14話 荷馬車の周りで
『温風機』の解析が90%を超えた。
まだ『加熱』に関する魔法回路の解析が完全では無いが、『送風』に関わる解析は完了している。
ここで言う解析とは、マジックアイテムの魔法的機能を発揮する部分をどのように変更すれば、目指す形の魔法現象を顕現できるか、と言う事だ。
例えば、『送風』という事象を発揮する魔法回路で有れば、複数の設定要素が存在する。
① 風という事象を発生させる位置(基点)を決めている要素
② 風という事象をどの方向に向かって発生させるかと言う要素
③ 風という事象の流速のに関わる要素
④ 風という事象の量(範囲)に関わる要素
『温風機』その物の機能としてだけでも以上四つの要素が存在する。
そして、それぞれの要素を成り立たせている回路を恣意的に変更(変形・素材の混合率変更)することを繰り返し、それぞれの事象の変化を確認しつつ法則性を見つけていく事がこの場で言う『解析』の事だ。
元々全く法則性を知らない状態で手探りで行っている関係上、その行為の9割以上が効果(変化)が無く無駄に終わってしまう。
そんな無駄の中にある、僅かな変化を捉え方向性を定めて、その上でまた9割以上の無駄を積み重ねた上で、と言う事を延々と繰り返す事になる。
そう言った元々ある機能要素の変更であれば、法則性を見つけて、ある程度自由に設定出来るようになれば終了で良い。
だが、『風』と言うモノ自体を変化させる事に付いては、想像力と実現性とのせめぎ合いとなる。
元の世界において『風』とは単に空気の流れであり、それ以上でもそれ以下でも無い。
だがこの世界で、さらにマジックアイテム・魔法としての『風』となれば話は変わってくる。
小説やゲームにおける『風魔法』には、カマイタチ的な斬撃、速度アップのバフ、速度低下のデバフ等まで含まれる事が多い。
また、小説などでは『エアー』もしくは『ウインド』を付ければ全て風属性魔法として設定されており、他の属性魔法と共通の『ボール』『アロー』『ウォール』などを付けて表す事も多い。
これらの明らかに『空気の流れ』では無い事象を、『温風機』の中に組み込まれている『送風』の魔法回路だけをベースに実現できるか? と言う事だ。
実際、バフ・デバフは端から無理だった。そもそもその原理が不明である。なぜに『風』と身体能力上の『早さ』が関わってくるのか?と言う事だ。
風で押す事で動きを加速する?
不可能だ、ただ一直線に進むのであればそれは出来るが、さまざまな方向へと動きの向が変わる戦闘中などであれば、その度にそれに合わせて風の向きを瞬時に切り替え、且つ強さも調整する必要がある…出来るはずが無い。
上記の魔法の例でそのまま実行可能と思われたのは『ウォール』だけだった。これは起点を地面にあたる位置に設定し、下から上に向かって壁状に一定範囲で風を最大の強さで吹かせれば良い。
もちろんこれは、竜が解析した法則を使えば理論上可能であると言う事に過ぎない。
そして、それ以外の『ボール』『アロー』『斬撃』については、理屈としては無くは無いが、このマジックアイテムの魔法回路がベースでは不可能だという結論に至った。
ただ、理屈としては、と言うのはあくまでも竜の知識としてで有り、『斬撃』についてはカマイタチ的な形を取れば可能だろうと考えて居た。
だが、実はカマイタチと言う現象は自然に発生する真空が原因では無い、と言う事がかなり前から科学者達から提唱されている。
何よりも、真空とは通常の気圧と僅か1気圧しか変わらないもので、仮に自然現象によってそのようなものが発生し、それに人間が触れたとしてもザックリと人の身体を切り裂くだけのエネルギーを有していないのだそうだ。
故に、真空状態の球体を作り出して、それを対象物に向かって飛ばせたとしても、漫画やアニメのように切り裂かれるような事は発生しないと言う事になる。
竜は先ず、この世界の各魔法を知るべきだった。なまじ元の世界のゲームなどによる魔法知識があるだけに、無意識にそれをこの世界の魔法と同じだと考えてしまっている。
レベルアップの件の時と同じ過ちを繰り返していることになる。
ダンジョンや草原で幾度か目撃した魔法が、まさに彼がイメージしている魔法その物だった事も、その思い込みを強くしている原因だった。
実際、竜がこの時点までに、魔法やマジックアイテムに付いてより詳しく周囲の者達に尋ねていたならば、その後の生活は全く違った物になっていたかもしれない。
竜が鋼殻獣に襲われてから20日目、王都から2級冒険者パーディーの『風の旅団』が再度鋼殻獣討伐の為、ここ『ハルの町』を訪れた。
前回はすれ違いばかりで、一度としてその姿を見る事すら無かった竜だったが、今回は彼らが到着したその日に冒険者協会のホール内でその機会を得た。
彼らは5人パーティーで、30代の男性3名と20代半ばの女性2名で構成されていた。
(装備が全く違う…… 幾らするんだ?)
