06話 毒
辺境にあるハレの町は、ほぼ正方形に近い形で塀に囲まれている。実際は微妙に南北の辺が長いのだが誤差の範囲と言える。
その外側に広がる広大な畑地も、塀に沿って作られている為、自然と全体として長方形に近い形を取っている。
無論、個々の畑は近代日本の農村のように区画整理などされておらず、いびつな形を取っている。
それでも全体として見ると歪に飛び出ている部分が無いのは、草原に隣接する畑地が出来るだけ草原に対する接触面を少なくしようとした結果だろう。
その為、畑地と草原を分ける木の柵もほぼ一直線に伸びている。
竜は、その柵を基準に25メートルを開けてローラー探索続けて行った。
そして、畑地が切れる東の端まで来ると、北に50メートル移動し、今度は西に向かって移動する。
後は同様に、北に延びる道と東側の畑の終わりの間を50メートル間隔で探査を続けた。
左右25メートル、幅50メートルのローラー探査なので、全てを目視範囲に入れる事は出来ない。出来て左右10メートルだ。
だが、竜の目的はインプラント探索なので薬草の探索は二の次となっている。
有るか分からない、無い確率の方が圧倒的に高いインプラントに拘る彼はやはりおかしいのだろう。
普通では無い環境、普通より歪んだ者が多い中で生活してきた彼もやはり歪んでいるのかもしれない。
彼自身は、施設内で他者をいじめる事は無かったし、性的なおこぼれにも預かった事は無い。そして、学校でもイジメに参加する事も無かった。
どちらかと言えば、逆にイジメを受ける側だった。だが、彼はそれをことごとくスルーしてきた。意識してこらえるのでは無く、当たり前のようにスルーだ。
彼の行動や態度は、社会的にはおかしな事では無かった。だが、悪の方向への歪みでは無いにせよ、確実に別の方向へは歪んでいた。
インプラントに対するこの拘りは、それから来る物なのかもしれない。そして、彼の年齢に合わない落ち着きもそれから来るものだろう。
そんな微妙な歪みを持った竜は、時折襲ってく穴ネズミを殺しつつ探索を続けた。
結局、彼が目的の薬草の一つである奏草を見つけたのは正午を過ぎた時だった。
基本的に群生する性質を持つこの植物は、1つ見つければその周辺で複数を採取できる。無論、他の者に前もって荒らされていなければだが。
幸い、この場所はまだ荒らされていなかったようで、目的の量を十分に採取する事が出来た。
一応、地下茎植物以外は、マナーとして取り尽くさず、小さな株を残す事が求められている。竜もそれに従ったが、それでも問題なく目的の量を採れた。
採取した奏草は、他の葉が長い植物で一定量ごと束ね『次元収納』へと納めていく。
目的の薬草の内、1種類を規定量入手できた事に満足して移動を再開した途端、彼を襲うものがあった。跳びサソリだ。
初見のモンスターだ。資料によってサイズ色、攻撃方法、危険性は理解していたが、思った以上に色が土の色に近く発見が遅れてしまった。
それでも、ギリギリでよける事は出来るタイミングだった。だが、竜はあえて攻撃を受けた。
名前通りに1メートル以上の高さまで飛び上がった跳びサソリは、竜の右に掴み掛かり尾を肩に突き刺した。
その際の痛みは思った程では無かったようで、竜があれ?と言う顔をする。
そんな顔をしつつ、左手によって右腕に抱きつくようにして再度尾の毒針を刺そうとする跳びサソリを払い落とす。
そして、跳びサソリが地面に落ちると同時に右足で踏みつぶした。
確実に殺した手応えを感じた竜は、改めて周囲の確認を行い、その死骸から魔石を取り出す。
その跳びサソリの魔石も穴ネズミと同レベルの魔石で、最低ランクの物のようだ。
一通り作業が終わった竜は、自分の刺された右肩を見て首をひねる。
(死なないけど、激痛が走るって聞いたんだけど…… ガセ?)
イスミ嬢からもそう聞いたし、資料にもそのように書かれていた。その為、刺された際かなりの痛みを覚悟していたのだが、注射ほどの痛みで、聞く程の痛みが無かった為拍子抜けしていた。
(これって、毒が回るに従ってどんどん痛くなるタイプの毒なのか? そこら辺まで聞いとくべきだったな)
自分の情報収集方法を反省している竜だったが、次の瞬間、彼の右肩に激痛が走った。
その痛みは、硬式ボールがデッドボールでいきなり当たった程の痛みで、なおかつその痛みが継続するものだった。
声にならない痛みを上げて、のたうち回りそうになる自分を、意識の力で押さえ込む。
(これか! これかよ! 間違いなく激痛だ! よし、しよ、先ず意識をそらせ! そして、『肉体操作』だ!)
