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―IF―  作者: 深海
第一章
5/6

一話

 イルフォール学園。それは次世代を担う若者の教育機関であり、世界で最も大きいとされている。有数な騎士を輩出していることはもちろん、孤児を拾い育てているのもまた、この学園の特徴であった。三百年の歴史の中で、貴族や商人、平民などあらゆる階級のものが集まり、魔術に武術、薬学に兵法・・・多様な分野を学べる学園の生徒数は、有に一万人を超えるとされる。

 世界の西に浮かぶ孤島。その中心には学園の設立当初からそびえる大樹が未だ顕在し、そこから円形に学園の敷地が広がっている。学園の敷地の終わりには天に届くのではないかというほどの高い塔が東西南北に並び、一際大きいのが北の時計塔。次いで南の正門を携えた南塔。正門を越えて更に南へ行けば街が鮮やかに栄え、北の時計塔より更に北へ向かえば厳しい渓谷が待ち構えている。東西には森が広がり、天然の洞窟と遺跡群が隠れるように眠っている。

 大樹の根元には、学園広場と称された憩いの場が設えられていた。根本には台座と祈りを捧げる人魚像。澄んだ水が流れ、噴水の音と重なり、水路が通る。美しい水路を彩るのは鮮やかな花々。木漏れ日に照らされた白亜の道は校舎へ繋がっていた。人魚像は今日も祈り続けている。恒久の平和と、愛するものの帰還を―――。 


◆◆◆


「だあああああ!」

 赤いバンダナを額に巻いた少年は二本の剣を大きく振りかぶり、ひと思いに振り下ろした。肉厚の曲刀が硬い外殻に打ち付けられると、鈍い音が響き渡る。今度こそ、とは思ったが、その外殻は割れるどころか、傷の一つもついていない。少年は後退しながら舌打ちをした。

少年の横をするりと後ろから抜けて、硬い外殻を持った敵―――ストーンゴーレムに向かって、黒髪の少女が突進する。ゴーレムは持っていた槍を横になぎ払う。少女は軽やかに宙へ舞い、容易く攻撃をかわした。同時に短剣でゴーレムの関節部分を鋭く突く。ストーンゴーレムは行動を停止し、鈍い音を立てて地に転げた。地上に着地した少女、アイ=カシミアは自慢げに少年を見やって、人差し指を立てる。

「そんなんじゃ、低級のゴーレムを倒すのも夢のまた夢ってカンジだな。レヴ。」

「んだと!」

 レヴと呼ばれた少年は目端をつり上げた。

「低級倒して威張ってんじゃねーよ!」

「レヴ!後ろだ!」

 アイの叫びと同時に、レヴは振り向いた。そこにはもう一つ、ストーンゴーレムの姿があった。ゴーレムは既に槍を振り下ろす動作に入っている。防御が間に合わない。

「くっ」

 それでもレヴはどうにかしようと、身をよじった。急所は外さなければならない。なぜなら、神聖術を使うことが出来る者は、このギルドにいないのだから。直撃は死を意味する。矛先がレヴの眼前へと迫る。あと三十、二十・・・十センチ―――。

「《縛鎖》っ!」

 刹那、鋭い矛先が、ぴたりと静止した。見れば、ストーンゴーレムに黒一色の鎖が幾重にも絡まり、その動きを止めている。後方には、ゴーレムへ左手を向けている金髪の少年がいた。彼はこの状況下でもなお、柔和に微笑んだ。

神聖術の使い手はいないが、妨害を得意とした呪術の使い手なら、ここにいる。

彼の名はカガリ=ナギト。最近ギルドに加入した魔術師だ。黒翼と柔和な微笑みが特徴の、端麗な少年だ。

 彼の微笑みにあわせて、一際強く地を蹴って剣を振りかぶる少年がいる。高く高く跳び、身の丈程の大きな剣を、一気に振り下ろす。レヴの一撃とは違う、重い攻撃はゴーレムを上から下まで両断した。重い両手剣を軽々と持ち上げて息をついた少年もまた、レヴやアイと同じ黒髪だった。澄み渡った清流を思わせる青の瞳は無感動にゴーレムを一瞥する。セイド=ルランデ。通称セイラン。彼がこの生徒ギルド〈アンクレット〉のギルドリーダーだ。

