番外編「嵐の魔女」
少しだけ昔の話。
ここは水の国フリムローダ王国。
龍――人によっては龍神と呼ぶ絶対生物が統治する国だ。
観光客が溢れる西海岸。
花の都――大都市イア。
龍の住まう聖都メリアス。
どこも見た目麗しい町々だ。
しかしの物語はそれら水の都市は関係ない。
西海岸と凍土ティルシハの中間。
その小川を上って行けばやがて森に辿り着く。
晴れやかな海とは違い、暗くジメジメとした緑の牢獄。
人々はそこをただ"森"と――
あるいは暮らす種族を指してこう呼ぶ――
――魔女の森、と。
◆
「えー、つまり凍土ティルシハは先代魔女の氷魔法研究の終着点であり、同時に龍に対する氷の限界を実証することにもなったのです――えー――あれ、そこの席が空いてますね」
「先生授業の最初から空席でしたよ」
「そうですかそうですか。して誰の席かな?」
「――ミィアラキスさんです」
「……またですか。そんなに私の授業が聞きたくありませんかね……」
「先生! そんなことはないです!」
「そうです! それは私たち全員が知ってます」
「お前たち……」
「ミィアラキスさんはどの授業も万遍なくサボってます!」
「…………」
魔女の森の人口は決して多くない。
だから学校も一つだけだ。
聖森魔術学院。
大層な名前がついているが、一つしかないので魔女たちは単純「学校」とだけ呼んでいる。
学費は無料。
そして12歳までは義務教育である。
そこからは研究室に入り、各々魔法や歴史の勉強に励むことになる。
授業の科目は――
属性魔学――基本四属性魔法の座学。
属性実学――基本四属性魔法の実践練習。
薬学――魔法薬の座学と実験。
自然学――自然現象について。
国学――フリムローダ王国について。
魔女史――魔女の歴史について。
滅龍学――龍について。
――とおおよそこのようなカリキュラムで構成される。
これは魔女の森が出来た古来から変わっておらず、そして誰もが変える必要もないと考える時間割だ。
たまにこれに抵抗を示す魔女もいる。
だが彼女らは漏れなく成績不振で卒業と同時に"沼送り"にされてしまうのだ。
だからほとんどの生徒は真面目に――少なくとも表面上は逆らうことなく過ごしてきた。
しかしどんな時代にも異端児は現れるもので――
「ミィアラキス、何やってるの?」
ツィーは8歳の魔女の卵である。
成績は下の中。
得意魔法は土属性。
両親は魔法薬草の栽培をする農家の一つ。
性格は臆病だけど鈍感。
どこをとっても普通の少女だ。
いや、一つだけ変わった所があるとすれば――友達の選び方だろうか。
彼女が呼びかけているのは、深く深く掘られた穴の底だった。
「む……その声はツィーか」
中からツィーと同じくらいに幼い声が返ってくる。
反響からするに相当深くまで掘られた穴のようだ。
「どうしたのー? 落ちて出られないの?」
「妾は落ちてなどいないぞ。掘ってるのだから当然じゃの」
穴の中の声はどこか年寄り臭い喋り方だ。
その話し方だけでもクラスから浮いてしまうのが目に見えるほどに。
ツィーは彼女の言っていたことを少し考える。
穴を掘り進んでいる以上は落ちた事にはならない。
つまり彼女は何の心配もいらないと言う事だ。
「なら良かったー」
「お前は単純じゃのう……」
「でも何してるの?」
「うむ、話が進まないから説明しよう」
「ありがとー」
「まず属性魔法と言うのがあるじゃろう――」
穴の声は説明した。
属性魔法と言うのは単純に魔力だけで威力が決まるわけではない。
使う者の素質。
あるいは環境にも大きく影響するのだ。