人間は、特殊な痛みで無い限り、その痛みを我慢する事が出来る。短時間であれば、意識をそらす事で痛みに集中しないように出来る。
竜は右肩から来る激痛から意識をそらし、『肉体操作』を起動して問題の肩の部分を調べる。
すると、アラートイメージと共に直ぐに異物とその異物によって破壊されつつある細胞などが分かった。
後は簡単だ。その異物を全て外部へと放出し、壊れた細胞を元に戻す。
右肩を中心とした一帯が淡い紫色を発し、2秒と経たずに痛みと傷も完全に消滅する。胸元まで発光したのは、血管を経由して毒の一部が廻っていた為だろう。
(よし、検証完了)
竜は満足げに微笑む。
この検証は、毒を持つサソリの存在を知った時から計画していた事だった。
この跳びサソリの毒が致死毒では無いという事も、この計画にうってつけだった。
竜は、『肉体操作』の効果でケガ等を直せる事はすでに検証していたが、『毒に対処できるか』に付いても検証する必要性を感じていた。
この世界には、魔獣・非魔獣に関わらず、毒を持つ生物が存在し、死に至る毒を持つものも少なくないと言う。
今後この世界で生活し、なおかつフィールドで探索を実施するのであれば、その毒に対処するすべを持つのは必須である。
故に、今回の検証が行われた訳だ。多少予定外の所(痛みの件)も有ったが無事に検証が行え、意識さえ有れば『肉体操作』で毒に対処できると言う事が分かった訳だ。
また、あのレベル痛みでも『肉体操作』を実行できる事が分かった事も大きい。
この検証の為に、一応、専用の毒消しポーションも購入していたのだが、それも不要となった。値は下がるが売却すすれば良い事だ。問題ない。
これで、本日の目的の一つがまた完了した事になる。順調だ。
だが、その日は、そのまま探索を続けたが、他の薬草は発見できずに終わった。
彼が受けた依頼は、別段1日で完了する必要は無いものだ。たた、通常は金額的に考えて1日で済まさなければ益が出ない為、持ち越すような事は無い。
また、採取した薬草が新鮮な状態で無いと買い取ってもらえない事も、1日で終わらす必要がある理由でもある。
だがその事に付いては竜の場合『次元収納』が有る。収納している間は時間が停止するか少なくとも限りなく遅くなるこのインプラントがある為、日をまたごうが月をまたごうが関係ない。
無論、採算に付いてはどうしようも無いが、まだ汲み取りによって得たお金に余裕がある事もあり、焦っては居ない。
道路側まで出てきた時点で、その地面にスコップで少し穴を掘りマーキングとし、その日は宿へと帰っていく。
帰りがけ食堂で定食を食べ、翌日分の朝食と昼食を屋台で購入して『次元収納』へと納める。
(次元収納様々だな……)
元の世界に居た際は、ちょっとした荷物を入れるか、将来的に輸送に使えると考える程度だったが、この世界に来て一気にその利便性が高まった。
食料品の保管、採取物の保管、金銭の保管、衣類の保管等だ。
このインプラントがあるおかげで、治安に問題があるこの世界でも問題なく私物や金銭を管理できている。
借りっぱなしの宿だが、だからといって荷物を置きっ放しには出来ない。お金に至っては当然の事だ。
この世界には銀行は存在しない。全て自分で管理する必要がある。
普段であれば身につけていれば良いが、銭湯等を利用する場合などはさすがに身につけて行く訳にはいかない。
(これで、この世界にアイテムボックス的な魔法があれば、それだという事にして堂々と使えるんだけどな……)
現在、唯一このインプラントの問題点は公に使用できないと言う事だ。
ゲームや小説のように、この世界にはアイテムボックスや、魔法の袋的な次元を操作する魔法・マジックアイテムは存在しない。
窓口嬢に、そのことを聞いた時には、それまで以上に奇異の目で見られた竜だった。
その際の窓口嬢いわく「そのような神具レベルのマジックアイテムが存在していれば、世界は全く別のものに成っていますよ」との事。
この世界では、おとぎ話にすらそんなものは登場していないそうだ。
ちなみに、他の場所へと転移する神具と言う物は、いくつかのおとぎ話に登場するらしい。それは『妖精の穴』という事象が影響しているのかもしれない。
