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遺された言葉

 窓から入る朝の柔らかな光が、暗い部屋を浮かび上がらせている。

 壁に掲げられているのは、両腕で抱える大きさの濃緑の金属板だ。

 長椅子の意匠の下に、『ミッヒ・ノッヘンキィエ研究院』と彫られている。


 この部屋は、その名が示す研究院の中にあり、元老を代表する者の執務室だ。

 部屋の主である老いた男は、既に白くなった豊かな眉の下から、金属板を眺めていた。

 ノッヘンキィエの名を継いだ過去を振り返っていた。


 振り返っていたのは、研究院で実力を認められた栄光の日々だけではない。

 当たり前ながら苦労もあった。

 あったと、思っていた。


 数年前の大異変が起こるまでは。


「ノンビエゼ王……気の良い、王だった」


 ノッヘンキィエは亡くなった者を惜しみ、己よりも若い者が先に逝く無常を噛みしめていた。




 元老院は、各国を取り次ぐ中立の機関を謳っている。

 小国だった歴史を持ちはするが、現在は国としての体裁をなしてはいない。

 それでも均衡を保てるのは、ここが魔術式道具の研究所であり、長年に渡って優秀な人材を集めてきたからだ。


 人材は各国から集った者達や、送られてきた者もある。

 迂闊に対応できず、無碍にもできない状況であり、そう作り上げてきた。

 それは、もちろん元老院自体が権力を持つのではないから成しえることだ。


 幾つかの力ある国から助成を受けている。

 アィビッド帝国にトルコロル共王国、ハトゥルグラン王国などだ。

 他の小国はその事実だけでも手出しはし辛いだろう。

 それぞれの思惑はあろうが、そうやって保ってきたのだ。


 しかし、異変に王が倒れた日に、トルコロルは無残にも廃墟と化してしまった。



 元老代表を務める身であるから、誰かに肩入れするわけにはいかない。

 ただし各国のご意見番を気取るからこそ、忘れてはいけないこともある。

 人の感情というものは真に業が深く、決して分たれることはないもの。


 一人の人間として、誰かの友としてありたいと願うことを否定はできない。

 ただ実利に叶っているだけなら、信頼の担保はどこに置くというのか。


 国同士の事務的な機会しかなかったが、最期にノンビエゼ王が信頼を向けてくれたことには応えねばならないだろうとノッヘンキィエは考えていた。



 長いこと、王に託された言葉の意味を、考えてきた。



 途切れる間際まで、伝えられた言葉の意味はなんだろうかと。

 転話具越しに届いたのは、連続した衝撃音と、硝子が砕けるような甲高い音だ。

 何かの攻撃を受け、魔術式による防御が破壊されていく音だった。


 まだ改善の余地の多い、くぐもった声しか届けられない転話具の向こうからでも、ノンビエゼ王の声はしっかりと届いた。

 類稀なる精霊力を持つ故だろうか。


『この血に連なる者の後を、頼む』


 そして、生き残った者へ記録を届けてくれと遺して、声は途絶えた。



 現実的な王だった。

 志の高い王だった。

 全ては国のためだと、極自然に受け止めていた驕りのない王だった。


 そんな王でも、最期は個人的な望みを口にするのではと思えた。

 しかしながら、無念や感傷とは到底感じられない声だったのだ。



 記録を届けろとは、何を指すのか。

 王が本当に伝えたかったことの意味はなにかと、頭を悩ましてきた。


 過酷な死に際にどれだけのことを考えられたか知りようもない。

 それでも言葉通りではない、別の意味を持つと思えた。



 事前に危機を察知した王から、国民へは避難勧告が出されていた。

 天から降る衝撃の速さに、多くの民が呑まれて亡くなっていた。

 それでも、王が防戦する間に、逃れた民は少なくはない。


 周辺に多くの避難民を受け入れられる集落や、国はなかった。

 そのため、元老院の領内を解放した。

 元々が国だった頃の名残であり、町の規模の割に住人は少数だ。

 空いた家屋は多くあった。


 そもそも国として維持できなくなった理由が、鉱山の縮小により働き手が一気に流失したからだった。

 それまでは精霊力を通し易い鉱石は貴重だったが、他国でも次々と鉱山が発見されたことにより輸出量が減ったからである。



 むしろこの時は都合が良かった。

 北の様子が落ち着きを見せると、実害を把握するべく調査団を派遣することに決めたが、国の様子を確かめるためならばと多くの者が参加した。


 元老院の人手だけだったなら、手掛かりを得ることは間に合わなかっただろう。


 幾度か調査をする内に、一度は退いたと思われた影響が、再び魔手を伸ばし始めたのだ。




 眉間の皺は疲労に深まる。

 口髭と顎鬚に覆われた顔からも、深刻さは滲み出ていた。


「いったい、あの異変はなんだというのか……」


 この世ならぬ力だと、それだけは誰しも感じていた。

 言葉としてはだ。

 真実、この世を超えたものだと言っているわけではない。


 だが、ノッヘンキィエは、その可能性を否定しきれなかった。


 あれが、この世にある精霊力と同じものだとすれば、単純に良し悪しは計れまいとの苦渋をもたらす。

 ここは精霊力を利用する、魔術式の研究機関なのだ。

 己の存在理由を否定するのは難しい。


 しかしこれまで、人々に役立つような技術を開発してきた。

