未来から来たノラ猫型ロボット
「もうお前だけが頼りなんだ。頼むぜ」
俺は祈るような気持ちで、じっと相手の目を見ながらそう言った。
「お任せ下さい」
相手は表情の乏しい顔で、頷いた。
「そうか。じゃあ、いよいよだな。……どこから行く?」
「密閉空間ならどこでも構いません。そうですね、あのクローゼットなどが適当でしょう」
「分かった」
俺がクローゼットの扉を開けると、そいつはごそごそと中に入り込んだ。
「では、行ってまいります」
「うん。よろしくな」
そう言って扉を閉めるとすぐ、隙間から強い光が漏れ、タイムワープが開始された事が分かった。光が消えてからそっと扉を開くと、クローゼットの中にはもう誰もいなかった。
――どうやら無事に、過去の世界へと旅立ったようだ。
* * *
「チャララッチャチャ~ン」
そいつは効果音を自分で口ずさみつつ、いきなり机の引き出しを開けて出てきた。
ぬいぐるみ程の大きさで、プラスチック製らしい身体。丸っこい頭部に、猫耳らしきものがついている。ぱっと見、玩具のネコみたいだけど……。
「な、なんだお前!?」
「こんにちは。私は未来の世界からやって来たネコ型ロボットです」
「未来の世界から……? それってもしかして……」
俺はごくりと唾を呑み込んだ。
「未来の世界で、俺は悲惨な人生を送っているとか……」
「その通りです」
「未来が変わるように、今の俺を助けに来た?」
「話が早くて助かります」
「マジで!?」
俺は思わずガッツポーズをした。
未来の世界からロボットがやって来て、不思議な道具を使い、俺が困った時には助けてくれる。子供の頃に夢中で見ていたアニメそのままだ。それがついに現実になったんだ!
「よろしく頼むぜ!」
「お任せ下さい。十年後のあなたにもよく言われていますから」
「十年後!? わりと近いところから来たんだな」
「ええ。十年後のあなたは勤め先が倒産して失業、さらに長年の不摂生から来る肥満が元で糖尿病。ストレスから飲酒量が増え、アル中一歩手前です」
「ええっ」
「今から二年後に、現在お付き合いをしている方と結婚しますが……、」
「うんうん」
「結婚した途端に彼女は豹変し、あなたは家庭内でATM同様の扱いを受けます」
「そ、そんな」
「嫌気がさしたあなたは浮気をし、それがバレて膨大な慰謝料を取られて離婚します」
「踏んだり蹴ったりだな……」
「さらには幼なじみから連帯保証人になってくれと頼まれ……」
「もういい! もういいから!」
「……まあそんな訳で未来のあなたは、なけなしの貯金をはたき、ワゴンセールでお値打ち価格だった私を購入しました。そして十年前の過去へ送ったのです。私が来たからにはもう安心です。あなたの未来を素晴らしいもの変えてみせます」
「そ、そっか! 頼もしいな。頼むぜ!」
けたたましいアラーム音で、俺は飛び起きた。
「な、何だ!? 火事!?」
「起床の時間です」
目の前に、ネコ型ロボットがちょこんと座っている。
「え……? ちょ、待っ……」
寝ぼけて状況が把握できないままに時計を見ると、四時だ。窓のカーテンの向こうはまだ薄暗い。
「まずは未来の健康状態改善から着手します。本日より毎朝ジョギングをしましょう」
「冗談だろ。今日は日曜だぜ! そんな事できるかよ!」
「早く身支度をして下さい。ブクブク太ったあげく糖尿病で死にたいですか」
「うっ」
「それと、本日のご予定は?」
「別に、まだ決めてないけど……」
「それは好都合です。交際中の彼女と面談の時間を取り、今日中に関係を精算しましょう」
「え!?」
「明日からは転職のための情報収集を行います」
「ちょ、ちょっと待て……」
「それから例の幼馴染とは金輪際連絡を取らないように……」
「待てってば!」
俺の大声に、ネコ型ロボットは首を傾げてこっちを見た。
「ご質問をどうぞ」
「あ、あのさ、そういうやり方じゃなくて。お前、未来のロボットなんだろ? だったら何かこう、未来のスゴイひみつ道具とかで一気に解決……」
「いい歳してなに夢みたいなこと言ってるんですか」
「うっ」
「十年くらいでそんな大きな技術革新があるわけないでしょう。タイムワープがせいぜいですよ。いいから私のプランに従って下さい。さもないと悲惨な未来があなたを待っています」
「そ、そんな事言ったって……。彼女は可愛いし優しいし……。別れたくなんか……」
「既に申し上げたように、結婚した途端に豹変します」
「仕事だって、俺みたいな三流大学卒にしちゃ、まあまあの勤め先だし……」
「それも既にお伝えしましたが、数年後に倒産します」
「だけど転職ったって、この不景気じゃ難しいよ」
「それもそうですね」
ネコ型ロボットは少し考え込む様子を見せたので、俺は内心ホッとしたが、
「では、転職に有利な資格を取得しましょう。良さそうな通信講座を探して申込みをしておきます」
ネコ型ロボットはそう言い放った。
こうして俺は、毎朝四時に起床、ジョギングをしてから出勤、仕事が終わって帰宅後は食事と風呂を済ませ、その後は就寝まで資格取得のための勉強という、意識高い系生活をさせられる事になった。テレビを見る時間も、ゲームやネットをする時間もなくなった。
休日も、朝のジョギングの後は掃除や洗濯などの家事を済ませ、勉強。午後はジムへ行き、その後は自己啓発書などを読む。
「なんで俺がこんな事しなきゃいけないんだよぉ!」
俺は、テキストを思いっきり壁に投げつけた。
「転職のためです」
ネコ型ロボットは動じず、壁際に行ってテキストを拾い上げた。
「分かってるけどさ! だからってなんで……」
「いささか情緒不安定のようですね。明日は心療内科を受診して薬をもらいましょう。予約をしておきます」
「…………」
「何かご質問でも?」
「やーめた! やめた! 未来の俺のために、何で今の俺がこんな事しなきゃなんないんだよ! バカバカしい!」
「バカはあなたです」
「うっせえ! だいたい不公平じゃんか! なんで俺ばっかり……」
――ハッ。そうだ!
