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19 不穏な空気

 あれから週に一度は必ず屋敷に訪れるドーラは村での出来事や、家族の話をシンシアに語るようになった。


 彼女の村で定期的に行われる祭りは、先祖の魂を祀るものであったり麦の豊穣を祝ったりもする。男たちの体力勝負をする場もあるらしく、足の速さを競う大会に出れないことを彼女は悔しがっていた。


瞬発力なら負けないと言っていたドーラだが、足元を見ない彼女ならば走っている最中に転びそうだというのがシンシアとカイルの意見である。


 そんなシンシアは、いつの間にかドーラの話を楽しみにしていた。

 ドーラにはいつでも来ていいと、屋敷の扉はいつも鍵はかかっていない。森の奥で誰も入って来ないのだからという理由もあるのだが、ドーラはありがたく勝手に訪問していた。前日に行くと伝えている日もあるが、大体は気分と予定次第だ。


 一日二食しか食べないドーラにとって、昼ご飯というものは新鮮である。今まで食べてこなかった時間帯なので、そこまで胃に詰めることはなく少し残すことになった。しかし出された食事のあまりは必ず持ち帰り、その日の夕飯として母親と食べていた。その後にあるティータイムのお供もついでに。


 玄関ホールを早足で横切ると大きな二又の階段を駆け上がり、応接間の扉を開けると、物音に気付いたシンシアかカイルが部屋へ向かってくれるのだ。


 今日は二人に相談があってドーラは屋敷に訪れた。できるだけ急ごうと森を走り抜ける。しかし運の悪いことに、この深い森の中で迷ってしまった。色々と考え事をしていたせいで周りを見ていなかったからだろうか。明らかに見覚えのない景色が続いていた。夢中で走っていたので、屋敷を過ぎてしまったのか、まだたどり着いていないのかすらわからない。


 ドーラは来た道を振り返るが、当然それは獣道で整備された安全な通路ではなかった。よくもまあ、危険な場所を辿ってきたものだと何故か不安より先に呆れが込み上げてくる。この森では今まで凶暴な動物には会ったことはない。熊や野犬などという恐怖の対象がいないと思い込んでいるから、ドーラには焦りはなかった。


 だからこそ、自分の足元にある何かの痕跡に気づいた時、思わず悲鳴をあげてしまった。


「嘘、これって……」


 その場から飛び退いたドーラは掠れた声で呟き、その『足跡』を確認する。大きめのそれと追いかけるように、寄り添う小さめの足跡が二匹分。恐る恐る顔を近づけてみると、その動物はこの道を通ったばかりのようだ。そして思った通りの形で。とにかく早く逃げようと方向を変え、再び走ろうとするが遅かった。


 遠くの草が、確かに揺れた。明らかに何かが潜んでいると言いたげに、その擦れる音が近づいてくる。同時に荒い息と、恐ろしく低いうなり声。そしてドーラには見えた。その黒く大きな図体が。


「や……どうし……」


 慌てて、来た道と逆の方向へ走る。背を向けてしまったが、今更向きを直せる余裕なんてなかった。

 張り詰めた顔で様子を伺えば、怒りを露わにした母親熊と子熊二匹がドーラを見ていた。追い駆けてくる足跡は重く地面を震わすが、驚くほど早い。足の速さには自信のあったドーラをものともせず、母親熊はすぐに距離を縮めてしまった。


 息が切れて足がもつれた。倒れこむドーラに、恐ろしい顔をした熊が覆いかぶさる。もうだめだと目を瞑った時——急に熊がその場から離れた。


「え……」


 驚いたドーラを無視し、熊は二匹の子供を庇うように前に出てドーラの背後に向かって唸り声をあげる。威嚇するように前かがみになって、前足をあげて脅す姿勢を見せた。


 呆然と見るしかできないドーラは、熊が何かに気を取られている間に逃げようと地面を這い蹲り木陰に移動する。

 すると信じられない光景が見えた。何もないはずの、鬱蒼と茂る草に向かって熊は怯えたように一鳴きし、二匹の子熊を咥え、逃げるように去って行ったのだ。


 熊が震え上がるほどの『何か』が、この草の後ろに。自分の近くにいる。

 そんな考えが浮かび、再び背筋が凍った。音がなりそうなぐらいに足をぎこちなく動かし、ゆっくりとその場に近づく。が、今度こそ何もいなかった。



※※※※※



「危なかった……」


 少し土のついてしまったドレスを叩き、立ち上がったシンシアは安堵のため息とともに心の声をもらす。そして踏んでしまった雑草を元に戻してから、とりあえずと辺りを見渡す。隠れていた、高く伸びた雑草の陰には、ドーラには見えなかったらしい。シンシアがいた場所とは少し前方にずれたところを彼女は確認していたのだ。


 もし見つかっていたら、散歩をしていたと誤魔化すしかない。当然シンシアは歌いに行っていたのだが正直に話せるはずがないのだ。なぜ熊が逃げたかどうかは、自分たち以外の何かがいるのかもしれないと言って、その場から離れることが最優先だ。そして危なかったが無事逃げれたと安心し合って、嘘に嘘を重ねるしかない。


 けれども何が起きたんだと恐怖と困惑の表情を浮かべていたドーラだったが、ひとまず難は逃れたと屋敷の方角へ戻っていった。おそらく彼女は迷ったのであろうと、シンシアは断定している。迷ったにも関わらず戻る道が当たっているのは、運がいい。


 しかし子連れの熊に追いかけられているあたりは不運と言っていい気もする。この間の手鏡事件で罪を押し付けられたが、カイルの言葉によって助かったのもそうだ。中途半端な運の持ち主だとシンシアは結論にいたり、ドーラを追った。

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