 死に至らしめるようなものは、送り出していない。今のところは。


 そもそも精霊力が、この世ならぬものだったとしたら、どうにかできる術はない。

 文献によれば少なくとも数百年は以前から存在していたものだ。

 そのことを知らしめてくれたのも、ノンビエゼ王だ。


 何かを知っているような様子だったが、王の言葉は少なかった。

 少ないながらも、元老院に貢献をと知識を授けてくれたことには感謝している。

 それが取引材料なのだとしても、我ら元老が兵器たりうる研究に重きを置いていなかったからこそだと考えた。

 だからこそ、信頼を勝ち得たのだと思っている。


 他に、あのように稀有な存在は、古都の王のみ。


 どういうわけか、遠い昔に、各国の王が防衛の力を得たのだ。

 根本は同じなのだろうが、それぞれの力の現れ方は異なっていた。


 今や元老院は国ではないが、その頃の名残なのだろう。

 この地にも不思議な力の話はある。

 強く感じることはないが、現在も存在するのかもしれない。

 魔術式の誤りや新理論の穴などといったものが、名を継いでから以前以上に見え易くなった気がしている。


 そのせいなのだろうか、物事の裏に潜む力を感じ取れるような気がするのは。

 そうノッヘンキィエは考えると頭を振った。

 それを確かめるための、情報が手に入ったのだ。


 考えをまとめると、転話具の前に立った。




 ノッヘンキィエは転話具に精霊力を流した。

 古都と呼ばれる古き国、ハトゥルグランの王へと陳情するために。


 大変に気難しい王だとの話だ。

 即位の挨拶では、まだ幼い少年の声であり、気難しさなど感じられなかったが、内部でもめたと伝わっている。


 あれから早数年。

 より苛烈に、成長していることもありうる。


 しかし、機嫌を損ねないようになどと考えはしなかった。

 そういった性質の者は、無駄なことを嫌う。

 ただ、事実を述べ、正直に助けを請う以外ない。


 こちらが差し出せるものなど、少ないだろう。

 他国が競っておもねる最新の技術だろうとも、気を引けるとは思わない。

 外からの接触の一切を遮断したのだ。

 そうしてでもやっていけるだけの国力がある。


 ただ、そのままではいずれ衰える。

 それも理解しているはずだ。


 転話具が相手の承認を得て、金色に輝く。


「協力を請いたい」


 名乗ると、率直に願い出た。

 水晶面を覆う、淡く白い光が揺らめいた。


『北の異変について、もしくは精霊力に関してであろう』


 想像よりも鋭さを磨いてきたようだ。

 安堵が浮かぶが、気は抜けない。


『そろそろ連絡があると思っていた。それで、余に何を求む』


 それは意外な返答だった。

 国を閉じて以降は、外とは関わるまいとしていた国だ。

 与えられた機会を逃してはならないと、言葉を続けた。


「一般の者らが引き出せる精霊力には限界があり、長期間や広範囲に及ぼす魔術式具の開発は、未だ現実的ではないのです」


 魔術式道具の研究・開発機関としての威信にかけて、異変の原因を突き止めねばならない。

 しからば食い止める術もだ。



 空が裂けた日から、精霊力と呼んでいたものが、視認できる光となった。

 それとは別に、触れたもの全てを消滅させる、特殊な精霊力が現れた。


 特殊な精霊力は、北の地に吹き溜まっている。

 あれを、触れずとも観測できるようにしなければならない。



 それが、元老たちの総意であった。



 巨大で複雑な魔術式具を開発できたとて、運用には常に人員を割き、交代しながらとなる。

 魔術具よりも人間の方が、消耗品となるような大掛かりな物になるだろう。

 どこかが故障したり、改善や加工をするだけでも果てしない検証が必要であり、莫大な時間がかかる。

 しかも、その一基に全力を注げるわけではない。


「何卒お力添えを」


 一人の人間が莫大な精霊力を持つならば、これほど楽なことはなかった。

 それが一国の王を道具として利用しようとする意図となろうとも、依頼しないわけにいかない。

 これは、世界に及ぶ危機かもしれないのだ。


『多大な精霊力によって巨大な装置を開発し易くなる。余が、魔術式推進船の開発で証明したことだ。祖父の代に理論の助力を受けたと聞いている。これはその返礼である』


 ハトゥルグラン王は、この場で承知した。

 まるで初めから知っていたかのようだった。


 恐らくノンビエゼ王と同じく、異変の危険を強く感じ取っているためであり、我らの推測は正しいのだと確信していた。


 後はただ、礼を伝えればよかったが、ノッヘンキィエの口から別の望みがついて出た。


「もう一つ、トルコロルに連なる者の捜索に、御手をお貸しいただきたい」


 先の頼みすら、反故にされるかもしれなかった。

 それにも、意外な返答があった。


『王の血、であろう。よい、ついでだ』


 自然に理解したハトゥルグラン王の態度に、やはり、王だけが持つ何かを指しているのだといった考えは強まった。



 ノンビエゼ王の遺した言葉は、国の復興や、縁者の保護を伝えるためのものではない。

 異変の危機へ対処する何かに関与するのだと、集まって形を見せた情報の欠片は、静かに告げていた。




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