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大国を束ねる者

 アィビッド帝国の王である、オブレイン・フロリナ・アィビッドは、輝くほどに磨かれた艶やかな黒い革鎧を眺めた。

 全身を包む鎧は丈夫だが、見目に反して軽量だ。

 これを普段着としているために、改良させたものだった。


 短くそろえた黒い髪は、光の下ではやや茶色を反射するが、統一された黒の中にあって厳かな印象を深めた。


 アィビッド帝国に暮らす者のほとんどが、濃い茶色の髪と瞳を持つ。

 元々は南部の民族の特徴だが、昔から人口が多く人が集中した地域でもあり、時を経て全体に広がっていった。


 黒檀の玉座に身を預け、肘掛けの左側に置いた転話台を、オブレインは冷ややかに見下ろした。

 今朝方に、元老院から宣託を呼びかけられたと知らされたのだ。


 宣託と呼ばれる、提携各国への連絡網だ。

 特に君主へと直接転話を繋ぐ場合を指す。


 中立と謳う機関のため、普段は事務的なやり取り以外に元老院側から何かを依頼するような連絡はない。

 したがって、宣託とは緊急時となる。


 通常、重要な会議には、前もって事務官側へと連絡が入る。

 用件のある側が、返答があるまで待機しているものだった。

 今も待っているのだろうが、オブレインは深く息を吐き出し、少しばかり雑念をはらおうと目を閉じた。





 オブレインの方も忙しい日々を送っており、時間が取れたのは真昼近くだった。

 異変後の内情の悪化も落ち着き、平常時の水準まで取り戻そうと躍起になっていた。

 しかし、ことは一国だけの問題ではない。


 異変時も、大概に狂気に満ちた時間だった。

 それが片付いた後がまた、世界が変わってしまったかのように異常だった。


 全てを喰らい尽くすという、精霊力が現れたのだ。


 それまでにあった精霊力は、ただそこに在るものだ。

 それが魔術式もなしに、意志を持つかのごとく蠢いている。

 ふと現れた場所が、抉り取られたように消えていくというものだった。



 オブレインは、すぐに行動した。

 精霊力が吹き溜まるという現象を、徹底的に調べさせた。


 いつしか精霊溜りと呼ばれるようになった、白い光の塊。

 それに人が触れればどうなるか――。

 愚かな兵が武勇を示すため、賭けの対象として、または悪意ある悪戯で、試した者達がいた。


 結果は、体の一部が欠けて済んだ者もいれば、命を落とした者もいる。


 その状況は、地面や木々が消えるのと同じだが、外皮が溶ければ血は流れ、人は生命を維持できない。


 国の魔術式研究者や、元老院からの報告も合わせて検討し、これまでとは別の性質を持つ精霊力が精霊溜りとなることが分かった。物質を、精霊溜りと同質の精霊力へと、変換している現象だと突き止めたのだ。



