目撃情報04:ジャイアント
未知の生物ギルガノットの手配書は国中に広がった。
大都市から端の田舎町まで。
それはフリムローダで唯一雪に閉ざされた地域――凍土ティルシハも例外ではない。
僅かな住民が暮らす小さな村。
その中の一軒に投函された号外を受け取る為に、その家の住人はポストを摘むと――中身を振って出した。
そして窮屈そうに家に入ると、彼の爪ほどの小さな手配書をじっと見る。
無論、郵便物が小さいのではない。
――彼が大きすぎるのだ。
それに正確に言うならば、彼はここの住民ではなかった。
本来の家主は足元――氷の下で眠っているだろう。
巨大な彼らは半年前にこの村を襲い――家々を奪って暮らしている強盗なのである。
巨人族。
巨大にして剛力。
鈍重のようで俊敏。
粗野で乱暴を併せ持つ他国の亜人種。
――と言われているが、それはあくまでも噂。
亜人差別を含む伝承のようなものだ。
――だが、この国に渡って来た彼らは正に巨人族の体現だった。
故郷で人を殺し、盗みを働き、あげくに船を奪って国外へ逃亡。
そしてフリムローダに流れ着き、今に至る。
「…………ン」
留守を守る巨人の元に、食料調達をしていた仲間が帰ってきたようだ。
無口な彼は(全員無口だが)少しだけ唸ると、小さな海獣をテーブルに投げ置いた。
「…………スクナイ」
「………………」
彼らは全員で4人。
そしてこの食料は1人の腹を満たすにも足りない。
欲望のままに生きてきた彼らの現状は、あまりにも貧しい暮らしだった。
だがそれは仕方ないことなのだ――
――そう、龍から逃れるためには。
フリムローダはその全域が常に龍に監視されている。
龍は世界を俯瞰して視ているからだ。
だが、そんな龍にも苦手なものが2つあった。
1つは穢れ多き悪魔の闇の世界。
もう1つが正にここ――極寒の地ティルシハだった。
――龍は寒さに弱いのである。
対して巨人族は寒さには滅法強い。
この村は隠れ家としてうってつけだったのだ。
暮らせないことはない。
しかしこの食糧不足だけはどうにも耐えがたかった。
――コンコン
ドアを叩く音。
どうやらもう1人仲間が戻ってきたようだ。
恐らく水を調達しに行った奴だろう。
水だけは――一度暖める必要はあるが、いくらでも手に入るのが氷の地の良いところである。
「…………?」
何か様子がおかしい。
ノックの後、そいつはフラフラと中に入ってきた。
氷が余程重いのか?
そう思って手伝おうと立ち上がると――
「アアバアアバアバババアバババババ」
帰ってきた巨人の頭がパカっと割れ、そのまま体が半分に引き裂かれていく。
「エ……ア……」
何が起きたのか理解できずに狼狽える巨人族。
血が家の中を満遍なく染める。
巨人の臓器が勢い良く壁に当たり、そのままズルズルと落ちていく。
やがて噴出す鮮血の中に"犯人"のシルエットが浮かび上がってきた。
流線型の体。
大きなヒレ。
巨大な口。
1人が手に持つ手配書とつい見比べる。
「ギルガ……ノット……!?」
氷の海を渡り、彼らの"死"がやって来た。
◆
コバルト=ホライズンは半ば強引にその馬車に乗せられた。
「ホライズンくん! 案内は任せたぞ!」
威勢良く出発の号令をかけたのは、近衛龍旗兵のザルバと言う男だ。
役職名が示す通り龍を警護する上級憲兵なのだが、この自分勝手で強引な物言い――どうにもコバルトは好きになれそうにない。
だが馬車に乗ってしまった以上は覚悟を決めるしかなかった。
二人は極寒の地ティルシハへと走る。
(はぁ……そもそも何故こんなことになったのか)
……………………
つい先ほどまで――
コバルトは先日の魔女の森事件の証言のため、王宮まで足を運んでいた。
ちなみに証言はこれで5度目だ。
相手を変え質問を変え、同じような話を繰り返す。
一応はミィアラキス殺害の疑いもかかっているので、当然と言えば当然なのだがさすがに辟易していた。
そんなときにあいつが現れたのだ。
「仲間ガ……クワレタ……!」
「…………!」
人間ではない巨大な体躯。
――ジャイアントだ。
だがコバルトが驚いたのは彼の大きさにではなかった。
「大丈夫か! 誰か治療を!」
その巨人の腹は半分近くが抉れてなくなっていたのだ。
「ソレヨリモ……ティルシハへ……」
「もう喋るな!」
彼はそれだけ伝えると安心したのか、コバルトの呼びかけも虚しく息を引き取った。
巨大なその手には紙切れが握られている。
コバルトは焦れたようにそれを手にすると、既に見飽きるほど読んだ――あの怪物の手配書であった。
「これは――――」
「これは……海亡ギルガノットの新たな被害者か!」
そこに声高々と台詞を被せて現れたのは、自信に満ちた顔、鍛え抜かれた筋肉――いかにも武人といった面持ちの男だった。
「私は近衛龍旗兵のザルバだ! 君は確か第一目撃者のコボルト君だね」
「コバルトです」
「おっと失敬! ちょっと資料をまだ読みきれていなくてね。コバルト=ホライズン。まだ24歳で海洋学者とは優秀じゃないか!」
