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2.

 昨夜の邂逅(かいこう)は夢ではなかった。

 改めてそう実感すると、やはり溜め息しか出てこなかった。


 普段の着替えは侍女に任せず自分で着替えるようにしているため、部屋にはまだ誰も訪れてない。それをいいことに未だ寝衣のままである。

 着替える気にもなれなかったのだが、時計にチラと視線を向かわせ時間を確認すると、そろそろ従者のテオドールが起こしに現れそうな頃合いだった。


 さすがに不味い、と思い慌ててクローゼットに向かえば勢いよく扉を開く。

 クローゼットの中は予想どおり、というか昨夜と変わったところはなかった。

 世にいう令嬢らしい、普段着からパーティー用まで様々な場面で着ていくに困らないほどのドレスが整然と並べられている。そしてその端に、申し訳程度に男性用の衣装が掛けられている。これはニコラが平素から好んで男装をしていたためであり、生まれてからの性が男子だったからでは断じてない。


 逡巡した後で、いつもは両親たちからいい顔はされない男子の装束を身に着ける。髪は後ろでひとつに纏め、白いシャツの上にジレ、裾部分がタイトなキュロットに白いストッキングといった一般的な服装だ。

 これでもう完全に立派な公爵令息にしか見えない。

 昨日まではそれでよかった。

 そう、昨日までは。むしろそう見えてくれた方が好都合だった。

 たった一晩のうちに、ニコラの中で天と地が入れ替わってしまった。

 それはあっという間だったような気がするし、灼けるような苦しみを十二分に味わったような気もする。

 今のニコラがドレスを着ていくら令嬢に見えようが、それは見た目でしかない。

 何故なら昨夜の夢だと思いたい邂逅によってニコラの肉体は、完全に男子へと変異してしまったのだから。


 ちょうど着替え終わったタイミングを見計らったかのように、ノックと共に勢いよくドアが開け放たれる。返事をする暇もない。


「ニキさま、朝ですよー。起きてます?」


 暢気(のんき)な声をさせながら軽い調子で入ってきたのは予想どおりの人物で、毎朝ニコラのことを起こしにくる従者のテオドールだった。

 ニコラより4つ年上の19歳であるテオドール・ノアイユは代々エルズワース家に仕える執事の家系に生まれ、ふたりは兄妹のように育った。それゆえ、愛称のニキと呼ぶくせに『俺は従者ですから』と敬称を付ける呼び方を聞くたびに、解せない思いが胸に込み上げてくるものの、そこは毎回のことなので敢えて飲み込んでいる。

 短く刈り上げたベリーショートのシルバーブロンドの髪と、狼の目とも言われるアンバーの瞳が色素の薄さを際立たせていた。ただの従者というにはあまりにも人目を惹く整った容姿をしている。そのくせ本人は自分の容姿には無頓着な様子で、ニコラに対しては軽薄さを前面に押し出した振る舞いをしている。

 これでも王立アカデミーでは優秀な成績を修め、卒業後は宮廷魔術師として将来を嘱望されていたのだ。ノアイユ家は執事の家系とはいえ古くから続いている名家であり、エルズワース公爵家では本人が望みさえすれば職業選択の自由を与えていた。それがどういうわけか、それを蹴ってまでニコラの従者に、とエルズワース公爵家へと舞い戻ってきたのだ。

 本人曰く希望するところは騎士であったのだが、体格のよい屈強な輩が集う王国騎士団に入団するには、剣の技術はともかく痩身のテオドールでは力負けするとのことで適わなかったらしい。しかしそこそこ強いとの世評である。

 それでも騎士になれないのならば意味がない、と公爵家へと戻ってきたのだから何とも潔いというか極端というか、ニコラとしては反応に困るところであった。

 その実、従者としてテオドールが傍に居てくれることを心強く思わない日はなかった。


「……テオ、それじゃあノックの意味がない。もしまだ僕が着替えの途中だったら、一体どうするんだ」

 今もテオドールの存在に安心感を覚えながらも、口をついて出てくる言葉はなかなか素直になってくれない。

 ちなみに、ニコラの一人称が『僕』というのも、この男らしい口調も彼女本来のものであり、男装のためについた癖というわけでも、肉体変化により男子となったせいでもない。


「どうするんだって…そりゃあ、役得?」


 ニコラの注意を毛ほども気にしていない様子で、最後の質問にだけ首を傾げながら答えるテオドールを観察するように見つめると、スッと目を細める。


「男が男の着替えを見るのことのどこが役得…?」


 この問いかけは賭けのようなものだった。

 ニコラの性別が変わってしまったこと対して、その周囲は一体どこまで影響を受けているのか。


「……そういえば、そうですね。そりゃそうだ、ニキさまの着替えを見ても…いや、ニキさまだから…? うーん、まあ…確かに男が男の着替えを覗いてもつまらないですね」


 一瞬の間を置いてテオドールが答えるも、どこか違和感を覚えた様子で戸惑った表情を見せるが、最後は自分で自分を納得させるように軽く頷いた。


 やはり、なのか。

 テオドールの反応から鑑みるに、ニコラの性別が変わってしまっただけではなく、世間の認識そのものまで書き換えられてしまっている。

 恐らくニコラの周りの人々は、最初からニコラが男子として生まれたものだと当たり前のように思っている。そういうことだ。


 ニコラはひとつ深呼吸をしてから、意を決したようにテオドールを見た。

 目が合うと彼は何ごとかと目だけで訴えてくる。軽薄そうな態度を取っているものの、実は表情自体はあまり豊かではない。それを誤魔化すための、敢えての軽薄さなのだということをニコラは知っている。

 基本は無表情のテオドールだけれど、今は真剣な目でニコラのことを見つめ返してくれたのがわかる。


 彼はこの信頼に応えてくれるだろうか。

 周りがどんなに信じてくれなくとも、彼だけは自分のことを決して疑わないと、ニコラ自身が信じているということに。


「ねえテオドール。僕は公爵令嬢だったと言ったら、信じてくれる?」

 

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