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8.

 どこまでも果てなく続いていきそうな暗闇の入り口に立っていた。やがてそれが、暗闇に目が慣れてきたおかげで森の入り口なのだとわかる。

 最初、ここが夢の中だと気づくまでに時間が掛かった。

 頬を撫でる風の生温い感触まで、妙にリアルだったからだ。

 

 しかし、もしかしたら夢であって夢ではないのかもしれない。

 そんなことを考えながらニコラは、森の奥深くにぼんやりと光るものを見つけた。ふと手許に視線を落とすと、辺境の森で摘んできたヒイラギの葉が呼応するように明滅している。


「これは…呼んでいるのか…?」


 終極の魔法使いへの道はすでに開かれた。

 あとは進むのみだ。


 ニコラはヒイラギの葉を落とさないように棘を避けて持ち、暗闇の先に見える光に向かって歩き出した。

 それは近くで光っているように見えて、歩けど歩けど一向に距離が縮まらない。眼に見えている感覚と、物理的な距離にはズレがあるのかもしれない。ここはそういう、特殊な場所なのだとニコラは本能的に理解した。


 光のもとへは、唐突に辿り着いた。

 もう随分と歩き続け、あとどれくらい歩けばいいのかと疲労感に一瞬目を伏せ、ふとその視線を上げたとき、それは目の前にあった。

 遠くから見ているときには暗闇の中に光が浮かんでいるように見えたが、目の前にあるそれは樹齢数百年と思われる(たくま)しく育った樹木の真ん中をくり抜いて、そこにランプを掛けたものだった。


 家、なのかもしれない。


 何となくニコラは直感でそう思った。

 それからやっと周りの状況を確認する余裕が生まれ、辺りを見まわす。

 ほんのりと明るい木のランプに照らされこの木を中心にして円形の広場となっているだけで、辺り一帯も森だということがわかる。ただそれだけだった。

 人影があるようには思えない。まったく人の気配がしないのだ。

 

 ここまで来て終極の魔法使いには会えませんでした、などという情けない結果では堪らない。

 ニコラは大きく息を吸い込むと、これでもかというほど腹に力を込めて声を発した。


「終極の魔法使い、魔法使い、もし居るのならお目通りを願いたい…!」


 力の限り叫んだ声は真っ暗な森に吸い込まれるかのように、あっという間に静寂が戻ってくる。やはりこれは自分が願った都合のいい夢であって、終極の魔法使いへの道が開かれたわけではなかったのだろうか。

 そう、諦めかけたとき。

 不意に呼吸すらも奪うほどの勢いで、激しく風が吹き荒れた。


 ごう、という風の音が耳を(なぶ)る。

 風に(あお)られる髪を押さえようとした拍子に、持っていたヒイラギの葉がするりとニコラの手を離れて飛んで行ってしまう。


「……あ、」


 ヒイラギの葉を追いかけるように伸ばした指先に、ふと暗い影が落ちてくる。

 いや、むしろそれは最初からそこに在ったのだ。

 影のように思ったそれは、限りなく闇に近い存在だった。恐らく肉眼で捉えるには闇が濃すぎるのだ。だから、影のようだとしか思えない。その中に、禍々(まがまが)しいほどに紅く光る眼がふたつ、こちらをじっと見ていた。

 ぞわり、と肌が粟立(あわだ)ったのがわかる。


「我を呼んだのは汝であるか」


 地を這うような低い声だった。

 声のように聞こえるだけで、実際は声ではなかったのかもしれない。大地を揺るがすような、何か。

 

 これが終極の魔法使い。

 この、人ならざる存在が、ニコラが追い求めていた魔法使い。

 こんなとんでもないものに、自分は縋ろうとしていたのか。

 咄嗟にそう思い後悔してしまいそうになった。しかし、もう後には退けない。そんなことは辺境の森に足を踏み入れた時点で、覚悟していたはずだった。

 そう思い直し、ニコラは胸を張り俯きそうになる顔を無理やりにでも上げた。

 そうして口の端には優雅な笑みさえ浮かべ、まるでテオドールにでも話しかけるようにいつもどおり自信たっぷりな様子で語りかける。


「そう、僕だ。王立アカデミーの魔法科に在学するニコラ・エルズワースという者だ。本当に力を必要としている者には救いの手を差し伸べてくれる慈悲深い魔法使い殿に縋りたく、お目通り願った」


