは人間、あるいは規則として"亜人"に含まれる者だけです。海獣や動物、魔物の類に法的秘匿の強制力はない」
「な――」
動揺する憲兵にコバルトは畳みかける。
「更に俺は調書を出した以上、それが目撃情報と合っているかを確認する必要がある。そして彼女は二人目の被害者であるスパイクル=ターナーの娘――紛れもない事件関係者です」
「……くっ」
「少し見るだけですから心配しなくて良いですよ――これでも通して貰えませんか」
憲兵は悔しそうにしていたが、どうやら強制力がないのは本当らしく、死体が置かれている中へと通してくれた。
「ふんっ……別に嘘は言っていない。奴の死体なのは誰が見ても明らかなのだ。無駄なことをしているんだぞ」
「無駄かどうかは俺たちが決めるので――自分の仕事頑張ってください」
コバルトが奥へ進もうとすると、後ろからスピナが呼び止めた。
「待て! 海洋学者!」
「見に来ないのか?」
「私に恩を売って、何が目的だ……」
スピナには分からなかった。
彼女はむしろコバルトを邪険に扱ってきたはずだ。
嫌われこそすれ、助けてもらえるのは不可解でしかない。
だがコバルトからすれば、彼女の言い分こそ見当違いだった。
「別に規則を無視してやってるなら止めるさ。でも今回間違ってるのは憲兵の奴らだ」
「私はお前が嫌いだと言ってもか?」
「俺のほうに嫌う理由はないなぁ……」
何を言っても響かないコバルトに対して、いい加減スピナは馬鹿らしくなり「もういい!」と言うとムスッとした顔で後から付いてきた。
「こうなったら利用できる限りは利用させてもらうぞ」
「どうぞ」
こうして海洋学者と半竜の奇妙なコンビは宿敵の元へと進んでいく。
◆
「…………」
「そんな……」
二人の前には巨大な死体が横たわっている。
獰猛な牙に人形のような瞳。
間違いない――ギルガノットだ。
近くには無愛想な憲兵の検死官が立っている。
彼は手元の調査書をつまらなそうに取り上げる。
「あー……まだ解剖はしてないので何とも言えないですが、これが生きていないことだけは確かですな。見たところ窒息が有力でしょう。元々海の生き物が渓谷にいること自体がおかしいんですよ」
スピナは絶望したような顔をしている。
彼女の目から見ても、それは死んでいるようにしか見えなかったからだ。
だがコバルトだけは、死体そのものを見ていなかった。
彼が見ているのは、死体の周りにあった小さな欠片だ。
「これは……氷の欠片?」
「あー、多分死体にくっついてきたんでしょう。私も鉱物には詳しくないのでよく分かりませんがね」
「くっついてきた……」
鉱石? 違う。
コバルトには見覚えがあった。
だがもしそうだとするならば……。
ある仮説が浮かび上がってきたとき――突然スピナが走って部屋を飛び出した。
「スピナ――!?」
彼女は今混乱しているようだった。
ここは国の役人の巣窟だ。
下手なことをすればコバルト諸共罰に処される可能性がある。
彼女自身の為にもそれは避けたかった。
「スピナちょっと止まれ! あ、検死官さん。この死体ですけど早く――でも気をつけて解剖したほうが良いと思います。出来るだけ警護を呼んでから」
「はぁ、言われずとも解剖しますけど」
部屋を出て廊下を走る。
スピナの姿は既に見えない。
だがそんなに広いわけではない憲兵待機所だ。
虱潰しに探せばすぐに見つかるだろう。
何度か角を曲がると、やがて中庭へと出る。
緑の庭園に、龍を模した噴水。
無骨な待機所には似つかわしくない美しい庭だった。
――その噴水の淵にスピナは座っていた。
「……何でも数年前に龍が視察に来たとき、突貫で作った中庭なんだってよ。部屋ならまだしも庭だけ整えてどうするんだか」
「何をしにきた? もうつるむ必要もないだろ?」
「それなんだけどなぁ――ちょっとこれを見てくれ」
コバルトは先程の氷の粒を見せた。
スピナは怪訝な顔をする。
「……? これがどうした?」
「これはただの氷じゃない――スライムの破片だ」
「スライム……?」
「前に死んだ海獣の胃袋から似たような物が出たことがある。本体から離れたスライムの体の一部が氷海で冷やされると、こういった氷の粒が残るんだ。色からするに――これはグリーンスライムかな?」
「だが渓谷がスライムの生息地なことぐらいは私でも知ってるぞ。むしろ窒息の原因がスライムだと思えば得心がいくが」
「その可能性もある――だけど俺は別の可能性のほうが高いと思っている。それは――」
……………………
………………
―――一方。
コバルトがスピナと話している時。
ギルガノットの死体は検死官の手により、ついに解剖されようとしていた。
「まったく、たかが腹を開くだけなのに、何故私まで同行しなくてはいけないのか……」
「まぁちょっとだけなので付き合ってくださいよ」
検死官は結局入り口の憲兵一人をこの場に呼んだ。
海洋学者はもっと警戒しろと言っていたが、いつも一人でやっている仕事――これでも十分すぎる備えだ。
「では――メスを入れます」
(……あれ?)
