05話 外へ
目を覚ました竜が一番最初に感じたのは、飢えと渇きだった。
喉が渇いた腹が減ったでは無く、極度の空腹感と枯れるような喉の渇きを感じていた。
多少のけだるさもあり、起き上がるのも若干おっくうだったが意識して起き上がる。
寝るつもりの無い状態で意識を失った為、衣類はもちろん皮で出来た装備も身につけたままだった。
何はともあれ、現在の時刻を確認すべく付けたままの腕時計を確認しようとすると、その腕時計はツルリと手首を滑り文字面が下を向いてしまった。
(……腕が細くなってる)
慌てるように他の部分の体を確認する竜。
その体は確実にやせてしまっていた。腕や足はほぼ2割程細くなっており、手で触れて確認した頬も触って分かるレベルでこけている。
竜は元々標準的な体格をしていた。肉付きも普通で、この世界来て1月弱経つがその間もそれも維持していた。
それが明らかに痩せてしまっている。
無論、激痩せというレベルでは無いが、闘病後と言っても納得するレベルには痩せている。
(肉体操作の副作用か?)
慌てて『肉体操作』を起動し、自分の体を分析していく。
すると直ぐにレッドアラートともいえる物がイメージとして表示される。
(骨と肉と水分が足りない?)
インプラントによって頭に浮かぶのはあくまでもイメージであり、文字や記号などは表示されない。その為、そのイメージが何なのかを想定する必要がある。
(骨って言うか、骨に関わる栄養一式が20%不足? 筋肉に必要な栄養一式が30%不足? 血液?リンパ?とにかく体内の水分に関わる水と栄養素が30%不足か…)
(これって、副作用と言うよりも、肉体改造を行った事で消費した、もしくは足りなかった物が有ったって事っぽいな。まあ、無から有は生んではくれないだろうし)
その分析結果と予想でなんとか落ち着きを取り戻した竜は、緩くなった腕時計を右手で掴んで文字盤を読んだ。
するとそこに表示されている日時は『肉体操作』を実行した翌日の早朝5時45分となっていた。
(1日近く寝てたのかよ…)
正確には彼が『肉体操作』を実行したのは昨日の正午近くなので17時間弱という事になる。
また1日依頼を実行できなかった事に気づきため息をつく。
だが、何はともあれ、飢えと渇きを癒やす事を優先し、廊下に出て洗面所に設置された瓶から水をすくって飲んだ。
神社の境内に有る手水用の柄杓に似た物で12杯程のみ、乾きに関してはある程度の満足を得られた。
出来れば空腹も満たしたいのだが、残念ながら早朝から行っている屋台等でも早くて6時過ぎだ。まだ若干時間がある。
一旦部屋に戻った竜は、ベッドに腰掛けると『肉体操作』を起動し、水分の吸収を実行する。
だが、さすがに他のミネラル分が足りなかったようで、全てを吸収する事は出来なかった。この時点で水分関係の不足分は13%ほどと成っている。
その後30分程自室で変化した体を検証しながら過ごし、時間と共に急ぎ足で屋台が連なる冒険者協会へと向かった。
さすがに時間が早いせいで、最大20軒程軒を並べる屋台もまだ4軒しか出ていない。
竜は串焼き系の軽食を5本買うと、冒険者協会の塀に背をもたせてゆっくりと食べていく。
5本全てを食べ終わると、そのままの状態で『肉体操作』で吸収を実行した。それによって筋肉に関する不足分は21%にまで回復している。
その後、栄養バランスを考えて3カ所の屋台を回り、野菜スープやサンドイッチ風の軽食を購入し、食べては吸収を繰り返し、それを吸収できなかったもので腹が一杯になるまで繰り返した。
その甲斐もあってか、骨関係が3%の不足、筋肉関係が8%の不足、水分関係が2%の不足と言う所までは回復した。
そして、それによって、大分痩せた体も元に近くなっていた。調整していた腕時計のベルト穴は若干緩めではあるが元の穴が使えるようになっていた。
不足値が一定を切った為か、『肉体操作』を確認するとアラートが消え、一段低いイメージの物に変わっている。いわば注意と言うレベルか。
肉体的にもある程度落ち着いた事もあり、2日遅れの予定を実行に移す。薬草採取依頼の実施である。
そんな訳で今日は無事目的の『薬草系植物の採取依頼』を受ける事が出来た。
昨日同様、非の無い彼をにらむ冒険者も何名かいたが、鍛えたスルースキルで無視を決め込む。
この依頼は、3種類の植物を一定以上採取してくるもので、全て魔法薬類の材料になる。
『奏草』『水名草』『橡根』の3つだ。
橡根に関しては、『橡の木』と言う木に近い植物の根である。