「これで全部か。」

 セイランの妙に落ち着いた一言で、戦いは終わった。


「おそらく、次が守護者の部屋だろう。」

 一行は安全になった一角で、武具の最終確認を行っていた。

「守護者はおそらくゴーレムだ。魔術師がカガリしかいないから不利な戦いになると思う。まずはゴーレムの戦い方を見る。それまでは回避に専念すること。反撃のタイミングでカガリが行動妨害をする。そこから一気に攻撃に転じてくれ。これまでの戦いで分かっているだろうが、装甲の厚い頭や胸に攻撃は効かない。装甲の薄い関節、或いは継ぎ目を集中して叩く。いいな?」

 セイランの冷静な声に、皆一様に頷いた。

「行くぞ。」

 こうして彼らは、この遺跡の最終決戦に挑む―――はずだった。

 重厚な扉を開いたその先は、突き抜けるほど高い天井があった。そして大きな空間の中央には、地面からその天井まで見上げなければならない程巨大なゴーレムの姿があった。途方もなく大きい。今まで見てきたゴーレムの何倍、いや何十倍あるだろうか。ヴオン、と低い音が響くと、ゴーレムの額部分に埋め込まれた結晶が光を帯びる。その結晶には、なにやら紋章が刻まれているようだった。その紋章は、紛れもなく真実を伝えていた。この紋章が刻まれている結晶こそ、この遺跡から持ち帰るべき宝であると。

「大きいですねぇ~。」

 カガリがあんぐりと口を開けて、言った。

「ああ、大きいな。」

 いつもと変わらない落ち着いた声で、セイランが答えた。

「嘘だろ・・・?」

 こんなのと戦うのかよ、と絶望に震えた声で、レヴが言った。

「・・・・・・。」

 アイはただ絶句していた。あり得ない。一体どうやってこんな大きいゴーレムと戦えば良いのか。皆目検討もつかない。ゴーレムは大樹ほどの太さがありそうな腕を振り上げる。ぱらぱらと砂が落ち、ミシミシと床が沈む。こんなのと戦えというのか。あり得ない、と心の中でアイは言った。しかし、最もあり得ないと思った事は―――。

「崩れてきてんだけどおおおおおおお?!」

 巨大ゴーレムが動き出した事によって、遺跡が崩れ始めた事だった。その瞬間、全員がアイコンタクトをとると、一斉に身体の向きを反転、踵を返してかけだした。

「レヴ!」

 広大な部屋の入り口へ向かいながら、アイは鋭く叫ぶ。超巨大ゴーレムが腕を振り下ろすと地面に大きな亀裂が走り、頭上からは瓦礫が降り注いだ。

「何だよ!」

「あれをなんとかしろおおおおおおおおおおおおおおっ!」

「無理に決まってんだろおおおおおおおおおおおおおっ!」

 レヴは半泣きの状態で振ってくる瓦礫ををかわしていき、その後方を走るセイランが剣で振ってくる瓦礫を冷静にはじいた。カガリは小さく息をついた。

「仕方ないですねぇ。」

 身を翻し、足を止める。左手をゴーレムに向けると、その手の甲に漆黒の刺青が現れる。カガリは鋭く叫んだ。

「《縛鎖》!」

 お得意の妨害呪術だ。詠唱に呼応して、無数の黒い鎖が地面から伸び上がる。しかし、あの巨大なゴーレムを止めるには至らないだろう。アイがそう思ったのもつかの間、鎖はゴーレムに触れた瞬間一気に暴発し、数が増え、ゴーレムを絡め取る。

「すげえええええええ!」

 アイは足下に転んでいた瓦礫をひょいと跳び越えて叫んだ。遅れてカガリが走ってくる。

「一体どうやったんだ?!」

「ああ、あれですか。あれはですね、ゴーレムが原動力として使っている魔力をちょこっと利用して呪術を増幅させ・・・っあぅ!」

 そう言いかけて、カガリは地面に伏した。瓦礫に躓いて、転んだのだった。

「何やってんだバカああああああ!」

 アイはカガリをつかみ挙げ、一心不乱に走った。



◆◆


「正直、あれはなかったと思うぞ。」

 雑然とした食堂の一角で、レヴがため息混じりに呟いた。

「ありゃ酷かった。」

 オレはレヴの言葉に深く頷き返し、サンドウィッチを頬張る。香草と併せて肉を挟んだ贅沢なサンドウィッチだ。普段はあまり食べないが、たまにはこういった贅沢も良いだろう。

一週間前のダンジョン実習のことだ。意気込んでダンジョンに入って、順調に突破した先に待ち構えていたアレ。そう、超がつくほどの巨大なゴーレムだ。あんなのが宝を護る守護者だと? ふざけるな。あんなのとどうやって戦えと言うんだ。アレをダンジョンに配置したのは教師陣だと知っている。教師は生徒を殺す気か。

