18話 招かれざる者
この国の、いやこの世界の人口密度は薄い。アメリカは元よりカナダにすら遙かに満たない密度である。
ちなみに日本の人口密度は世界各国と比較すると24番程度であり、第2位のシンガポールの1/23に過ぎない。
トップはマカオで3位は香港だが、これらは実質中国と見なせる為シンガポールが1位と言って良い。
某半島は日本の1.5倍の人口密度で、12位当たりにいる。
元の世界はともかく、この世界の人口密度を低下させている原因は『モンスター』の存在だ。
人口密度と言うよりも、人口増加を抑えている原因という言い方が正しいかもしれない。
城塞都市の形をとらない限り安全な生活圏を形成出来ず、その上多くの15歳から35歳代と言う働き盛りの者達が冒険者として命を散らしていく為人口がなかなか増える事がない。
ただ、そんな環境であっても街道沿いに関しては、最低限徒歩1日で移動出来る範囲に町なり村なりが作られている。
日本の江戸時代における宿場町と同じだ。
モンスターが闊歩する世界において、冒険者ならいざ知らず一般人が野宿など出来ようはずがないからだ。
また、この国のようにゼロから開拓した国であれば、新たな町を作る際も開発拠点・物資集積場などの観点から既存の町を利用するしか無く、必然的にその既存の町から離れすぎない場所に作らざるを得ないと言う事情もある。
それでも、地形的に町を作る事が出来ずに野宿が必要な場所には、木の塀で囲まれた狭い簡易の拠点が作られており、旅人はそこで寝泊まりをしている。
今回盗賊の出た所は、『ハルの町』と隣の『ミナイゴラ村』の間で、この間は徒歩で8時間、馬車で4時間程度となっている。
なまじ1日で移動出来る距離であるが故に、この間に簡易拠点は作られていない。
一応、煮炊きが出来る程度の場所は存在するが、塀などで囲まれていない為今回の討伐隊用拠点としては使用出来ない。
その為討伐隊が先ず行ったのは、この野営地作りとなった。
野営地点に到達した討伐隊は、リーダーとなっている3級冒険者パーティー『鈍色の鉄槌』の指示の元、10名の斥候を盗賊探索に出すと共に他のメンバーによる野営地建設を実行する。
野営地と言っても、基本はテントだ。
ただ、モンスターという存在がある為、周囲を木の柵で囲む作業が必要となる。
通常であれば、直径50メートル程度の範囲ですら何日もかかる作業ではあるが、レベルという理によって人外とも言える力を有した者多数がおり、その上魔法と言う力が存在する世界である為、恒久性を考えなくて良いのであればその作業は僅か一日で終わる。
前もって『ハルの町』の代官に木材伐採の許可は得ている。
この国においては、一定以上の伐採には領主もしくはその代官の許可が要る事に成っている。その領地の全ての資源は領主の物と言う事になっている為だ。
斥候に出た10名を除く、戦闘要員40名と支援要員20名の計60名によって、木々が次々に伐採され、加工されたていく。
そして、土魔法によって穴や竈が作られ、テント設営場所の地面が平らに加工され排水路も作られていく。
『ハルの町』には、2級冒険者はいないが3級冒険者の数はかなり多い。なんと言っても魔境とも言える未開地への最前線なのだから。
そして、この3級冒険者も2級ほどでは無いが人外魔境に片足を入れた者達で有る。木程度であれば、某斬鉄剣の様にスパスパと切り裂いていく。
これらの作業は、とても即席に作られた集団とは思えない効率で勧められていった。
基本的に『ハルの町』の4級冒険者以上は、冬期の森林伐採及びその護衛依頼を受けた経験のある者が大半だ。その為、こう言った作業に慣れた者が多かった。
また、この野営地点には遙かに及ばないものの、町から一定以上離れた場所で活動する為の拠点作りを行うのも4級上位冒険者の必須作業だった事もある。
これらの簡易拠点は山中や森のなかなかに点在しており、制作パーティーが優先するものの他のパーティーも使用出来るようになっている。
