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依頼者と請負者・後編

 私が、疑念の目を向けてしまったせいで、説明の必要があると考えたらしい。

 報酬の支払い能力を疑われたと解釈したのかもしれない。

 別に必要もないのに雇い主――今後はユリッツさんと呼んだ方がいいか――は、事情を話した。


「最近、商人組合に登録したばかりなんだ。元は符の工房に属していた」


 それだけで、この雇い主に対する全ての疑問が氷解した。

 商人らしくない風体も、資金に乏しいことも、細身なこともだ。


「職人!」


 言うまでもなく、符の工房に属するといったら職人しかない。


 魔術式符の職人――意外だという気持ちと、だから商人らしくなかったのかという気持ちは同時に沸き起こった。

 そして、悲しい気持ちも。


 雇い主が私を雇った理由には、もう一つ、大きな理由があった。


「俺は精霊力がない」


 なんの変化も見せず、彼はこともなげに言った。

 だけど、魔術式に関わる者にとって、それは致命的なことだった。


 手の平大の紙片に、魔術式を構築していくとき、成功しているのか自身で確かめながら作成すると聞いたことがある。

 そうでなくても、あれこれと試すのに、一々人に頼まなければならないのは大変なことだろう。


 もしかして、私と似た理由なのだろうか。

 精霊力のないまま職人を続ける限界を感じたから、商人に転向……だけど、そちらも向いているようには思えないのだけど。


 つい余計なお世話だというようなことを考えてしまい、続いた言葉を聞き逃すところだった。


「だから、時々符の検品を頼みたい」

「でも、どうやって」


 古い文字で紡がれた模様――魔術式は、精霊力を通し易い顔料で書かれる。

 そこに精霊力を通すだけなら、腺が白く光るだけで効果が出るには至らない。


 だけど、自分で流れを確認できないなら、正しい形になっているかどうか、結局のところ分からないのではないだろうか。

 私には魔術式自体の知識はないから、流れを見たところで意味はない。


「自分で確認できないだけだ。形にすることはできる」


 ようは、完成したものが正しく展開するかどうかの確認を頼みたいとのことだった。

 魔術式に少し精霊力を流すだけなら、空中に白い模様として現れるだけだ。

 符の効果を出すには、強めに流すことで、白い光が金色に変わって発動する。

 その待機状態を利用して、確認をするのだ。


 結局のところ、仕上げてみないと成功かどうか確認のしようもないということなのだろう。


 本当に、世の中は不公平にできている。


「俺も、あんたの経歴が浅いと文句は言えない立場だということだ」


 私は口を引き結んだ。

 そんな不利になるかもしれないことを話したのは、私に余計なことを聞いたという詫びのつもりだったのだろうか。


 そんなはずはないだろう。

 それでは、あまりにも人が好すぎる。




 出かける準備は終わっているが、旅立つには中途半端な時間になってしまった。

 旅立つのは明朝になる。

 どうせ時間があるのだから、日程などを改めて確認しておこうとのことで頭を切り替えた。


 悲しいことに金もないから遊びに出るのもままならないといった理由で、暇だからというのもある。


 小さな机からパンくずをはらうと、雇い主は紙切れと筆記具を取り出した。


「依頼には、帝都へ行くとしか書かなかったからな。もう少し詳しく話そう」


 話された理由に、なるほどと頷いた。

 この雇い主は無駄な話をしないようだ。


 帝都へ行く理由は、独り立ちするために必要な、工房を開く許可を得るためだという。

 魔術式に関する管理は、国も手間をかけている。

 申請は城内でのみ行なわれているということだった。


 さきほど職人だと話したのも、これを聞かせるためなのだろう。


 でも、不利な理由で、職人の道を断たれたわけでなかったことに、他人事ながら安堵してしまった。


 余計な気を回して馬鹿みたいだと自分を諌める。

 道のりについて頭に入れようと、意識を傾けた。




 帝国領土の東側国境沿いは、海に接している。

 現在、私達がいる町イートヴセンは、南北の中ほどで東端にある。

 ここから西端へと真っ直ぐに向かえば帝都のはずだ。


 期間としては、馬車旅なら二週間ほどだろうか。

 といっても地理には疎い。