 全貌を捉えようのない大きな存在の前で今更下手に取り繕っても仕方がないので、ここは敢えて情けなかろうが何だろうが素直に縋っている、と伝えることにした。

 すると目の前の影は恐らく、笑った、ような気がした。


「我を呼ぶ声があるとは、実に久しい。(なが)らえた命を(つま)しく奥ゆかしく幽居(ゆうきょ)していたものを、よもや呼ばれることがあろうとは…おもしろい。して、汝の望みは何とする? 平素ならば闖入者(ちんにゅうしゃ)(なぶ)り殺しにするところだが、今宵は気分がよい。話くらいは聞いてやろう」


 ニコラの何が魔法使いの琴線に触れたのかはわからないが、今のところいきなり取って喰われるという心配はしなくてもよさそうだ。だが油断は禁物、と決して目を逸らすことはせず、真っ直ぐに魔法使いを見つめた。


「僕の望みはただひとつ、魔術師としての未来がほしい」


 やや緊張した面持ちで、高らかに言い放つ。

 若干声も震えていたかもしれない。

 それを耳にした魔法使いは、ほう、と風のような吐息を洩らした。


「見受けるに汝はそのような()()ち、所作であるが女子(おなご)ではないのか? 女子では魔術師にはなれまい。それとも輓近(ばんきん)では女子も魔術師になることを認められているのか?」

「いいや、未だに認められてはいない。だから、だからこそだ。僕は何としても魔術師としての未来がほしい。そのためには女だとバレるわけにはいかないんだ」


 ニコラがきっぱりと言い切ると、僅かに沈黙が流れる。

 じっと見つめていても、目を閉じてしまった魔法使いはただの黒い影にしか見えず、表情が一切読めない。


「……それは、汝が女として享受するはずであったすべての事象を放棄してまで、得たいほどの未来だと言うのか?」


 想定外の魔法使いの返答に、今度はニコラが一瞬動きを止めた。

 言葉の意味を理解することができず、右から左へと素通りしていく。何度か瞬きをして、素通りしたはずの言葉を反芻(はんすう)する。そうして何とかして意味を飲み込む。


「だから、そう言っているんだけど…?」

「それでは汝は愛する者にすら本来の性を明かせず、心を通わせ添い遂げることも叶わないのだぞ? 誰からも理解されず孤独に枯れていくように生涯を終えると?」

「そういうことじゃない、魔術師になるのは僕の夢だ。それが叶ったとして誰からも理解されないわけじゃないだろうし、あ…愛する人だって傍に居てくれるかもしれない。きっとしあわせになれる」


 魔法使いの言葉にニコラは困惑した。

 自分が求めていた未来というのは、そんなにも辛く厳しいことだったのだろうか。

 誰からも理解されない? いいや、少なくとも自分には――……。

 そう考えたとき、魔法使いの目がひときわ紅く輝いた。


「ならばこうしよう。我の魔法で汝を純然たる男子へと作り変えてやる。その上で、汝は運命の相手と巡り逢い相愛になること。そうして我に示すのだ、汝の言葉が正しかったということを」


 突然の、あまりにも一方的な言い分にニコラは反論しようと思わず口を開くも、喉が詰まったように枯れ、うまく声を発することができなかった。ヒュっとかさつく息が洩れただけだった。


「これは我と汝の正式な契約である」


 終極の魔法使いにとってそれは単なる暇つぶしに過ぎず、お遊びのような賭けだったのかもしれない。けれどこうしてニコラと魔法使いの間には、ひどく一方的な契約が結ばれたのである。


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