その為、これらの簡易拠点が破損しているのを見かけた場合は、見かけたパーティーが修理を行う事が暗黙の了解となっている。
当然、全壊等で使用出来なくなっていた場合は、その旨を冒険者協会に報告する。簡易拠点が有るつもりで移動した際、無かったら状況によっては生命に関わる自体となるからだ。
一定ランク以上の冒険者にとって簡易拠点作りとは、ある種ライフワークの一つであり、作成技術は必須技術だった。
そんな手慣れた者達の手によって、拠点到着後わずか6時間程で、高さ2.5メートルの塀に囲まれた直径70メートル程の野営地が完成していた。
この野営地は、今後一般旅行者の休憩地、冒険者の活動拠点としても使用する事を考えて、街道沿いに作られている。
無論、その方が今回の討伐隊用に必要な物資の搬入などに便利であると言う事でもあるが。
そして、この日の夕方帰ってきた斥候部隊からは、盗賊のアジト発見の報は無かった。
盗賊自体の発見はともかく、アジトまたはアジトの痕跡すらつかめなかったのは殆どの冒険者達には以外であった。
なぜなら、『ハルの町』と『ミナイゴラ村』の間は20キロ近くあるとは言え、各町の近くは常時冒険者が探索しており、盗賊がアジトを作れる余地はない。
そしてそれ以外の範囲でも、人が住める環境でかつ安全を確保出来る環境となれば、かなり場所が限定される。
そして今日の斥候部隊には、ツーマンセルでこの条件に合った5ヶ所を探索させただけに、発見の可能性は高いと皆が思っていたのだった。
ただ、『アジトの発見』であり『盗賊の発見』ではないのは、盗賊がすでに逃走しておりこの地に居ない可能性を考慮したものだ。
実際、冒険者協会や代官、そしてこの討伐隊の者達も盗賊はすでに逃げて居ないと考えている。
冒険者協会や代官に関しては、それで良いとさえ思っている。
今回の大討伐隊はデモンストレーションである。この街道で盗賊をするなら、これだけの数の討伐隊を出して即座に殲滅するぞ、と言う。
これによって盗賊がこの領地からいなくなったとしても、他の領地に被害が移るだけなのだが、それはそれで良いのだ。
あくまでも自分の領地、またはそこへと至る通商路の安全さえ確保出来れば良い、それがその世界の領主、そして町を管理する側の者達の思考だ。
実際の所、拠点を移す盗賊の何割かは、移動の際や新しいアジト作成までにモンスターによって殺される事になる。
それほどまでに城塞都市外における生活は難しい。故に、追い出す事が盗賊団の壊滅に繋がっている。
ただ、冒険者達にとっては盗賊がいた方がありがたい。
盗賊がいると言う事は、盗賊達の略奪した金品が残っている可能性が高いと言う事であり、自分たちの分け前が増えると言う事だ。
この討伐隊に参加している者達に『人を殺す事への忌避感』は無い。そう言う者だけが参加している。
そして、これだけの数が居り、ランク3パーティーが3組も参加している状態では15名どころか倍の盗賊がいても過剰戦力である事も分かっている。
故に、彼らとしては美味しい依頼だった訳だ。
そんな、それぞれの思惑のもと討伐が開始された。
…………
…………
「と言う感じだったんですが…… 結局盗賊はおろか、そのアジト跡すら発見出来ずに終わったそうです。遺族の方々には申し訳ない事ですが……」
討伐隊が帰ってきた翌日、時間帯をずらして冒険者協会へと訪れた竜は、真っ先に事の顛末を窓口嬢へと聞いた結果がコレだった。
昨日の時点で討伐自体が失敗に終わった事は、竜も他の者達の噂話として聞いていた。
それでも、詳細が聞きたかったのだが、まさか大多数の者達にとっては予定通りの結果だったと言う事に驚きを隠せなかった。
実際、事件が発生してから討伐隊が出発するまで一週間以上掛かった。
盗賊に対する協力者などと言う存在が居るというのであれば、それらの事は当然盗賊に伝わったはずだ。で有れば、確かに残っている方がおかしいのだろう。
竜としては複雑な気持ちだった。
