03話 バキューム・カー
糞尿の汲み取り依頼を受けた竜は、窓口嬢の指示に従って『汲み取り』と書かれた札を持ち冒険者協会の裏口へと回る。
そこは、裏口とは言っているが、ダンジョンへと入るための出入り口もこちらに有るため通行量は正面出入り口とさして変わらないようだ。
とはいえ、現在は正午で、ダンジョンへの出入りはほぼ無い。そのため、竜が訪れた時は誰も居なかった。
先ず、通路沿いに有る金属製の横スライド式になった柵を開けて貰いその中に入り、左側に有る建物で中にいた50代の男性から札と交換で『汲み取りセット』を受け取る。
この汲み取りセットは、胸元まで来る革製のゴム長のような物と手袋、そしてバキューム・カーだ。
バキューム・カーは、車輪が4輪付いたリヤカーにドラム缶2本分程の体積の有るタンクが積まれており、そのタンクから革製と見られる蛇腹の大型ホースが出ていて、それがタンク周囲に巻き付けてあった。
このバキューム・カーはマジックアイテムらしく、吸引・排出を『魔石』と呼ばれるアイテムを燃料にして実行する物らしい。
「こいつは、この街に1台しか無い馬鹿ったけー代物だからな、絶対に壊したりすんじゃねーぞー」
資材担当の職員からしつこいように言われた。実際、彼の言うとおり生産数の関係も有って価格は間違いなく高いのだろう。
(しかし、この世界に来て初めて見たマジックアイテムがこれかよ……)
思わずため息を漏らす竜だが、実は彼はこの前に他のマジックアイテムを見ている。それは冒険者協会内の照明だ。
日本育ちのため、施設内に照明が有るのが当たり前だと考え意識しなかったのだが、天井に複数設置された照明はすべて『魔石』を使用したマジックアイテムだった。
一通りの操作説明を受けた竜は、受付で貰った地図を片手にリヤカー・バキューム・カーを引いていく。
このリヤカーはマジックアイテムであるだけに材質も何らかの骨を加工した物で出来ており、かなり軽く、特に力を必要としなかった。
そんなリヤカーを引く竜は、10分程で目的の共同汲み取り場に到着する。
この街は周囲にモンスターが出るという事で街全体を塀で囲んでいる。当然ながら塀の中の面積はどうしても限られてしまう。
その為、街の構造にはいくつかの規則が課せられている。その1つが『一般の家庭は庭を所持できない』だ。
そのことも有り、各建物同士はかなり隣接して建っている。火事の際の延焼が心配なレベルに。
そして、4軒の隣接する家がトイレの下水口を共同で管理している。つまり、4軒の家ごとに共同汲み取り場が存在すると言うことだ。
江戸時代の長屋などはトイレ自体を共用していたのだが、ここはトイレは各自の家に設置し、タンクを共用する形になっているようだ。
竜が受けた依頼は、この一帯の汲み取り依頼だった。
現場に到着した竜は、先ずそのブロックの家を回り、たまたま家に居た主婦らしき女性に汲み取りを実施する旨を伝えてから作業を開始した。
先ず、革製ゴム長を履き、肘まで有る革製の手袋も着用する。
そして、木でフタをされた汲み取り穴を開き、バキューム・カーから引いてきた蛇腹を放り込み、タンク付けられたスイッチを吸引にスライドさせる。
すると、掃除機の吸引音のような音が響き、蛇腹ホースが踊る事で吸引が開始された事が分かる。
後は、臭いを我慢しつつ汲み取り穴に入れたホースを操作して下の石畳が完全に見えるまで吸い取っていく。
すべて吸い取り終わるとスイッチを切り、蛇腹ホースの先端部分を専用の皮で大きく包み、タンクへと巻き付ける。
そして、一端手袋やゴム長を脱ぎ、先ほどの主婦がいた家へと向かい完了の確認を貰う。確認は住人のサインでOKだ。
今回くみ取った量は、タンク6割度で、4軒の家から出たと考えても、相当長い期間汲み取りを実施していなかったであろう事がうかがえる。
その為、もう1カ所をそのまま汲み取るにはキツいと考え、一端ダンジョンへと捨てに行く事にする。
往きと違い、今回はドラム缶1杯分の重量が増している事も有り、結構な重量が有ったが、平地で有ったため問題なくダンジョンまでたどり着けた。
そのダンジョンは、当初汲み取りセットを受け取った場所からさらに大きな門を潜った所に有り、大きなかまくらのような形で地下への通路が覆われいる。
その場所までは、資材担当の男性が案内してくれた。
「そこの入り口を入って直ぐの分岐を左な。後は突き当たりが坂になっているからそこにこぼせば良い」
一応、窓口でも説明を受けていたのだが、改めて説明してくれる。
