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―IF―  作者: 深海
第一章
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二話

 初夏の風がさわやかに通り抜け、薄氷色の髪を攫っていく。白亜の道を悠然と歩くその姿は、まるでひとつの絵画のようだった。切れ長の瞳は、若葉を日の光で透かしたような萌葱色と、深い波間を思わせるアクアブルー。二色を持ちながらも、その瞳は深く冷え切っている。通った鼻筋。薄い唇。彼がエルフであることを証明する長い耳には、彼の名と同じ宝石が飾られた小さなピアスがあった。

“氷の帝王”サファイア=スフィーニア。

 それが彼の名だった。


◆◆


「やっと終わったぁぁ~。」

 オレは凝り固まった身体を伸ばして、声を上げた。長かった試験期間は、これでようやく終わった。試験の出来は置いておくとして、この後は寮に帰ってゆっくりと過ごす予定だ。

「ずっと座ってるのは、正直退屈でしたねぇ。」

「お前それイヤミかよ。」

 レヴが憮然とした表情で言った。どうやら今回の試験も、上手く行かなかったらしい。

「またレヴと補習とかオレ嫌だぜ?」

「そりゃこっちのセリフだ。なんでてめぇと一緒に補習課題とにらめっこしなきゃなんねぇんだよ。」

「なんだって? オレより頭悪いくせによく言うぜ。」

「あ? てめぇも大して変わんねぇだろうが。」

「いいか、お前の19点とオレの20点じゃ大分違うんだよ!」

「たかが1点じゃねぇか!」

 と、その時だ。周囲のざわめきが一瞬にして消え失せ、静寂が訪れた。

「・・・なんだ?」

「さぁ?」

 オレとレヴは顔を見合わせ、生徒達の視線を追った。中庭を冷然と歩く、エルフの少年。水路に挟まれた白い石畳を進み、人魚像の前を通り抜ける。長く美しい髪はさらりと流れ、綺麗な横顔は氷像のように動かない。

サファイア=スフィーニア。この学園で、彼の名を知らない者はいないだろう。氷属性の魔術を得意とした魔術師で、その圧倒的な魔法の威力・精度で右に出る者はこの学園にいない。まるで孤高に咲き誇る一輪の薔薇のように美しく在りながら、冷たい氷のような鋭い棘を持っている。静謐な彼が纏う孤独と隔意。“氷の帝王”とまで呼ばれるサファイアに声を掛ける者はいない。―――――ただ、一人を除いては。

「サファイア~~~!」

 よく通る声で叫んだのは、赤髪の少年だった。ベルヴァの特徴である獣の耳と尻尾を持ち、その両頬には逆三角のような形をした赤い刺青がある。彼もまた、サファイアと同じくこの学園では有名な存在だった。

 “陽炎”のレクサス。

 太陽のような眩しい笑みを浮かべて、サファイアの元へ駆け寄る。サファイアの隣に並ぶと随分背の低いレクサスだが、これもベルヴァの特徴だった。

 この二人は共に生徒最強ギルド〈ファング〉の一員だ。他二名も、この学園では名が知れ渡っている。ギルドリーダーをつとめる“聖なる破壊者”ヴィオラと、カガリと同じ時期に入学し、早々と最強ギルドに加入した“凶騎士”レン=ジェイド。彼ら四人は、学園の中でも異質な存在だ。

「なぁ、サファイア。試験どうだった?」

「・・・・・・。」

「俺全然わかんなくてさー。」

 レクサスがサファイアの隣で楽しそうに話しても、サファイアは反応を示さなかった。やっとレクサスに視線を向けたかと思うと、一言。

「うるさい。」

 冷たく言い放つのみだった。それでもレクサスはけろっとした表情で、サファイアについて行く。もうこの光景は四年ほど続いているが、一向に変わった様子はない。

「レクサスも変わんねぇなぁ。」

思い起こせば、自分の事を「オレ」と言うようになったのは、レクサスの影響だっだ。

親を何らかの理由で失った子供達が集まる学園の孤児院。オレやレクサス、セイランはそこで育った。

レクサスは誰彼構わず声を掛けては、一緒に遊び回っていた。突き抜けて明るく、いつだって自由に走り、純粋に、そして素直に笑っていた。レクサスは太陽だ。孤児院でも、この学園でも、ただひとつの太陽。