だから水の多いこの国では水魔法が強く。
また水に弱い魔女は必然的に弱くなってしまう。
それは誰でも授業で習うことだった。
「それは知ってるけど」
「さてもう一つ。ティルシハの氷と呼ばれる魔法がある」
「あ、さっき習ったやつだ」
「遅れとるのー。してどんな魔法かと言うと――」
龍は氷に弱い。
だから昔の魔女は躍起になって氷魔法を極めようとした。
その集大成が"ティルシハの氷魔法"だ。
数十人もの魔女が集まり、何か月も時間をかけて練り上げた極大の氷魔法。
それは街一つを永久凍土に閉ざし、今も尚極寒の地として存在している。
「――それでも龍は倒せなかった」
「あれ? 授業では効果ありって言ってたよ?」
「現に龍は生きておるんじゃから失敗じゃろ?」
「それもそうか」
そう、結果として龍は倒せなかった。
ただ僅かばかりの足止めと、そして龍の千里眼の届かぬ地が出来ただけだ。
もっとも住むには寒すぎて、一時的な極秘取引にしか使えなかったのだが。
とにかく結果としてそれは失敗に終わった。
――氷魔法では龍を倒すことは出来ない。
その悲しい記録だけが歴史に刻まれることとなった。
「魔法にはある種の臨界点が存在する」
「りんかいてん?」
「そうじゃ。ようするにその場所で発生しうる魔力の限界値じゃな」
「? 全然ようするにじゃないよー」
「一個のコップに入る水は決まってるということじゃ」
「なるほど」
「逆に分かり辛いと思ったがすごいの……とにかくティルシハの氷はその限界点じゃった。だから先代魔女たちは氷魔法の探究を諦めたのじゃ」
「うん、それで?」
「そこにもう一つ自然学が絡んでくる」
「んー?」
「熱い所では火魔法は自然と強力になるのは知っておろう?」
「知ってるー」
「しかし最近の研究では単に強くなるだけでなく、さきの臨界点自体が上昇していることが分かってきたのじゃ」
「へーそれで?」
「まだ繋がらんのか」
「うん」
「つまりじゃ――地下なんかの涼しい場所で氷魔法を使えば、もしかしたらティルシハの限界値を超えることが出来るかも知れないと思ったわけじゃ! 妾は!」
そこでツィーはようやく納得がいった。
「だから穴掘ってるんだ」
「どうじゃ、天才的じゃろう」
「でもさーちょっとだけ疑問なんだけど」
「なんじゃ?」
「そんなすごい魔法をミィアラキス一人で使えるの?」
「分からん! 気合じゃ!」
「それに穴の中で使ったら凍え死んじゃうんじゃないの?」
「耐える! 気合じゃ!」
「ミィアラキスはたまに天才かどうか分からなくなるよ……」
「はっはっはー褒め言葉として受け取っておく――――ん?」
「どうしたの?」
「いや、何だか変な感触の土が――きゃっ!」
――ブシャアアアーー
突然穴から水柱が吹き上がった。
そして打ち上げられるように、とんがり帽子の小さな魔女が落ちてくる。
「あいたっ!」
「だ、大丈夫!?」
ツィーは慌てて駆け寄った。
どうやら怪我はないようだが、その体は泥まみれで何ともみすぼらしい姿だ。
それでも彼女は起き上がると、いつものようにキリッとした顔で検証を始めた。
「ふーむ、ここはかつての海流の近くじゃからな。おそらくその近くの地下水脈を掘り当ててしまったのじゃろう。これは幸運と言うべきか不運と言うべきか……」
ツィーは呆れてつい笑ってしまった。
そう、この変な魔女こそが彼女の唯一の友人。
その名はミィアラキス。
この時若干8歳――正に悪戯盛りであった。
◆
「またあなたですか! ミィアラキス!!」
教室に稲妻のような怒声がこだまする。