「あー、台車は入り口には止めるなよ。ダンジョンの出入りを妨げちゃいかんからな。入り口の横ギリギリに付けろ」
竜は指示に従いながら、蛇腹ホースの取り付け位置を確認しつつ一番効率の良い向きを考えて止めた。
その後は巻き付けていた蛇腹ホースを伸ばし、それを持ってダンジョンへと入っていく。
(モンスター居ないよな……)
窓口嬢や資材担当からも『モンスターは殆ど居ない』と言われてはいたが、あくまでも『殆ど』だ。『絶対に』では無い。
その為、かなりビクビクした足取りで入っていった。
そのダンジョン内は、聞いていたとおり満月の夜程度の明るさが有り、目が慣れると細部まで見渡せる状態だった。
その光源は天井部分のようで、天井全体が淡く光を放っている。
(ファンタジーってヤツだな……)
不思議現象をある種諦め感を持って流しながら、ズルズルと蛇腹ホースを引きずっていく。
目的の行き止まりは直ぐに現れ、モンスターに出会う事も無かった。後は、一旦外に戻りタンクのスイッチを『排出』にする。
カシャッと言う弁が開く音と共にゴボゴボ音を出しながらタンクの物が蛇腹ホースへと送り込まれていく。
ホースの径が大きい事も有り、3分と掛からず排出が完了した。蛇腹ホース内のすべてが排出されたのを確認した後、ホースを回収し次の現場へと向かう。
その日、夕方まで後3カ所の汲み取りを終え、7000円を入手することが出来た。1000円少ないのは登録料を差し引かれたからだ。
ちなみに、一番最後の分を捨てに行った際は、時間的にダンジョンから帰還する者が多く、作業を行う竜を鼻をつまみながらにらむ者も多かった。
汲み取りセットに関しては、掃除は資材担当の職員が行うらしく、竜は返却するだけですんだ。
そして、一応、その小屋で水を使って手や顔を洗わせて貰った。
実際は、革手袋とゴム長がしっかりしていた為、付着などは無く、臭いも付いていないのだが、そこは気持ちの問題なのだろう。
依頼料を貰った竜は、その時にお勧めの宿屋を聞き、そこへと向かう。
そこは『春風屋』という宿で、一人部屋は1泊飯無し2000円との事だった。
雑魚寝で1泊1000円の所も有るらしいのだが、「おすすめしません」との事だ。治安の問題だろう。
目的の『春風屋』は直ぐに見つかった。なにせ、冒険者協会から真っ直ぐに5分の距離だったからだ。
この宿は、食堂が無い完全に宿泊専用の宿だった。その為、夜は静かで眠りやすいという話だ。
空きがあるか心配だったが、幸いな事に空いていた。
竜は少し考えた後、その場で4000円支払い2日間泊まる事にする。
3日間にしようかと考えたが、残金が1000円では心許ないと考え2日にした。
彼の部屋は1階の奥で、ベッドと小さな棚があるだけの部屋だった。
だが、彼は不満は無かった。なぜなら、生まれて初めての一人部屋だからだ。
彼が暮らしてきた施設は、すべて相部屋であり、四人部屋か二人部屋だった為、個室は彼にとってあこがれだったと言ってもいい。
予定外の事でこうなったとはいえ、初めての個室は心躍るものがあった。
そんな気持ちのまま、昼飯用に詰めてきた弁当を『次元収納』より取り出し、ベッドに腰掛けたまま食べる。
この『次元収納』は虫のような小さな物を除いて生物は入れる事は出来ないが、入れる大きさは特に制限は無く、多分亜空間の広さ一杯の物までは入れられると思える。
そして何より、入れた状態で内部の時間が停止しているか限りなく遅くなっている事がこの半月の検証で分かっている。
その為、朝詰めた弁当も、まだ飯に関しては暖かい状態だった。
ちなみにおかずに関しては、朝の内に昼飯分が準備されている為、彼が弁当箱に詰め替えた際にはすでに冷めていた。
昼飯抜きだったが、緊張感や焦りもあったせいか日中はさほど空腹を覚えなかった。
だが、さすがに今は弁当だけでは足らないと感じる。外に食べに行くのも手だが、外も暗くなってきており今日はこれで我慢する事にした。
そして、ベッドに横たわる。
(……予定が狂った。だが、その為の力のせいで別の世界に弾き出されたんじゃしょうが無いか……)
ベッドで目を閉じ、今朝まで考えていた未来像が全く違う形で塗り替えられてしまった事を考えた。
竜は、2つ目のインプラントである『透過』を入手した時点で、希望の薄い未来と考えていた自分の将来に光が差した気がした。
一つ目の『ジャンプ』だけでは、それ1つしか無い可能性も有ったが、2つ目の『透過』が見つかった事で同様の物が複数有る可能性が出てきた訳だ。
そして、『ジャンプ』と『透過』は直接的には問題の多い能力だが、今後見つかる物に有益な能力がある希望も生まれた。
