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20話 歌姫

 食事処を出た竜は、冒険者協会へと向かって走り出す。

 あの飛空船は、あの日以来あの場所に着底したままになっていた。

 領主からの再三の移動要請を無視してだ。人々の通行を妨げ、山車(だし)の移動コースを変えさせて。

 この事例だけでも、ニダール帝国に対するこの街の人々の評価が正しい事を表している、と竜は理解する。

 竜は基本的に、いわれの無い悪口を言われ続ける側だっただけに、他者による他者への悪評を鵜呑みにする事は無い。

 自身で確認するまでは信じない事にしている。

 それは彼がこれまでの生活で自然と身につけた自身のルールだった。

 そして、そのルールに照らし合わせた上で彼らの悪評をほぼ100%認めた。ニダール帝国と言う存在に関して、この街の住人達と同じ意識で理解した訳だ。

 故に、彼らの怒りにも同調出来るのだった。

 だから彼は走っている。時速50キロ代の速度で疾走する。

 そして、現場に向かっているのは竜だけでは無かった。

 彼と同じほどの速度で走る者や、それ以上の速度で建物の屋根を走る者すらいる。全てがこの街の冒険者達だ。

 そんな竜達が、冒険者協会前の大通りへとたどり着くのに要した時間は3分と掛かっていない。

 そしてそこには100人を超える者達が集まっており、全員が上空50メートル程の位置に浮かんでいる飛空船をにらみ付けていた。

 この飛空船は、ワイバーンなどの特殊な飛行能力を有するモンスターの特定部位を使用して作られた、浮遊機関と称されるマジックアイテムによって浮遊している。

 ただし、この浮遊機関は個々の能力は然程高くなく、この飛空船を浮かべるには最低でも4台の浮遊機関が必要だ。

 そして、この浮遊機関は相当な大食らいであり、非常に燃費が悪い事で知られている。

 その為、飛行能力と言う絶大な能力を持ちながら、一般に使用される事無く一部の金持ちや軍などで使用するだけに止まっている。

 当然、現在のように上空に浮かび続けているだけでも、大量の魔石を消費し続けている事に成る。

 しかもその魔石もクズ魔石では無く、一定以上のサイズを持つ高価な魔石が必要で有る事から、金貨とまでは言わないが、銅貨をバラ撒いている状態と言える。

 そんな無駄な状態を続けたまま、ニダール帝国の飛空船はただ浮かび続けていた。

 そして、その飛空船に向かって通りの中央部から声を張り上げている者がいる。この街一帯を治める領主だ。

「ジェイン殿下! どうか降りてきてください! いくら殿下とは言え、このままでは国際問題となりましょう! ミホ嬢の意思というのであれば、せめて身内の者に挨拶をさせてください!」