 オレはレクサスの背姿を見送ってから、レヴと共に学園街へ向かった。


◆◆◆


寮に帰ってからは、風呂や食事を手早く済ませ、ベッドに突っ伏した。一般寮に相応しいような、簡素で丈夫なベッド。本来ならレヴとカガリのように二人で一部屋となるのだが、オレにはルームメイトがいない。そのため、実際は一人でこの部屋を使っているようなものだ。孤児院にいた頃は、男女同じ部屋で雑魚寝をしたものだ。あの頃が懐かしい。思い出すと懐かしい反面、少し寂しさを感じる。横目で燭台の炎が揺らめくさまをぼーっと見つめていた。忍び込む眠気を追い払うことはせず、オレはまどろみの中に沈んで行った。


翌日、目が覚めるとオレは床の上に寝転んでいた。おかしい。昨日は確かにベッドの上に寝たはずだ。相当爆睡していたのか、自分が落ちたことにも気付かなかったらしい。顔を洗って着替えを済ませる。休日だから私服。ワンピースやフリルのようなものがついた服は苦手だから、ズボンだ。それから長くなった髪の毛をすき、いつもの髪飾りで髪を結った。

寮の食堂で軽く食事を済ませ、外へ出る。女子寮と男子寮を隔てる一本の道まで行くと、セイランの姿が見えた。

「おっはよー!」

「おはよう。」

 今日も心地の良い声だ。セイランと共に東西に渡る道を、西に向かって――つまり、学園の校舎の方へ歩いた。

「レクサスは?」

「用事があるらしい。」

 月に何回か、オレは孤児院に行くことにしている。その時に同級生の孤児院メンバーを誘っていく。

「昨日学園街に行ってさ、ついでに孤児院に持ってくお菓子買ってきたんだ。東のお菓子なんだ。」

「どういうものだ?」

「えっとな、小さくてころころしてて・・・そう、飴みたいなんだよ。色も桃色とか白色とか、あと黄緑もあったな。」

 そのお菓子は、小さくてとても可愛らしかった。一粒が指の先ぐらいしかないのだが、口に放り込んでみると、それが驚くほど甘い。ケーキのクリームにも劣らない甘さだった。それなのに、全くしつこさがない。至福の一粒と謳って売られていただけあって、そのおいしさはかなりのものだ。小瓶に詰められているのだが、それがまたインテリアのようで可愛らしい。長期間の保存が可能らしく、東では携帯非常食として使われているところもあるらしい。

「セイランは作ってきたのか?」

「ああ。置いてある材料で・・・今回は紅茶のクッキーにした。」

 セイランはこうして、孤児院には何かを作って持って行く。料理好きな彼らしい、と言うのもあるが、孤児院の子ども達は高価な飾り物を渡すよりも、何か一つ美味しいものを持って行った方が喜ぶんだ。オレもそうだった。オレを拾ってくれた先生は、月に一回孤児院へ来てくれた。そのたびに他国のお菓子や珍しい食べ物をもってきて、オレ達と一緒に遊んでくれた。

「シロ先生がいなくなって、八ヶ月か・・・。」

 セイランがぽつりと呟いた。先生は八ヶ月前まで、この学園で教員をしていた。しかし、オレ達が十五歳の成人式を終えた後、教職を辞めてしまった。それっきり、どこに行って何をしているのかさえわからない。

「突然いなくなっちゃったもんな。」

「・・・ああ。」

「今どうしてるかな。」

「分からない。元気だといいが・・・。」

「そうだといいな。」

 その後もぽつぽつと言葉を交わしながら、孤児院へ向かった。

ついたのは昼頃だった。院長先生が笑顔で迎えてくれ、昼食を食べ終えた子ども達と遊び回った。昼寝の時間は、院長先生とセイラン、それからオレの三人でお茶を飲むことにした。