実際、3つ目に手に入れた『次元収納』、4つ目に手に入れた『リペア』は仕事として役立てられる能力だった。
彼の考えでは、『次元収納』は物流に関わる仕事で大いに利益を得られ、『リペア』ではリサイクル、改造等で生活が可能だと考えた。
具体的には、長距離トラックの運転手になり、荷物を積み込んだ時点で人気の無い場所でトラックごと次元収納、そして現地まで電車等で移動、現地の人気の無い場所で取り出し配送場所まで自走。
これで軽油代、高速代、車の消耗費が浮く。地味ではあるが、長距離であればある程利益が発生すると言う訳だ。
ただ、これは、業務経験の無い高校生の無知から来る考えで、実際は問題が多い。
先ず、大型トラックの免許が普通免許取得後3年掛かる事。さらに入社しても直ぐに単独で長距離を任される事が無いと言う事。
また、浮かせた代金は基本会社の利益となり、領収書等を偽造しない限り個人には入ってこない事。
さらに、たいていの長距離トラックにはタコグラフ等と言う自動車の状態を記録する装置が組み込まれており、その記録によって実際には走行していない事が簡単にばれてしまう。
仮に、タコグラフ等の記録装置が無い場合でも、走行距離は確実に管理される為これまたすぐにばれる。
完全に無知故の妄想レベルだったという事だ。
ただ、『リペア』は無理は少ない。
『リペア』に付いて彼の考えは、ジャンク品等を購入し、それを修理してネット等で販売すると言う物だ。
また、携帯ゲーム機などのディスプレイ部の傷なども『リペア』し新品同様で売る事も考えている。
さらに、PCなどの液晶ディスプレイのドット抜けを『リペア』することで修理代を取れるのでは?とも考えた。
これらの修理をメインに行いつつ、CPUやGPUなどの製造段階での機能しないブロックを『リペア』することで100%の性能が出せる品に改造し、それを販売する事も可能か検討していた。
この『リペア』に関して言えば、信用を得るまでは時間が掛かるが、可能で有る可能性が高い。ただし、利益率はそう高くは無い。
ただ、孤児と言う状態でのそれまでの将来と比較すれば、手に職、資金の掛からない自営業、と言う事は大いに魅力的だった。
実際、児童養護施設を出た者の大半はその後色々な問題を抱える事になる。一番大きな物が就職だ。
通常施設を出る者は、その時点では就職先が決まっている。だが、その後の離職率は一般より遙かに高い。
そして、一旦離職した後の再就職がとにかく困難で有る。竜はその事をいやという程聞かされて育ってきていた。
さらに、結婚も問題が多い。本人同士はともかく、相手方の親・親戚が施設出を嫌うのだ。差別部落や某学会レベルで拒否される事が多い。
それらの希望の無い未来よりは、もうけは少なくても確実に生活できると言う事は遙かに大きなとこだった。
そして、最悪に最悪の事態となれば、『透過』を悪用する事で銀行の金庫にすら侵入する事が出来る、と言う事を考える事で精神的な余裕を持つ事も出来ると言う事だ。
竜に厨二気質が有れば、『ジャンプ』を使って東京などでマーベルヒーロー的なまねごとをやる事も妄想したかもしれないが、彼にはその気質は無かった。
ヒーローの真似事はともかく、彼がその時点で入手していた能力があれば、NASA等に就職(?)することも可能だったかもしれない。
無論インプラントの存在を公表するというリスクを伴うのだが、公表すれば高確率で可能で有ったと思われる。
なぜなら、『次元収納』の存在は宇宙開発に劇的な効果を発揮するからだ。
彼の『次元収納』のペイロードは半径300メートルほどの球体だ。その体積分の物体を彼の質量として所持できる事になる。
つまり、彼一人を宇宙に上げるエネルギーで直径300メートルの球体分の質量を宇宙に上げられると言う事になる。
人工衛星であれば100機と言わず同時に持って行く事が可能だろう。
それどころか、小型のスペースコロニーすら容易に作る事が可能だ。
なぜなら地上でソレを作成し、そのまま『次元収納』に入れて宇宙に運び、指定の軌道で放出すれば良いだけなのだから。
現在の国際宇宙ステーションのように、何回もの打ち上げでパーツを上げて、ソレをジョイントすると言う作業が全く必要なくなる。
これらのメリットは無学の少年を宇宙飛行士として受け容れるに十分なものだろう。多分、高確率で受け容れられたと思われる。
何はともあれ、この世界に来た事で一部捕らぬ狸も有る彼の未来予定は実行する前から大きく覆されていた。
