04話 加護
「くっせ~。おい、どこからか便所の臭いが漂ってきてるぜ」
竜が冒険者協会に入ってきて、依頼掲示板に向かった時にその声は発せられた。
それは窓口に並ぶ冒険者の中から発せられたもので、その途端、笑い声や鼻をつまむ動作が方々で起こった。
竜はその声には反応しなかった。元々施設育ちでその手の陰口やからかいには慣れていたからだ。
だがそんな無反応が逆に気に障ったのか、複数の者達が「くっせー!」と大声を出し始めた。
それでも竜は反応しない。これは、元の世界にいた時からの対処法で、お好きにどうぞ、が彼のスタンスだった。
だが、意外な所が「くっせー」コールに反応した。
「うっさい!! 黙れ!! この馬鹿野郎ども!!」
その甲高い声は、野太い「くっせー」コールの中にも綺麗に通った。
その甲高い声の発生源は中央の窓口からだ。
一瞬にして静まりかえるホール内に、次にドンとテーブルを叩いた音が響き渡る。
「あんた達、分かっててやってんの!? 彼は、長い間あんた達が放置した仕事をやってくれたんだよ! どれだけ街から苦情が来てたか分かる!? あんた達トイレを馬鹿にしてるでしょ! 放置したら疫病が発生するのよ! 何度頼んでも誰も依頼受けないでおいて、何それ。くっせー? ふざけんじゃ無いわよ!! 全員出てけ!!!!」
そう言ったのは、竜の依頼手続きを一番多くした、目と鼻の大きさが特徴の窓口嬢だった。
そして、大声で怒鳴った上で、窓口の上から板を下ろし彼女の窓口を閉鎖してしまった。
その様子に慌てる冒険者達をよそに、他の3つの窓口のうち2つの窓口もシャッターのような板で窓口を閉鎖した。
唯一残った窓口嬢に、並んでいた冒険者達の視線が集まる。
「……皆さんはご存じないとは思いますが、汲み取りの依頼は限界の状態まで来ていました。そして、誰も受けてくださらない現状から、強制依頼という形でここの協会に登録されている全員に実施して貰う事になってました。ある種の懲罰ですね。皆様方がくさした方が受けられなければそうなっていた事を考えてください。その上で申し上げます。今日はお帰りください」
静かにそう言った20代後半の窓口嬢は、他の窓口同様窓口を閉ざした。
唖然とする者、ばつの悪いような顔をする者、竜をにらみつける者、竜をくさした者に文句を言う者、買い取りカウンターの職員に文句を言いに行く者、時間をおうごとに騒がしくなっていく。
「強制依頼って、たかが汲み取りで命令できんのか?」
「出来る訳ねーだろう。ありゃあ、よっぽどの危険が発生した時にだけ出せるはずだぞ」
「……疫病の発生ってのが、そのよっぽどの危機ってヤツにあたるって事じゃ無いか? 確かオドモリの街で15年位前疫病が発生したヤツ、あれが糞尿を指定以外の場所にばらまいたのが原因だったはず」
「……マジかよ」
右往左往している冒険者達は、知り合い同士で騒いでいた。そんな中で竜は一人、呆然と立ち尽くしている。
(おいおい、今日が初めての汲み取り以外の仕事の予定だったのに……)
新たなる決意を持って望んだはずが、いきなり潰えてしまったようだ。
彼は今日、初めて剣を腰に佩き、郊外へと出るつもりでいたのだ。無論、討伐依頼などでは無く薬草採取系だ。
彼の今後の計画の為には、どうしても郊外を探索する必要があった。その為の第一歩のつもりだったのだが、踏み出した第一歩目の足下には落とし穴が掘られていたようだ。
そして、結局閉じられた窓口はその日は開く事は無かった。
そのことは、当初は一人の窓口嬢の独断で有ったものが、協会職員全員の決定となった事を表している。
冒険者協会とは、元々冒険者のための互助組織として誕生した。
体を壊して無理が出来なくなったり、年齢的にキツくなった者が事務に回る事で形成されたものだ。
現在では冒険者上がりの職員は殆ど存在せず、完全に一つの別組織として存在してはいるが、その職員の収入の元は冒険者からの買い取りの差額や依頼料によってまかなわれている。
当然、冒険者に依頼を受けてもらわなければ話にならないのだ。だが、それを分かっていてなお窓口が閉鎖されたという事は、それだけに今回の事を重くとらえていたという事になる。
実際、糞尿問題は重要だ。
ファンタジー設定でよくある『中世ヨーロッパ』というヤツがあるが、あの時代は煌びやかなドレス、多彩な文化のイメージがあるが衛生環境においては最悪だった。
