目撃情報01:エルフ
――サメの人工飼育が確立された時代。
1匹のホオジロザメが水族館へと運ばれていた。
暗く天幕の張られた輸送車。
仮死状態のサメは、抵抗も出来ず揺られていく。
――思えば、人々がサメを恐れなくなって久しい。
徹底された海岸サメ対策の前に、彼らは観賞用の魚類に成り下がった。
サメの襲撃に命を落とす人は、十年に一人いるかいないかまで引き下がり、かつては恐怖映画として観られた作品も笑い物にしかならない。
この自由を奪われ運ばれていく不運なサメも、そんな悲しい生物の末路――その一つに過ぎない。
だが――――
そんな輸送中に――不測の事態が起きた。
乱雑な運転に輸送車が振られ、事もあろうに交差点の真ん中で横転してしまったのだ。
そして間髪なく突っ込んできた大型トラック。
――輸送車の運転手は即死。
どこに行くこともない哀しい――そしてありふれた事故だった。
そのことは夕刊に小さく載り――
翌日の朝刊では全人類が忘れ去った。
だから誰も気に止めることはない。
その事故に消えたもう一つの命を。
命どころか、死体すら見付からなかった――
――――1匹のサメのことを。
◆
「あっ……冷たくて気持ちいい!」
水の楽園フリムローダ。
常夏の気候と、美しい海が織り成す奇蹟の国。
その浜辺はあらゆる種族が、国を跨いで訪れる世界有数の観光スポットである。
本来海と言えば危険な海獣が住み着いており、例え魔法を使える種族であろうとあまり近付くことはない。
だがこの国は強大な龍が支配する水の王国。
彼らの水域で暴れる海洋種などいるはずはないのだ。
安全な海に綺麗な砂浜。
誰が呼んだが――そこは正に楽園であった。
そんなビーチの一角――観光客でも知る者は少ない穴場、秘密の入り江に2つの人影があった。
一人は男。
金髪に長い耳。
白い肌に良く似合ったサングラスをかけ、岩影で本を読んでいる。
もう一人は同じく金髪碧眼――長耳の女。
こちらも陽射しの下で尚も白雪のように肌は白く――また彼女の種族としては豊満なものの、一般的に見れば羨まれるほどに痩身で美しい身体。
こちらは浅瀬で泳ぎながら、その魅力的な体を惜し気もなく日の光に照らしていた。
耳を除けば人間と変わらぬ姿。
だが二人は人ではない――
――彼らはエルフと呼ばれる種族だ。
高い魔力に、人の数倍は生きる長命な亜人。
穢れを嫌い――また決して身体能力が高いとは言えない彼女たちだったが、この国の清んだ水は故郷でも味わったことがないほどに、優しくその美しい体を包み込んでいた。
「ミリム、あんまりはしゃぐとまたバテるぞー」
いい加減本を読むのも飽きたのか、海岸の男エルフは女エルフに向かって手を振った。
だがミリムと呼ばれた女は、どうやらまだ遊び足りないようである。
「もー! アサラ、水魔法も使わず生身で泳げる機会なんて滅多にないのよ? 勿体ないじゃない」
「勿体ないってなぁ……。どうせ親父さんの金で来た旅行じゃねーか。また来たくなったら、同じように幾らか頂戴しようぜ」
男エルフ――アサラはそう言って笑った。
エルフは魔法研究者が多く、また森に籠って俗世から離れながら研究を進める学者が多かった。
彼らのほとんどはその成果として金銭を得ても、自らそれを管理することはなく、家族に丸投げすることが多い。
ミリムの父親もそんな一人で、彼女は管理とは名ばかりの浪費をし続けているのだ。
アサラに言わせれば、今回の旅行などは可愛いもので、ミリムの物欲は家計を脅かす段階に来ているらしい。
もっともミリムにその危機感はない。
手に入る金とは、即ち自分のものであり――それが無くなることは自分以外の誰かのせいなのだ。
だから金のあるうちはミリムが何かを考えることも、また機嫌を損ねることも決してない。
彼女の屈託のない笑みは青空の下、いつにもまして輝いていた。
そんな彼女は海であるものを見付けた。
初めに見たのは遠方――沖の水平線にかかる虹である。
不自然なほどに綺麗な弧を描いたそれは、海面にも映り込みまるで輪っか状の出入口のようだ。
「うわぁーきれー!」
雨上がりでもないのに、不気味なほど鮮やかな虹の輪。
そこ光景はどこかこの世のものではないようで、ミリムは吸い込まれるように見蕩れてしまっていた。
――だが次なる異変はすぐに訪れた。
そこからゆっくりと近付く小さな影を見付けたのだ。
影は虹の輪を背に、明らかにこちらに向かっている。
「何だろうあれ? ゴミでも浮いてるのかな?」
それは黒――いや灰色をした三角の何かだ。
不思議なことに"その何か"は浮き沈むことなく、真っ直ぐミリムの元へやってきた。
幻想的な光景に見たことのないもの。
好奇心に胸を踊らせて、灰の三角を眺める彼女。
最初に危険を察したのはアサラだった。
「おい! やばい予感がする……こっちに戻ってこい!」
「えー、気になるじゃ――――」
――――――――――
その言葉を言い終える前に――
――彼女は忽然と姿を消していた。
「ミリム…………?」
アサラは呆然と海を眺めたが、そこには恋人も謎の影も見当たらない。
だが少しすると、平和なはずの青い海を――まるで不吉の予兆のように――赤い血が染め上げていった。
やがては国を転覆させるまでになる、異世界生物による無差別襲撃事件。
その最初の被害者として、彼女の名は後々まで語られることとなる。
しかしこの時はまだ、目の前でミリムを失ったアサラでさえ、襲撃者の正体はおろかその姿すら――見ることは叶わなかったのだ。
その赤く滲んだ海から、底知れぬ恐怖の訪れを感じ取れた者はいない――――
――――この時はまだ。
◆
ミリムが海に消えてからまもなく。
浜辺の監視員事務所にその報せが届いた。
届けたのは彼女の恋人――アサラ。
彼は数秒の放心の後――危険を覚悟で助けに出たものの、ついに彼女の姿を見付けることは出来なかったのだ。
「ふむ…………」
初めに報せを受けた海岸救助員のスパイクルは、その違和感に思わず尻尾を曲げ――その中年に差し掛かり、溝も深くなってきた顔の鱗を歪ませた。
「あの魔力探知に長けたエルフが、襲われるまで気付かなかったのか……? ただの海獣じゃない……嫌な予感がするな」
黄色い瞳がギョロリと海を睨む。
彼の種族はリザードマン。
陸と海の交わる場所で暮らし――
――その境界を見張る、海の守護者である。
★ギルガノット(種族ホオジロザメ)はサメスキル【抵抗】を取得しました。
◎異世界サメメモ
学名上では"ホホジロザメ"となるが、今作品では映画『ジョーズ』の翻訳に肖り"ホオジロザメ"と記載する。
1話読んでいただきありがとうございます。
今作は全12話(場合によっては番外編追加)の毎日更新の予定です。
初回である今日は3話まで同時更新となりますので、気に入っていただければこのまま続きをお楽しみください。
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