「わざわざありがとうね。学園の方も忙しいでしょうに。」

「昨日テストが終わったから大丈夫だよ。」

「まだ数学は苦手なの?」

「うっ・・・へへへ。」

「セイランはどう?」

「どう、といいますと・・・成績のことですか?」

 セイランは院長先生の質問の意図がつかめないらしく、首を傾げた。院長先生は、セイランの成績について心配しているわけではない。彼自身について心配しているのだ。

「それもあるけれど・・・学園での生活は楽しい?」

「・・・。」

 セイランは記憶を辿っているのか、しばし考え込んだ。

「はい、楽しいと思います。」

「そう。よかった。」

 院長先生の優しい微笑みをみると、心の内から温かくなる。

「ルームメイトの子とは仲良くなれた?」

 セイランのルームメイトは、カガリと同時期に入学したあのレン=ジェイドだ。入学早々、生徒最強ギルド〈ファング〉に加入した天才剣士。

「・・・分かりません。」

「焦ることはないわ。ゆっくりで良いから、相手のことを知っていくの。セイランは冷たい人と誤解されてしまうことが多いけれど、素直な気持ちを伝えれば大丈夫。本当はとっても優しい子なんだから。」

「そんなことは・・・。」

「あら、私は覚えているわ。」

「は?」

「私の誕生日に綺麗な花を摘んできてくれたこと。それから怪我をしてしまって遊べなかった子の隣にずっと寄り添ってあげていたこと。」

「先生、ちょっと待ってください。」

「夜起きたときにみんなの布団をかけ直してあげていたこと。具合が悪そうな子や落ち込んでいる子がいたら、誰よりも早く気付いてそっと支えにいったこと。まだ他にもあるわ。それから・・・。」

「先生!」

 セイランが珍しく、強く声を出した。戦闘や指示の場面で声を張ることはあれど、普段の光景で声を上げるところは滅多にない。予想通り、普段冷静なセイランの顔は真っ赤だった。

「・・・お願いですから、もうやめてください・・・。」

 先程とは打って変わった、とても小さい声。それを見て、院長先生はふふっと笑った。

「先生は嬉しいわ。子どもの頃は感情という感情を出さなかったあなたが、今はこうやって色んな表情を見せてくれるから。」

「・・・・・・。」

 セイランは眉根を寄せたまま、黙って紅茶をのんだ。オレはその様子をにまにまと笑って見ていた。

「アイ、見るな。」

「へへっ。」

 さすがはセイラン。オレの視線にも気付いていたらしい。いや、これだけ堂々と眺めていたら誰でも気付くか。

「アイはどう?」

「オレは相変わらず楽しいよ。みんなもいるし。」

 オレはにっと笑って答える。一瞬だけ院長先生が悲しげな瞳をしたような気がした。

「そう。ならいいのだけれど・・・。・・・シグレは元気?」

 その名前を聞いて、オレは数秒間考えた。同級生だが、昔からあまり話さない相手だった。特に、オレやレクサスとは距離をとっていた。セイランの事は特別気に掛けていた様子だが、それもある時を境にぱったりとなくなってしまった。いつ頃だったか・・・。

 オレは小綺麗な孤児院を見た。一見すると分かりにくいが、外壁には所々焼けた跡が残っている。そうだ。前に一度、孤児院で火事が起こった辺りからだ。

「う~ん。分からないです。」

「そう・・・。」

 院長先生は眉尻を下げて、息をついた。

「どうかしたんですか?」

「彼、顔を見せてくれなくなってしまったから。前までは自分で育てた花を持ってきてくれたりしたんだけれど・・・。最近は授業にも参加してないらしくて・・・もし見掛けたら暇なときに顔を見せるように言って欲しいのだけれど、頼めるかしら?」