糞尿は壺などにして、それを自宅前の道にまき散らしていた。無論、禁止されてはいたが守る者はいなかった。
その為、その罪がどんどん重くなっていくのだが、死刑というレベルにまで高められても隠れてまき散らされていた。
当然ではあるが、そんな環境で疫病などが発生しないはずが無い。時代は前後するが、新旧の聖書に記されているベルゼブブと言う悪魔が汚物に集るハエの王である事からもそれがうかがわれる。
そして、日本の近くの某半島などは、中世どころか100年程前まで同様の事を行っていた。そのあまりにも汚い様を当時訪れたイギリス人女性が詳細に本にまとめている。
そして、その半島を併合してしてまった馬鹿な国が、その半島を維持する為に拠出した莫大な年間予算の実に8割近くを糞尿の処理に費やしたという記録がある。
そこまでの予算をかけても処理しなくてはならないものが糞尿だという事だ。多くの人命に関わる事だという事だ。
実際、某半島は、併合後人口を倍以上に増やしている。無論それは衛生面だけが理由では無いが、大きく影響しているのは間違いない。
冒険者協会の職員達も、そこまでの知識は無いにせよ、過去発生した疫病などとの関係で、経験則として認識していた。
そして、あまりにも誰も受けてくれなかった事に対する怒りもあったのは間違いない。
実際、4世帯分とは言え、ドラム缶2杯分近く貯まるというのはかなりの期間回収が行われなかった事を示している。水洗では無いのだから。
それらの全ての考えと感情が合わさった結果が、窓口閉鎖と、追従だった。
何はともあれ、竜は完全なとばっちりである。
そして、なぜか竜をにらみつける者もいる。だが、当然彼が悪い訳では無い為、何も言えずにただにらむ。理不尽である。
窓口が使えないという事、そして理由無く他者から恨まれるという、二重のとばっちりだ。
予定外の事態で、初依頼(汲み取り以外)が実行できなかった竜だが、それによって考える時間が出来た事は幸いだったかもしれない。
そして、後に回すつもりではあったが、この時点で『加護の確認』をして貰う事にする。
加護とは、生まれながらに神から与えられるもので、誰でも1つは持つと言う。
そして、その加護で魔法系の加護が有る者は魔法を習得できる。
確認して自身に魔法系の加護があれば魔法を手に入れる事が出来るかもしれない、と考えた訳だ。
魔法を手に入れれば、種類にもよるが攻撃手段、防御手段などモンスターや盗賊相手に身を守れる手段が手に入るという事になる。
今後、郊外を探索する予定の竜としては、是非ともほしい力だった。
ただ、この世界では8歳の時点で『確認の儀』を行うのが普通で、16歳である彼が果たして『確認の儀』を行えるのか?
そして、『確認の儀』を行っていないと言う事に、マイナスの疑問を抱かれる事があるのでは無いか?
などと言う事を考えていた為、その辺りの情報をそれとと無く入手してから、と後回しにしていた。
だが、思い切って確認するとこにした。伝家の宝刀『妖精の穴』を前面に出してだ。
『くっせー』騒動の翌日、この日は無事に窓口が開設したようだ。
だが、竜が訪れた午前9時半の時間では、すでに大半の冒険者が依頼を受け出払っていた為、開いている窓口は1カ所だけとなっていた。
その窓口にいた窓口嬢は、昨日最後に窓口を閉めた20代後半の女性で、入ってきた竜を見ると静かに黙礼をした。
竜は依頼掲示板には向かわず、真っ直ぐにその窓口へと向かう。
そして、「昨日は大変ご迷惑を…」と謝罪を始める彼女を止め、自分の生まれた日本では加護と言う物の確認をするという習慣が無かった為、自分の加護を未だに知らない、それを確認する事は出来るのだろうか?と訪ねた。
さすがに驚いたようだったが、「妖精の穴を潜られたのでしたね…」と言うと、「上司に確認して参ります。しばらくお待ちください」と言い窓口を離れた。
彼女が戻ってきたのは5分後だった。
「事情が事情ですので、問題ないとの事です。ただ、通常の『確認の儀』は領主様より補助が出ておりますので無料で実施しているのですが、今回はその補助がありませんので、消費する魔石分の1万円を頂く事になりますが、どうされますか?」
1万円は安くない金額ではあるが、取りあえず生活するだけなら十分な蓄えが出来ている為、即座に了承した。
了承後、案内されたのは依頼掲示板の横にあるドアから入った10畳程の部屋だった。