滅龍学の教師はわなわなと唇を震わせていた。
「うむ、妾はミィアラキスじゃが何もやっとらんぞ」
「ほぉー……この教室を見てまだそう言いますか?」
ミィアラキスは言われた通りに背後を見渡した。
そこはまるで一度教室が浸水してしまったのように、机も椅子もあちこちに倒れ、生徒たちも含めて一面ずぶ濡れの悲惨な光景が広がっていた。
ミィアラキスは一通り見た後で教師に告げる。
「――ふむ、いつも通りじゃのう」
「あなたの荒らした後の、ね!」
実際のところ教室がこのような惨事になるのは、彼女が学校に来てからは本当にいつも通りであった。
ある日は大火事。
ある日は土だらけ。
彼女は齢8歳にして「嵐の魔女」の名をほしいままにしていた。
「何をしたらこうなるのです!」
「ふむ」
彼女は頷き言った。
「良い質問じゃ先生」
「――――ッ」
キレるところを、相手が子供と思い出すことで辛うじて制御する。
忍耐強さは彼女のおかげで随分磨かれてきた。
しかし当のミィアラキスはどこ吹く風で得意げに解説を始める。
「妾がやりたかったのは、恒久的な川の流れを人工的に作り出す事じゃ」
「……ほーう、どういうことですか?」
「実は先日地下水脈を掘り当ててしまっての――」
「知ってます。反省文も書かせました」
「――でのう、これを何かに使えないかと考えていたんじゃ」
「……めげない人ですね」
「そこで思いついたのが川作りじゃ」
魔女は川が苦手だ。
正確には魔力を含む流れる水が苦手なのである。
それは本来聖水が苦手な事に起因するもので、古代の魔女はともかく最近では耐性が出来てきたのか――あるいは魔女としての純度が落ちてきたのか、ただの流水程度では体に害はないと言われている。
しかし古来からの苦手意識はそう簡単に払拭出来ない物で、四大属性を自在に操るとされる魔女であるがどうにも水だけは不得意とする場合が多かった。
「――だからこそ水魔法にこそ新たな活路があるのではと考えての。つまりは意図的に好きな場所に川を作りだせれば、そこを船が行きかうことが出来ると考えたのじゃ」
「我が森は外部の侵入をむしろ拒んでいるのですよ?」
「――それが他国の技術や物資でもか?」
「――――!」
「人の侵入はこの際多少は仕方ないとしよう。しかし王国の目の届かない流通ラインを作ることが出来れば、それだけで魔女の文明は一気に進めることが出来る――」
そこでミィアラキスは一拍溜めて言った。
「――つまりは運河じゃな」
(この子……)
教師はしばし怒りも忘れて驚愕していた。
何故ならそれは最近魔女の学会でも出始めている意見に近い物だったからだ。
いや、地下水脈を起点に行動を起こしている点では彼女らの先を行っている。
――末恐ろしきは嵐の魔女。
この計画には問題があった。
一つは長年の水魔法に対する苦手意識。
もう一つは社会的に外部との接触を避ける魔女社会だ。
だが彼女はこの歳で既にその両方を理解し、その上で躊躇いなく実践に移そうとしている。
その常識を物ともしない思い切りの良さ。
これは成長すれば英雄となるか、あるいは社会に消されるか。
少なくとも平穏な魔女の生活が望めるとは思わなかった。
「分かりましたが、何も滅龍学の時間にやらなくても……」
「何故だ? うってつけじゃろう?」
「――どういうこと?」
「龍の強さとは海に閉ざされたこの国での統治力じゃ。それは技術や武力の管理にも繋がるからの。だから脅威はその逆――つまり未知なる文化の介入となるわけじゃな。つまり他国との交易はそのまま最強の対龍兵器と成りうる」
「…………」
