「短くて、どれほど長く」
私は何故こんなに長く生きているのだろう。
大きな森の奥深く、苔むした大岩に身を絡めながら私は待っていた。
長生きとは辛いもので、いろんなことを忘れてしまう。自分を産んだ親のことや、つがいとなり先に逝ったもののこと、好きだった色や楽しかったこと、そして、死でさえとうの昔に忘れてしまった。
この世の理から外れてしまった私を、森のものたちは恐怖し、畏怖し、崇めていた。
私は多くの時間を眠って過ごしていたが、この身体が大岩を覆い隠してしまうほど大きくなったころ、目を覚ますと私の前に大きな葉っぱが置かれていた。そしてその上に木の実
や草花、動物の死体が置かれるようになった。
大きな葉っぱの少し向こうには、いつも何かしらのものがじっとこちらを見ていた。かつて私に食べられたもの、かつて私を食べようとしたもの、そして私を食べようとしたものを食べてしまったもの。そこに争いはなく、弱肉強食のしがらみはなく、私の前では平等で、ただ一様に恐怖していた。
私はもとより無用な争いを好まない。だから、目が覚めると目の前にある食べ物を食べ、また大岩に巻き付いて目を閉じる。それをずっと繰り返した。
そして、来るはずのない死をひたすらに待ち続けていた。
しかし、少し前の今と同じような春の日に、大きな葉っぱの上に奇妙なものが置かれていた。
それは私が未だかつて見たことのないものだった。体は布で覆われて、毛が頭にしか生えていない、私よりもずっとずっとちっぽけなもの。
私はその小さきものを食べようとはしなかった。そのものを見て、なぜだか、かつて自分が好きだった色を思い出したからだ。
私が慈しむように小さきものを舌で舐めると、不思議なことに、その小さきものはゆっくりと目を覚ました。
小さきものは私を見てとても驚いた目をした。だがそれは恐怖の目ではなかった。そして走って私の元へ来て、私の体に抱き着き頬ずりをした。
こんなことは初めてであった。これほどまでに大きくなった私の前で、恐怖を抱かない存在にひどく興味がわいた。
小さきものは何度も私に話しかけた。ことばの意味を私は理解できなかったが、小さきものは何回も「ハル」という言葉を使っていた。
おそらく、それが小さきものの名なのだろう。
ハルは私の元を離れようとしなかった。私の前に置かれた食べ物を食べ、私のそばで眠り、起きている間はずっと私に向かって話しかけていた。
私はすぐに飽きてどこかに行くだろうとハルを放っていたが、次第にハルの話に耳を傾けるようになった。ハルのことばはわからずとも、楽しそうに話すハルを見ていると心が安らいだ。
森のものたちも同じようで、私の周りには次第に多くのものが集まるようになった。
それは、春が過ぎ、夏が終わり、冬が明けて、次の春が終わるころまで続いた。
けれども、終わりはゆっくりとやってきた。
私の眠気は抑えられなくなるほど強くなってきた。
私は一度眠ると、季節が2回巡るまで起きない。だから、彼女といるときはずっと眠らずにいた。最初は誤魔化せていたが、もうそれができなくなるほどだった。
とても眠たかった。なのに、こんなに眠りたくないと思ったのは初めてであった。
ハルはとても悲しい目で私を見ていた。だから、私はハルに自分の元居た場所に帰るよう言った。その方が、ハルにとって幸せであると思ったからだ。言葉は伝わらずとも、想いは伝わるはずだ。
私がハルの顔をちろりと舐めると、ハルは悲しそうに笑った。ハルの顔は少しだけ塩の味がした。
その夜は森中のものを集めて大宴会を開いた。私とハルを中心に、皆が楽しそうであった。
そこに争いはなく、しがらみもなく、そして恐怖もなかった。
夜も終わり朝日が差し込むころ、ハルは最後に私に紙切れを一枚渡した。
それは自分の一番大切なものだという。それを取りに来るから、次の次の春にまた会いましょうと。
私はそれを聞いてゆっくりとほほ笑んだ。そして、静かに目を閉じた。
目を覚ますと、ハルの姿はそこになかった。
前と変わらぬように葉っぱの上には木の実が置かれ、私はそれを食べた。
しかし、すぐには眠ろうとしなかった。私は目を開けたまま、ずっと待っていた。
もう春は終わる。
ハルはまだ来ない
ばあちゃんは、いつもボクにおかしな話を聞かせてくれる。二人の妖精のこととか、井戸の底の化け物のこととか。おかあさんはそんなホラ信じちゃだめよって言うけど、面白いからついつい聞いてしまう。
だけど、大くて真っ白な蛇の話をするときだけ、ばあちゃんは悲しそうな顔をするんだ。
手に持った小さな紙きれを握りしめながら。