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失ったもの得たもの

 旅人組合の御用聞きが、朝から何の用だ。


 全く働かない頭で、どうにか形になった疑問はそれだけだ。

 頭どころか、体も重く、視界も揺らいでいる。


「おぉい、イフレニィ、何の用とはご挨拶だな。ったくよぉ、驚いたのはこっちだぜ」


 俺は無意識に疑問を口にしていたようだ。

 聞きとがめた御用聞きは、腹立たしげな声でぼやいた。


 いつも気楽な男だと思っていたが、今は厳しい目付きで俺を見下ろしている。

 俺の方が背は高いのになんで見上げてるのかと思ったら、俺は丸椅子に腰掛け、壁に背をもたせていた。


 ユテンシル道具店の店内。俺が肘をついているのは勘定用の細長い机だ。

 俺はこの店の屋根裏部屋を借りて、住み着いている。

 毎朝、この場所で飯を食ってるから、ここにいるのはおかしなことではない。


 ただ、この状態にある記憶がなかった。




「おおかた、覚えてねぇんだろうな」


 溜息交じりに始めた御用聞きの話によれば、どうやら俺は、側溝に顔を突っ込んで倒れていたらしい。

 その商店街から外れた道沿いでは、早朝の人の行き来はあまりない。

 そこを通りかかったこの男は、死んでんのかと肝を冷やしたんだぞと文句をつけた。


 夜明けごろの柔らかな光の中に浮かび上がる、正体不明の遺体なんか、誰も見たくないよな。それが知り合いとなれば、また違った緊張があったろう。


 それから恐る恐る俺の息があるのを確認すると、両脇から抱えて引きずるようにし、この店まで運んでくれたってわけだった。

 よく自分の体を見下ろせば、擦り傷が出来ているし、服のあちこちがすす汚れているのも頷ける。


 御用聞きの仕事は、住民から依頼をかき集めて組合に報告し、手配することだ。

 正式な受付時間は前日の晩だが、緊急だとか忘れてただとかで早朝から押しかける者もいる。

 どうやら今朝も、そういった理由で早くから組合に向かっていた途中のようだった。


「運よく、通りすがった奴に伝言を頼めたからいいが、今回だけだからな」

「……悪い」


 心配よりも、雑な扱いの理由は、見下ろした自分の姿で分かった。

 口から胸周りまで自らの吐瀉物にまみれ、全身から酒臭さが漂っている。

 どうみても、飲みすぎた馬鹿の末路。自業自得な有様だ。



 顔見知りていどの、そんな行き倒れた男を運んでくれたんだ。

 感謝するべきだろう。

 そうは思ったものの、酒に費やした懐は寂しかった。


 昼飯で手を打ってくれないかな。


 そんな情けない考えが浮かぶ。


 徐々に昨晩の記憶が甦る。

 酒場での馬鹿騒ぎ、押し付けられたカップ。

 そもそも飲みすぎたというよりも、飲まされたんだ。


 くそ、あいつら、覚えてろよ。


 胸中で悪態をつくも、組合仲間たちが囃し立てるまま、流し込んだのは俺自身だ。

 それもまた、情けない気持ちを増した。


「いってぇな……くそ、もう、ぜったい飲まねぇ……」



 頭を手で抱えるようにして持ち上げ、目を開く。