今度こそは絶句してしまった。
教師である彼女は長年滅龍学を教えてきた。
だが同時に心の底では疑問に思っていたことがある。
それは「この授業は何の意味があるのか?」というあまりにも身も蓋もない疑問だ。
授業で教えるのはひたすら「龍は氷に弱い」「龍は勇者と昔敵だった」などという誰でも知っている事実。
特にそれから発展した戦略など話はしない。
思いつく作戦のほとんどが歴史上敗れているからだ。
だから結局は宗教にも近い精神論での教えとなる。
自分たち魔女はすごい。
龍は弱点だらけだ。
だからいずれ倒せる。
この国の真の勝者は我々だ、と。
これで本当に龍に立ち向かおうとする者が生まれるなら、それはとんだ笑い話だった。
だがこの子は違う。
そのやり方がいくら遠くとも。
自分の生きているうちに成し遂げられないとしても。
それでも確実に前に進むことだけを考えている。
彼女なら――彼女ならもしかしていずれは――
「ところで何で外でなく教室に水を入れたんです?」
「……それはまぁあれじゃ。ちょっと今日は暑かったからのう――少し皆を涼しくしてあげたくて――」
「――優しいのですね貴女は……一人で片付けして反省文も書いて下さいね」
「……ちょっと新らしい魔法を思いついたので――」
「やりなさい」
「…………はい」
木陰にある魔女の学校も夏は毎日暑かった。
一人部屋中を雑巾がけした後となれば尚更だ。
◆
「ツィーよ! はよう来い! 町が見えたぞ!」
「はぁはぁ……まってーミィアラキスー」
ミィアラキスは道中はやたら寄り道したがる反面、目的地が近づくと急に一人駆けだす癖があった。
それにしてもこの日の飛びつきっぷりはいつも以上だ。
しかしそれも仕方ないと言えるだろう。
何故なら今日は――
「おおおーーー!! でかい建物がいっぱいじゃー!」
「ぜえ……ぜえ……ほ、ほんとだ……」
二人の前には数々の高層ビルが立ち並んでいた。
馬車と人込みが行きかう交差点。
壁際一杯に並ぶ露店の列。
まるでお祭りのような光景だったが、この町ではこれが当たり前だった。
フリムローダ一番の巨大都市イア。
ミィアラキスとツィーの二人は今日社会見学の一環で初めてここを訪れたのだった。
「見ろ! 珍しい香辛料じゃ! あっちは製菓かのう!」
「ちょ、ちょっと待って――」
「ふむ建物の土台から既に別格じゃな。恐らくエルフの職人の業」
「待ってミィアラキス――」
「お、ラクガキがあるぞ! どこもこれは変わらんのう!」
「少し落ち着きなさい!!」
「…………はい」
ツィーが大声を出したところで、ようやくミィアラキスのお喋りは止まった。
何だかんだでこの騒がしい魔女を制御できるのは世に何人といないのだ。
ツィーは呼吸を整えるとゆっくりと喋った。
「あまり興奮して目的を忘れちゃダメでしょ」
「忘れておらんぞ」
「……言ってみて」
「思う存分観光して来い、と」
「新しいガーゴイルの性能調査!!」
「おーそれじゃ、それ」
「まったく……たまに本当に忘れるから怖いよ……」
ガーゴイルとはそこら中の屋根にある石像である。
見た目は人と鳥を合わせたような姿だ。
これらはイアの守り神と呼ばれているが、それは決して信仰や言い伝えなどではない。
この石像は有事とあらば、本当に動き出して場を収める兵士たちなのだ。
「ガーゴイルは魔法技術の結晶じゃからな」
「そうそう、そっちに興味を戻しなさい」
作り出したのは主にエルフたちである。
エルフは瞬間的な魔力は魔女に及ばないが、器用で応用の利く魔法をいくつも持っている。