翌日から毎日北の草原をローラー探索していく。
受けた薬草採取依頼は2日目にして完了となったが、再度同じ依頼を受け直し北側草原全てを探索し終えるまでそれを繰り返した。
竜の行ったローラー探索は、先ず道を挟んで北東の草原をで行い、それが終わってから北西の草原を探索するという形を取った。
全体として目的の薬草類が残っていたのは、半分より森に違い側だった。
その為、北側を探索する際、余分に自生していた場合は多めに取って置いて採取出来ない日の為に残すようにした。
本来は、薬草採取系の依頼は、最低量を定めた上でそれを越える物も買い取りを行っている。場合によってはその方が単価が上がるケースもある。
だが、竜は最低量だけを精算し、依頼数を増やす方法をとった。つまり、協会ランクを上げる為だ。
ものの本で良くあるように、この世界の冒険者協会もランク制を取っている。1~7級の7段階だ。1が最高で7が下っ端だ。
元々冒険者の無駄死にを防止する為と、依頼の成功率を上げる為の物だったが、現在では差別化の意味合いが高いという。
その結果として、目標として頑張ろうとする若者もいるが、級による待遇に対する不満も出ているらしい。どの世界であろうと良くある話だ。
竜は、当然ながら7級スタートだ。受けられる依頼も7級用のみと成る。
これまた当然ながら、級制限が低い物程依頼報酬が低い。竜が受けていた薬草系採取に至っては最低量で3000円にすぎない。その上で、品質に問題があればその金額からマイナスされる。
現在、竜が泊まっている宿は一泊2000で、食事は定食が400円~500円、屋台の軽食が100円~300円と言う所なので、1日最低3000円はかかる計算になる。
だが、実際はその上で銭湯代200円、洗濯場使用代50円、洗濯物干し場使用代50円などと言う雑費も出てくる為、確実にマイナスになっている。
つまり、完全な赤字だ。
それでも先の事を考え、冒険者ランクを上げる事を優先する竜だった。
それは、汲み取りの依頼料がある程度残っているから出来る事ではあるが、その貯蓄も確実に減って行っている。剣やナイフ、皮鎧などと言った装備購入に費やした金額が少なくなかったからだ。
だが、その甲斐あってか、依頼達成回数が規定値を超え、無事6級となる事が出来た。薬草採取を開始してから7日後のことだった。
この間、42匹の穴ネズミと11匹の跳びサソリを殺し、さらに森に近いエリアで殺人蜂26匹を殺している。
その上で、2回程森に近いエリアで牙犬と遭遇したが、即座に『ジャンプ』の連続使用で上空を逃げて事無きを得ている。
殺人蜂に関しては、跳びサソリ同様に毒の確認を行った。
当初、冒険者協会窓口で窓口嬢から聞いた際、「刺されて死ぬ者と死なない者が居ます」「一度刺されて大丈夫だった者でも、次に刺された際には死んだ者もいます」と言う話を聞き、いわゆるアナフィラキシーショックと言うヤツでは無いかと彼は考えた。
だが、この世界であれば、ゲーム的に一定確率で発生する即死毒である可能性も否定できない。だから確認を実施した。
無論、窓口嬢より「刺されて死ぬまでにはある程度の時間があり、その間に解毒ポーションを飲めば大丈夫ですよ」との話を聞いた上での実行だ。
そして、実際に森に近いエリアで探索中1匹の殺人蜂に遭遇し、実験を実施した。
その殺人蜂は、尾を含めない跳びサソリよりも若干大きく、頭から尻まで含めて約40センチを超える大きさだった。
その為、それから発せられる羽音もかなり大きく、強風でも吹いていなければ確実に前もって気づける音だ。
今回も犠牲になったのは右肩だ。意図的に誘導して右肩を刺させる。
刺された瞬間の痛みは跳びサソリよりも遙かに痛かったが、その後の痛みは比べるのもおこがましい程だ。
だだ、跳びサソリと違い、刺された後に殺人蜂自体を簡単に殺す事が出来なかった。
普通サイズの蜂と違い、その大きさから来る重量の為素早く飛び回る事は出来ないのだが、ヒットアンドアウェイを実践してくる殺人蜂にしばし翻弄されてしまう。
だが、その間起動した『肉体操作』に致命的なアラート表示が出ていない事から、即座に死に至るような事は無いと判断し、落ち着いて対処する事で4分程で剣によって殺す事に成功する。