 多分、だいぶ前から声を掛け続けているのだろう、領主の声はかなり掠れたものになっていた。

 そんな領主の声が一旦止まった後、返事を聞く為にしばしの沈黙が周囲に訪れたが、結局飛空船は降りてくる事は無く、彼らからの返事すら無かった。

「このクス野郎どもが!! 歌姫返せや!!」

「何が自分の意思で行く事にしただ!? てめーらが意識のねー歌姫さん担いで運び込んだの見てんだぞ!!」

 飛空船からの返事が無い事に業を煮やした冒険者達が叫び始める。

 中には「歌姫が乗って無かったら、魔法を撃ち込んでやるのに……」と呟く魔法系加護持ちの女性もいる。

 そんな中、歌姫の身内らしき40代後半の夫婦が領主にすがりついていた。

「領主様、なんとかならないのですか!? このままではミホが……」

 哀願するように言うのだが、領主は口を固くかみしめて首を横に振る。

「すまぬ、あれでも他国の皇太子なのだ。私の権限だけで無理はできんのだよ。ましては、相手はあのニダール帝国だ……」

「「ニダール……」」

 夫婦が呟く『ニダール』という言葉には、理不尽と絶望が込められているようだった。

「チッ! 魔法でブチ落として、風魔法でゆっくり落とすって出来ねーのか!?」

 領主や歌姫の両親の様子を見ていた冒険者が、周囲の魔法系加護持ちを探しながら叫ぶように問いかける。

 だが、周囲にいる魔法系の加護を持つ者達は一斉に首を横に振るだけだ。

 そんな中、問いかけた冒険者の側にいた10代後半のボーイッシュな格好をした女性が答える。

「あの大きさを支えられるだけの風魔法が使える者はいないよ」

「一人でダメなら、何人かでやればいけるだろ!!」

「無理、普段からやっている者ならともかく、付け焼き刃でそんな事やったら、普通に落とすより酷い事になるよ」

「………… チクショー!! なんとかならねーのかよ!!」

 男は周囲を見回し、他の魔法系加護持ちも彼女の言葉を肯定している様子を見て、苛立たしげに叫ぶしか無かった。

 この世界において、この魔法系加護持ちの女性が言うように、魔法による共同作業というのはかなり難しい技術となる。

 ただ単に攻撃する、燃やす、氷らせると言った事であれば別だが、精密な制御が必要な事は先ず出来ない。

 その最大の原因が、『魔法はフィードバックが無い』と言う事だ。

 通常、人間が手足で何かを行う際、作用に対する反作用という形で手足にフィードバックがある。

 人間はこのフィードバックされた力を感じて、力を加減したり、状況を認識したりしている。

 だが、魔法にはこの反作用と言うフィードバックが無い。

 彼らが行っているのは、自身のオドを使用してマナを取り込み反応させ、結果となる事象をイメージする事だけだ。

 彼らが感じられる感覚は、自身のオドの量や流れのみであり、事象その物に対する感覚のフィードバックは無い。

 故に、直系1メートルの岩塊を時速40キロで射出しても、術者本人の身体は全く動く事は無い。

 この事は攻撃魔法を使う上で大きなプラス要素なのだが、制御となると完全にマイナス要素となってしまう。

 フィードバックが無いが故に、イメージと実際の状況の違いが分からない。

 火や水、氷などと言った目に見える物ならばまだ良いのだが、空気のような目に見えない物を扱ったり一定の形状に変化させる場合がこれにあたる。

 刃状にするイメージを取ったとしても、実際にどのような形状になっているかが分からないのだ。

 高圧縮をイメージしても、実際にどれほどの大きさまで圧縮出来ているか分からない。

 手足のように感覚的なフィードバックが有れば、それによってある程度形状や状況がわかり、それに応じて細かな制御が可能になる。だがそれが出来ない。

 個人の魔法ですらそれだ。となれば、複数の者で重量物を制御など出来る訳が無いのだ。

 実は、風魔法の加護を持つ者が一定数いるにもかかわらず、飛行魔法的なモノが一般化していない理由がこれだった。

 常時細かな制御が必要となる『飛行』という行為は、ただイメージして結果という事象を顕現させるこの世界の魔法では簡単には実現出来ないものだった。

 ちなみに飛空船については、元の世界の飛行船などと同じシステムだ。

 浮遊機関によって浮かび、ボディーに付けられた筒内に風を発生させてロート状に狭めた穴から噴出させ推進力を得て、翼のラダーやエルロンなどで軌道を制御している。

 浮遊機関の存在がある為、風魔法自体はただ一定方向に一定の強さで吹き出させるだけで良く、その強さを扇風機の強・中・弱のように設定しているだけだ。

 そしてマジックアイテムは、この様に簡単な制御において、一度設定した値を正確に再現する事が得意だ。人間ではこうはいかない。

 この様な事情で風魔法が使える高レベル冒険者でも手が出せずにいる訳だ。

 それらの会話を聞いていた竜は、一人空に浮かぶ飛空船を見上げながら悩んでいた。

(俺なら『ジャンプ』で飛空船までいける…… だけど、ここで身バレしたら…… 加護無しと言う事は知れ渡っているから、魔法だって言い訳は効かないしな……)