「しっかし、途中でこけたカガリを抱えて走るとか、お前女じゃねぇ・・・って痛ってぇ!」

「るせえ童顔。」

 オレはレヴの後頭部を軽く殴った。もちろん、か弱き少女の握り拳だ。

「童顔じゃねぇし。つかお前軽く殴ってそれとか、軽戦士やめて重戦士になれよ。」

「やだね。」

「そんで女もやめちまぇ性別詐欺。・・・痛ってぇな殴んなよ!」

「るせぇんだよ童顔の童貞が。」

「食事中なの分かってんのかこの・・・」

 オレは握り拳を握った。今度は怒れる乙女の鉄拳にする予定だ。

「すいませんでした。」

「分かればよろしいのよレヴ君。」

「きめぇ・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・申しわけございませんでしたアイ様。」



「あのゴーレム、頑張れば勝てそうではありましたねぇ」

 カガリが食後の紅茶を上品に楽しみながら言った。

「確かに、カガリの呪術は有効だったみたいだけど・・・。」

「おそらく、守護者を倒せば脱出用の転移魔方陣が現れる仕組みにでもなってたんでしょう。」

 朗らかにそう言って、小さなケーキを一口、口に運んだ。

「なら早く言ってくれよなぁ。」

 オレが府抜けた声でいうと、カガリは笑った。

「脱出が最優先だったんですよ。」

「けど、勝ったら宝が手に入って、成績も上がったんだぜ?」

 レヴが肩をすくめた。赤いバンダナの影で、大きく鋭い目にともった眼光が光る。

「それは逃げ道が最初からないか、或いは確実に逃げられる道が確保されているかのどちらかしかありませんよ。」

「お前さっき『守護者を倒せば脱出用の転移魔方陣が現れる』っつってたじゃねぇか。」

「可能性の話です。学園の用意した実習だからその可能性が成り立つのであって、実際にはそう上手く用意されているわけがないんです。実習では戦っても逃げても正解。しかし現実を考えるのであれば、逃げることが正解です。」

「けど、宝の入手には失敗してんだぞ? つまり、俺達が本当の冒険者なら、宝の入手って依頼は失敗したってことだ。」

「命あってのなんとやら、ですよ。レヴは命を捨てるおつもりですか?」

「そういうてめぇはいつも逃げ腰で腹立つんだよ!」

 カガリの言葉に、レヴがいきり立つ。机を大きく叩いたせいで、紅茶が波立った。カガリはそれでもなお、朗らかに笑った。

「落ち着いてください。せっかくの紅茶がまずくなってしまう。」

「チッ。」

 小さく舌打ちをして、レヴは乱暴に椅子へ座った。食べかけだったハンバーグ定食を一気にかき込み、あっという間に平らげると、今度はガラスコップになみなみと注がれていたお茶を仰いだ。それから不機嫌そうな顔をして「ごちそうさまでした。」と手を合わせる。その頃にはカガリもケーキと紅茶がなくなっており、合わせて「ごちそうさまでした。」と告げる。

その表情は穏やかで優しく、レヴとは正反対だ。

「ほら行くぞカガリ。」

「はいはい。」

 席を立ち、ずかずかと歩いて行くレヴの後を追って、カガリも立ち上がった。

「ではアイさん。また後ほど。」

 優雅な彼の所作は、見ていると感嘆とする。あの端麗な容姿に、優雅な所作。穏やかで優しい一方、気配りも欠かさないと来れば、女にモテるのも道理が行く。カガリは一般寮に入っているものの、おそらく貴族階級の者だ。

 一方レヴは乱暴で短気。目つきも悪く、来るもの全てに食いかかるような彼は、女子から怖がられ、男子には面倒くさいと思われている。特に、貴族階級の者からすれば、レヴは視界にも入れたくないらしい。

しかしながらひとつ不思議に思うのは、正反対の二人がいつも一緒に行動していることだった。ルームメイトだから、と言うこともあるかもしれない。カガリはこの前の冬に入学したばかりで、まだ学園のことをあまり分かっていない。その点、レヴは四年程前に入学しているため、学園の勝手は大体分かっているのだ。態度には見えないが、レヴなりにカガリを大切にしてい・・・る・・・とは言えないな。面倒を見ているのだろう。