 側には、この道具屋の主人であり、俺の家主でもあるおっさんも座っていることに気が付いた。


 寡黙すぎるおっさんで、大して言葉を発しない。

 今も、いつもの通り何も言わなかった。

 ただし、空気は重い。

 御用聞きが事情を話すと、ただ長い溜息をつき俯く。

 突如、俺の頭頂部に鈍い衝撃が走った。


 俺は、おっさんに拳骨をもらっていた。


「ぐ……!」


 たまらず立ち上がり、店の裏手にある水場に走っていた。

 走っていると思っているのは俺だけだろう。

 足がもつれてあちこちにぶつかりながら、どうにか目的地に着き、胃の中身をぶちまけた。

 なにも残っていない胃は、悲鳴だけをあげている。


 ただでさえ二日酔いで頭がガンガン痛むところに、拳骨の衝撃だ。

 吐き気なんて生易しい感覚ではない。

 もう二度と正体を失くすまで飲みはしない。

 また固く心に誓っていた。




 汚れた体と衣服を洗っていると、泣きたくなってくる。

 いっそ泣いたほうが、気分はすっきりするのかもしれない。


 泣くようなことがあったのかと問われれば、どうだろう。

 人に寄ることだ。


「ああ、そうだ、ふられたんだっけな」


 深酒で失われた記憶を遡ると、険しい女の顔で時は止まった。

 少し年上の女だ。

 一年ほど付き合っていただろうか。


 見限られた理由は、よくわからない。

 わからないが、なぜか俺のせいなのだけは、はっきりしている。


 一昨日の朝だ。

 彼女の家を蹴り出されたのは。


 愛想を尽かされた日のことを思い出したって、原因などわかりはしない。

 なのに、一連の出来事が、溢れるように思い出された。




「やめて、イフレニィ……話、聞いてる?」


 起きぬけのぼうっとした頭で、つい彼女の胸に手を伸ばしていた。

 表情だけでなく、声も固い。

 ただ、怒っているようにも見えなかった。


 感情豊かな女だ。

 笑いだけでなく、怒りもしっかりと表現してくれる。

 そういった分かり易さが、口下手な俺には居心地がよかった。

 少なくとも俺は、そう思っていたはずだ。


 いま目の前に立つのは、これまで見たことのない表情をした女だった。

 口を強く引き結び、目には複雑な感情が見えはするが、意志は決まっている。

 そんな態度だった。


 朝からの行為が嫌だからってのは知っている。

 機嫌の悪さは、そのせいだろうか。

 だからって触るくらいは許されていたと思っていたが、どうやら、機嫌が悪いなんてもんじゃない。

 時間が経てば治まるかと、俺は出かけることにした。


「悪い……組合、行ってくる」


 彼女は雑貨屋に雇われて接客している。

 組合から、その日の依頼を朝早くから取り合わねばならない請負の仕事なんぞしている俺よりも、出かけるのは遅めだ。


 彼女は何も言わず部屋の奥に引っ込んだ。

 だから俺も、外へ踏み出した。


「イフレニィ、聞いて」


 意外なことに、彼女は玄関口まで見送りに戻った。


「もう、来ないでほしいの」


 思考が停止した。

 