 竜は『インプラント』の存在が知られる事を酷く恐れている。

 性悪説を是とする竜としては、『インプラント』の存在がバレれば、殺してえぐり出そうとする者が出ると確信している。

 竜が加護を確認する前であればまだ『魔法です』『加護の力です』と言った誤魔化しも出来ただろう。

 だが現実には確認を実施しており、その上、個人情報保護法など存在しないこの世界では普通にその事は他の冒険者に漏れていた。

 そのおかげで『風の旅団』と知り合う切っ掛けとなったのだが、『インプラント』に関して言えば完璧に最悪の状況と言う事になる。

(出来ない事ならともかく、出来る事をやらないのは…良い気はしないよな…… でも俺はヒーローじゃない。ただのレベル1に過ぎないんだ。その後のリスク無視してまで赤の他人を助けるのか?)

 理性的に理屈で考えれば、話した事もない一度目にしてその歌を聴いただけの者の為に、場合によっては死ぬか、少なくともこの街を離れなければならなくなるような行動をする必要はない。

 それが分かっていても、心の奥底から湧き上がってくる感情がそれを抑え込もうとする。

 その感情は、断じて正義感から来るものではない。彼の場合は、理不尽に対する怒りから来るものだった。

 つまりは、理不尽な形でリョーの命を奪った盗賊達に対する怒りが、今回のニダール帝国皇太子の行動にダブっていた。

 状況も対象も全く違うのだが、『理不尽』というただその一点だけで竜の暗い怒りの対象となっていた。

(畜生!! どうしろって言うんだよ!! 俺はヒーローじゃないんだ!! ヒーローじゃ!! ヒーロー!? !!)

 自身の奥底から湧き上がってくる感情にこらえられず、声に出さずに絶叫していた竜は、突然何かを思いついたのか、人混みの外に向かって駆けだした。

 そして、人混みを過ぎた彼は人のいない路地裏に飛び込むと、壁にもたれて意識を胸骨中央部の曲玉型の『インプラント』へと意識を向ける。

 30秒ほどが経過した時、竜の身体が紫色に輝き、15秒後その光が消えた後には別人と化した竜が立っていた。

 その姿は元の竜と比較すると、5センチ程身長が高く、髪は白髪で少し長めになっており、顔立ちは歳を若くした某ハリウッド俳優である。

 彼のデビュー作である戦闘機パイロット役をやっていた時よりも若く、その上で白髪にした姿だ。

 竜が特別彼のフアンであったという訳ではない、別人としてこの世界の者に近い顔立ちとして白人を思い浮かべた際、最初に浮かんだのがハリウッドスターの彼だったと言うだけである。

 白髪という事に関しては、特殊な色にする為には、その為の色素が必要なのだが、白髪の場合は色素を抜く事で作れるため現状でも直ぐに変化出来たからだ。

 白髪トムへとヒーロー物の主人公のごとく『変身』した竜は、即座に『ジャンプ』を発動して上空へと駆け上がる。

 竜は不可視の足場を使って上昇しつつ、飛空船の死角へと回り込んでいった。

 この飛空船は、構造上の問題なのか、単に強度の問題なのか周囲に窓の数が少ない。

 飛行系のモンスターに襲われる事を考えて、最低限の索敵窓は存在するようだが、バスなどの様に全面が見渡せる訳ではない。元の世界の飛行機の窓をさらに少なくした感じだ。

 その為、十分な死角が存在しており、その死角を使って竜は飛空船の上空へと駆け上がった。

 竜が上空を駆け上がっている間、下に集まっている者達は彼を見て当然ながら騒ぎ始めた。

 だが、一人の冒険者の「騒ぐな!! 指さすな!! ニダール野郎に気づかれる!!」との声で、一気に表面上の騒ぎは沈静化した。

 この冒険者の言葉がすんなり受け容れられたのは、この世界に魔法と言う不可思議な力が存在しており、実際に可能かどうかは別として不思議な現象を魔法による物だと無意識に考える下地があった為だ。