ガーゴイルのような物に魔法の式を刻み込む魔道具制作もエルフの得意分野だ。
「魔女の魔道具は大雑把じゃからなぁ」
「そうだねーまぁ不自由はしてないけど、こういう大都会に来るとエルフの魔道具にも憧れちゃうなー」
「エルフがもっと働き者じゃったら、もっと面白い物が出来そうなのに惜しいのー」
ガーゴイルは正にエルフの繊細な魔法の粋である。
敵を認識しての自動迎撃。
他のガーゴイルとの連携。
更には憲兵への連絡までこなすことが出来る。
これだけの大都市を常に警戒し続けられるのは、紛れもなくこの守護神のおかげなのである。
今回の二人はガーゴイルの新機能を調べて来いと学校から命じられてきた。
これは魔女としては大人の仕事にも匹敵する大仕事で、普通ならば10歳にも満たない子供に頼むことではない。
ツィーは隣で無邪気にはしゃぐ魔女を見て思う。
(それだけ、ミィアラキスに期待してる声もあるってことなのかな)
しかしそれはまだ期待半分疑り半分だ。
むしろ彼女を危険視する声も多いと聞く。
だからこそこの遠征を成功させて、彼女の安全を確保しよう。
ツィーはそう密かに誓っていたのであった。
(そのためには慎重に動かないと――)
「そりゃ!」
――カコーン
初めの掛け声はミィアラキスが石像に石を投げた声。
次の乾いた音はそれがどこか遠くで命中した音だった。
「外してしまったのう。ではもう一回――」
「やめなさい!!」
本当に少し目を離すとこれだ。
だがガーゴイルに当たらなかったのは幸いである。
仮に敵と認識されたのなら、無事に帰れるかどうかも怪しかっただろう。
ミィアラキスとしては手っ取り早いやり方なのかも知れないが、彼女の無事のために来ているツィーとしてはあまりにも本末転倒な手法であった。
「もぉーもし誰かに当たってたら――」
「当たってたら?」
「それはもうきっと――」
「こうなっていただろうぜ……」
ミィアラキスが石を投げた先。
そこには路地があった。
路地があれば自然と暗がりが生まれる。
暗がりが生まれれば、そこに人がいてもおかしくない。
人がいてもおかしくないならば――
「てめえらか! 俺に石をぶつけやがったのは!!」
「ひぃーーー!」
――人にぶつかっても仕方のない道理だった。
暗がりから現れたのは帽子を被った背が高い男だった。
彼はボキボキと拳を鳴らしながら近付いてくる。
「何だぁ、随分可愛い嬢ちゃんたちだなぁ」
「妾のことか。そうじゃな――その通りじゃ」
「す、すみません! えーと、可愛いから許して――」
「尻叩きの刑だ!!」
「あぁーやっぱり許してくれないー」
「何じゃ、妾と戦うつもりか」
やったこともない構えを取るミィアラキスの首根っこを掴んで「逃げるの!」とツィーは駆けだした。
「その小さい足で逃げ切れるとでも思ってるのか?」
男の言う通りだった。
子供の足と大人の足。
その差はあまりにも歴然だった。
男は一瞬にして距離を詰める。
そして彼の手が二人に届きそうになったとき――
「捕まえ――」
「誰をじゃ?」
――ビュウゥゥン
「――おわっ!」
突然の風が男を襲った。
強力な向かい風に思わず彼は目を細める。
しかしこれでは体重の軽い二人は動くことも出来ないだろう。
そう思って前を見るとそこにいたのは――
「町中を飛ぶのは気持ちいいのう!」
「わわわわわ」
飛んでいる――いや、吹き飛んでいる少女たちだった。
無論これはミィアラキスの起こした風魔法だ。
男には向かい風を。
自分たちには追い風を。
教師たちから日々逃げ続けているミィアラキスからしてみれば、あまりにも初歩的な魔法に過ぎなかった。