この薬草採取は、汲み取り依頼よりも金にはならない。たいていの冒険者が、討伐依頼のついでに受けるような依頼の為、低価格に設定されている。
無論、多くの冒険者がついでに採取してくる為、供給が多い事も低価格の理由でもある。
だが竜にとっては、この依頼は郊外に出る為の訓練として見ている。故に全く問題ない。
彼は、この世界にもインプラントが存在する可能性を考え、それを探そうと思っているのだった。
その為にはこの世界のフィールドを自由に出歩く力を身につけなければならない。
故にその第一歩が『薬草採取依頼』と言う事だ。
実は、竜は『汲み取り依頼』の最中もインプラント探索を実行していた。とは言え、それは町中を移動する最中ずっと『違和感』が無いか意識を向けていただけの事ではあるのだが。
この世界に来てから竜は改めてインプラントの事について考えた。幸いにも夜が長くほかに何もする事が無かった為、考える時間だけは十分にあったのだから。
その上で、元の世界では無意識に最初に見つけた山中にしか無いと思い込んでいたが、果たしてそうなのだろうか?と。
実は他の場所、町中にすら有るのでは無いのか?と考えていた。単にそれに気づかずにいるだけでは無いのか?と。
そのことに関しては、今更確認のすべが無い。ならばこの世界では全ての場所を確認しよう、そう考えたのだった。
むろん、この世界にはインプラントが存在しない可能性も高い。
元の世界も、何らかの事情であの山にだけ存在していたとしてもおかしな事では無い。
だが、インプラントのエネルギーによってあの世界にいられなくなり、この世界に押し出されたのであれば、この世界はインプラントと同等のエネルギーをもっている事になる。
で有れば、インプラント、もしくはそれと同等の物が有る可能性があるのでは無いか?と言う考えだ。
単純に魔石がそれに当たる可能性も有るし、マジックアイテムがそれで有る可能性も有る。もしくは、魔法というエネルギーの存在がこの世界のエネルギーレベルを上げている可能性も有る。
実際の所、この世界にインプラントそのものが存在する可能性は著しく低い。
だが、インプラントによって未来に希望を見いだした竜は、インプラントにこだわってしまっていた。
人間は、何か一つ成功すると、以降それにとらわれる性質がある。犯罪者が同様の手口を続けるのもこれだ。
竜もインプラントと言う夢にとらわれてしまっていた。
見知らぬ異世界に一人飛ばされ、他の者は必ず持つ加護も無い状態では、自分のもつ唯一の力であるインプラントに希望を託すのはある程度仕方が無いのかもしれないが、竜の場合は加護が無い事を知る以前から探す気でいたので業が深いと言えるが。
ところで、この『インプラント』だが、これは何なのか?と言う事だ。
この事についても、当然ながら竜は考えた。だが、これまた当然ながら答えは出ていない。
先ず、何よりも日本を基準に考えて、非常識な物である事は間違いない。
彼が見つけたインプラントは全て大きさや材質は違っても石の中にあり、その石にはインプラントを埋め込んだ穴の形跡は無かった。
発見された状況から考えると、石が形成される以前に作られた物と考えるのが普通だろう。
となれば、漫画やアニメによく出てくる先史文明の遺産的な物を想像してしまう竜だ。
だが、過去に地球外から持ち込まれた物であるという可能性も考えられる。
実際、全てのインプラントが意識によって操作が可能で、イメージとして情報を得られる。
そして、身につける物では無く体内に入れて使うとと言う事から考えて、多種多様な生命体の混成集団でも汎用的に使用できる物だという事になる。
いわゆる某強殖なユニットと同じ考えだ。
そして、図らずも異世界へと来た事によって、他の世界から渡った物で有る可能性も出て来た。
場合によっては、石が形成される前では無く、現代において転移によってもたらされ、石の中に直接転移した可能性も思いついてしまった。
さらには、あの神のような存在にも会っており、神具のような物で有る可能性も否定できなくなっている。
結果、何かは分からないが、何らかの装置であり、エネルギーは一定時間で回復し、取り出す事は出来ない物、と言う事しか分からないと言う事になる。
お手上げである。実際、竜はそのことについて考えるのは保留する事にした。現状では考察の為のデータが少なすぎる為だ。
そんな状態ではあるが、新たなインプラントは欲している。故に探す。そして、その前段として薬草採取だ。