自分の中に、僅かながらでも『自分の手で殺してやりたい』と言う想いがあるだけに、『これで俺が殺せるチャンスが残った』という喜びとも言える感情が湧き上がってきてしまう。
憎い盗賊が殺されずに逃げ延びたというのに、だ……
竜自身、リョーが殺されて以降の自分の感情に戸惑いを感じている。
元々彼はかなり感情の起伏が小さく、よく言えば冷静、悪く言えば無感動人間だと周囲の者はもちろん、竜自身も自分を理解していた。
全てを斜に構え、重度のイジメすら無視し続けた竜の姿と比べれば、全く別人で有るかのごとき感情の発露だ。
殺人という行為を厭わないと言う事、そして自身の手で殺せる可能性を考え暗い喜びが浮かぶと言う事、共に以前では考えられない思考である。
だが、これは竜が変わった訳ではなく、元々それだけの熱さ、もしくは篤さを持っていたのだが、それを表す相手が居なかっただけだった。
その相手がリョーだっただけの事だ。僅かに半年程度の付き合いであるのに、だ。
二律背反的な感情に心を曇らせたまま、彼は今日も自身の生活と目的の為に依頼を受けて郊外へと出かけていった。
討伐隊が帰還してより6日後、『ハルの町』の春祭りが始まった。
この祭りは5日間に亘って行われる物で、その間『ハルの町』は祭り一色となる。
この間、大半の冒険者は祭りに興じ日頃の憂さを晴らす。
だが、ある程度冒険者は逆に稼ぎ時とばかりに依頼に勤しむ。街中や街道の警備任務だ。
今回は直前の大規模盗賊騒動が有っただけに、通常の倍近い数の冒険者が依頼を得る事が出来た。
ただし、この増員は街道警備が任務である関係上、馬ないしそれに準じる動物への乗馬が可能な者に限定された。その為、かなり狭き門だったようだ。
これらの臨時警備員は全て専用のマントを目印として纏っており、それをもって安全のシンボルとしていた。
竜は当然乗馬技術など持たないし、それ以前に冒険者ランクで足切りされるためこの依頼は受けられなかった。
そして、この間冒険者協会は緊急窓口のみ残して、一般の依頼などは全て停止されるため依頼を受ける事も出来ない。
ただ竜の場合はインプラントの『次元収納』が有るため、この間に採取した薬草類も劣化させずに保存が可能なので、依頼を受けず採取に行く事も可能ではあった。
しかし竜は、そうせず、祭りを見て回っていた。
存念ながら、祭りを楽しむと言う気にはなれないのだが、それでも自身の心のバランスを取る為に『陽の気』に触れて回る。
この祭り自体は、元の世界で言う所の『花見』と『ねぶた』が一緒になったようなもので、大通りを巨大な山車が複数練り歩き、それを広場や通り沿いで酒等を飲みつつ見ると言うものだ。
そして各家々には、ここぞとばかりに春咲きの花が鉢やプランターで飾られ、デコレーションと言えるレベルの家すら散見される。
神話や建国史に準えた山車が砂塵を舞上げる中、人々はその埃を厭う様子を全く見せずに路端で酒や料理を片手に歓声を上げている。
周囲から聞こえてくる会話は、基本バカ騒ぎだ。常日頃の鬱憤をぶちまけるように騒いでいる。ほぼ中身はない。
中には早々と、祭り最終日に行われる街を囲む塀沿いの空き地を利用した『競馬』の予想に熱を上げている者達も多い。
それぞれがそれぞれに、この祭りを全身で楽しんでいる。
娯楽の少ない世界において、祭りとは元の世界からは考えられない程の一大イベントなのだから。
そんな『陽の気』に溢れる街中を散策する竜が冒険者協会側へとたどり着いた時、今までと違う響きの声が響く。
「飛空船だ!!」
その男性にしては高音の声は喧騒で溢れる中でも意外な程通り、竜を含めその周囲の者全てへと届いた。
竜は声は聞こえたが、その意味する所が分からず一瞬戸惑う。
だが、直ぐに周囲の者達が一斉に上空を見上げた事で、彼も視線を彼らと同じように上空へと向けた。
するとそこには、大型バスを2台横に連結して、左右に5メートル程の翼が付けられた人工物が飛んでいる。
(飛行機? イヤ…飛行船みたいに浮かんでいる?)
