始まりの名を持つ最後の者
よく晴れた冬の朝に見る、高く抜けるように青い空。
人の身でありながら、我らの王だけが持つ色だ。
透明で鮮やかな色は、どこか光を帯びた宝石の如き青だ。
瞳に宿るその色が、我らの血に宿る力によるものなのは間違いない。
小さな窓からのぞく空を、私は苦々しく見上げていた。
重い体が恨めしかった。
すぐに国へと戻れない体が。
「あなたが、セヴトリス・ノンビエゼ殿、ですね」
昼間だというのに薄暗い部屋の中にいた私は、大きく開かれた戸口から差し込む光に目を眇めた。
丈の長い布を筒状に巻いた衣装は褪せているが、品の良い赤色を残している。
その人影に、力なく頷いた。
祖国が滅……いや、とても人の住めぬ場所になったと聞いてから、すっかり意気地を忘れてしまった体は、ベッドに張り付いたままだ。
失意の中でも、どうして未だ生きながらえているのか分からない。
分からないながら、待っていたのだ。
何かを、心から待っていた。
そこに、来客だ。
長いこと臥せって錆び付いた上体を、どうにかベッドから起こした。
心待ちにしていたはずの、来客だというのに、不甲斐ない我が身を呪いたくなる。
「どうか休んでいてください。良かった……お探ししました、主王に連なる者を」
「確信は、これを、見てからに……」
肺が痛んだが、私は彼らに背を向けシャツをめくった。
背骨の中ほどに、主王家の者である証がある。
拳大の魔術式だ。
家紋を魔術式で構成した模様だということだが、生まれ落ちた日に体に現れるようになるもので、これ以上に身元を確かに出来るものはない。
「おお……確かに」
苦労して体勢を戻し、使者の感動に震える表情を、不思議な気持ちで見ていた。
確か、赤い衣装は、ミッヒ・ノッヘンキィエ元老院のものだ。
なぜ元老が、我らと同じように喜ぶのか。
「申し送れました。ご覧下さい」
私の意図を察したのか、頭まで覆っていた布を、男は後方へずらした。
眩しさに目が慣れてきた私にも、その顔はよく見えた。
トルコロルの者が持つ、青みを帯びた瞳が見返していた。
寂しい村の端から動けないでいた私を救ったのは、元老院に身を寄せていた同胞だった。
トルコロル共王国は、全てにおいて防衛に重きを置いてきた。
したがって騎士は、基本戦いの為ではなく守備のための技術を磨く。
相手も自らも傷つけないよう、素早く制圧する技術だ。
観光地であり、二大陸を繋ぐ中継地として位置する国だ。
不埒者の来訪もあり、治安維持には並々ならぬ努力を払ってきた。
他国の情勢にも気を配る必要があり、常に継承順位中位者を外へと送り出している。
その中にあって、私は勇なる近衛騎士となるべく育てられた。
近衛隊の中でも、特に王に近しい場所――主王城を守護する。
主王であるノンビエゼ王のお側に仕える、名誉ある職務だ。
そして唯一、攻撃を主眼においた戦闘術を身に付ける。
王位継承順位が高い者から、城内の仕事へと就く。
そして一生のほとんどを城内で暮らすことになる。
だからこそ、近衛騎士となるための最期の訓練は、他国へと赴く者の護衛任務だ。
短い間であろうと、外の世界を知っておくことは大切だと教えられてきた。
だからこそ大異変時に立ち寄っていたこの集落で、荒んだ人々から村を守れたのだ。
そのときの温情で、今は碌に動かぬ体を生きながらえてもらっている。
厳しい情勢下、貧しい村には大変なお荷物なのは間違いない。
始めは短い時間なら手を貸せていたものが、歩くことさえままならなくなってしまった。
心身ともに力を失った私に、生きている意味はあるのだろうか。
苦悩しつつ、年月は無常にも過ぎていった。
国宛に手紙を出したが届いているかは分からない。
その手紙を、元老院が見つけたのかもしれない。
理由は分からないが、私は見つけられ、とうとう数年を過ごした村を出た。
衰えた体には、馬車旅も苦しいものだったが、どうにか元老院まで辿りついた。
道中願っていたのは、この身体が持ちますようにということだけだ。
「副王継承者も、ご存命です。保護しておりますよ」
そう聞かされては、会わないわけにはいかない。
他の主王縁者はまだ捜索中だとのことだが、私が見つかったのなら他にも見つかるはずだった。
あの時は、折りよく幾つかの外遊が重なっていた。
魔術式使いとして育てられるべく、元老院に預けられていた少年、オルガイユ。
帝国の軍下に、トルコロルの騎士のまま身を置いているという少女、フィデリテ。
まだあどけなさの残る二人の副王候補との再会は、私の心に命を吹き返してくれた。
彼らが、この身を救ってくれた。
不自由な環境で、少ない情報で、そして己の失意にも負けず、私を探してくれた。
まだ、私に果たせる役目があると教えてくれた。
彼らの捜索の経過など話を聞いたところ、国外にいたであろう継承者の中で、最も高位にあるのは私だろう。
私に、かのノンビエゼ王のような力強い精神は宿っていない。
しかし、彼らに副王として生きる気高さを与えてやれるなら、主王として立とう。
無論、生き残っているという多くの民のためにも。
私が、一番わかっているはずだ。