 組合で見せてもらった大雑把な地図で、どうにか配置を覚えたに過ぎない。


 山道はあるのか、迂回のほどはといったことの知識はなかった。

 地形によっては地図上で計った直線距離での見積もりなど、役に立たない。


 私は今まで、帝国北方自治領内のさらに北部に用意された難民村を点々としてきた。

 旅人になると海沿いの町を辿って南下し、この町にたどり着いてから時間はそう経っていない。


 旅慣れていると書いたが、行く先々で商人などに頼み込み、馬車の積荷の間に便乗させてもらった程度だった。


 その点についても知らせておくべきかと、長距離の移動には慣れているが案内役にはなれないと正直に話した。


「それは大丈夫だ。工房に関わる場所なら回ったことがある」


 それも意外なことだった。

 大抵は室内にこもって机に向かい、黙々と作業している印象を抱いていた。




 就寝の時間になり、私は即座に席を立った。


「こっちの床にいる」


 扉のそばの壁を指差し、さっさとそこを陣取る。

 ユリッツさんは頷くだけで、机を片付け、蝋燭の火を消すとベッドにもぐりこんだ。


 女はベッドを使え、などと言い出すような人でないことに安堵していた。

 そういった言い合いは煩わしい。


 斜め掛けに背にある大鉈を取り外し、抱え込むようにして壁沿いに横になった。

 壁に背を預けたままにしておきたいが、座ったまま姿勢を保つのは、どうにも難しい。



 目を閉じると、契約が白紙になった前回の経緯が思い出されていた。


 悪条件の書類を見ただけで通ったことをよくよく考えるべきだった。

 店持ちの商人だから、直接向かったが、出迎えた男は裏で話そうと狭い倉庫に私を押し込んだのだ。

 雇おうとしたのは、別の目的だった。


 扉が閉じられた瞬間に、男の鼻っ面を殴りつけていた。

 鼻から鈍い音の感触が伝わり、顔は赤く塗れていく。

 顔を押さえて呻きよろめく男を蹴りつけ、出ていったのだ。


 まだ旅に出る前だったから、大した罰にもならずに済んだけど、それが町の外でのことなら殺していたかもしれない。


 そんなことも考えれば、これで生きていくなんて考えないほうがいいと思ったのだ。

 よっぽどの力量があるならまだしも、少しばかり動ける程度では、望むべきではない。



 なぜだろうか、今だって似たような状況といえなくもないのに、不安はなかった。

 組合で真っ当な手段で実力を測ってくれたからだろうか。

 変わり者だと思ってしまったからだろうか。


 答えは出ないが、眠りは訪れていた。





 もう、驚きはないと思っていた。


「こ、これで? 旅に?」


 どうにか裏返らずに済んだが、私は声を上げずにいられなかった。


「言ったろう、旅人ほどの体力はない。ましてや、兵のように大きな荷を背負っての行軍など無理だ。荷車がなければ、物資を運べない」


 違う、そうじゃない――出かかった言葉を飲み込んだ。


 人一人が足を抱えれば収まる程度の四角い箱に、巨大な車輪が二つと、取っ手がついているものだ。

 通常は、町なかでの荷物の移動を目的としたものなのだ。


 決して、荒野の中を、しかも人が牽くものではない。


 馬車ではない移動。

 考えたくはなかった。


「徒歩での、旅ってこと」


 ユリッツさんは平然と頷いた。


「心配はない。無理のない速度で移動する」


 目の前が暗くなるような気がした。

 心配だらけだ。


 本当に、私の実力で、どうにかなるだろうか。

 不利な点を対策するとは言ったが、全てにおいて足りない物尽くしを想定はしていなかった。

 無理――。

 答えは即座に出ていた。


 頭を抱える私をよそに、ユリッツさんは荷車の取っ手を掴むと歩き出していた。




 呆然としたまま、町を出て街道に乗った。


「工房って、こうやって移動するものなの」


 本当にそう考えたわけではないが、現実が信じ難く、思いつくままのことを口走る。


「まさか。仕入れもある。荷が遥かに多いからな。幌馬車だよ」


 やはり、馬車なのだ。

 しかし、ユリッツさんの否定の理由は、どこかずれている。


「馬車があったなら、色んな所をめぐったんでしょうね」


 私の絶望から出た皮肉のような言葉に、律儀な答えが返ってくる。


「いや、魔術式道具の作成に関係する町ばかりだよ。帝都や鉱山、それに専門に取り扱っている商人のところくらいなものだ。確かに……そのせいで、他の町も気になり始めたが」