絶賛金策に勤しんでいる関係か、ついつい明らかに高価だと分かるな装備に目が行ってしまう竜だった。
そのパーティーのリーダー格だと思われる男は、身長2メートル近くの偉丈夫で、全身を赤い金属とは違った質感の鎧で纏い、背中に刃渡りが確実に1.5メートルはあろう大剣を背負っていた。
さらに、手甲や脚甲の部分に魔石投入用の穴がある事から、その装備がマジックアイテムである事が分かる。
当然、鎧の下にも何らかのマジックアイテムを複数所持しているのだろう。
他の面々も偉丈夫のリーダー同様にそれぞれの職種に合った、見るからに高価な装備を纏っており、方々にマジックアイテムも装備している。
彼らの職種的な内訳は、件の大剣を所持した剣士、ロングソードとバックラーを装備した男性剣士、弓を装備した斥候職の男性、魔法使いの女性、回復職の女性と言う組み合わせのようだ。
この中で、魔法使いの女性と、斥候職の男性が『風魔法の加護』を有しているようで、そこから『風の旅団』の名が付けられていると言う。
ゲーム的に言えば盾職が居ないのだが、ゲームと現実の違いや、この世界の理自体がゲーム設定と違う事、何より実際2級冒険者として活動できている事から考えて問題ないのだろう。
そんな彼らが一日でも早く岩猪の鋼殻獣を討伐してくれる事を、竜は切に願っている。
竜にとっては現状の、北草原が使えないのはかなり痛い。
東や南だけでは、日に貯蓄分に回せる金額は多くて5000円程で、少ない場合は1000円程しか無い。平均すると2500円程度だ。
彼が今後購入する事を決めている複数のマジックアイテムの価格は、6万円から30万円はする。全てを購入するとしたら、計80万円以上を貯めなければならない事になる。
無論、北草原が使えるようになっても劇的に収入が上がる訳では無い。増えて一日当たり+2000円程度だろう。
だが、その2000円の積み重ねはバカに出来ない額となる。
その+2000円の為に、彼らには是非とも頑張って欲しいと願っている。実に利己的な願いだ。だが悲しいかな、それが一般的な人間だろう。
『風の旅団』で賑わう冒険者協会での売却処理を終えた竜は、いつも通りの食事や銭湯を経て定宿である『春風屋』へと戻ってきた。
「お帰りなさい」
そう言って迎えてくれたのは、何時ものリョー少年では無く姉のレイだった。
「ただいま。リョー行ったんだ」
「はい、昼前に出発しまた」
実は、リョーは彼の叔父と共に王都へと今朝から向かっていた。
商売をしていた叔父夫婦が、新たな品を販売する為の許可を申請する為に王都へ向かう事になったのだが、その際馬車に空きがある事から社会見学の名の下にリョーも一緒に行く事になったらしい。
姉であるレイは以前同様の事が有って、その際王都へ行っているらしく、今回はまだ一度も王都へと行った事のないリョーが選ばれたようだ。
社会見学と言ってはいるが、実際は単なる観光である。
実際、昨晩も「竜兄、今度は僕がお土産買ってくるから、楽しみにしててね~」とはしゃいでおり、そのまま興奮しすぎで眠れなかったようで、今朝は眠そうな顔でふらふらだった。
竜はそんなリョーに苦笑しながら、両親にばれないように2000円を彼に餞別として渡していたのだった。
「多分、馬車の中でずっと寝てたんだろうな」
「あははっ、多分、きっとそうですね」
レイも今朝のリョーの様子を思い出して笑う。
これから10日間程は、レイが宿屋のカウンターに付く事になる、変な冒険者に彼女が絡まれないと良いな、と思いながら竜は部屋の鍵を受け取り部屋へと向かった。
王都から来た『風の旅団』は伊達に2級冒険者では無かったようで、この街に来て僅か二日後には問題の鋼殻獣を討伐してしまった。
到着したのは前日の夕方だった事から言って、実質、一日で成した事に成る。
薬草採取から戻ってきた竜が見たのは、冒険者協会の入り口横に止められた荷馬車一杯に積まれた大量の鋼殻だった。
その漆黒の鋼殻は、件の鋼殻獣から剥ぎ取ったモノらしく、まだ裏面に付着した肉から血が滴っている。
前日と今日、冒険者協会で受付などをしている最中、周囲の冒険者達の話として聞いたのだが、どうやら彼らクラスになると普通の冒険者では全く傷も付ける事が不可能な鋼殻すら切り刻む事が可能らしい。
ただ、荷馬車に積み上げられた鋼殻に、目立った傷はおろか切断された様子すら全く見受けられなかった。
(傷や切断面が無いけど、どうやって殺したんだ? どこか一ヶ所だけを切り刻んで、そこからとどめを刺したとかか?)
