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18 遠まわしの言葉

 平民の子供が食べる甘いものといえば、花の蜜か木の実だ。昔は胡椒が高価だったのだが今年、砂糖の値が大きく上がってしまい手に入れるのが難しくなった。理由は国の南で育てていた全てのサトウキビ畑が大雨に襲われ、流されてしまったことだろう。それほどまで酷い豪雨だったのだ。他の土地で収穫された砂糖で国民は過ごしているが、量が少なくなった分希少価値が付いてしまったのだ。


 貴族でも金のない家は砂糖は基本使わず、蜂蜜でやりくりしている。だから平民の食べる菓子は簡素なものでしかない。チョコレートやらパイやら、ドーラにとっては初めて聞く言葉だった。


 出されたパイに衝撃を受けているようで、彼女は皿を目の前に固まったままだ。興味深そうに開かれている瞳だけがせわしなく動いている。


 作られてから時間が経っているパイだが、未だに褪せないカカオの香りが食欲をそそった。一口サイズに整えられ、クロワッサンのように可愛らしく巻かれている。焦げ目も色艶もキレイについていて見ただけで美味だとわかる菓子であった。


 噛むとまずサクッという食感がし、甘い匂いが口内に広がった。断層になっていたらしく次にチョコレートクリームが溶け出す。中に入っていた少し固めチョコがクリームと緩和しておりパイ生地に包まれて舌の上を転がった。


「食べやすいし、焼き加減も絶妙ね。美味しい。流石だわ」

「ありがとう。今回はかなり力を入れたから、そう言ってくれると嬉しいよ」


 大きめに作ると中央部分にある板状のがチョコレートが丁度いい食感ではなく、ただ切り分けるナイフと歯に負担がかかるだけだ。だからこその食べやすい小さな形。


 よく考えたものだとシンシアは感嘆しながら次のパイに手を出し、やめた。ドーラが未だに眺めているだけなのである。そこまで戸惑うものかとシンシアはフォークを置いて彼女の名を呼んだ。


「夢じゃないのかと思って……こんな美味しそうな食べ物を見たのは初めてで」


 カイルの顔を伺いつつ言うドーラの話はシンシアにとっては簡単に理解出来るものではなかった。生まれて間もなく人間になり、貴族の娘になったシンシアは飢えという経験をしたことは当たり前だがない。


 セイレーンのままなら、そんな体験をする機会があったのかもしれなかった。食料という人間が近くにおらず、自慢の歌で呼び寄せることもできない。動物は基本、魔物の近くに寄らないのが常識で魚も捕まえることが困難な状況だったら。

 しかしシンシアはセリーナの身に縛られているわけで。ドーラの言葉にすぐに同意することも否定することもできなかった。


「大丈夫よ。これが夢なら私は毎日体型を維持させるのに苦労などしていないでしょうね。カイルの出す料理にハズレはないもの。悔しいけど何処の料理長かと聞きたいくらいの腕前なのよ。一口でもいいから食べてみて」


 少し考えた挙句、冗談を含めつつドーラの反応を待つことにした。


 一応用意してあるナイフとフォークだが、切り分けなくても食べれる大きさだ。一口が少ないシンシアのためにおかれていると言っていい。しかしそれを知らぬドーラはシンシアの動きを真似するようにそれらを手に取り、危なかしげな動きでチョコレートパイに手を出した。


 口に入れ噛むうちに安らぎ、頬が明るくなったのを見てシンシアは自分のことのように嬉しくなった。どうだ、カイルの料理は世界一なんだからと。


「すごく、美味しいです。この生地の味はパンに似てるようで、違ってて。チョコレートとかいうのが初めて食べたけど、溶けるようで……うまく言えないけど本当に美味しい……」

「そっか、よかった」


 伝えたいがそれを表す言葉が見つからない。もどかしい衝動に駆られているドーラだが、カイルはそれでも嬉しいと微笑んだ。そんな二人にシンシアはどこか暖かい気持ちになる。


 カイルは作っても自分で食べるという行為は意味がなく、味も人間の頃のように正確にはわからないようだ。美味しいとも思えないらしく、薬を飲んでいても血を飲みたいと思ってしまうことがあるとか。

 しかし吸血鬼であるカイル自身には意味は成さなくても、こうして食べて美味しいと感想が貰える。それが彼にとっても助けにもなっていると知っているシンシアは、ドーラが来てから初めてよかったと思えたのだ。



※※※※※



 それから外の世界のことを続けさまに聞かされた。彼女の見た景色がどんなに綺麗で、眩しいか知った。シンシアは羨ましいとは言わない。ただ子供のようにどんな風になっているのか、何故そんな形なのか聞くだけだった。

 しかしカイルは気づいていた。彼女の表情が以前より柔らかくなっていることに。


「それじゃあ、今日はありがとうございました!」


 時間が過ぎるのは早い。こんなに感じたのはいつ振りだったろうかと、シンシアはドーラの背後の夕焼けに目を細めた。

 いくら一日が長い夏といえど、獣のいる森に長居は危険だ。そう時間が経っていないように感じる中、ドーラは扉の前にいる。そして土産に貰った菓子の残りを持って。


「こちらこそ、ありがとう。無理を言ってごめんね。これは見張りに」


 いつものと硬貨を持たせるカイルをシンシアは横目に眺めていた。別れの挨拶を交わすカイルの背後に潜むようにしながら。これで終わりなのかと二人は内心、肩を落としているのだろうかと考えながら。


「シンシア」


 名を呼ばれて意識を戻すとドーラが覗き込むようにして自分を見ていることにシンシアは気づいた。思わず仰け反ると、勢いよく手が掴まれる。


「楽しかったよ、本当にありがとう。勝手に入ってきた私を許してくれて」

「そう……私も楽しかったわ」

「シンシアぁ!」


 首に抱きつかれて倒れそうになりながらも堪える。引き剥がそうと肩を押すと、ドーラの目にはすでに涙が浮かんでいるのに気づいた。たじろぐシンシアだが、その間にまた体を締め付けられる。

 彼女の後ろにはカイルが優しい表情で見守っていた。その眼差しにシンシアは目を閉じてドーラの背中を軽く叩く。そして耳元で静かに言った。


「次に来るときは転ばないでよ。今日みたいに何か壊したら、今度は貴方に片付けさせるから」

「し、シンシアぁぁぁ!」

「ちょ、く、首締まるから。放して!」


 言うんじゃなかったとシンシアはドーラから逃れるべく腕を振り回した。が、力は強くなる一方で解いてはくれない。助けてくれとドーラの背後にいるカイルに視線を送るが、彼は何も答えずにここ何年か見たことのない、綺麗な笑顔を浮かべていた。


 あの日、カイルとドーラが話していた『シンシアとこれからも友人でいてくれ』という内容。それを本人が隠れて聞いていたことを二人は知らないのだ。しかしドーラに次も来ていいと伝えたのはシンシアの本心からで、それは変わらない。


「じゃあ、また来るね!」


 満足いくまでシンシアを抱きしめたドーラは、大きく手を振り帰っていく。時々屋敷の方角を向き、だらしなく口を緩ませる姿に苦笑しつつシンシアは彼女の背を見送った。姿が小さくなっていくのを眺め終わりカイルを見上げると、まだ先ほどの笑顔を崩していない。

 少し恥ずかしくて誤魔化すように夕飯の話をするシンシアの成長に、彼はドーラへ心から感謝したのだった。

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