 その後は、何よりも優先する緊急案件と定めた。

 どう対策すれば良いかと、危うい情勢の中だろうと現場に研究者らを送った。


 精霊力に違いないならば魔術式で使えるのではないかと試行錯誤し、精霊力を感知するしか出来ず、役に立たない属性と言われてきた光の符で、消去可能なことを発見した。


 他の属性符でも同じ結果はでるが、それぞれが効果を発することが邪魔となる。

 精霊溜りに凝縮された精霊力を散らすには、それなりの量と時間が必要だったためだ。

 例えば、炎属性の符を使うたびに一々燃えたりしていたのでは、周囲に別の影響が出る。



 ともかく、現象と結果、そして対処方法を取りまとめると、全国へ発布した。

 敵対し、国交を断っていた国であろうともだ。

 対処が遅れるほどに、自らの国へも危険が及ぶ可能性がある。放置はできない。


 物資の援助もせざるを得なかった。

 しかしそのことが、裏を疑っていた敵対国へも、危険度を理解させることになったようだった。

 各々でも調べたはずだ。

 これを切欠に、はっきりと停戦するという条約を結ぶことが叶った。


 国内の情勢悪化にも対応せねばならず、小競り合いなどしている余力はなくなっていたため、紛争中の国々にとっては不幸中の幸いであった。


 そうして、どうにか平穏を取り戻した頃に、元老院から宣託がもたらされたのだ。





 オブレインは物思いから醒めると、玉座そばの転話具へと精霊力を流した。

 繋いだことの確認のために、一言挨拶を交わすと、元老側から話し始めた。


『ハトゥルグラン王に協力を仰ぎ、作製を進めていた器材のお話をしましたな。それらを用い、しばらく計測した結果をお伝えしたい』


 元老院のノッヘンキィエ代表は、どこかとぼけた話し方をするのだが、この時ばかりは低くしわがれた声に滲む苦悩を隠さなかった。


「再び異変が起こると言うのか」

『いえ、あの日から、続いているのです』


 異変初期の衝撃はすさまじいものだったが、それが落ち着いただけであり、現在も侵食を続けているとのことだった。


「精霊溜り、あれのことではないのか」


 その存在はすでに把握し、対処法も確立し、周知を徹底した。

 そして、現状ではほとんどを散らすことに成功したとの報告がある。

 よっぽど人が入り込むに険しい場所を除けば、徐々に問題は片付きつつあるとみていた。


『トルコロルと帝国を繋ぐ、海の道。そこに、精霊溜りと同じ性質を示す反応があるのです』

「異変時に空を白く染めたという何かが、落ちてきたまま潜んでいると」

『恐らく』

「名残ではなくか」

『活性化の兆しが、あるのです。しかも、強大なものが』


 オブレインは、苦々しい報せに顔を顰めた。


 また、危機だった。

 しかし、此度は、世界を震わす危機だ。


「策は」

『……手掛かりが、一つ』

「我にできることが、あるのだな」

『トルコロルの血筋の者を探しております』

「根拠は」

『トルコロル跡地が精霊溜りに飲まれて数年。未だ、城が観測できるのです』


 既に現場に近付くことはできないのだが、近い山から遠見の魔術式具を用いて観測したという。

 そして精霊溜りが覆い始めたときも、城を避けるように流れ込んでいたとのことだった。


 その内に完全に霧に飲まれて姿は隠されたが、精霊力計測器を見るに、城の辺りだけ穴があるように反応が薄いという。

 未だ存在しているだろう根拠だと、ノッヘンキィエは語った。


 各国のあちこちに出来た精霊溜りは、発見時には大抵が人の頭ほどもあればよい大きさだった。

 そのために気が付かなかったが、精霊溜りの発生時には霧を伴うらしいことも分かった。


「トルコロルの騎士といったか、その縁の者が滞在している」

『なんと……騎士であれば、副王マヌアニミテの縁者でしょう』

「興味は、ないか」


 ノッヘンキィエの声は、期待と失望が入り混じっているように思えた。

 だからそう尋ねたのだが、図星だったのだろう、息を詰める音がオブレインの耳に届いた。


『出来れば、全員が揃わばと思いましてな。元老院には副王ルウリーヴの縁者がおります』

「後は主王ノンビエゼに縁の者か、相分かった。行方が知れたならば連絡する」


 転話を切ると、玉座に背を預けた。




 伝えられた情報を精査する。 

 オブレインにも、事情が飲み込めた。


「王の力か……煩わしいことだ」


 人ほどもない精霊溜りを処理するのにも、そこそこ手こずる。

 それがトルコロル王城には影響が出ていないようだという。

 もし食い止めているのだとして、王が使いこなせるならば、手っ取り早いことに違いはない。


 王の力で真っ先に浮かんだのは、異変後に一方的に盟約を違えて鎖国した、ハトゥルグラン王のことだ。


「ふん、いつまでも子供の頃の罵倒などを根に持ちおって」


 単に気弱な男であれば捻り潰してくれるものを――そう考えることもあった。


 オブレインは、その巨大な力だけを警戒しているのではない。

 元老院の話によれば、精霊力の強大さに加え、魔術式推進船などの開発力もある。

 魔術式に適した鉱山もあるのだ。他にどんな道具を隠し持っているかも分からなかった。



 それに王の力は、どうやら領土防衛に徹する力だ。

 領土外に影響したといった話は、どこからも聞かないのだ。

 そんなことが出来るならば、紛争の仲にある国が使わないはずはない。


 帝国とて同じだった。


 ただし帝国は、そんな人以外の力などに頼らずにきた。

 底力だけならば、どこよりもあると自負していたこともある。

 だからといって、不思議な力をないがしろにするつもりもない。


 ただ、帝国には、人に宿るような王の力はなかった。


 しかし、この城内、王宮のとある場所のおかげで、自然の驚異から守られてきたのだろうことは想像がつく。

 いや、疑いのないことなのだ。