ツィーは「あーれー」と飛ばされながらも、この友人を頼もしく感じた。
(もっとも原因もミィアラキスだけど)
これだけの速度に並みの人間が追いつけるわけがない。
もうとっくに撒いただろうと確信して後ろを振り返ると――
「チッ! 妙な魔法使いやがって!」
男は意外にもまだ間近で追いかけ続けていた。
いや、意外なのは引き離せなかったことだけではない。
風で帽子が吹き飛んだその頭には――
「耳!?」
「なるほど獣人だったようじゃな」
犬のような耳――犬型の獣人の証だ。
獣人は魔法の適性がないかわりに、人並み外れた身体能力を誇る。
そう、この風の中でも力技で突っ切って来られるほどには。
「どどどど、どうするの!?」
「まぁ、逃げるしかなかろう?」
二人は風に乗って町の中を逃げ続けた。
服を売る露店の商品を吹き飛ばし。
買い物をするエルフは目を丸くして見送り。
摩天楼を縦横無尽に駆け巡った。
「引き離した!?」
「ふむ、でも念には念を入れておくかのう」
「何を――って、わっぷ!」
今度は急激な上昇気流。
風魔法でも高度とされるアップドラフトという魔法だ。
ミィアラキスには残念ながら子供二人を持ち上げるほどの魔力はまだない。
だがビルの間に溜まった空気の層がそれを起点に一気に押し上げられる。
そして上方向のビル風となって二人をあっという間に屋上へと舞い上げたのだ。
「ふぅ、さすがにもう安心じゃろう」
「うー、目が回る……」
「――じゃあ終わりにしてやろうか」
「――――!」
「なんで……!?」
気付けば屋上に男は登って来ていた。
困惑するツィーに彼は話す。
「俺の種族は特別鼻が良くてな。そっちの嬢ちゃんは小癪にも風向きを変えて臭いを誤魔化そうとしやがったが、所詮は子供の浅知恵に過ぎないんだよ」
「そんな……」
ツィーはその場に崩れ落ちた。
思えば今回の任務を任せられて。
自分たちは大人の仲間入りをしたつもりでいたのだ。
任務の成功は当たり前。
むしろその先を考えなくては、と。
そんな生意気なことまで考えて。
だが実際にはどうだ。
いくら自分たちが知恵を絞ったところで、大人の足だけで追いつかれてしまう。
世界は広く、自分たちはちっぽけだった。
「ツィー、ちょっと耳を貸すのじゃ」
「え……」
「―――――――」
「何こそこそ話し合ってやがる!」
獣人の男は二人に詰め寄った。
もう少女たちには戦う意思も逃げ道もなさそうだ。
別に尻叩きなんて冗談だ。
ただここで大人の怖さを教えてやろう。
そう思って更に近づいた時だ。
「撹乱魔法ペッパーボール!」
呪文と共に少女の手から投げ出された物。
それは小さな茶色い弾だった。
土魔法の一種か?
どちらにしろこんなサイズ――
「どうってことない――は!?」
――バフン
弾を弾こうとした瞬間、その中身が飛び出し彼を襲った。
「は……はっくしょん! ぶぇーっくしょん!!」
「香辛料爆弾魔法! 妾の新魔法じゃ!」
「魔法じゃないけどね!」
「更に――」
男は顔に降りかかった香辛料に目も鼻もやられていた。
そして少しだけ視界が開けてくるとそこには――
「ガーゴイル……!」
街の守護神が立ちはだかっていたのだ。
「いや、おかしい……俺が敵に見えるはずが……」
「でも実際こうして動いておるしのう」
「そ、そうだねー」
――ん?
いや待て少しおかしい。
男は視界が開けると共に冷静になり始めた。
仮にガーゴイルが動き出すにしろ、出るならばもっと早く来ていたはずだ。
それがこんな絶妙のタイミングで?
