9.
昨夜の出来事をすべて話し終えたところで、ニコラの語る内容を耳にしながら徐々に顔色を悪くしていったテオドールが完全に頭を抱えていた。
比喩でも何でもなく、途方に暮れて考え込んでいる様子をまさに体現するように、両腕でしっかりと頭を抱え込んで項垂れている。
そうして、脱力したように深く息を吐き出すと心底呆れた様子でひと言。
「…………阿呆ですか、あんたは」
従者だというのにテオドールはまったくもって主人に遠慮がない。
兄妹同然に育ったのだからその辺りの遠慮はニコラにとっても要らぬものなのだが、それでもあまりにもぞんざいに扱われると時々は主人だということを主張してみたくなる。そう思いながら実力行使に移したことはまだない。
「不可抗力だ。僕はちゃんとしっかり自分の望みを言ったのに、何故だか話を誘導された気がしてならない。きっと揶揄われたんだ…」
拗ねた様子で言えば、テオドールはやっと顔を上げた。
やはり呆れた表情をしている。そういう表情は隠さないのか、とニコラは何となく思った。
「揶揄われたんだったら、今まさにニキさまが男子にされたりなんかしてないんじゃないですか? それともやっぱり生まれたときから男子でしたー…ってオチですか?」
「……それは、そうか。でもそう考えると、これで身体検査は乗り切れるな」
「それで? 乗り切ったあとはどうするんです? 魔法使いの言うとおり、王子さまが運命の王子さまを見つけて愛し合ったりするんですか? それで賭けはニキさまの勝ちですねオメデトウゴザイマス」
テオドールが鋭い視線と共に、まったく感情の籠らない言い方で辛辣な言葉を投げつけてくる。心なしか機嫌も悪くなってきたように見える。
しかし、そこまで言われてニコラはやっと自分がどうしようもなく考えなしだったということに気がついた。
目標がひとつ定まると、それ以外見えなくなってしまうのは悪い癖だ。わかっていながら、いざ行動に移すと熱に浮かされたようにすっかり周りが見えなくなる。目的のためには手段を択ばなくなってしまう。
テオドールに『過程もほどほどに大事にしてください』と、ニコラの性格をわかりきった上で適切な助言をよくしてもらっているにも関わらず、だ。
「それなんだけど、テオは僕が本当は女の子だって信じてくれたじゃないか。そう考えると、いくら終極の魔法使いと言えども僕に関わるすべての人間の記憶を完璧に書き換えるのは難しかったんじゃないか、と思うんだ。綻びはきっとどこかにある」
ニコラに指摘され、テオドールは暫し記憶を辿るように目を伏せた。
実のところニコラに対して妙な違和感はあるものの、女の子だったという記憶はまったく残っていなかった。残ってはいなかったけれど、身に染みついた習慣のようなものは残っていた。先に指摘されたように、ニコラのことを窘める際にわざと『お姫さん』と呼びかけるのがいい例だ。
テオドールがニコラの言葉を信じたのは、彼自身の忠誠心に他ならない。
しかし、そこにこそ魔法の綻びが生まれるのかもしれない。
「まあ…そう言われりゃ…。もしかしたらニキさまとの付き合いの長さだとか思い出とか、そういったものの蓄積の度合いによって記憶操作の効力に差が生まれるのかもしれないですね」
「記憶の蓄積の度合い、か。その仮説はあり得るかもしれないな、おもしろい」
「……おもしろいって他人事みたいに言わねえでくださいよ、お姫さん。いや、今は王子さまか…? ややこしい。それにしても精神魔法か…もっとまじめに勉強しとくんだった」
ぶつくさと愚痴を零しながらもテオドールが一緒に知恵を絞ってくれる。ニコラはそれだけで心強かった。
先ほどまでは自分の性が根底から覆され、ひとり見知らぬ世界へ放り出されたような何とも言えない心許なさで、自分の存在すら消え入りそうだったというのに。
「他人事だとは思ってないよ。僕自身のことだと誰よりもしっかり自覚している。特にほら、このあたりの違和感が…」
真剣な眼差しでテオドールを見つめたかと思えば、最後の方は言い淀みながら自分の下肢へと視線を落とす。ニコラの視線を追いかけ、辿り着いた先の示す答えにテオドールは思わず表情を失くして凍りついたように動きを止めた。
「………………ニキさま、お願いですから下ネタをぶっ込んでくるのはやめてください」
「下ネタっておまえ…僕を何だと思ってるんだ。これでも花も恥じらう乙女だったんだぞ? この状態でトイレとかどうしようって真剣に考えるじゃないか、ふつうは…!」
「……あ、うん、はい。スミマセン」
ニコラの耳が赤く染まっていく様子をしっかりと見て取ったテオドールは逆に冷静になったようで、恥ずかしさを誤魔化すように振り上げられたニコラの拳が自分にぶつかる前に軽く身を躱した。
終極の魔法使いの魔法により、男子へと作り変えられてしまったニコラの身体は完璧なものだろう。性差による違和感はあるだろうが、すでに自分の身体となってしまったのだからそこは慣れてしまうよりほかに方法がない。
「でもまあ、いざとなったら…――」
テオドールが口を開きかけたところで扉をノックする音が鳴り響いた。
ふたりとも会話に集中していたため、不意打ちを喰らったように思わずビクリと肩を揺らしてしまう。
そもそもテオドールがニコラのことを呼びに来たはずなのに、すっかり話し込んでしまったのだ。ほかのメイドたちが疑問に思い、呼びにきてもおかしくない時間だった。
扉の外でニコラの名を呼ぶメイドの声が聞こえると『入れ』と短く返した。
入室の許可を得て顔を覗かせたのは、ニコラ専属の侍女のひとりであるエマだった。
「ニコラさま、ソル・レスターさまがお見えになっています」
その名を耳にすると、ニコラは意外そうな顔で首を緩く傾けた。