この『肉体操作』のアラートだが、肉体改造時のセーフティーと同様に、身体に問題が発生するよう場合その危険度に応じて表示で警告してくれる。
この事は跳びサソリの毒で確認済みだ。
今回の殺人蜂の毒は跳びサソリの際よりも危険度は低く成っており、この蜂による死は、多分確率式致死毒では無くアナフィラキシーショックによるのだろうと彼は判断した。
だが、魔法という全く別の概念が存在する世界なので、元の世界の常識が全く通用しない可能性も高い。
しかし、インプラントがエネルギー量的にはこの世界に合致しているのであれば、その魔法的な危険も判断基準に入っている可能性も有る。これは完全に竜の希望的観測に過ぎないが……
何はともあれ、殺人蜂の毒にも対処できる事が分かった竜は、その後森沿いの探索もそのまま実行し、一度は集団の殺人蜂に襲われ、体中20カ所以上を刺されるという惨事に遭ったが毒的には問題なかった。
竜の場合、『肉体操作』の存在が戦闘時の心の安定を高めている。
『生きてさえいれば、意識さえ有れば何とでも成る』と言う事実があるおかげで、たとえ殺人蜂に目を刺され失明したとしてもパニックになる事が無い。
意識を『肉体操作』に向けられる限りは、このハチの毒や刺し傷などは2秒と掛からず直す事が出来る。目を刺された際の傷も2秒だった。
無論、指された場所によっては時間との勝負となるような事もあるだろう。脳を破壊されれば思考そのものが阻害されインプラントを使う事も出来ないはずだ。
つまり、無敵では無いが、守るべき場所さえ守れば死の危険を圧倒的に小さく出来ると言う事だ。
そして、それを理解しているが故に焦りや絶望と無縁でいられる。そして冷静な対処が可能となるという事だ。
命をかける者にとってこの事は非常に大きい。
ある意味『死兵』という者に近いかもしれない。死ぬ事をいとわない者と簡単には死なず大けがや欠損部位も再生可能だと理解している者、状況は違えど戦闘時の心の在りようは共通しているところが多いかもしれない。
命をかけるような戦闘行為に全くど素人である竜だが、この特性のおかげで確実に戦闘行為に慣れてきている。
自分の特性を過信せず、その上でこの特性を認識して実践を繰り返せば、竜は確実に強くなるだろう。
現時点において彼におごりは無い。一つ一つ確実に実験し、理解し、実践し、検討している。
彼は、この世界において大きなマイナスを背負っている。それはこの世界に生きる者であれば誰もが持つ加護である『成長の加護』を持たないという事だ。
通常、レベル1の者は穴ネズミを100匹程殺す事でレベル2に成るという。
だが竜は『成長の加護』を持たない事で、レベルアップ出来ない可能性が高い。
あくまでも『可能性が高い』なのは、『成長の加護』を持たない者が過去に記録されていない為はっきりした事が分からない為だ。
そのため冒険者協会からは、その経過を報告してくれるように依頼されている程だ。
そのデータが今後役に立つかどうかは不明だが、逆説的に『成長の加護』と過去から言われていた加護の真実が分かる可能性があるのだと窓口嬢は語っていた。
すべての者が持つ加護であるが故に、何を持って『成長の加護』とし、レベルアップやパラメーターの増加に関わるとしたのか今の時代には伝わっていないらしい。
窓口嬢は、時折ある『神託』によってもたらされたモノでは無いかと言っていた。ただ、本人いわく、「神託自体が、事実か虚偽が微妙なモノなので……」と自分で言っておきながら懐疑的だった。
だが、神らしきモノに会った事のある竜としては、『神託』自体を否定できないのだった。ただ、日本で育ち、歪んだ者達を多く見てきたが故に『エセ神託』も多く存在しているだろうとも考えている。
竜的には、無論レベルアップできるのが最もありがたいのだが、状況から考えレベルアップは不可能と考えておく事にしている。
何はともあれ、自分の行動によって確認できる事ではある。すでに穴ネズミクラスのモンスターを殺した数は80を超えている。目安の100匹は間近だ。
もう少し先の話ではあるが、そこまで遠くない未来の話だ。