それに現れてからは動き様子もない。
つまりこれは――
「土魔法で作った張りぼてじゃねぇか!!」
「ばれたーー!」
ミィアラキスがツィーに耳打ちした作戦。
それは先程町中で盗んだ香辛料で気を引いているうちに、ツィーの得意とする土魔法でガーゴイルを形作り、男を威嚇して退かせようというものだった。
「と言うことはこの場合の作戦は――」
「ない、大人しく尻を差しだそう」
「いやぁーー!!」
「くそっ、散々手こずらせやがって、こんなことして無事で済むと思うな――――」
「――いや、それはこちらの台詞です変態犬さん」
ビルの下から新たに風に乗って人が舞い降りた。
彼女は――風魔法の応用だろうか。
目にも止まらぬ速度で移動すると、そのままに男に蹴りを浴びせる。
「がっ……!」
「もう少し痛めつけときましょうか」
更に今度は上に移動して、そこから急降下するように後頭部に着地した。
ミィアラキスのようにただ魔法を使っているわけではない。
洗練された最小限の魔法に、鍛え抜かれた体術。
その二つを合わせた達人技だった。
男はそのまま地面に顔を打ち付け、気を失ってしまったようだ。
ミィアラキスは助けてくれた女の顔を見ると、嬉しそうに駆け寄った。
「シャウラ!」
「無事でしたか二人とも」
魔女シャウラ。
彼女は魔女姫の護衛を務める付き人だ。
もっとも今姫は空位となっているので、誰かに専属で付いているわけではない。
だからこうして危険な任務に影ながら同行して、いざという時に姿を現すのだ。
「はぁー……死ぬかと思った」
「あの男にそこまでの悪意はありませんでしたよ」
「そのわりには思いっきり蹴っ飛ばしたのう!」
「魔女――もとい女性の敵でしたから」
ツィーは安心したところで考えた。
シャウラは特別な魔女だ。
だから例え重要任務でも誰それ構わず見張るわけではない。
彼女が見張る対象には決まりがあった。
それはつまり次期魔女姫候補の選定である。
恐らく今回の場合は――
「シャウラさん」
「何ですかツィーよ」
「貴女から見て今回の任務はどうでした?」
「直接聞くとはあなたもなかなか侮れませんね」
「えへへー」
「そうですね……」
シャウラは少しだけ悩んだ。
魔女姫候補ミィアラキス。
この見知らぬ町でも一切物怖じしない胆力。
一度見た物を全て利用する目敏さ。
魔法の使い方も出力もこの年齢では申し分ない。
更に仲間の能力までしっかりと把握している。
それらを全て吟味したうえで、ツィーにその評価を告げた。
「彼女は――」
「はい……」
「まずあの男の人に石をぶつけたことを謝るべきだと思います」
「……ですよね」
「何か言ったか二人とも?」
少しも悪びれない少女に二人は呆れて顔を見合わせる。
そして声を揃えてこう言った。
「あなたの悪口です」
「なんじゃ、いつも通りでつまらんな」
――――
それからしばらくして。
ミィアラキスは聖魔法を編み出し、魔女姫として選ばれた。
それと共に学生時代の「嵐の魔女」の異名は忘れ去られていく。
――だけどそれは彼女が落ち着いたわけでは決してなかった。
ただ騒がしく――
賑やかで――
それでいて狡猾で――
力強くあらゆる障害を物ともしない。
そんな嵐のような毎日が、彼女の日常なのだと認識されただけなのだ。
番外編「嵐の魔女」でした。
これをもって「異世界鮫 ~平和な魔法世界を襲う学習するサメ(ラーニングシャーク)の恐怖!~」は完結となります。
ここまで読んで下さった皆様有難うございました!
サメ映画×異世界転移 を書こうと思い立ちおおよそ4か月。
初めは短編のはずが――思ったよりも長くなってしまいましたが、何とかここまで書き切ることが出来ました。
この作品にはいくつかのサメ映画オマージュが混じっているので、是非機会があればそちらも観るとよりサメの世界が楽しめるかと思います。
連載中の応援ありがとうございました。
もし楽しんでいただけたなら、ブックマーク、評価、感想、レビューなどもいただけると非常に嬉しいです。
それではまたどこかで。