(はぁ… まあ、振り返っても意味は無いな。何はともあれ、生きる事だ。生活する事だ。先ずは金か。そして情報。この世界の状況が分かるまでは汲み取りだな… 臭いけどな……)
その後、眠くなるまでの間、衣類など最低限必要な物を考えながら寝落ちた。
翌日から10日間竜は汲み取り依頼を実施した。
当初は冒険者協会に近い所だったこともあり、1日に8カ所近く回れたのだが、次第に距離が開くに従って移動時間が長くなり、10日目に至っては3カ所しか回れなかった。
最終的に平均すると1日5カ所と言う事になった。つまり計10万円の収益という事だ。
その10万円から宿代と食費、さらに衣類などを購入した残は5万円だ。ただし、この先の宿代10日分を払った状態でだ。
ちなみに、この時点ではまだすべての汲み取りは終了していなかった。
だが予想外な事に、その外周部に位置する場所の組取り依頼代が3000円に上がった。
それを聞くまでは、効率が悪くなった事を考えこの時点でこの依頼を中止する予定だったが、この変更を受けてそのまま続ける事にした。
そして翌日からは、今までタンク7割を上限としていたのを満タンまで入れるようにした。
当然重量が増して移動が大変になるのだが、人気の無い場所で『次元収納』に納める事でそれを補った。
ただ、確実に人のいない場所を見つけるのに手間取り、効率はあまり上がらなかったのは彼にとっては残念な結果だった。
そして、最終的にこの街のすべての共同組取り場の汲み取り依頼が完了したのは、竜がこの街に来て35日目だった。
この間、冒険者協会に登録する者達からは『便所汲み』と揶揄されていたが、依頼が長く放置状態で困っていた冒険者協会職員からは高評価を受けている。
そして竜は、仕事の合間に少しずつこの世界の常識を認識していく。
殆どの事が、訪ねるとおかしく思われるレベルの事である可能性を考えて、少しずつ少しずつ人を変えて聞いていった。
実際、たいていの者は、はぁ? と言う顔をする事が多かったが、その度「すみませんド田舎育ちなんで」と言う言い訳でごまかしていく。
そんな努力によって竜が手に入れた常識は以下のようなものだ。
① この世界にはモンスターがいるが、モンスターを殺しても遺体は残る、手動剥ぎ取り必須。ただしダンジョンモンスターは消滅する。
② マジックアイテムの燃料は魔石であり、モンスターの体内に存在している。魔石は重量によって価格が決まる。
③ ダンジョンモンスターはダンジョンの力によって発生するが、ダンジョン外のモンスターは生殖によってしか増えない。
④ この世界にはレベルが存在しているが、それは特定の場所でしか確認できない。
⑤ 数値的なパラメーターを見る手段は存在しない。
⑥ 魔法は存在するが魔法に関する加護持ちで無いと習得できない。
⑦ すべての者が『成長の加護』を持ち、その上でさらにもう一つの加護を持つ者が居る
⑧ 加護は通常生後8歳の確認の儀で調べる。場所はこの街では冒険者協会(各街によって違う たいていは領主の館)
あとは文明レベルだが、思った以上に高い。日本と同レベルとは言わないが、戦後レベルと言っても良いかもしれない。
この世界においては、元の世界での電化製品がマジックアイテムで補われている感じだ。
その燃料となるものが魔石だ。ダンジョンに潜る者の目的はこの魔石という事になる。ちなみにダンジョンに宝箱が湧くなんて事は無い。
この街のあのダンジョンは、特に低レベルダンジョンである事もあり、かなりの者が魔石狩りの為に出入りしいる。
その半数は素人レベルの者で、彼らが浅い層をうろつくおかげで『糞尿捨て場』周辺にモンスターが現れる事が無いのだという。
もう一度言うが、文明レベルは意外にも高い。…だが、治安は著しく悪い。
竜も仕事中に、剣で刺されたと思われるけが人を目撃している。3回もだ……
盗賊などもかなりいるようで、ただでさえモンスターの為に高くなっている物資の輸送コストをさらに上げる原因になっている。
一応、この地方を納める地方領主の代官が住む屋敷があり、そこに治安維持用の兵士もいるのだが、門兵、塀の上で警護する魔法兵の維持で精一杯らしく、町中を見回る兵の数は10人程度なのだという。
竜が行った汲み取りの依頼は、この代官から出されている。また、街の外の討伐系依頼も代官から出されている。
その事もあり、治安維持にかけられる予算が逼迫していると言う事だ。悲しいかな全ては金だという事だ。安全は金で買えるのだ。金が無ければ安全は変えないのだ。
竜は、この街に来て1月弱を過ごし、身の安全は自己責任と言う事を理解し始めていた。