「もちろん。院長先生の頼みなら。」

 オレは快く引き受けた。シグレのことを嫌っているわけでもないし、ましてやお世話になった院長先生の頼みだ。

「ありがとう。けれど無理しちゃだめよ。あなたはすぐに抱え込んでしまうのだから。」

「大丈夫だって。セイランもいるし!」

「そう・・・。」

 そのあと、オレ達は夕方まで子ども達と遊んで、孤児院を後にした。


◆◆◆


 学園図書館の奥には一つだけ、小さな読書部屋がある。ここには生徒の声も、日々の喧噪も届かない。ここの存在を知っているのはごく少数で、ましてや実際に利用する者など、誰一人としていなかった。―――彼、サファイア=スフィーニアを除いては。


 小さな読書部屋は、ただ本に囲まれているだけの個室だった。窓はなく、空気はいつも埃っぽい上、差し込んでくる明かりはない。とりあえずないよりはましだろうとでも言うように、おざなりに置き捨てられた古いランタンと、飾り気のない簡素な椅子机が一つ。

 この部屋は、図書館に入ってかなり奥まったところの本棚の影に、ひっそりと隠れているドアの先にある。時刻は夕刻にさしかかっていた。

休日も変わらず、サファイアはこの部屋で本を読み耽っていた。誰にも干渉されない、ただ一人の時間。

しかし、突如としてその静謐な時間は失われる事となった。

「あれ? こんなところに扉なんてあったんですねぇ。」

 扉越しに、ぼやくような府抜けた声が聞こえた。サファイアは顔をしかめる。古びた扉がぎぃと軋んで開かれると、予想通り、間抜けな表情をした男子生徒が入ってきた。柔らかな金色の髪は緩やかなウェーブがかかっており、穏やかな瞳は、戦いとはまるで無縁そうな光を灯している。そして、背には大きな黒翼。

「あ、サファイアさん。」

 クラスメイトのカガリ=ナギトだ。優雅で品格のある立ち振る舞いは、彼が貴族の者だという事を暗に示している。聞いた話では、一般寮に入っているらしい。何にせよ、あまり興味の湧かない話だった。

「こんにちは。」

 カガリは略式の礼をして、優しく微笑んだ。物怖じせず、平然と声を掛けてくる様に憮然と顔をしかめて、サファイアは本を閉じた。

「もしかして、お邪魔してしまいましたか?」

「・・・・・・。」

「それにしても、この学園にはこういう場所とか、抜け道とか案外多いですよねぇ。」

 サファイアを気にもとめず、カガリは部屋の中をうろついて古びた本をとってぱらぱらと流し見る。その度にぶつぶつと小さく呟く様は、一般的な目線から見れば不審だった。

「これは・・・ああ、なるほど。魔導式結界の・・・。随分と昔からこの仕組みはあったんですね。・・・ん? もしかしてこれは・・・あ! そっか。こうすれば流れがスムーズになって・・・。」

「おい。」

「この原理でいくと・・・ああ、やっぱりそうだ。」

「カガリ=ナギト。」

「そうか、ここで遮断することで複雑な回路が・・・。」

「・・・・・・。」

「あれ? サファイアさんどうかなさったんですか?」

「・・・・・・別に。」

 サファイアは呆れて息をついた。カガリはさらに、その横で新しい本を手にとってはぶつぶつと呟いていく。

軋んだ机の上に重ねたものを、サファイアは本棚に戻していく。もうすぐ閉館の時間になる。

「サファイアさんは、よくここにいらっしゃるんですか?」

 不意に声を掛けられる。目線が合うと、カガリはにこりと笑う。

「・・・・・・。」

「この部屋の本、面白いですね。」

「・・・・・・そうだな。」

 終始笑みを携えているカガリ。それに少しばかりの苛立ちを覚えて、サファイアは答えた。

「もう閉館の時間だ。帰れ。」

「サファイアさんも帰るんでしょう? どうせなら途中まで一緒に行きませんか?」

「断る。」

ぴしゃりと言い放って、サファイアはつかつかと扉へ向かった。軋んだ扉を開き、くぐったところでやわらかい声が響く。

「さようなら。」

「・・・・・・。」

 サファイアは一瞬足を止めるも、そのまま去っていった。


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