検死官は死体の腹にメスを刺した瞬間。
その感触にとてつもない違和感を覚えた。
まるで泥を切っているような――皮膚とは思えぬ触感。
そして、腹から中身が出てきたとき。
違和感は恐怖感へと変わった。
「こ、これは……!?」
「スライム!?」
腹からドボドボと溢れ落ちたのは、青色をしたスライムだったのだ。
ギルガノットがスライムを喰ったのか?
いや、そうではない。
最初に切ったときの違和感――おそらくこれ自体が……。
「おい……その死体今動かなかったか……?」
「そんなまさか……これはただの死――うわああぁぁああー!」
検死官は悲鳴をあげた。
彼らが死体だと思っていたソレが動き、そして襲ってきたのだ。
後日。
憲兵の待合所で10数名の死体が見付かった。
それらは全て喉を裂かれるか――あるいは窒息して死んでいたという。
…………………………
………………
「それは――」
コバルトが死体の謎を話そうとしたとき、スピナの背後に黒い影が現れるのを見た。
「危ない!!」
「えっ――――」
咄嗟にスピナを自分へと引き寄せる。
その直後、彼女の頭があったところを巨大な口が通りすぎた。
「今のはまさか――――」
「そうだ――本物のギルガノットだ!」
ギルガノットはそのまま翻ると、再び噴水の中へと戻っていく。
どう見ても逃げ場のない小さな噴水だが、一度潜ったギルガノットは浮上することなく、泡のように消えていった。
後にはややホッとするコバルト。
そして呆然とするスピナが残された。
「一体何が起こっているんだ……?」
全く現状を理解できないスピナ。
対してコバルトは噴水の底を確認していた。
「やっぱりか……」
「海洋学者っ! どういうことだ!」
「……一つずつ説明していこう。まずこの噴水の下を見てくれ」
スピナは訝しげな表情を浮かべつつも、彼の言う通りに噴水の底を覗き込んだ。
そこには――――
「あ、穴!?」
「簡単だろ? 奴は単に噴水を底を喰い破って襲ってきたんだ」
「そこまではどうしたんだ!? 土を掘ってきたとでも言うのか」
「それもあるだろうけど、この渓谷近くの町グラムオンには地下に長く水脈が流れている。住民が井戸から汲み上げているのもそれだ。恐らくは海から水脈に侵入――そのままこの直下まで泳いできたんだろう」
聞けば簡単だが、勿論並みの生物では不可能だ。
既に奴は超生物と呼ぶに相応しい化け物になっている。
「…………そもそも、ギルガノットは死んだはずだろう。だったらさっきのは何だったんだ」
「まだ確定した訳じゃないが、今襲ってきたのが本物で、さっきの死体はギルガノット自身が作った偽物だったんだ」
「偽物!?」
ここでコバルトはティルシハでも考えていた仮説を初めて口にする。
「気付いているか知らないが、奴は食べた相手の力をコピーしている。恐らくは喰ったんだ――スライムを。そして新たな能力を得た」
「まさか……ラーニングなんて高位のエルフでも珍しい能力だ。いや、仮にそれが事実だとするなら、スライムの能力はもしかして――」
「そう、自分の体を増殖させる力だ」
正確にはそれは増殖ではない。
水分と体液を混ぜて自分と同じ姿を作り出し、それを魔力をもって指示通りに操る。
スライムが増えたように見えるのも、巨大化したように見えるのも全てはこの応用だった。
その分身はあくまでも魔力で動いてるだけで、臓器も生命もない。
指示を果たせば水のように溶けてしまう。
「ギルガノットはスライムの力で自分の死体を作り出した。既に役目を果たした死体なら良いけど……もし死体のフリをする指示だとするなら、検死官も既に危ないかもな……」
「そんな…………」
スピナは膝をついて顔を覆った。
「私たちはただ奴の手のひらの上で踊らされていたのか……!」
「――――いや、そんなことはない」
コバルトは特に強がる様子もなく、当たり前のようにそう言い切った。
「ギルガノットの成長速度と、俺たちが得ている奴の情報の量――今のところ互角だと思う――――戦いはこれからだ」
◆
フリムローダで一番大きな都市は、言うまでもなく聖都メリアスである。
だが二番目はどこかと言えば、それは大都会イアであった。
建ち並ぶ巨大なビル。
整備された街路樹の間を馬車が行き交う。
活気と欲望が渦巻く摩天楼だ。
「あら、あれは何かしら?」
そんな街の外れ。
郊外で何かが大空へと舞い上がるのが見えた。
風で木の葉が飛んでいるのか。
それとも――――
★ギルガノット(種族ホオジロザメ)はサメスキル【分体】を取得しました。
◎異世界サメメモ
本来ホオジロザメは泳ぎ続けなくては呼吸が出来ないが、この個体はサメスキル【適応】を入手した時点で――何らかの魔力的作用によりそれは克服しているようだ。
次話は明日(10/14)の22時投稿予定です。