ザルバは全く読んだ形跡のない綺麗な資料を、パタパタと振りながらコバルトの肩を叩いた。
「別に……。学界からは除け者にされてますし、仕事もほとんど入らないハグレ学者ですから」
「そうか! 暇なら良かった!」
コバルトは"良かった!"どころか嫌な予感がした。
「目撃者本人の案内なら心強い! ティルシハまで行ってギルガノットを退治しようじゃないか!」
………………
…………そして、今に至る。
「ハ……ハ……ハクショムッ! ホライズン君寒いぞ」
「もうティルシハに入ってますからね」
入り口には神を奉っているのか、ただの家の跡地なのか木彫りの柱が残されていた。
龍の目から逃れたこの地は独特の文化が残っていると聞くが、民族学者ではないコバルトにはどうでも良いことだ。
彼がその時思い出していたのは、先程の巨人族の傷跡である。
(ただ抉れていただけじゃない……あれはどう見ても黒く焼け焦げていた)
それだけではない。
あの巨人は鉄で出来た鎧を身にまとっていたはずだ。
だがそれすらも、まるで熔けたように穴が空いていたのだ。
本人の食われたという証言、そして手配書がなければ別の犯人を想像していたかもしれない。
――まだ謎が多すぎる。
コバルトが思考を巡らせていると、それを遮るかのようにザルバの呼ぶ声が聞こえた。
「おーい! 大変なものを見付けたぞコバルト君!」
その声には先程ほどの余裕はない。
コバルトも不安を抱えながら彼のもとに向かうと、そこにあったのは――――
「うっ…………!」
巨大な死体が3つ。
考えるまでもない。
先の巨大の仲間だろう。
さすがに全ては食べきれなかったのか、死体は無惨に食い散らかされていた。
だがどれも内臓と脳は綺麗に平らげてあるようだ。
そして――意外にも、奴はまだそこにいた。
最初は気付かなかった。
だが空っぽになった巨人の体を血の器にし、赤いプールを悠々と泳ぐヒレが一つ。
コバルトの中で先日の魔女姫の叫びが呼び起こされる。
間違えようがない――ギルガノットだ。
そして奴はもうこちらに気付いているだろう。
「あれが例の海獣か! ホライズンくん下がってなさい!」
ザルバはそう言うと、剣を抜いて構えた。
その瞬間彼の周りの空気が変わる。
洗練された静かな構え。
あんな性格でも近衛兵――その実力が相当なものであることが、素人であるコバルトにも伝わってきた。
ギルガノットも戦闘体勢に入っている。
奴はいつ飛びかかってきてもおかしくない状況だ。
だが先手を打ったのはザルバ。
その攻撃は――予想外のものだった。
「我が宝剣を汚すまでもない! これで安らかに眠るが良い――ライトニング!」
ザルバが放ったのは――雷魔法だ。
その後はあまりにも予想通りのものだった。
先日見たばかりの光――レジストによって無効化される魔法。
そして術者が驚く隙をついて――
――ブシュウ……
血の池から飛び出したギルガノットは、ザルバの右腕を肩から喰い千切るとそのまま氷の湖に飛び込んだ。
腕のあった場所からは噴水のように血が吹き出る。
――やっぱり報告を読んでなかったな!
コバルトは心の中で憤ったが、どうしようもないほどに手遅れだと悟る。
「あれ、あれ、うーむ、おかしいな……」
ザルバは叫びこそしなかったものの、焦点を失った虚ろな眼でキョロキョロと周りを見回した。
「えーと、調書……そうだ調書を読まねば! 確か内ポケットに――うーむ、腕がないとどうにも取りづら――――おっとぉ!?」
――ガキン
ポケットを探るザルバに容赦のない噛みつき。
だが近衛騎士の意地だろうか。
彼は咄嗟に剣を立てると、ギリギリのところで口を塞いだ。
本来ならば剣が口内を突き破ってもおかしくな――しかし。
「お……おおぉぉおおー!!」
剣は突き刺さるどころか、ミシミシと音を立てて曲がっていく。
そしてコバルトはある違和感を覚えた。
(何だか……前よりも大きくなってないか……?)
この前見たときは一瞬だった。
それでも違いが分かる程に――間違いなくギルガノットは巨大化している。
ザルバの剣は位の高い名剣なのだろう。
だがギルガノットの顎は今もなお力を増しているようで、筋肉の固まりとも言える口は宝剣を老木のようにへし折り――――
「調書を……! 調書を読んでさえいれ―――――ばぁああーっ!」
ザルバの上半身を剣もろとも引き裂いていった。
「お前はもしかして――――」
コバルトは巨大化したギルガノットを見て、先日の自分の仮説が誤りだったと気付く。
これは進化などではない。
かといって成長でもなく。
ましてや鍛練の成果でもない。
今までのこいつの能力を思い出す。
エルフのような抵抗魔法。
リザードマンのような適応力。
そして、ジャイアントのような体躯と力。
もしかすると――――
「――――喰った者の力を学習している……?」
ギルガノットは――返答の代わりにジロリとコバルトを睨む。
どうやら次の餌は決まったようだ。
――不思議とコバルトに恐怖はなかった。
あるのは純粋な疑問だ。
これだけ食べてもまだ満たされないのか?