 そして状況的に、空を駆け上がっていく者が歌姫を救出しようとしている者だと考えられたからだ。

 この場に集まっている者の中で、魔法系の加護を持つ者は目を見張って竜の姿を見ていた。心の中では「あり得ない!」「どうやって?」と混乱をきたしながら。

 他の冒険者や一般人達は、小声で周囲の者と竜の事を誰何しつつ、「頼むぞ!!」と救出を祈っていた。歌姫の両親や領主も両手を前に組んで祈りの体勢を取っている。

 その為か、その一帯は竜が上空に姿を現す前よりも静なになっており、その事が逆に異常な状態が発生している事を飛空船側に教える事となった。

「うん? どうした? きゃつら急に静かになったようだが、もう諦めたか? もう少し無様に右往左往する姿を見たかったのだがな」

 豪華な椅子に腰掛け、ゴブレットに注いだ琥珀色の酒らしき物に口を付けながら、ニダール帝国皇太子ジェインはお付きの騎士に問いかけた。

 搭乗している5名の騎士は、床面にある窓や横面にある窓から地表の様子をのぞき見て首をかしげる。

「…いえ、諦めた様子はありません。今もこちらに向かって騒いでいるようです。ただ、大声を上げる者が居なくなっただけのようです」

「ふんっ、下賤な奴らが我に声をあげるなど万死に値する。天罰によって喉でも痛めたのであろう」

 足を組み替えなから真顔でのたまう皇太子に、周囲の騎士達も「「はい、もっとな話です」」と追従する。

 皇太子にせよ騎士達にせよ真顔で言っている所が、ニダール帝国の姿を現しているのだろう。

「しかし、今回の旅では良いカナリアが手に入った。見目が半端なのは気に食わんが、声はなかなかのものだ」

「はっ、辺境蛮国にはもったいないカナリアですな」

 皇太子の前面に座す歌姫ミホを、右の口角だけを上げた皇太子がゴブレット越しに見て悦に入る。

 その歌姫は皇太子に正対する形で座っており、背筋をピンと伸ばした状態で身じろぎ一つしない。

 それどころか瞬きすら殆どしていなかった。

 そんな船内の様子を、竜は天井にある索敵窓から覗いていた。

(あれは『隷属の首輪』…… やっぱり自分の意思でついて行った訳じゃなかったんだな)

 他人の言葉を鵜呑みにしない彼は、『自分の意思で彼らについて行った』と主張するニダール帝国側の意見も無条件で否定していなかった。

 だが、『隷属の首輪』を確認した事によって、その事が完全に嘘であり、冒険者達が言っていた『意識のない状態で連れ込まれた』という話が事実であると確信した。

 この『隷属の首輪』は犯罪奴隷に使用されるマジックアイテムである。

 ファンタジー小説に良くある、『主人の言う事に逆らえず、特定の行動を制限出来る』と言うような便利なものではない。

 このマジックアイテムは、元々はアストラルやエーテルの制御について研究していた際の副産物として偶然生まれたもので、アストラル体に対してある種の圧力を掛ける力が有る。

 このアストラル体に対する圧力とも言える力を掛けられた者は、意思の力が弱くなる。自分で考えて行動しようという意思そのものが希薄になるのだ。

 この効果を利用して作られたのがこの『隷属の首輪』だ。

 通常のマジックアイテムは魔石を燃料として使用するが、この『隷属の首輪』は着用者のオドを吸収する事で常に起動している。

 当然、着用者の体内オドは有限である。その為、この首輪のオド吸収機能はオドの自然回復量を若干下回る量に設定されている。

 そして、その程度の値であっても、着用者の意思を希薄にするには十分な機能を発揮する。

 元々犯罪奴隷は鉱山採掘作業の様な過酷な作業を行わせる事を目的としている為、完全に意思の力を奪ってしまっては意味がない。反抗の意思を奪えるだけで十分なのだ。

 その為、低レベルの効果で十分と言うよりも、低レベルの効果でなくては意味がない事になる。

 だが、その観点から船内の歌姫を見ると明らかに様子がおかしい。

 彼女は全く身動きせず、意思そのものが存在しない人形のようになっている。これは、明らかに通常の『隷属の首輪』を着用した奴隷の姿ではなかった。

 『ハルの町』に来て幾人となく犯罪奴隷を見てきて、その違いに竜も気付いていた。

(設定を強力にしている!? それとも強化版の首輪?)

