依頼者と請負者・前編
「あんたが、護衛?」
旅人組合の待合室に踏み入れた私を見るなり、若い男は眉をひそめて言った。
私は開口一番に不満を告げられたわけだが、これが初めてではない。
それが、女である身に付いて回ることは重々承知している。
護衛を雇おうと考える者にとっては、見るからに厳つい方が心強いはずだ。
最も腕自慢が求められる仕事なのだから。
「あなたは、商人?」
しかし、私の口から出たのは失意からの挨拶ではない。
疑問で返したのは初めてだった。
男は気まずそうに眉尻を下げた。
つい不躾な感想を漏らしてしまったのは、これは契約まで至らないなと諦めたせいもあったと思う。
それだけ、目の前の男は、まるで商人らしくなかったのだ。
国は、仕事で町を移動する者に、職種毎の衣装を定めている。
確かに、この男も、商人特有の装束ではある。全身を薄手の布で覆ったような姿だ。
ただし一般的な商人は、着丈を脛の中ほどから足首辺りまでに揃え、体を締め付けないようにか、ゆるく纏っているものだ。
なのに男は、ぎりぎり膝丈はある程度の上着を、ゆとりもないのか体に沿うようきっちりと着込んでいるのだ。
首元まである男の髪と似たような、くすんだ砂色の生地は質も良くは見えないし、体裁を整えるためだけに適当に見繕ったのではないかと思わせる。
しかも履物は、足首まで覆う靴底のしっかりとした革靴を履いていた。
普通の商人が好む、通気性の良い革の組紐で編まれたような靴ではない。
何が言いたいかといえば、私と大差ないのだ。
幾ら儲けが少なかろうと、旅人なんてその日暮らしの日雇い者に比べれば、金はあるはずだ。
なのに、その気配は全く感じられなかった。
それに何よりも、商人特有の愛想笑いがない。
細い目は眠そうで、やる気があるのかも疑わしい。
私は溜息をこらえ、手間をかけたと挨拶しようと、足元まで下ろしていた視線を、また男の顔に戻す。
何事か考えあぐねているような男と視線が合った。
しかし、男は旅人組合の取引担当者に声を掛けていた。
裏手にある屋外の訓練場への利用許可を求めていたように聞こえたのは、幻聴だろうか。
私は驚きに目を見開いていたはずだ。
案内されるまま裏手へ回る。
そこは、組合が旅人に対して戦闘指南をするために設けられた場所である。
護衛依頼もそれなりにあるため、組合は基本的なことを教えている。
とはいえそれは半ば口実で、大抵は領内で暇を持て余している警備兵らの戦闘訓練に付き合わせるのが主な目的のようだった。
「模擬戦闘だから、木剣で」
そう言われ、組合担当者は私達二人に木剣を手渡した。
渡された剣の柄をしっかりと握る。最近まで訓練に使っていた手触りだ。
自然と気が引き締まる。
この男は、私に機会をくれようとしている――。
失いかけていた気力が、湧いていた。
男は己の腰にある細身の剣を外し、私の背にある大鉈に視線を向けた。
外せとの意図に従い、武器を外す。
旅人特有の衣装である、濃い灰色の厚い生地で作られた重い外套は身に付けたまま、相対した。
護衛を雇う商人の目的といったら、ほとんどが他の町への行商だ。
移動中の姿で戦う方が、実力は測りやすいだろう。
それにしても、と男を見る。
でっぷりした商人とも、がっしりした旅人とも違い、細身だ。
とても戦えるようには見えない。
しかも傭兵を雇い入れる兵でもあるまいに、自身で実力を測ろうとは、変わった商人だと思った。
しかし、この試練は試験だ。
今さらながら、緊張してきた。
馬鹿にしたいためか、念のためかは分からないが、実力を見てくれようとしている。
それは、初めてのことなのだから。
私は、護衛仕事の経歴がまっさらだった。
私が頼りなく見えるから、というだけではなく、普通は商人がそんな手間をかけたりはしないのだ。
最低限の実力や、依頼達成への信頼度は組合が保証しているから、書類上で採択し、特に面接をすることもない。
それに、大抵は三から五人ほどの護衛を雇うのだから、一人一人に特別なものを求められることは滅多になかった。
なら、何故私がこれまで断られ続けてきたかといえば、単に女だからというだけではない。
幾つもの悪条件が重なるのだ。
旅人に登録して日が浅く、組合に蓄積される依頼達成度といった目に見える信用もさしてない上に、軍務に就いていたなど肝心の戦闘関連の経歴もない。
雇い手は現れないだろうと渋る担当者を押し切って、相場の半値で登録していた。
当然、登録内容を聞いただけで弾かれるか、安いからと会ってくれても、特に体が大きいなどの特徴もない女を見て、言葉を濁して断られるばかりだった。
小柄というわけではないが、残念ながら私は平均的な女の体でしかなかった。
幾ら鍛えて手足は鋼のように硬かろうとも、大抵の男よりは頭半分から一つほど背が低く、横幅も一回り小さい。恐らく自分が考えるよりも、ずっと小さく見えるのだろう。