それは、明らかに浮かんでいた。水素やヘリウムなどによって浮かぶ飛行船の様に。
だが、その大きさからすると、ガス嚢にあたる部分が見当たらない。
バス2台分の構造がガス嚢で有れば、今度は人が乗るスペースが無い。
(上に人が乗る所がある? 気球のゴンドラみたいなヤツとか? でも、それだと2~3人乗ったら限界だろう…)
そんな竜の考察を余所に、件の飛空船はゆっくりと降下してくる。
「おい! あいつここへ降りてくるつもりだぞ!!」
「何考えてるの!!」
「平時でも街中に下ろすバカはいないぞ!!」
周囲の喧騒が怒号へと変わり、それと共にシートを広げていた者達が慌てて荷物を持って逃げ出していく。
幾人かは酒に酔って足がおぼつかない者も居たが、それらは他の者達が引きずるようにして連れて行った。
そんな喧騒の中、「ニダールだ!!!!」の声が響き渡った。
その瞬間、周囲の者達の表情が、さらなる怒りか諦観とも言える感情の二極へと変化した。
「チッ! あの紋章は間違いなくニダール帝国だ……」
「ニダールがなんでこの街に来る!?」
「知るかよ! ニダールに常識を求めてどうする!!」
「ねぇ、ニダールで飛空船持ちって……王家だけじゃ無いの?」
「……王家っつうか、帝室な。…たしか三年前にニダールの帝室が買ったはずだ」
彼らが言うとおり、飛空船の平らな下面中央に、ドラゴンと獅子を剣が横から貫いた意匠の紋章が描かれている。ニダール帝国の紋章である。
怒号と諦めの集団を余所に、その紋章を掲げた飛空船は全くの無音で大通り中央へと降りていく。
飛行機やヘリなどのようにランディングギアのような概念は無いようで、下部の平らな面をそのまま地面へと付けての着地だった。
「全く、見栄っぱりでプライドだけは異常に高いくせに、自分たちの紋章を地に付ける事とかは気にしないのかよ……」
竜の側に居た、身につけている物から見て地位が高く一定以上の財産を有すらしいと推測出来る者がポツリと呟く。
国や地域によって事なるが、国章などの紋章に付いてかなり拘りを見せる者達が居る。
中でも地に付ける行為を厳禁とする所は多い。足や自身で踏みつけにするなどもってのほかである。
この世界でも他の地域はともかく、『聖』を中心とする同一文化圏においてはその思想があった。
当然、日本育ちの竜にはピンと来ない考えである。
(応援団の団旗の感覚かな? 『団旗を地に付けるな!!』とか漫画で有ったな…)
年間二桁に上る数の、日本の国旗が焼かれたり引き裂かれたりするニュースを普通目にしていた関係で、漫画の応援団団旗の話の方が印象に残っている竜だった。
通りに着底した飛空船を遠巻きにする者達は、表情の違いはあれど件の飛空船に対して良い感情を持つ者は全く居なかった。
そんな負の感情だけで満たされた空間で、飛空船の横面に設置されていた扉が開く。
扉を開いたのは、ヘルメットのみ着用していないフルプレートメイルを身につけた騎士然とした者だった。
全身は鏡のように磨き上げられた銀色で、縁取るように金色のラインが入っている。
その騎士が出て来た後、同様の騎士がさらに三名現れ、出入り口左右に二名ずつ並ぶ。
そしてその間を通るようにして、白をベースに赤の意匠が施された無駄に煌びやかな服を纏った20代前半の男が降り立った。
その男は左右を見回すと顔をしかめて言い放つ。
「なぜに出迎えが無いのだ! わざわざ半万年に及ぶ悠久の歴史を持つニダール帝国皇太子が、下賤な国の辺境まで訪れてやったというのに!!」
竜の周囲の者達の怒気が上がる。
「何が半万年だ、盗掘団のくせに」
「皇太子だってぇ……また、やっかいなヤツが……」
「迎えって、ニダール野郎が来るって話聞いてたか?」
「そんな話は聞いてないぞ。昨日代官様と打ち合わせした際もそんな話は無かった」
「だよな、だいたい、ニダールが来るなんて災厄並の話、前もって知ってたら公示しないはずが無いだろう」