「な、なあ。俺、思ったんだけど。転職よりも、そもそも始めからから別のとこに就職すれば良かったんじゃないか?」
「確かにそうですが今さら言っても……」
「お前なら過去を変えられるじゃんか。もう一度タイムワープして就活中の俺のとこに行って、別の会社に就職させるんだよ!」
「まあ、言われてみればそうですね」
「だろ!? じゃあそうと決まれば、お前、今から五年前に行ってくれよ」
「分かりました」
「おう! よろしく頼むぜ!」
「その代わりあなたには、運動の方を担当していただきます。今日は夕方からジムです。メニューは……」
「分かってる分かってる! 他のことは俺がちゃんとやるからさ!」
「そうですか。では私は行ってきます」
ネコ型ロボットはそう言うと、机の引き出しを開けて中に入り込んだ。隙間から一瞬、強い光が漏れた後、俺は恐るおそる引き出しを開けてみた。中には誰もいない。
「やったーーーー!!」
俺はソファに勢い良くダイブした。
――そうだ。缶ビールがまだ残ってたはず。
冷蔵庫からビールを取り出し、ついでにつまみのスナック菓子を抱えてソファに戻る。その後は久しぶりにネットサーフィンをしながらビールを飲み、そのまま寝た。
* * *
「チャララッチャチャ~ン」
そいつは効果音を自分で口ずさみながら、洗濯機のフタを勢い良く跳ね上げて出てきた。
「な、なんだお前!?」
「こんにちは。私は未来の世界からやって来たネコ型ロボットです」
言われてみればネコに見えないこともないそいつは、すまして俺に答えた。
「未来の世界から……? それってもしかして……。未来の世界で俺は悲惨な人生を送ってるとか……」
「その通りです」
「未来が変わるように、今の俺を助けに来た?」
「話が早くて助かります。それに、思考パターンはこの頃から変わらないようですね」
「マジかよー!!」
俺は思わずガッツポーズをした。
未来の世界からロボットがやって来て、不思議なひみつ道具で俺を助けてくれる。そんな夢がついに、現実になったんだ!
「よろしく頼むぜ!」
「お任せ下さい。五年後のあなたと十五年後のあなたにもよく言われていますから」
「へっ!?」
「まあ細かい事はおいおい説明するとして。時間がありませんので早速、就活を始めましょう」
「は? 俺やっと内定もらったところなんだけど……」
「その会社は十五年後に倒産します。辞退して下さい。別のところに就職しましょう」
「そんな! 嫌だよ! せっかく内定もらったのに」
「そうしないと未来のあなたが悲惨なことになります。とりあえず別の就職先を探して、それから未来の健康のために食生活を改善をしましょう。お酒、ジャンクフードは厳禁です。今のうちから自炊を覚えて、健康的な食習慣を身につけましょう」
「ちょ、ちょっと待って。未来のひみつ道具は?」
「いいかげん夢から覚めて下さい。現実的で合理的な解決策を取りましょう」
「…………」
「さあ、求人情報を検索……」
「ま、待ってくれよ。この不景気就職難の時代に俺みたいな三流大学卒、そうそう就職先なんてないよ。今のとこに内定もらうまでだって大変だったんだから」
「まあそうでしょうね。もっとも学歴だけの問題ではない気もしますが。どうして在学中に資格の一つでも取っておかなかったのですか」
「う、うるさいな。いろいろ忙しかったんだよ!」
「確かに今さらそんな事を言っても時間の無駄でしたね。失礼しました」
「…………」
「今できることをやりましょう」
「……あ、あのさ、俺思うんだけど。他の俺とも分担したらどうかな」
「分担、とは?」
「つまりさ、お前は高校時代の俺のところに行って勉強させて、一流大学に入ってもらうんだよ! そうしたら楽に就職できるだろ。その代わり今の俺は、禁酒と食生活の改善を担当する。どうだ?」
「確かに、合理的なやり方かもしれませんね。五年後のあなたには運動を担当してもらっていることですし」
「そうだろそうだろ!? じゃあ、そうと決まればさっそく!」
俺は洗濯機のフタを開けた。
「分かりました。では行ってまいりますので、くれぐれも飲酒とカロリーの高い食事は……。それからこれも……」
ネコ型ロボットはポケットから、「おうちでおいしいロハス生活!」と題された料理のレシピ集らしい雑誌を取り出し、俺に手渡した。