例えば、私が子供を見下ろすときと同じような感覚があっておかしくない。
実際、体を張って敵から雇い主を庇わなければならない場面があれば、単純にこの質量の差は不利だ。
悔しくはあるが、生まれ持ったものは仕方がないことだった。
それに加えて致命的となったのは、一度契約までいった仕事を途中放棄してしまったことだった。
まっさらの経歴とは言ったが、瑕まである訳有りだ。
これは依頼者にも問題があったため、組合も不問とすることにしたようだが、情報は残る。
恐らく、もう一度でも問題があれば、護衛依頼への希望は永久に受理されないだろう。
それでも、どうしても、私は護衛依頼をこなしたかった。
現実を知って、護衛専門の旅人になろうなんて憧れはとうに消えていた。
だから、せめて一度限りになろうとも、経歴に残したい。
向いてなくとも、憧れているからという理由で情熱を傾けるのは、人によっては素晴らしい心がけで、応援したくなる場合もあるだろう。
だけど、下手をすれば人の命に関わる仕事だ。
自分が失敗して死ぬならまだいいが、他人に取り返しのつかない迷惑をかけることになる。
ともかく、こんな私を、それでも雇ってみようかと考えた男の理由は、面会してはっきりした。
どこからどう見ても、金が無い。
安く上げたい。
しかし実力が伴っていなければ、護衛を雇う意味もなく、金を捨てるだけとなる。
それが、こうして手合わせとなったのだろう。
そう思えば、嬉しくさえあった。
「始めてください」
私と男が一定の距離をあけ対峙したのを見て、担当者が合図した。
男の剣捌きや身のこなしは凡庸だった。
そのくせ意外なことに、次々と私の剣の行き先を塞いでくる。
行商するような商人は、剣もそれなりに習うとは聞くが、ほとんどの者が護衛を雇うことで解決するはずだ。
いや、それは金がある前提なのだから、この男には当てはまらないのだろう。
とても商人とは思えない、鋭い見切りをする。
私は瞬発力にだけは自信があった。
力のなさを補うためだ。
あえて危うい踏み込みで、全ての力を一撃に乗せる必要があった。
剣の動きを半身で隠すようにしてもいる。
それがこうも当らないとは。
焦りと、半ば悔しさで、本気で振り切ろうとしたときだった。
「参った」
「えっ!」
私の剣先が触れる寸前で、男はそう言い放つと身を引き、私の攻撃を避けた。
そこまで一方的に私が押していたわけではないのに――。
「なぜ」
男が剣を担当者に返すのを見て、私も後に続く。
担当者にも結果を伝えるためだろう、それから男は答えた。
「俺は細身の剣だ。撃退を主眼に置いていない。せいぜい相手の力を躱したり反らすのが目的だ。あんたはあの大鉈を使うんだろう? 腕力も俺よりあるだろうし、それだけ動けるんなら十分だよ。旅慣れていると書かれていたし、体力の方は心配していない。旅人なら俺よりあるさ」
普通は、自分よりずっと能力が高い者を雇いたいものではないだろうか。
自信がないという己と同程度の腕で構わないとは、随分と気前がいい。
それだけ値段の問題が差し迫っているのかもしれない。
「セラ・ユリッツだ。しばらく頼む」
頼む――耳に届いた言葉が、にわかには信じられなかった。
私は、半ば呆然としながら名乗っていた。
「バルジー・ピログラメッジ……任せてください」
後ろめたい気持ちも、飛び上がりたいほどの嬉しさも振り払い、背筋を伸ばした。
努めて気丈に振舞う。
雇い主に不安を与えるようなまねは出来ない。
それに、不安は動きにも隙を与える。
引き受けた以上は、経歴など関係ない。失敗は許されない。
不利な点は対策を立て、乗り切ってみせる。
――ああ、とうとう、契約にこぎつけたのだ。
△▽
訓練場から室内の窓口へ移動すると、担当者が書類を目の前の細長い机の上に置いた。
思わず指先が震えそうになるのを押し留め、署名を終える。
承認は簡単なものだ。
担当者が契約書を保管し、私と雇い主は、それぞれ控えを受け取った。
それから、荷を置いてあるという雇い主の宿に向かったわけだが。
「ひとり? 行商に出るのに、護衛が……わたし、一人?」
懐事情を探るようなことを言うべきではない。
分かっていても、あまりのことに言わずにはおれなかった。
「あー……すまない」
雇い主は、器用に眉尻だけを下げて謝罪した。
そこまで懐が寂しいのに、町の外に出てまで商売とはと驚く。
でも、だからこそ訳有りを雇ってくれたのだ。
その貧乏が、縁だと思うべきだろう。
「私こそ、ごめんなさい。余計なことを」
それにしてもと、内心で冷や汗をかく。
先ほどの面接中にも、私自身がさんざん不利な点を上げ連ねてみたのだ。
行商に出るというならば、街道の他に何もない荒野を移動する旅になる。
その街道付近は、ときに国が兵を出し巡回している。
ごく平和だ。
思いつめていたことと矛盾するようだが、ほんの数年前まで荒んでいたのが嘘のように、現在のこの国は平和なのだ。