 思考を止めた私は、ただの反応で会話を続けていた。


「だったら、巡るといいよ」

「工房を持ったら、離れることは難しいものだ」

「だから、この旅のついでに回るといい」


 驚いたような、困ったような表情がこちらを向いた。

 護衛も一人だし、金も心許ないというのは分かっている。


 私も、なぜこんな提案をしてしまったのかと思う。


「そうだ。交渉しよう」


 何を吹っかけられるのかと困ったような表情をみて、不意に笑いたくなった。


「契約から、さらに半値でいい」


 私は住む家なんて持っていない。

 賃貸の契約すらしていなかった。

 例えば、食堂で働いたなら店先に泊めてもらう、などといった暮らしだ。

 食費すらどうにかなれば、それでよかった。


 そう話したら、「工房暮らしだった俺よりひどいな」と驚かれた。


 私には、工房暮らしがそこまでひどいのだろうかという方が驚きだ。



 ユリッツさんは、少し黙った後に、慎重に尋ねた。


「その、見返りは」


 ああ、そうか。

 交渉と言ったのは私だ。

 何かを望まない方が、胡散臭い。


「嵐の符。五枚でいい」


 工房を出る際に親方が材料を譲ってくれたようで、旅の間にも符を作成できるという。ユリッツさんにとっては、手間以外の元手は無料ということになる。

 私は、符は欲しいけれど買えるほどの金はない。

 五枚という数は、嵐の範囲術を構成するのに私が扱える最大枚数だ。


 だから、これくらいしか思いつかなかったけれど、十分なはずだ。



「手持ちの符が売れれば、余裕もできる。そうだな、なら帝国領内を一巡してみるのもいいだろう」


 交渉なんて分不相応なことだし、思い切った提案というのは分かっていた。

 少しでも後ろめたさを拭いたい気持ちに従ったのだとしても、やりたいことがあるというならお返しすべきと思った。

 それも、ごまかしだとは分かっている。


 なぜ、こんな提案をしたのか。

 情けないけれど、少しでも長く、護衛気分を味わいたかったのかもしれない。


 そのせいか、この人は私の望みを見抜いて乗ってくれたのではないかと思えた。


 自分の実力に自信がないことも含め、現在はどこに行くのも身構えて怖れるほどの混乱は去ったのだという事実も、受け入れる頃合なんだろう。




 町を出たばかりだというのに、私たちは街道の端に寄って休憩をとった。

 予定変更のためだ。


 空中に指で縦長の円を描くようにして、私は道順を示した。

 ユリッツさんが暮らすのは、イートヴセンの町のすぐ側にある村ということだから、結局はここへ戻ってくるのだ。


「こう、まずは北から回ればどうかな」


 現在は東の端にいるのだから、北上しつつ西回りで戻ってくる案を出した。

 北部の町は少ないため、手早く巡ることで南に時間をかけてはどうかと伝えた。


 国内を一巡といっても、町として国が認可した場所に限定する。

 金銭や時間の問題もあるが、ユリッツさんが最も興味のある対象というのが、各場所の工房だった。


 工房も普通は、町にしか存在しないらしい。

 材料の仕入れや売買の手間を考えれば、当然のことだろう。




 そっと雇い主の顔色を窺う。

 道順については、個人的な希望だった。

 正直なところ、北へは、行きたくない。


 生まれ育ったところだけれど、家族も故郷も、全てを失った場所に近い。

 その後、避難することになって暮らした村もある。

 重苦しく、沈鬱な空気に覆われていた場所だ。


 近付きたくはないけれど、少しは克服しなければならない時期だろう。

 それに、嫌な場所を最初に済ませた方が気は楽だ。


 ユリッツさんは私をじっと見ていた。

 なぜだか、この人の目は全てを見透かしているように思えた。


「そうだな。その方が、無駄がない」


 でも、何も言わず提案だけを受け取る。

 本当に、人が好すぎる。


 そして私は、その親切に負い目を感じ、礼を言うしかできなかった。