「わかった。また、夜に?」


 うっかり、いつものように口にした途端、彼女の我慢は息絶えた。

 目尻を吊り上げ、歯をむき出し、握られた拳は震え始める。

 とっさに彼女はかがみ、足元に置いてあった麻の袋を掴む。

 それは、俺に向かって投げつけられていた。


「それ、あなたの荷物」

「待て、なんだよいきなり」

「いきなりじゃ、ない!」


 俺の発言を許さない剣幕で、高まった声は抑えようにも抑えられないといった風だった。


「もう付き合ってられないの。出て行けって、言ってるのよ!」


 目の前には、複数の人間が暮らす集合住宅。俺が立つのは、それらが並ぶ通りだ。通勤に、人の往来がある時間。

 通りや、隣近所の窓から、顔が覗いた。


 そうして何も言えない内に、扉は叩きつけられるようにして閉じられた。


 残されたのは、俺と、足元の荷物だけだった。




 何事もなかったように依頼を受けて仕事を終える。

 日が暮れる頃には、彼女の部屋の戸を叩いていた。

 あまりに突然すぎて、信じられなかったというのもあったし、どうしようもないほど腹を立てているだけなんだろうと思ってだ。

 そこまでのことをしでかしたというなら、どう謝るかと考えていた。


 俺だと知ると、彼女は呆然とした直後、冷え冷えとした目で射抜くように眇めた。

 これは失敗だと、頭の中で言葉が響いた。


「いい加減にして。別れましょうと話したのよ」

「まずかったなら、謝りたいと」

「いま聞いた。だから、もういいの」


 ときに俺は、人の話を受け流してしまうことがある。

 真面目に取り合って欲しいことを、俺が無視したようになったのだろう。

 その都度、誤解は解いてきたと思っていた。


 そのとき、昨晩のぎこちない食卓を思い出していた。

 彼女が用意した晩飯を、俺はなんの疑問も持たず食べ、先に寝てしまった。

 何か、もの言いたげな様子でいるのは分かっていたのに。

 臨時の依頼が長引いて疲れ果てていた、といった言い訳はある。


 だけど、そんなものは意味がない。

 問題は、その日のことだけではなかったってことだ。


 ここのところ、そんな日々が度々あった。

 面倒だと思ったつもりはなかったが、俺はベッドの中、彼女のそばにもぐりこむと体で話を遮った。

 話すのが苦手だからと、逃げていたんだろう。


 普段はそれでよくても、重要な機会は別だ。

 なのに俺が、その機会を潰してまわっていた。

 いくら人の話を聞かないからって、限度ってものがある。



 そんな風に思い出し、ようやく目の前の彼女の怒りに現実味が湧いてきたところだった。


「これ以上は、騒がないで……警備兵を、呼びたくないから」


 内容の深刻さに、俺は頭から水をかぶったように固まった。

 ひどく冷静な声音とは裏腹に、彼女の疲れきった様子は、支えてやりたくなるほど頼りなかった。


 だが、彼女の中に、俺の居場所はもうない。

 ようやく、現状が飲み込めていた。


「本当に、悪かったよ」


 どうにか、それだけは言えたことを覚えている。




 昼時の大衆食堂は、休憩中の働き手でごったがえしている。

 今日のように遅めに着くと、外の通り沿いにまで用意された席しか空いてはいない。風があれば埃っぽいし、晴れていれば日差しが強く、あまり好まれていない席だ。


「あっイフレニィ、こっちこっち!」


 食堂の看板娘は、呼びかけておきながら強引に俺の腕を掴んで店内に引き入れた。

 人であふれた店内に、なぜかぽっかりと空いた一席に案内され、何事かと考えは追いつかないまま着席する。

 そしてすぐにも、運ばれてくる皿。

 俺が頻繁に食べる、そっけなく炒めただけの肉が盛られていた。


「こんなの頼んだか」


 それどころか一言も発していなかったが、言葉にできたのはそんなもんだった。


「あぁえぇと、彼女さんと別れたんだって? たくさん食べて元気出してね」


 いつも大声と笑顔の、元気がとりえの看板娘が、眉尻を下げて気まずそうにしている。

 しかし物言いは、刺さるほどはっきりしていた。


「あ、あぁ、ありがとう……」

「お礼はまわりに言って、みんなのおごりだから!」


 途端に周囲が沸いた。


「おいイフレニィ、今晩はあけとけよ!」

「今日は町外れの酒場の方に来い、逃げるなよ!」


 いつもいつも、この看板娘は情報が早いと思ったら、あいつら……。

 俺は組合の仲間たちを、やや睨みながらも、やけっぱちに飯にくらいついていた。



 その翌朝、俺は行き倒れかけていたというわけだった。



▽△



 それから一年ほど経った頃、通りで彼女を見かけた。


 がっしりとした体付きの男と、腕を組んで、笑顔を交わしている。

 噂の、婚約した相手なんだろう。


 村の方で田畑を確保し、自分で町まで商いに出てきてるんだったか。

 精力的な男のようだ。

 結婚相手としては申し分なさそうではある。


 伺い見るだけのつもりが、つい、長く見てしまっていた。


 男の視線が俺に止まり、その笑顔は消えた。

 突然男の表情が強張った原因はなにかと、彼女もこちらを向く。