どれだけ主王の威光に縋ってきたか、その存在に希望を見出してきたか。
しかし、ここに来ても、私は臥したままだ。
体が……印が、痛む。
痛みは、日々増していく。
ずっと目を背けてきた原因には気が付いている。
あの美しくも恐ろしい、空に満ちた精霊力だ。
いや、空自体からのものではなく、国へ落ちたもの――どうしてか、似て違うものだと理解できる。
それは主王の加護のおかげだ。
ただノンビエゼ家に連なる者の証ではない。
この印には、何かの役割が施されている。
城で過ごした日々が、まるで遠い日のように感じていた。
それが突然に、意味を成していた。
学んだ全てのことは、この日のためにあったのだ。
これはノンビエゼ王が、国の命運を託したものだ。
その事に気が付いたとて、今の私にはなにもできない。
「お加減は、いかがですか……」
ベッドの側に落ち着きなく佇む、泣きそうな顔が見下ろす。
艶やかな黒髪と、青みがかった黒い瞳が不安げに揺れている。
「オルガイユか。大丈夫だ……このくらい、訓練に比べれば大したものでは、ない」
皮肉にも笑いが込みあげ、むせてしまった。
異変のあった日から、臥せって訓練どころではないのだ。
筋力も落ち、自分の体とは思えないほど細くなっている。
「大丈夫だよ。主王の加護は、全てを守るためにある」
私は、うまく笑えているだろうか。
暗く沈む心を隠し、今にも泣きそうな幼い副王のために。
私自身に力などない、
王を守る近衛騎士となるべく鍛え、そのことに誇りを持って生きていた。
そのはずが、ずっと守られていたのだと、身につまされる。
自らの意志で、よくよく考えたことなどあっただろうか。
ただ憧れ、敬ってきた王が、影でどれほどの孤独と苦悩に耐えていたか。
痛みがさらなる痛みを引き起こし、麻痺したようだった。
苦しいはずなのに、ただ朦朧として、身じろぎをすることすらままならない。
もう、起き上がることも、出来ない。
世界から隔絶されていく。
暗いのか、何も感じられないだけなのか。
沈み込んでいく意識の底に、小さな光が、明滅した。
淡く白い光の糸が、その一点から湧き出し、文字を綴っていく。
古語で書かれているのだろうが、私には読めない。
それでも、それが主王の印を綴っているのだと感じられた。
それは、私の背にあるもののようでいて、どこか遠くにあるものとも思える。
光の腺は、主王の印を結ぶと、瞬いた。
かと思えば、黄金の光へと変わる。
――魔術式として、発動したのか。
驚いたのも束の間、それは、いやそれらは、恐ろしい速度で何かを凝縮した。
まるで時を超えたかのようだ。
そして、全てを理解した。
私は、泣いていた。
胸は潰れそうに痛むのに、嬉しくて、泣いていた。
この苦しみは、ただ私が軟弱で苦しんだからというだけではなかった。
いや、王を信じきっていなかったということだから、やはり弱さゆえの苦しみだろう。
しかしこの苦しみから、王の魔術式が伝えているものは、希望だった。
あの恐ろしい自然の驚異へ、ただ一人立ち向かおうとした、ノンビエゼ王が遺した手立てだった。
私や、他の印持ちらの魔術式を通し、解析法を探していた。
この世界を喰らおうとする脅威を退けるための、法だ。
力強く脈打つ金の光は、もう一歩で完成するのだと告げている。
あと、少しだ。
興奮気味に見つめていたのは、瞬きするほどの時間だった。
もう時の流れを感じられないから、本当にそうなのかは分からない。
ともかく一瞬の後に、興奮は、悔恨に彩られる。
なぜ、もっと早くに気付けなかったのか。
真っ暗な水底のように感じていた空間に、綻びが現れ始めていた。
綻びは亀裂となり、周囲から中心へと迫っていく。
中心の魔術式へ、到達しようとしている――。
綻びは、私の肉体の限界を示していた。
私の体では、この式を完成させられない。
ぎりぎりまで待って、この希望を砕くことなど、できない。
迷わず魔術式へと指を伸ばしていた。
すでに死を恐れることなど頭になかった。
もう少し、もう少しだけ私に、強さがあれば……そんな、無念があるだけだ。
駄目だと、その考えを振り払った。
魔術式へと触れた手の平が、焼けるように痛む。
歯を食いしばり、意識を集中する。
これを、他の者に託さねばならない。
送る先があると感じられた。
まだ他の生き残りがいることに安堵する。
愚かだろうか、私は伝えるべきことに、私自身の願いも付与した。
大丈夫だと、オルガイユには言ったのだから。
そうだ。
たしかに大丈夫だったのだ。
それに気が付こうとしなかった私と違い、次の者には気が付いてほしい。
この苦しみを、ただ辛いと思わないで欲しい。
暗闇の底に残された、この希望だけが、次代の王の行く先を照らしますように。
最期まで守ろうとした人々の想いが、少しでも貴方の慰めにならんことを。
綻びが到達する寸前、魔術式を形作っていた金の光は膨れ上がり、私の意識を飲み込んだ。
私自身が火の粉となって掻き消えていく中でも、祈っていた。
主王の加護を、受けし者よ。
どうか、どうか、我らの願いを聞き届けて――。