「分かった分かった!」
俺は洗濯機のフタを閉め、ついでにチャイルドロックもかけた。しばらくしてフタの隙間から漏れる強い光が消えたので中を覗いてみると、ネコ型ロボットはもうそこにいなかった。
「やったー!」
俺はもらった雑誌を勢いよくゴミ箱に放り投げた。
* * *
「やった~! これで勉強しないで大学行ける~!」
俺は教科書を放り投げて大喜びした。ある日突然、未来からネコ型ロボットがやって来たんだ。何かスゴイ未来のひみつ道具で、俺を助けてくれるに違いない。
「志望校を、三段階ほど上のレベルの大学に変更しましょう。そこから安定した大企業に就職を目指します」
「マジで!? そんなことできんの? 未来の道具すげー!!」
「やるのはあなたです」
「へ? どうやって?」
「勉強するんですよ!!」
ネコ型ロボットはキレ気味に叫んだ。
「そんなの無理に決まって、」
「さあ、さっさと始めて下さい」
ネコ型ロボットは最後まで聞きもせず、放り投げた教科書を拾って無理やり俺の手に押しつけた。
「で、でもさあ……。もう三年の二学期だよ? 今からじゃ間に合わないよ……」
「ですが、何とかしないと未来のあなたの人生は……」
「じゃ、じゃあこうしたらどう? 高一の俺のとこ行って、勉強させるんだよ! んで三年間ずっと良い成績をキープすれば、いい大学行けるよ!」
「…………」
ふーっ、と、ネコ型ロボットはため息をついた。
「……分かりました。では、あなたにはその代わり、良い人脈作りを担当していただきます。いつも集まって下らないゲームばかりしている友人達とは、今のうちに縁を切っておいて下さい」
「わ、分かったよ! 分かったから早く行けよ!」
俺はタンスの引き出しにネコ型ロボットを突っ込んだ。
「では行ってまいります」
しばらくして静かになったので引き出しを開けると、もうネコ型ロボットはそこにいなかった。
「やった~~!」
これで過去の俺ががんばってくれて、今の俺は受験勉強しないでも大学行ける!
俺はスマホを取り出した。
「おー! 田中! 家こねぇ? ゲームしようぜ! ……え? いいじゃんそんなの後でやればさ~。来いよ~」
* * *
「また塾をサボりましたね」
「チッ!」
「あなたという子は本当に……」
ネコ型ロボットは、ぼくが放り出したランドセルを拾い上げてため息をついた。
「いいじゃん別に。塾なんてめんどくさいよ。だいたいまだ二年生なのにさあ~。もっと大きくなってからでいいじゃん!」
「良くありません」
「じゃあマンガみたいに、未来のひみつ道具でなんとかしてよ!」
「そんなことはできないと何度言ったら分かるのですか。ただでさえ出来が悪いんですから、少しは真面目に勉強してください」
「そんなのママが悪いんだよ! ぼくが頭わるいのは、いでんでしょ!」
「頭悪いわりにそういう言葉は知ってるんですね」
「うるさいな!」
ぼくはゴミ箱のフタを開け、ネコ型ロボットをポイッと放り込んだ。
やった。ざまーみろ!
* * *
「やだぁ~」
あたしは苛立ちまぎれに、足元に転がっているヘンなオモチャのネコを軽く蹴とばした。道端のゴミ箱から転がり落ちてきたソレを踏んづけて、はずみでヒールが折れちゃったんだ。
「もぉ~」
ネコのオモチャは何か喋ってるけど、あたしは構わずそれをゴミ箱に戻した。
「あーあ。どうしようかな」
折れたヒールを眺め、あたしはため息をついた。
今日は一応、これからデートのはずだった。だけど相手は全くあたしの好みじゃなくて、しつこく何度も誘うから仕方なくOKしただけだ。だけどなんだかもう、行く気が失せちゃった。家に戻って靴を履き替えて、また出かけるのも面倒。いいや。バックれちゃおう。そしたらあの男もいい加減諦めるだろうし。
あたしは歩きにくい靴で、家に引き返した。
* * *
ワゴンの片隅で、売れ残りのネコ型ロボットはぱちくりとまばたきをした。
「あーあ。またですか……」
いかにもやり手のといった風のビジネスマンが、ネコ型ロボットには目もくれずに店の前を通り過ぎて行った。人々は忙しく街を行き交い、ワゴンセールのネコ型ロボットには目もくれない。
「あっちこっちへ行ったり来たり。まるでノラ猫ですね……」
ノラ猫型ロボットは小さくため息をつき、次の買い手が現れるの待つ事にした。