竜は、自分の体の具合を確かめつつ北門へと向かって移動していく。
当初竜が入ってきた門は南門であり、山を越えて他の村へと続いている。
今回竜が向かった北門は、やはり他の村へと続いている道があり、南門より農地に適しているようで倍以上の畑地が広がっている。
そして、目的の薬草類が生えているのはその畑地のさらに先に有る草原でその先は森となっている。
その草原は南と違い、元々は森だった所を伐採して出来た空間で、木材などを入手する意味とモンスター達の生息域を畑地から遠ざける意味で作られている。
現在もこの街における木材の入手場所は、森と草原の境界線周辺に限定することでセーフゾーンの拡大と維持を行っている。
とは言え、草原に出てくるモンスターもある程度存在する訳で、それを狩るのが冒険者という訳だ。
ただ、単にモンスターを狩り魔石を入手するという事に関してはフィールドは効率が悪く、大半の者はダンジョンへと行ってしまう。
その為、領主の意を受けたこの街の代官によって討伐依頼が出されている。全ては住民や農民の安全を図る為だ。
その為、街の維持には莫大な予算が掛かる。漫画や小説のように代官や領主が大金を持ち贅沢三昧をするというのは不可能だ。
この国には住民の移動を禁じる決まりは無く、逆に住民に移動の自由が保障されている。その為、領主や代官がまともな施策を行わなければどんどんと人は他の町に流れ、最終的には街の存続自体が出来なくなる。
その意味で腐った貴族は居ても、腐った領主は居ないのがこの国だ。
この街の代官も竜が聞いた範囲では「普通じゃないか?」と言うのが住民の評価だった。
そんな『普通』な代官によって整備された道を歩き、目的の草原まで到達したのは冒険者協会を発って1時間半が経過していた。
さすがに密集して建てられているとは言え、8万人にも上る人口を抱える街は広く、町中の移動だけでもかなり掛かる。
ほぼ町の中央に存在する冒険者協会から各門へはほぼ50分程だ。そして、そこからさらに広大な農地を越える事に成る。ゲームのように数分で狩り場にたどり着くような事は無い。
他の王都の様な大きな街になると、冒険者協会は各門の側に支所と言う形で作られており、利便性と効率を上げるようになっているが、ある程度大きいとは言え辺境の街であるこのハルでは1ヶ所しか作られていない。
その理由の一つが、ダンジョンの存在であり、この街の冒険者の7割がダンジョンが目的の者である為、郊外へでる者が少ないからだ。
さて、竜だが、体調も完全に回復していない事もあってか、竜の息は少し上がっていた。
その為、草原と畑地の境で、麦畑に沿って作られた1.5メートル程の木の柵に腰掛け、しばらく休む。
昨日彼が改造した部分には、いわゆる桃色筋肉化も有った。その上で個々の筋肉自体の質も上げてある。
体調が万全であれば息が上がる事は無いはずだが、こればかりは仕方が無い。
竜は定期的に上空や周辺を確認しつつ10分程休憩を取る。
そして、十分に体調が整ってからゆっくりと探索を開始した。
冒険者協会で今日依頼を受付してくれた窓口嬢はイスミ嬢だった。目と鼻が大きめの彼女だ。
彼女によると、この草原には通常3種類のモンスターがおり、穴ネズミ、跳びサソリ、殺人蜂だという。
この中で殺人蜂は森の近くにしかおらず、森に近づかなければ滅多に出会う事は無いそうだ。
後の2匹で注意すべきは跳びサソリで、尻尾を除いて体長30センチ程あり、尾に毒を持っている。
この毒は死に至る程の毒では無いが、激痛を発し、3日間その痛みが消えないのだと言う。
穴ネズミに関しては、革製のブーツを履いていれば、よほど運が悪くなければ歯は通らないそうだ。
無論、他に牙犬、ゴブリン、スライムなどが見受けられた事があったらしいが、それはごくごく少数なので気にしても意味は無い。
竜は、仮に牙犬のような現状敵わないようなモンスターが現れた場合は、即座に『ジャンプ』を使用して回避および逃走するつもりでいる。
『ジャンプ』は重力を1/2に緩和した状態で、瞬間的に任意の場所に足場を発生させられるインプラントだ。
それを使用する事で、地面を蹴り1メートルから2メートル程上空に飛び上がり、後は定期的に足場を作りジャンプを繰り返して上空を逃げる。
油断さえしなければ逃げるのは容易だ。『ジャンプ』のエネルギーは満タン状態で一万歩以上は保つのを確認している。無論現在満タンだ。