 他のマジックアイテムのように、設定を変更して機能の強度を上げる事が出来るのかと言う事までは彼の知識にはなかった。

 実際は、一般の『隷属の首輪』に出力調整機能は存在せず、特殊用途に使用する物が別途作られており、それが彼女に装着されている物だった。

 この特殊用途の『隷属の首輪』には魔石使用型と体内オド使用型の二種類が存在するのだが、これは後者だ。

 これは着用者の体内オドがなくなった時点で機能を停止するのだが、その際着用者は気絶してしまう。

 そして、体内オドが自然回復する毎にこの首輪に吸い取られる為、着用している間気絶状態から回復する事はないと言う物である。

 つまり、特殊用途用の中でも特殊な用途にしか使用しない物だと言う事だ。

 そこまでの知識のない竜であったが、元々の怒りに相まって『強化設定された隷属の首輪』と言う存在だけで、ためらいや恐怖をはね除けて行動に移らせるには十分なものだった。

 竜は天井の索敵窓から覗いた船内の様子を、脳内で立体マップに変換する。

 そして皇太子や騎士、歌姫の位置関係を把握し、音を立てないように飛空船上部を移動して歌姫の直上まで来た。

 一旦深呼吸をした竜は、その場で『透過』のインプラントを発動させ、同時に『ジャンプ』も発動させる。

 重力によって飛空船の屋根に沈み込む速度を、『ジャンプ』の足場を頭上に形成してそれを手で押す事で加速する。

 その後の展開は2秒と掛かっていない。

 船内まで透過で侵入した竜は、落下中に歌姫の腕を掴み『透過』の力で包み込み、『ジャンプ』の足場を再度上方に形成して落下速度をさらに加速して床を突き抜けて船外に出る。

 まさに一瞬の出来事だった。だが、間一髪でも有った。

 ポカンと口を開けてマヌケ顔をさらしている皇太子と違い、船内にいた騎士2名が反応して剣を振るったのだった。

 頭上に形成した足場を手で押した段階で、彼らの剣は伸びきった竜の腕に向かって振るわれており、もう少し腕を縮めるのが遅ければ手首よりも下で切断されていた事だろう。

 彼らは騎士だった。ニダール帝国の騎士とは言え騎士は騎士だ。

 しかも皇太子を5人という少人数で護衛する騎士が弱い訳がなかった。

 そして、レベルという(ことわり)が存在するこの世界において、強いと言う事はそのまま高レベルであると言う事と同意である。

 竜が高速で思考でき、高速で状況を認識して対処出来る以上に、彼らも対処が可能だった。

 全くの不意の状況で発生した事態であり、彼らが竜を認識して1秒と無い時間ではあったが彼らは反応して見せた。

 竜が天井からの落下を自由落下だけで行っていたなら、腕どころか胴体から切断されて終わっていた事だろう。

 その状況を完全に認識出来ていた竜にはその事が理解出来ていた。

(ギリギリだ…… 死んでいてもおかしくなかった…… レベル差ってものを甘く見すぎていた……)

 歌姫を横抱きにした状態で自由落下しながら、彼の身体は(おこり)の症状のように震えだしていた。

 それは、鋼殻獣に襲われた時にすら感じた事のない恐怖から来るものだった。

 彼にとっては、生まれて初めて感じる死に直面した恐怖である。

 やっと17歳になったばかりの日本人である竜には無理のないことだろう。失禁しなかっただけでも十分だと言える。

 自由落下で地上へ向かっている間、竜は高速な思考によって自身の行動を反省し続けた。

 そして、その間で有っても上空の飛空船から攻撃がないかを意識していたのは、及第点と言えるだろう。

 通常下に多くの民衆がいる状態で、上空から攻撃魔法が放たれることはあり得ない。

 だが、そのあり得ない行動を実施するのが『ニダール帝国』だ。

 その事を今回の事で理解していた竜は、今回の反省の上にも油断することはなかった。

 だが幸いにも、件のニダール帝国にも最低限の常識はあったようで、魔法による攻撃が放たれることはなく、竜は複数回の足場を蹴って減速することで地上まで無事に降りることが出来た。