通常、スライムなどのような特殊な例を除き、一般モンスターの弱点は通常の動物と同様『頭部』と『胸』である。
それを踏まえた上で荷馬車に積み上げられた各パーツを確認するのだが、頭部と胸部の鋼殻は無傷で積まれていた。
それでは、その近くの部分から攻撃したのかと考え、それぞれのハーツを記憶して頭の中で覚えている鋼殻獣の姿に当てはめてみるが、抜けパーツは無い。
(パーツが全て無傷で、全てそろっているって事は……打撃による衝撃で殺した? もしくは鋼殻の隙間から攻撃したのか?)
だが、その疑問もまもなく解ける。それは、やはり周囲で竜と同じようにその荷馬車を眺めていた冒険者達の話によってだ。
どうやら、鋼殻の隙間から攻撃したようだ。そして、あえてそのような事をした理由が、鋼殻自体を無傷で手に入れる為だという。
何でも鋼殻は上級冒険者達の装備として垂涎の的らしく、売るだけでも相当な金額となるらしい。
その為彼らは、傷が付かないようにして討伐したのだろうと。
そして、鋼殻獣という対象に対して、そのような形でも対処できるという、2級冒険者の能力の高さに竜は絶句するしか無い。
そんな畏れを感じながら、その鋼殻を見ていると冒険者協会の入り口が、にわかに騒がしくなった。
振り向く竜の目に映ったのは『風の旅団』の面々だった。
「おらぁー、お前ら散れー!!」
リーダーの大剣使いがそう言いながら手を振ると、竜を含め荷馬車を取り囲んでいた冒険者や一般人達が蜘蛛の子を散らすように離れていく。
そんな中を5人が堂々と歩いて荷馬車へと向かう。
周囲の者達は羨望と畏れを持って彼らを遠巻きに見送る。
そして、壁側に避けた竜の前を彼らが通った時、急に最後尾に居た魔法使いの女性が立ち止まり、竜の方へと歩いて来た。
戸惑っている竜の眼前まで来た彼女は、立ち止まって10秒以上彼の顔をじっと凝視しする。
周囲のざわめきを余所に、戸惑いキョロキョロする竜とただただ竜の顔を凝視する彼女。
その生い立ち故か、年の割に落ち着きのある竜ではあったが、さすがに落ち着いて等いられなかった。
(なんだ? 何か気に障るような事をしたか? 周りの者が何か気に障るような事を言って、それを俺と勘違いしたか? いや、でも、そんな事を言ってるヤツはいなかったと思うんだが……)
戸惑いながら、原因となる事を探そうと強化された思考速度で考えるが、全くそれらしい事が見つからない。
ここで、一目惚れされたかも、等とは全く考えない辺りは竜らしい。そして、基本悪い方向として考えるのも彼の特性だ。
だが、それらは全て間違いだったようだ。
「ミレイ、どうした。尻でも触られたのか?」
「そんな訳無いでしょ。 この子よ、昨日聞いた加護の件の子」
斥候職の男のからかい口調をさらりとかわした、ミレイと呼ばれた魔法使いの女の声で、他の3人も荷馬車から離れて竜達の元に戻ってくる。
「そいつがか? 間違いないのか?」
確認口調で問いながら、大剣使いが竜の元に来ると、竜の周囲にいた他の冒険者や一般人が先ほどのようにサッと離れていく。
(加護の件? ……成長の加護が無い件か? それを昨日冒険者協会の職員から聞いたとか?)