「……ありがとう」




 そうして私達は、進路を北へと変えた。


 時間がかかるほどに、危険なことに遭う可能性は高まる。

 でも、急ごうにも急げない、徒歩の旅だ。

 私にどこまでやれるかわからないが、半ば諦めと共に、この状況を受け入れていた。



◇◇◇



 のんびりと北上し、北方自治領へと向かう。


 北東端の町コルディリーに到着したときには、日が暮れかけていた。

 慌てて町の出入り口に立つ警備兵に近寄り、事務的な問答を済ます。

 宿へ急ごうと町へ入ったときだった。


「どうした、顔色が悪い」

「なんでも……」


 なんでもないと、言い切れなかった。


 不快だ。

 いや不安だった。

 こみ上げる不安が、あまりに不快で、胃がざわめいていた。


 私がひきとられた避難村は、ここよりもっと北で、西側に離れた場所にあった。

 違う場所のはずなのに、冷たい空気は陰鬱な村での生活を思い出させる。



 私だけが生き残った災禍を、思い出させる。



「宿に、向かおう」


 我に返り、ユリッツさんの後に続いた。

 雇い主に体調の心配をさせるなんて、失敗だ。


 翌朝には引いていたため、体調のことは忘れるようにして、旅人組合へ向かうというユリッツさんの後に続く。


 ちょうど符の在庫を確保したかったところらしく、気前良く買ってくれた。


「ピログラメッジ、これで遠回りする旅の資金は確保できた」


 初めて、ユリッツさんが嬉しそうな感情を表すのを見た。

 といっても、閉じかけている目がやや見開かれただけだったが。

 無理な旅を後押ししてしまった私としては、ほっとしていた。



 最悪なことに、また日が暮れかけると不快さはぶり返した。

 動けはする。

 だけど気は散った。



 この町の冷たい空気に、この時間。

 あの晩のことを忘れるのは無理だけど、思い出さないよう努力して目の前の仕事を大切にしなければ……そう考えるのに、心の奥底から湧き上がるような不快さを追い払うことはできなかった。


 翌朝、ユリッツさんは「出よう」とだけ言って、荷をまとめた。


「北風が、肌に合わないみたい……ごめんなさい」

「いいさ。資金も確保できた。この町には工房もなかったからな」


 そう、肩を竦めていたけれど、もう少し回ってみたかったに違いない。


 さらにユリッツさんが付け加えたことによれば、この北上は試しだったようだ。

 符が売れなければ、諦めることも考えていたとのことだった。


 でも、それは納得させようと言ってくれているに違いなかった。

 これ以上、落ち込んだ様子を見せるわけにいかない。

 背筋を伸ばして、宿を後にした。




 コルディリーを出るとき、そばの草原に天幕が幾つか並んでいるのが見えた。

 くすんだ濃緑色の天幕には、赤地の旗が掲げられている。

 帝国正規軍が駐屯しているようだが、来た時にはなかったものだ。


「定期巡回の時期だったか」


 ユリッツさんは不思議そうに呟いた。

 この時期ではなかったように思うと疑問をもったようだ。


「当たり前だけど……こんな端っこにも、来るのね」


 本当の端にあった町は、消滅したのだけど――。

 苦々しい感情に息が詰まる。嫌でも消えた故郷を絡めずにいられない。

 そういった意味では、北の地が合わないというのも嘘ではなかった。


 しばらく遠ざかり、ふと遠くに霞む町を振り返った。

 おかしなことだとは思うけれど、町を離れた途端に不快さは消え去っていた。


 私は、なんて弱いんだろうと、自嘲せずにはいられない。


 それきり不安になるような意識に蓋をすると、しっかりと前方だけを見て、進む足に力をこめた。




前エピソードと同じく「精霊界の崩落は亡国の魔術式を発動する」の登場人物で、主人公と出会うまでの道のり話です。

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