 実際の所、いくらでも言い訳の効く民間人誘拐ならまだしも、他国の領主が居る所に攻撃魔法を放ったのではさすがに言い訳は効かない。戦争行為以外の何ものでも無いからだ。

 ニダール帝国皇太子も騎士の諌言(かんげん)を受け容れざるを得なかった。

 そして、無事地上に降り立った竜の元には大勢の冒険者や民衆が集まってくる。

 竜を褒め称える声や、歌姫の無事を喜ぶ声が重なり怒声のように響く中、竜は周囲の者達を無言のまま手で制して、歌姫の首に手をやる。

「おい… あれは『隷属の首輪』じゃないか!?」

「あっ! 本当! 『隷属の首輪』!!」

「って言うか、普通の『隷属の首輪』じゃないぞありゃー!! 歌姫さんの表情がおかしいぞ!!」

 周囲の者達が『隷属の首輪』の存在に気付き、次いで彼女の状態の異常性にも気づき騒ぎがさらに大きくなる。

 そんな中、彼女の両親と領主達が人垣をかき分けて竜の前までやってきた。

 彼女に飛びつこうとする両親と、何か言おうとする領主を先ほどと同じように無言で制した竜は、彼らを無視して『隷属の首輪』に意識を向ける。

 『リペア』を起動し、『隷属の首輪』を『見る』と大まかな構造が分かってくる。

 マジックアイテムを解析している竜としては、魔法回路に一瞬興味が湧くが、この場ではそちらは無視して鍵の構造部分に集中した。

 そして、鍵のロック構造になっている部分を『変形』させると、首の圧力の関係で開閉構造が勝手に開き彼女の首から外れて地面へと落下する。

 その瞬間周囲の者達から再度歓声が上がった。

 声が重なり合って誰が何を言っているかは全く分からないが、喜びの声である事は彼らの表情で分かる。

 だが、その歓声の中で竜の表情は優れない。

 なぜなら、『隷属の首輪』が外れた歌姫の表情が変わらず無表情のままだったからだ。

(首輪をただ外しただけじゃダメだったのか? ひょっとしてキチンとしたプロセスを踏まないと後遺症が出たり、効果自体が消えないとか…… 俺は余計なことをしてしまったのか?)

 そういった事を考えて不安に揺れる竜の肩を叩く者が居た。30代の女性で今回の祭り用に依頼を受けた警備隊のマントを羽織っている。

 その彼女は、周囲の歓声に負けないように、竜の耳元に口を近づけ大きめの声で彼に語りかけた。

「首輪の効果が消えないのが心配なの? 大丈夫よ。首輪が外れても乱されたアストラルは直ぐには正常にならないから今の状態は正常よ。

 かなり重度な設定になっていたみたいだから、正常に戻るまでは半日はかかると思う。でも後遺症とか残らないから心配ないよ」

 彼女はたぶん高レベルの魔法系加護を持つ冒険者なのだろう。『風の旅団』のミレイ嬢程ではないが、この手のマジックアイテムに関する知識があるようだ。

 彼女の言葉を聞いた竜は、一気に身体の力が抜けた。安心して一瞬足に力が入らなくなった程だ。

 それでも直ぐに立て直すと、まだ何か聞いてこようとするその女性警備隊員をかわして、『ジャンプ』を発動させて上空に飛び上がる。

 また大きな声が響き渡る中、建物の高さまで上がった後、横に向かって移動して足早にその場を離れた。

 しばらくして人気の無い路地に降り立つと、即座に『肉体操作』のスロットに記録されている元の姿を参照して元の姿に戻す。

 紫色の光が消え、完全に元の姿に戻った竜は、路地に面した家の壁に背をもたれたまま10分以上その場から動かずに座り込んでいた。

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