この世界に個人情報保護法案など無い。ダダ漏れである。
日本においても、この法律が制定されたのは最近に過ぎない。以前までは借金取りが、逃げた相手の転居先住所を区役所等の職員に聞いて調べていた程だ。
これが昭和の日本にも満たない治安、文明レベルの場所となれば守られるはずが無い。
それでもこの女魔法使いが人前で『加護の無い子』では無く、『加護の件』という言い方ができるのは、ただ強いだけの者では無いという証拠なのだろう。
「間違い無いわ。 ね、君、ちょっと時間くれる? そんなに時間は取らせないわ」
「おお、飯ぐらいならおごるぞ」
女魔法使いだけで無く大剣使いからも言われて、それを断れる竜では無かった。
「はい、分かりました…」
それだけ答えて、彼らの後を追う。
竜としては正直迷惑ではあったが、彼らが『成長の加護が無い』と言う事に対してどういった形に興味を持っているのか、そして、どのようにして竜がその本人であると言う事を分かったのかと言う事が気になっていた。
単純に容姿だけで判断したのであれば問題は無いのだが、別の判断基準があったとしたら、それには興味があったのだった。
周囲の者達から「なんだ? なんであんな若造を?」「あれって便所野郎だろ」「加護の件?」「俺もあの人達とさしで話がしてー」などと言う声が漏れ聞こえて聞いていた。
(あー、明日辺り、この事で変に絡んでくるヤツがいないと良いんだけどな。めんどくさい……)
ため息を小さくついた竜は、荷馬車と共に移動していく彼らの後を追った。
彼らが向かった先は、宿屋だった。
ただし、そこは竜が泊まっている『春風屋』と比べると3ランク以上上の高級旅館と言って良いだろう。
荷馬車を宿の者に預けた後、彼らは竜を連れてそのまま彼らが泊まっている部屋まで向かった。
カウンターで鍵を受け取る際、6人分の食事を運ぶように指示している。
ここは食堂も併設しているタイプで、その食事も部屋まで運んでくれるようだ。
彼らの宿泊している部屋は、元の世界で言う所のいわゆるスイートルームと言われる部屋だった。
その部屋の広さ、豪華さに呆然としている竜を、回復職の女性が無駄に装飾されたテーブルに設置された椅子へと誘う。
「食事が来るまではゆっくりしていて。話はそれからね」
「だな、ま、のんびりしとけよ。ここの飯の準備はかり速いから、直ぐ来るさ」
斥候職の男はそれだけ言うと個室らしい別の部屋へと消えていった。
そして、他の者達もそれぞれの個室へと消えて行き、広いリビングスペースにただ一人残される事になる。
居心地の悪い状態は5分以上続き、ほぼ固まった状態でただただ待ち続けた。
先ず最初に戻ってきたのは、一度も声を聞いた事の無い剣士、次いで斥候職と大剣使いがほぼ同時に。女性二人は男達より大分遅れて戻ってきた。
全員装備を解いて、服も着替えている。
竜も、食事をするのであれば装備ぐらいは脱ぐべきか?と考え、彼らに問おうとした時部屋のドアがノックされた。
食事が運ばれてきたようだ。
下で注文してからまだ10分も経過していないのだが、斥候職の男が言っていたようにかなり速いようだ。
宿の者達によってテーブルに並べられる食事は、コース料理的なモノではなく、竜が他の食堂で普段食べているようなものの豪華版と言った感じのモノばかりだった。
質はともかく、見慣れた料理ばかりである事に安堵する竜。フランス料理的な食事マナーなど知るはずの無い彼は、そう言ったものである事をかなり心配していたのだった。
一通り料理が並べられ、運んできた者達が部屋を出ると、リーダーの大剣使いが「とりあえず食え、話は後だ」と声をかけ、率先して食べ始める。
竜は5秒程彼らの食べ方を見ていたが、別段特別な食事マナーがあるような様子が無い事から、安心して食べ始めた。
食事自体は間違いなく旨かったようだ。ただ、元の世界を含め、この世界でも高級料理など食べたことの無い彼の貧乏舌では、『マズイ』『旨い』『凄く旨い』程度の判断しか出来ない。
味覚というのはそれまでの食生活によってかなり左右されるものだ。
濃い味のものを食べ続けていると、繊細な味が全く分からなくなってしまう。そして、さらに酷い場合にはうま味が全く分からなくなり塩分の塩辛さしか分からなくなるケースもある。
竜の場合は単純に、繊細な味付けや複雑な味付け、数多くの食材と言うモノを味わったことが無いことから来る『貧乏舌』のせいだ。
彼が育った施設にしろ、他の児童養護施設でも使用される食材の種類はかなり少ない。そして、使用される調味料も同じく多くは無い。
間違ってもブランデーだのワインだのを使うことは無い。オリーブオイルすら使用せず、ごま油すら使用するのは希である。
白砂糖すらメインに使用せず、三温糖を使っていたりする。食材もパプリカですら食卓に並んだことは無かった程だ。
『肉体操作』で体中を強化した竜だったが、味覚には全く手を出していなかった。と言う以前に考えもしなかった。
おかげで「今日のはまあまあね」などと言う回復職の女性などと違い、普通に『凄く旨い』と満足して食べられたのだから、ある意味幸せなのかもしれない。
当所の緊張感はともかく、かなりラフな形で食事する男性陣の事も有り、食事を終える頃には竜も大分リラックスできていた。
そして、全ての食事が終わった時点で、食器の全てを台車に乗せ、その台車を廊下に出した後話が始まった。