その部屋には、目と鼻の大きな窓口嬢がおり、彼を誘う。
彼女の指示で竜が座らされたイスの前には祭壇状のものがあり、真正面には右の掌のへこみが作られたプレートがある。
「本来の確認の儀は色々と儀式的な事や宣言等も行うのですが、それは8歳まで無事成長できた事を祝う為のものですので、今回は省かせて貰います」
よろしいですね? と確認を求める彼女に、竜は即座にうなずく。
「では、竜さんは加護の事を殆どご存じないという事ですので、この儀に関する事だけ簡単に説明します。まず、この前にある祭壇全体が加護を確認する為のマジックアイテムです。2億円以上するものなので指示される場所以外は絶対に触れないでください」
2億と言う言葉に多少びくつきながらも、竜はゆっくりとうなずき了解を表す。
「次は、結果の確認方法ですが、手形の前にある水晶柱、アレが各加護に応じて色を変えます。赤でしたら炎系魔法の加護、紫でしたら武神の加護といった感じです。複数有りますし、微妙な違いもありますので私が見てそれを教えます。また、それらの色が出ない場合は、黒くなり成長の加護のみと成ります」
竜が入手した情報では、誰でも持つ『成長の加護』以外にも、魔法各種はもちろん剣や槍と言った個々の武器に関する加護もあり、全部で16程有るのだそうだ。
となれば、16色はある訳で、12色相環では収まらずその間の色も入るのだろう。素人では判断できないのは間違いない。
ちなみに、全員が持つという『成長の加護』は成長に関わる加護でこの加護がレベルアップ及びパラメーター成長の促進に関わっているという。
つまり、外れは無いって事だ。最悪でも『成長の加護があり』、運が良ければ魔法系の加護が有るかもしれない。武器に関する加護でも問題は無い。現状を考えればどれでも有りがたい物だ。
ちなみに、『確認の儀』を行わなくともその加護は機能している。ただ、魔法系はそれを知ったうえで学んで初めて使えるようになる為、先ず確認が第一歩となる。
武器系の加護も、それがあると知っているのと知らないのでは全く違うだろう。
「分かりました、お願いします」
そう言って、彼女に目で確認して右の掌を手形のプレートへと置く。
それを確認した窓口嬢は、祭壇の横にある別のプレートへと手を置いた。
その瞬間に、祭壇全体が淡く青い光を放ち、直ぐに消えた。
竜は、祭壇が光る事を知らなかった為驚いていたが、それ以上に窓口嬢も驚いていた。
その驚いている窓口嬢に気づいた竜は、彼女の視線の先に目を向けた。
そこには最初と変わらず何も光を灯していない水晶柱が鎮座していた。
「壊れた? いえ、でも祭壇は正常に反応したし… あ、あの、ちょっと待っててください」
そう言うと、彼女は慌てたようにホールへと出るドアとは別のドアから出て行く。
(壊れたとしたら、俺のせいになるのか? さすがにそれは無いと思いたいが、異世界だからな… 日本の常識で考えたらダメだろう…)
そんな心配をしていると、直ぐに窓口嬢が別の男性職員を連れて戻ってきた。
「うーん、本当に光らなかったのか? 祭壇の青で青く光ったのに気付かなかったとか…」
「それはありませんよ。祭壇の発光が終了してからも10数える間ぐらいは発光しているんですから」
「となれば、壊れたか? 前回使用したのは春だが、その時は問題なかったのだろう?」
「はい、最後まできちんと確認できました。その後はこの部屋は掃除しかしていませんから、全く使用しいないはずです」
自分を放った状態で議論する二人を竜はただ呆然と見ているだけだった。
「取りあえず、もう一度確認してみるか、君、手を」
その男性職員に促されるまま再度プレートに手を置く竜。それを確認すると男性職員が他のプレートに手を置き装置を起動する。
「……光が付かないな」
「だから言ったじゃ無いですか」
「…………いや、まさか……、そんな事は無いとは思うんだが…… イスミくん、君が手をやってみてくれるか?」
そう言われた窓口嬢は怪訝な顔をするも、男性職員の指示に従い戸惑いつつも俺の横から手だけを伸ばしプレートへと手を置いた。
そして、男性職員によって起動した後には、水晶柱が漆黒に変わっていた。『成長の加護』だ。
「「……」」
「えっと、どう言うことでしょう?」
結果を見て沈黙する二人に竜が問いかける。
それに答えたのは男性職員の方だった。
「……初めてのケースであれなのだが… どうやら君には加護が無いらしい。色が変化しないという事はそう言う事だと思う」