 遠い昔に、他民族が連合のために盟約を交わした場所だ。

 人の想いの強さに宿る力と伝えられている。

 オブレイン自身が、そんなものを信じているわけではない。


 オブレインは、それを契約と考えた。

 魔術式と精霊力の関係を知ったときだ。

 同様のことが、国と領土の間にあるのだ。


 遥か昔に発見されものだ。

 現在ほど洗練されてはいなかったためだろう。

 その不思議ながら確かに助けとなる現象を、秘密裏に取り入れようとしてもおかしなことではない。


 徐々に不思議に思えた現象を、解明する者が現れた。

 特に、元老院の前身時代で国だったころに、精霊力を顕現させる地質が発見されたことによる。

 それから目覚しい発展を遂げたのだ。


 オブレインは子供の頃にそういったことを知って以降は、魔術式具に並々ならぬ興味を示した。後を継いでからは、元老院を最も助成する国となった。



 かといって、それを本流として取り入れることはない。

 結局のところ、人でも国でも基礎力の高さが最期の砦となると、オブレインは固く信じていた。


 便利で高性能な道具があったとして、原料が途切れたら、故障したらどうだ。

 残されるのは、己の力と機転のみだ。


 人間自身が、常に身動きのとれる状態であらねばならない。

 町や国を作ったとて、守るばかりで篭っていては、危急の際に人任せの愚にもつかぬ民に足元を掬われることとなるだろう。



 同じように考えたのだろう先代も、過去にはハトゥルグランで発案された旅人組合の組織を即座に取り入れ、他国へも推奨した。

 常に一定の人間が移動する。

 商人組合の隊商だけでは、行き届かなかったものだ。


 商人だと、基本は売り手と買い手の立場となり、各町村にとっては素通りする客のようなものだ。腰が重いままなことに変わりはない。


 それを、一般の住民の中に定着させることができた。

 それまでは、下働きと呼んできた臨時雇いや不定住者を、旅人組合に属することで管理もしやすくなったのだ。




 そうやって、目に見えぬものは信じ難く、しかし他者の視点を疎かにもせずにきた。


 大異変の後に、空を見た。

 オブレインには、始めて知覚できた光だった。


「あれが見える者が、魔術式を開発したというのだな」


 鋭い視点だった。

 精霊力を自覚することがなかったというのに、即座に空にあるものの正体を見極めたのだ。

 常に身近に置いていたことの影響は大きいだろうが、危機を察する天性の勘が備わっていた。





 謁見の間を出ると、入口に立つ兵が無言で付き従う。

 長い廊下の敷石を音を響かせ歩き始めたところに、男の声が背にかけられた。


「陛下、どちらへ!」


 隣室で控えていたのだろう。慌てた宰相が追っていた。


「散策するに相応しい、良い天気だ」

「全く、同意でございます。しかしながら、宣託に相応しい日和とは思えませぬ」


 どんな恐ろしい報せがあったかと、気を揉んでいるのだ。

 オブレインの何食わぬ言葉を、いつものからかいだと捉えたのだろう。

 ブラスク以外に、気を許している一人ではある。


「中庭を歩くに、良い日だ。そうであろう」


 だからこそ、この言葉だけで通じたはずだ。


「こっ、心得ました……我らはいかに」

「精霊溜りだ」

「御意に」


 身を翻した宰相を横目に、オブレインは中庭を目指した。


 正確には、中庭の中央に佇む、小さな区画だ。

 四方を石積みの壁に囲んだ中に、古びた天幕がある。

 昔は、この中で国政に関わる会議が行なわれていたという。


 古びた青銅の門を兵達が開けると、そのまま待たせて一人踏み入った。


 ここは、アィビッドが国として歩み始めた場所である。

 広大な領土に跨った幾十もの民族が手を取り合い連合国となった、その連盟の儀が行なわれた場所であり、書が保管されている場所でもある。


 天幕の垂れ幕を捲って、中へ入る。

 乾いた埃のにおいの中を、奥へ進む。

 連盟の書を収めた、滑らかな石の箱の前で足を止めた。


 赤みのある明るい灰色の石。

 表面に掘られているのは、箱を縁取るような蔦の飾りと、中心を埋めるような魔術式の円だ。


 アィビッドの国章を、魔術式として再構築したものだとの謂われだ。


 オブレインは、それをじっと見据えた。

 王の力と、皆が呼ぶものだ。

 どこの国も城に関わる者達だけで秘匿してきたようだが、今では、各国がそれぞれの特色を持っているらしいことが知られ始めている。


 ハトゥルグランの王は個人で精霊力を扱える桁が違うというし、トルコロルの王は自在に魔術式を構築できたという。


 遠い昔のこととはいえ、各国が新たな力を欲するため躍起になっただろうことが目に見えるようだと、オブレインは嘲笑った。


 そして眼下に目を向ける。

 帝国の要であるそれは、淡い金色の光を漂わせるのみだ。


「ふん、言葉なく、ただ行動するのみか。愛想のない」


 それでこそ、帝国に相応しい。

 黙々と、砂漠からの砂嵐や熱波による被害を防ぎ、国境を守っている。


 これまでに、自らの体の一部にしようなどと考えたことはない。

 歴代の王が願ったといった記録もない。


 応えてくれるのか、疑問ではあった。

 だからなんだというのか。聞かねば、聞かせれば良い。


 オブレインは、魔術式の上に手を置いた。


「我が帝国は異変の原因を掴み、これを断つ。それまで国をもたせてみせろ」


 出来うる限りの手を尽くす。

 信頼するのは明確なもの、国の基礎体力だけだ。

 そう考えながらも、こんな仕掛けを利用するのは、その信じていないものが現実味を増しているからだ。


 特殊な精霊力とやらに対抗できる手立てがあるならば、やはり、この特殊な王の魔術式なのだろうと考えていた。




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