 彼女の方は、苦笑といった笑みに変わった。



 狭い町だ。

 人間関係なんか嫌でも耳に入るし、生涯に渡り顔を合わせずにいることも無理だ。

 仕事が関係すればなおさら、話をする機会を避けることすら難しいだろう。

 こういった場面もまたあるだろうし、気にせず足を進めるしかない。


 俺はただ通りすぎるつもりだった。


「おめでとう」


 言葉は勝手に出ていた。

 会釈をし、振り返らずに歩き出した。


 ……ありがとう。


 そんな呟きが、聞こえた気がした。





 ユテンシル道具店の屋根裏。

 相変わらず、ここだけが俺の居場所だ。


 小窓を開けると、作りつけの棚に座り、窓枠に背を預けて酒瓶をあおる。


 激情的な女だと思っていた。

 それが、婚約者と交わしていた笑顔は、随分と穏やかだった。


 そして男の方もだ。

 大切なもんの前にいるのだといった雰囲気が、全身に表れているようだった。


 それで、ようやく気が付いていた。

 彼女が俺に望んでいたのは、そういったものだ。


 ふと、女にふられたからと、泣きたくなるもんだろうかと考えた一年前を思い出した。


 分からない。

 自分がどう感じていたか、どういうつもりでいたか、さっぱり浮かんでは来なかった。


 だというのに、じっとしていられず、窓から体を乗り出すと冷えた夜気を思い切り吸い込んだ。

 そして、吹き溜った何かを絞り出すように、空に向かって吠えていた。

 また飲みすぎたのかもしれない。


 翌朝、おっさんは俺の頭に拳骨をくれた。




 ◆◆◆




 彼女の部屋を追い出されたのは、もう三年前の出来事だ。

 なんで、こんなことを思い出したんだ?


 ああ、そうだ。雑貨屋の配達依頼を受けたからだ。

 彼女の雇い主だった女主人から、生まれた子がかわいいんだなんだとか、さらっと聞かされた。恐らく、わざとだろう。お節介な人なんだ。


 仕事仲間の誘いを断らず、酒場にでも行けば良かったと後悔しはじめていた。

 部屋でだらだらと飲むのは気に入っているが、ときに余計なことも思い出す。


 例えば、彼女との出会いだ。




「あなた旅人でしょ。最近、よく見るね」


 答えなくとも分かりきった質問だ。

 この酒場を訪れる客のほとんどが旅人組合に属している。


「ああ、どうにか稼げるようになったからな」


 この町で働く者は大抵がそうだが、行きつけの店ってのがある。

 俺も下町の安酒場に、組合仲間から連れ出されるようになった頃だった。


 別の仲間たちと飲んでいる姿を見かける、まだ顔見知り程度だ。

 彼女はよく、立ったままカウンターにもたれて女友達と飲んでいた。

 俺は、その後姿を目で追っていた。動き易い膝丈のスカートからのぞく、すらりと伸びた脚ばかりを眺めていたからだ。


 ある晩、彼女は呆れたように笑いながら話しかけてきた。

 俺の視線は、ばれていたらしい。


「ねぇ、付き合おっか」


 彼女はそう言って、俺の首に腕を回した。

 誘うような上目遣いと、笑う口からのぞく柔らかそうな舌。

 何も考えず、その場で答えていた。

 あの時も、言葉ではなく、唇でだった。


 年上だったが、ほんの二、三だ。

 それが随分と落ち着いて見えたもんだった。

 そのときの彼女と同じ歳になった今では、気まずい笑いが出てくる。




 窓から見上げた深い紺色の空には、亀裂が走っている。

 そのひび割れは、三色の光の線が絡みあって、そう見せているものだ。

 十年間、変わることなく、揺らぐ亀裂から金色に輝く光の粉を撒きちらし続けている。


 こいつが現れたときに、父を亡くしてから、俺の時間は止まっているのだと身につまされるようだった。

 感情が薄れたようだとは思っていた。

 だから、泣き方も忘れてしまっていた。


 心にぽっかり穴が開いたようだとか、そういった喪失感のようなものはない。

 父や母、生まれ育った国ごと失って、心が壊れたとはいえるかもしれない。

 ただし俺自身に、そういった悲壮な気持ちなんかはない。


 運よく、この町コルディリーに居たお陰でそう苦労せずに済んだ。

 この道具屋のおっさんが部屋を提供してくれた。

 仕事は旅人組合や国が援助して与えてくれた。

 今はどうにか、自力で生きているといえる程度には稼ぎもある。

 無駄遣いといえば、酒くらいのもんだ。


 過去の体験がどうだろうと、俺はこの生活に満足していた。

 他になにかが入る余地もなくだ。


 この人生に、あまりにも満足しきっていた――。


「そのせいか……」


 彼女には悪いことをした、などと思うのは、傲慢なのかもしれない。



 考えを振り切るように頭をふると、また酒をあおり、ぼんやりと空を見上げた。

 多くの人間を殺した光の帯を、なんの感慨もなく、眺め続けていた。




以前の作品「精霊界の崩落は亡国の魔術式を発動する」の主人公の過去話です。

よければこの主人公の冒険もご覧下さい。

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