「あの…そんな事があるんでしょうか? 聞いた事がありませんよ。……妖精の穴に落ちた事が関係しているのですかね?」
申し訳なさそうに言う男性職員。そして、その事実自体を疑問視する窓口嬢。
だが、竜自身はこの結果に納得していた。なぜなら彼は別の世界から来たのだから、この世界では生まれていない為加護を授かっていないのだと。
その後、まだ色々と言って来る二人に「もう大丈夫です」と若干意味の通らない事を言ってその場を立った。
そのままホールへと出ると、出入り口を潜り通りへと出、冒険者協会を形成する塀にもたれて、今の結果を考える。
(この可能性は考えなかったな… 誰にでもあるって事で、無意識に自分にもあるって決めつけていた)
(これで加護無しか、魔法も武器の上達に補正も無し、さらにレベルアップすらしないって事か… せめてインプラントに攻撃や防御系の力のあるものがあったら良かったんだが…)
竜が所持しているインプラントで現状戦闘で使用できる物と言えば『ジャンプ』ぐらいだ。しかも基本は逃げる為に、だ。
『透過』も生物には使用できない。壁などはくぐり抜けられてもモンスターそのものを『透過』することは不可能だという事だ。
ワイバーンが塀で撃退されUターンしてきた際は、『透過』を使って畦に沈み込む事で身を隠そうとしたのだが、それは本当に緊急時だった為で、通常の戦闘ではとてもでは無いが利用できない。
(後は、『肉体操作』で身長を増やして…… いや、筋肉や反射神経とかってものも弄れないのか?)
一旦、ボクサーや格闘家のように、ウエイトがある方が基本パワーがあるという考えから身長を伸ばすとを考えたが、その場ではたと桃色筋肉などと言う漫画の設定を思い出した竜は、肉体自体を改造できないかと検討を始める。
さすがに冒険者協会の壁で突っ立ったままで、と言うのはあれなので一旦宿へと戻る。
そして、ベッドに横になって曲玉に意識を向け『肉体操作』で出来る事出来ない事を検証して行く。
すると、いくつかの制限は有るものの、かなり自由にいじれる事が分かった。
どうやら、このインプラントにはセーフティー機能が有るようで、肉体を操作する事で他に何らかの問題が発生する場合は操作する事が出来なくなるようだ。
たとえば、アゴの線を変えようとしたとして、それによって歯のかみ合わせが悪くなり顎関節症が発生するようならその操作はギリギリの部分で操作が不可能になる、といった感じだ。
また、脳自体もいじる事が出来るのだが、元々のキャラクターに変化が発生するような操作は出来ない。
その為、記憶力・思考速度などと言ったような8つのパラメーターを元々のパラメーターを基準に同じ倍率でしか上げる事が出来ない。
ゲームなどの評価を表す五角形のグラフ、レーダーチャートで、元々描かれている型をそのまま維持して、一番大きな値を限界点まで上げた位置にして拡大するイメージだ。
竜は『肉体操作』内に作られる仮想データの自分をどんどんと改造していく。
脳に関する設定を限界まで上げ、筋肉を強化、その筋肉について行けるように骨や軟骨も強化する。神経の伝達速度もアップだ。
そして、自身の遺伝子自体も細かく調べ、仮想テータ体を老化させて病気などの可能性も探る。
結果、癌なども原因となる遺伝子を特定し。それを除去。さらに体全体の機能も強化する。心臓、消化器官・血管などだ。
ついで、仮想データを老化させた際に見てしまった髪の問題も、原因となる遺伝子を書き換え発生しないようにする。
こう書くと、超人やミュータント、改造人間に成ったかのように思えるが、残念ながらそこまでの強化は出来ない。
どれだけい弄っても骨は骨、筋肉は筋肉なのだから。
ただ、全体として、オリンピック選手を楽に超える性能を持った体には出来たと思う。
無論、それは肉体や脳の性能の問題で、その性能を十全に発揮する為には訓練と慣れが必要だろう。
一通り作り終えた仮想データを問題が無いか徹底的に調べた後、『実行ボタン』を押した。
皮膚の表面の傷やホクロを消したりはした事は合ったが、遺伝子レベルでしかも脳まで弄るのだから通常はためらうはずなのだが、竜は全くためらわずに実行する。
そして、実行した瞬間、竜の意識は闇に沈んだ。
意識を失った竜の体を淡く紫色をした光が繭のように包んで行く。
その光は6時間以上彼の体を包み続けた。