そもそも空腹だから襲うのか?
恨みか?
快楽か?
スローになる思考の中で、次々と疑問が浮かんでは消えていく。
――――――――
「ははっ……!」
そんなことを考える自身につい笑ってしまった。
何だ、自分もちゃんと学者じゃないか。
(最期にそう思えただけでも良かった……)
――ギルガノットは氷の水面から跳躍する。
本来ならば目で追うのがやっとの速度。
だが死に際の彼にはそれすらもゆっくりに見えた。
だからと言って避けられる気はしない。
そしてついにコバルトの喉元に牙が届こうとしたとき。
――ザク
突如、空から降ってきた三叉の矛がギルガノットのヒレを突き刺し、そのまま地面へと貼り付けた。
ギルガノットの表情は変わらず、あげる声もない。
だがヒレから流れる赤い血が、決して無傷ではないことを証明している。
(そういえば……あいつがダメージを受けているのを見たのは初めてだ……)
そのことに驚いている暇はなかった。
次に空から降ってきたのは、その矛を投擲した者だ。
彼女は華麗に氷の大地に着地すると、腰に差した小刀を取り出してギルガノットの鼻先へとそれを突き立て――叫んだ。
「死ねギルガノット――父の仇!!」
その突きは決まったかに見えた。
だが――
「――くっ! 仕損じたか!」
彼女が悔しそうに見る先に既に奴の姿はなく――
代わりにそこには先の溶けた矛があった。
コバルトは巨人の鎧を思い出す。
あの時は分からなかったが、今ならギルガノットが何をしたかは想像がついた。
金属を溶かし、強靭な巨人の肉を焼ききる力。
――火属性魔法。ミィアラキスの力だ。
ギルガノットはどうやら何処かへ逃げ去って行ったらしい。
酷い惨状だが――追い返すことが出来たのは、今までを思えば僥倖だった。
それも全て彼女のおかげだ。
「助けてくれて、ありが――」
「礼はいらない。言われる筋合いもない」
感謝を述べようとしたコバルトに、あまりにも刺々しい女だった。
「私は私の復讐と信念の為に行動する。助けられた弱者の心内など知ったことじゃない」
「君は一体……」
そこでコバルトは気付いた。
むしろ何故今まで気付かなかったのか。
後ろから見た彼女の腰には尻尾があったのだ。
そして薄っすらとだけある鱗と、龍の眼のような黄色く鋭い瞳。
彼女はもしかして――
何度も読み返した被害者のリスト。
その片隅に記憶が辿り着く。
コバルトが答えに至ったと悟ったのだろう。
彼女は名乗った。
「そう、私の名前はスピナ=ターナー。母は都の普通の人間、そして父は――死んだリザードマンの海難救助員――スパイクル=ターナー。私はその娘だ」
◆
――半日後。
コバルトはヘトヘトになって自宅に帰った。
今日だけで、どれほどあの世へ渡りかけただろうか。
同時にまた自分だけ生き残ってしまった、不思議な因縁も感じる。
「因縁――因縁か……」
コバルトは人間とリザードマンのハーフ――スピナの言葉を思い出す。
『その卑しい眼……お前は学者か何かだな。何の因果でここにいるのかは知らないが、これ以上ギルガノットには関わらないでもらおうか』
コバルトはさすがにムッとした。
どうして、後から来た彼女にそう言われなくてはいけないのか。
スピナはそれを聞いて、フッと馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
『分からないのか? それはお前に奴を殺す気がないからだ。――いや、それどころか何故殺す必要があるのか、とすら思っているな』
コバルトは何も言い返せなかった。
むしろ、自分の中の違和感を説明されたとさえ思ったのだ。
襲われた被害者とも違う。
自分の力の誇示と名声のためでもない。
復讐も何も恨みがない。
なのに今は関わりたいと思っている。
『分かったか? ならばもう首を突っ込まないことだ。あいつは――ギルガノットは私がこの手で仕留める。殺してやる。――必ずだ。』
それだけ言い残すとスピナは何処かへ走り去っていった。
確かに興味だけの自分よりは、よっぽど彼女のほうがふさわしいだろう。
――だが、それから3日後。
コバルトもスピナも行ったことのない場所。
関わりすらない――スライムの谷。
そこで、ギルガノットの死体が発見されたのだった。
★ギルガノット(種族ホオジロザメ)はサメスキル【巨力】を取得しました。
◎異世界サメメモ
今回泳いできたのは、あくまでも凍土を流れる川であり、決して雪の中を泳げるわけではない。
次話更新は明日(10/13)の22時予定です。