ちなみに、『肉体操作』以外のインプラントは全て満タンである。『肉体操作』は75%程の残となっていた。
今日の肝は『ジャンプ』と『肉体操作』だ。『ジャンプ』は緊急時の逃走用であり、『肉体操作』は今後の為の実験。
竜はゆっくりと探索を開始する。それは6割索敵、4割探索という割合で行われた。
今回の採取目的の3種については、イスミ嬢からサンプルと資料を見せて貰ってある程度覚えている。
サンプルは何かの透明樹脂に固められた薬草そのもので、橡根だけは葉の部分と根が一緒にコーティングされていた。
資料は全て手書きの物で、かなり詳細でわかりやすい絵も付いていた。
その資料を思い出しつつ、どんどんと移動していく。基本東へだ。
竜が探索を開始した場所は、北門から続く道沿いの草原の始まりだ。当然ではあるが、最も採取されている場所なので残っている確率は少ない。
当然畑沿いも無い確率が高いのだが、竜はあえて畑から25メートルをキープして移動していく。
この25メートルという距離は、インプラントの『違和感』を余裕を持って感知できるエリアで、薬草採取と同時にこの地のチェックもやっていく予定だ。と言うよりも、薬草採取がついでかもしれない。
そんな探索を続けて20分程発った所で、地面に開いた巨大なモグラ穴のような物を発見する。
穴の直径は20センチ近くあり、周囲の盛り上がりが無ければウサギ穴に思えたかもしれない。
剣を抜いて構えようとした瞬間、穴から飛び出してくる物が有り、それが足に向かって突っ込んでくる。
多分、昨日までの竜だったらその動きを認識する事は出来なかったかもしれない。
だが、万全の体調では無いとは言え、強化された肉体と脳によって彼はその姿をハッキリととらえ、そのモンスターが足に食らいつくまでにその足で蹴り上げる事に成功した。
ピッ!と言うような声を上げる吹っ飛ぶモンスターは穴ネズミ。猫と同サイズのネズミだ。
モルモット的なかわいらしさは全くない。どちらかと言えばイタチに似ているかもしれない。
吹っ飛んだ穴ネズミを目の端で追いつつ、竜は腰の剣を素早く抜く。そしてそれを穴に向けて構えた。
竜が剣を構えた瞬間を待っていたかのごとく、穴からもう1匹の穴ネズミが飛び出しその勢いと竜が突き出す力で剣に頭部から突き刺さってしまう。
冒険者協会で見せて貰った資料に、『穴ネズミは通常つがいで一穴に暮らしている』『一匹見たらもう一匹居ると思え』と書かれていた事をしっかりと覚えていた成果だ。
竜はその突き刺さった穴ネズミを地面に落とすと、先ほど蹴り飛ばした方に向かって周囲の警戒を実行しつつ進み、痙攣して動けなくなって居る体に剣を突き刺しとどめを刺した。
その後、ナイフを『次元収納』より取り出し、腹を割いて魔石を探す。穴ネズミは身体が小さい事もあり直ぐに見つかる。
ただ、見つかった魔石は直径6ミリ程の物で、最小サイズだと思われる。
2匹の穴ネズミから魔石を取り終えると、一旦地面の砂で手の血をあらかたぬぐい取り、『次元収納』から出した水筒の水で砂と残りの血を洗い流した。
竜はモンスターを殺す事、腹を割く事をためらわなかった。
これは、2カ所目の児童養護施設の有る行事が影響を与えていた為だ。
それは、年一回施設の子供達だけで夕食を作るという物で、メニューはチキンカレー固定だった。
このメニューで、一番の問題は生きた鶏を買ってきて、それを殺して血抜きして羽をむしり、切って肉にするという過程だ。
この施設では、施設が閉鎖されるまで20年以上これを実施してきたらしい。
当初は、豚より鶏の方が安い→肉の状態の品より生きている鳥の方が安い、と言う流れだったらしい。施設の予算が限られていた時代の名残だろう。
竜は、その施設で、小学3年生当時から中学3年まで毎年この作業を担当させられていた。望むと望まざるを無視して。
その為、動物を殺す、捌くと言う事に忌避感は少ない。無論何も感じない訳ではない。あくまでも、我慢して実行が可能だという事だ。
(あのイジメがこんなところで役立つとはな……)
皮肉な現実に唇の片方だけを上げ苦笑する。
取り出した2つの魔石は『次元収納』に入れ、穴ネズミ本体は放置する。食べられなくは無いらしいが、さしてうまい物でも無いらしく、飢饉にでも成らなければ一般には食べる事は無いという。
その後も、周囲の警戒をしながら探索を続けていく。
晩夏の日はまだ低い。探索出来る時間はまだまだ十分に残されている。竜は焦る事無くゆっくりと歩きながら目を光らせていた。