盗賊団のようなものは悉く国が潰して回った。
心配すべきは、個々の盗人くらいのもので、そればかりは未然の取り締まりも難しいのだろう。
だけど、荒んでいた理由は、盗賊の問題だけではない。
町村で暮らしていた一般の人々が、未来の見えない不安に耐え切れず、暴動を起こすこともあった。
大きな災害のせいだった。
悲惨な状況下で、それまで普通に暮らしていた人々が変貌する。
それらも、国や組合などが協力して避難村を確保し、支援する努力のもと落ち着きを取り戻した。
それでも、一時期の不穏な情勢は、未だ頭の隅にくすぶっていてなかなか消えないでいる。
護衛などの随行依頼を受けない旅人は、町なかで雑用を請け負っているのがほとんどだ。
外に出ることの多い行商人とは違い、旅人が肌でその平和を実感するのは難しいことだった。
「座ってくれ」
扉の前に立ち尽くしたまま、つい考え込んでいた私は、雇い主の声に我に返った。
こんなことではいけない。
大人しく、進められた丸椅子に腰をかけたが、狭い個室だ。椅子は一つしかない。
雇い主は荷を詰めてあるのだろう木箱に腰を下ろしていた。
雇い主が気を遣うなと指摘するべきだろうかと逡巡したが、思いがけない言葉にそんな考えは消えていた。
「なんで、女が護衛なんてやってる」
遠まわしな物言いをしようなど頭にない、それくらい自然な問いかけだった。
好奇心だとしても、声音にはそんな印象はない。
なにか、確認しておきたいことでもあるのだろうか。
「いや、そうだな、誰にも事情があるだろうから、話す必要はないが」
ふと迂闊だったかといった風に繕ったが、その口調に悪かったといった感情はなかった。
思うに、こういった率直な話し方をする人なのだろう。
隠すことではない。
私が護衛依頼を受けたかった単純な理由を告げた。
「家族が、護衛専門の旅人だったから」
どうやら納得したようで、なるほどと呟いて口を閉じた。
それで終わりかと思いかけたが、出し抜けに言った。
「別に文句があるのでも、生き方を否定するつもりもないが、体の作りが違うんだ。無理はしないほうがいい」
痛いところをついてくる。
でも、私も同じ結論を出していた。
もう自分の心に言い訳するのはやめたかった。
「今回の依頼で叶ったから、思い切りがついた。これが終われば、やめるつもり」
どう受け取ったのか知らないが、雇い主は意外だといった視線をこちらに向け、そして安心したように頷いた。
「そうか」
その安心は、文句が返ってこなかったことに対してだろうか。
まさか、会ったばかりの人間の人生を気遣ってのことではないだろう。
はたと失言に気づいた。
まるで役に立たないと自ら公言したようなものだ。
弱気を覆い隠すように、決意を表明した。
「だから、今回だけは、何があっても私が決めたこと。気にしないで」
雇い主は、ただ「わかった」と呟くと荷を漁りだし、次には、食事を差し出されていた。
小さな窓の外を見れば、日は真上だった。
茶色く硬いパンを引き千切っては口に放り、水で飲み込む。
静かだった。
黙々と食べていると、胸に浮かんだ戸惑いを確かめたくなっていた。
一つ、雇い主の疑問に答えたのだ。
私からも構わないだろうかと、切り出すことにした。
「なんで、私を雇おうと思ったの。安いからってだけじゃないでしょう」
「符が使えるとあった」
答えは即座に返ってきた。
そういえば、備考に精霊力が強めで魔術式符が使えると書いた。
私は特に、『嵐』属性の符が気に入っている。
他の『炎』属性と同じく、複数枚を同時使用することで別の効果を生むところが面白かったからだ。
『炎』を使わないのは、うっかり何かを燃やしてしまうと困るからというだけだ。
その点、『嵐』なら麻痺させるだけに留まる。
ともかく、大抵の人は一枚ずつしか発動できないのだ。
これは精霊力の強さと、魔術式の展開に即座に集中できるかによる。
私の、唯一つの取り柄だった。
まさか、実際の戦闘力に心配はあれど、符で補えるならと考えたのだろうか。
飲み込んだはずのパンが、喉に詰まるような気持ちになる。
確かに、使えるけど……符使いと宣言できるほどの数を、今は所持していない。
もしそれを期待していたのなら、申し訳無い事をしたことになる。
符を戦闘に組み込めるほど使いこなすには、非常にお金がかかるのだ。
符の効果は一度きりで、使うたびに燃え落ちる。
今の私は食べるのですら心許ない。
その食費すら削って、ようやく防御効果のある符を一枚手に入れただけだった。
「いや違う。符ならあるんだ」
私の強張る顔で、気持ちが漏れたのだろう。
それを期待しているのではないと否定してくれたが、私は目を丸くした。
この人に驚かされるのは何度目だろうか。
貧乏商人が符を常備している。
金がない理由は、もしかしてそのせいじゃないでしょうねと、疑念の目を向けてしまっていた。