(災厄並…… そこまで言わせるだけの国って事なのか? ニダール帝国って国は? まあ、あれを見れば、確かに好感は全く持てないのは間違いないけどさ……)
周囲の者達の話を聞きつつ、竜は今まで聞いてきた『ニダール帝国』に関する記憶をさらに悪い方向へと修正していく。
竜はこの世界に来て、殆ど『貴族』と言う者に接触する事無く過ごせてきていた。
それはこの街の辺境と言う特性でも有るのだが、それ以前に彼の想像する『貴族像』に合致するような『貴族』が存在しない事も理由の一つだった。
実際は彼自身は気付いていないが、複数の貴族とすれ違っていた。その貴族を金持ちの商人と誤認していただけの事だった。
つまり商人と誤認する程度には、竜の中にある『貴族像』に合致しない行動を取る者達だったと言う事だ。
この国に関して言えば、新興国であるが故に王家や貴族と言う身分がそれ程確立していない。
その為、いわゆる貴族的な横暴を実行する者の数は圧倒的に少ない。無論居ない訳では無いが、他国と比較すると圧倒的にという言葉が使える程に少ない。
この状況を建国後300年程維持出来ているのは、『住民の移住・移動を妨げては成らない』と言う兼国王の定めた決まりの存在が大きい。
この法があるが故に、領主は住民に対して無法が出来ず、同様に傘下にある下級貴族の無法も取り締まらざるを得ない事に成る。
実際、過去にバンセと言う街を中心とする一帯において、領主と傘下の貴族の横暴に苛まれた民衆が一斉に他の領へと移り、領として成り立たなくなり結果その貴族達の貴族位が剥奪されたという事が起こっている。
この件は現在に至るまで、後の貴族達に対する戒めとして貴族の教育として語り継がれているものだ。
そう言った関係で、この国に関して言えば『貴族の理不尽な横暴』は殆ど無く、辺境と言う立地上さらに貴族自体の数が少ないこの街に関しては、ほぼ存在しないと言って良い。
事この事に関して言えば、この街に転移して来た事は竜に取って幸運だったのだろう。『聖』や『ニダール帝国』へ転移していたら、全く違う状況になっていた可能性が有る。
そんな状態で、初めて竜の考える『貴族像』に完全に合致する言動と行動を実行する存在を目の当たりにして、ある意味感動していた。この国は良い国なんだな、と。
そして、敵意に彩られた空気を全く無視して、並んでいた騎士の一人が声高に叫ぶ。
「何をしている! ニダール帝国皇太子殿下が降臨されているのだ、さっさと領主を呼んでこんか!!」
皇太子ならまだしも、一騎士が他国の貴族たる領主を『領主』と呼び捨てにするのはおかしい。そして、それ以上に『降臨』はおかしい。
「何が『降臨』だ、神様にでも成ったつもりかよ!」
『降臨』は通常神様や、それに準じた存在に対して使う言葉だ。『聖』『降竜大国』はもちろん同一言語・文化圏たる『ニダール帝国』でも同じである。
『加護』という存在があり、それ故に神が身近にあるこの世界において、この発言は不敬どころでは無い発言だった。
この世界において宗教は然程の力を持っていない。
だが、それは人々が神を信仰していない事を表しているのではなく、信仰が宗教という枠を必要としてないレベルで人々に根付いているからだった。
故に、人々は『降臨』と言う言葉に敏感に反応した。
それまで飛空船周囲を遠巻き取り巻いていた者達が、雪崩を打ったように散っていく。
荷物を持って、子供の手を引きながら、酔っ払いを担ぎながら、全員が飛空船と反対方向へと足早に消えていく。
その流れに取り残された竜は、一人だけその場に暫し残されたが、その場に止まる意味を見いだせなかった為、彼らの後を追ってその場を離れた。
そんな竜の前方を移動する者達の間からは、呪文のような言葉が繰り返されていた。
「ニダール帝国には関わるな」
「ニダールには関わるな」
10歳に満たない子供までが呟いている姿に、若干引く竜だった。