レヴは入学当初から、喧嘩の絶えない不良生徒だった。カガリが入学してから――カガリと共に行動するようになってから、喧嘩は少なくなったが、それでも生意気だ何だと言われ、上級生と喧嘩を繰り返す。生傷は絶えず、喧嘩したことを諫めると「あいつ等が先にやってきたんだ。」などと、子どものようなことを言う。年齢だけ言えば、オレ達は十五歳を超しているから成人だ。だからといって、成人して一年そこらで急に大人になれるわけでもない。

隣のテーブルを見ると、そこには昼食を横にノートを広げている生徒がいた。一週間後は中間テストだった。


◆◆◆


「だから、属性魔術の属性は基本的に二属性しか扱えないんだよ。」 

放課後、オレはレヴとカガリの部屋で勉強会をしていた。本当はカガリに教えてもらうつもりだったが、彼は先生に呼び出されて席を外してしまった。仕方なく、オレが分かるところをレヴに教えていた。

「けど、全属性を使える奴だっているじゃねぇか。ほら、イルフォール伝説で英雄と一緒に旅したルティ・・・何だっけ?」

 レヴは首を傾げた。

「ルティアだろ。英雄ウィクトルと旅をして、最終決戦で命を落とした魔女。」

「それから、セイヴィ様。」

「ああ、あの王子サマな。」

 ルリックが王侯貴族のイグレシア王国。セイヴィ王子はそこの第三王子だ。イグレシアはレヴとカガリの出身地でもある。

「セイヴィ様の成人祝いに開かれた式典の時に、セイヴィ様が自ら魔術を披露してくださったのを、アイも見ただろ?」

 去年の夏頃、レヴは休みの間帰郷することになった。イグレシア王国第三王子成人記念式典のためだ。イグレシアの騎士であるフォルテ家に生まれたレヴは、式典に合わせて一時帰郷を命じられたらしい。オレは特に行くところもなく暇だったから、護衛という適当な理由を付けてレヴについて行った。

「しかも、全属性大規模な魔術でな。ありゃ人族の皮を被った化け物だ。」

 レヴは肩をすくませる。オレもあの時の情景を思い浮かべる。純白の大きな翼を持った第三王子が、齢十五には到底使えないような上級の魔術を次から次へと披露し、国民に笑みを向けて手を振っているのだ。

「正直怖ぇよ。国一つ簡単に滅ぼせるような魔術師が、第三王子だぜ?」

 息をつきながら、レヴはノートを書き進めていく。上手いとは言えないが、一応読める程度だ。レヴはペン先を少しばかりインクに沈める。

 国一つ滅ぼせる魔術師・・・そう考えた時、オレの中に浮かんだのはサファイア=スフィーニアというエルフの男子生徒だった。この学園で最も畏れられ、最も美しいと謳われる氷使いの魔術師。卓越した魔力と魔導技術。彼の魔術は一目見ても、生徒の域を超えていた。 “氷の帝王”と呼ばれ畏れられる彼。イグレシアの第三王子は、それよりもなお強く、そして全ての属性を使えるのだ。

「なんにせよ、そういうのは例外だって。基本的に二種類の属性しか扱えないんだよ。」

 オレは教科書の挿絵を指先で叩きながら言った。

「で、次は・・・呪術か。これはカガリに教えてもらった方がいいかな。」

 そういえば、カガリに初めて出会ったのは、イグレシア王国第三王子成人記念式典の日だった。まさかその後の冬にイルフォール学園へ入学してくるとは想いもしなかったが。

「しっかしカガリおっせぇよな。出かけてからもう二時間だぜ?」

 レヴはペンを置くと、休憩だと言わんばかりに身体を伸ばし始める。オレも固まった身体をほぐしつつ、時計を見やった。時刻は六時過ぎだ。まだ空は明るい。

「テスト終わったら学園街にでも遊びに行くか。」

 オレが言うと、レヴは頷いた。

「俺、新しい武器見に行きてぇ。」

「洋服も見に行こうぜ。レヴの分も見繕ってやる。」

「・・・女物は勘弁してくれ。」

「顔は可愛いのに、意外に筋肉でがっしりしてるから似合わないのが残念だよな。」

「意外に言うな。俺は男だし、剣士だっつの。」

 レヴは口をへの字に曲げた。

「女物の服なら、シルヴィアにでも着せておけよ。」

 シルヴィアは同じクラスにいる、ベルヴァの少年だ。銀髪銀眼で、容姿は少女そのもの。身体が弱く、登校するのは週に一回二回程度だ。ベルヴァの中でも減少傾向にある兎族で、頭には美しい銀の耳が垂れている。彼が女物の服を着た姿は容易に想像できるが、だからこそおもしろみは少ない。意外な人物に着せるのが面白いのだ。

「おもしろくない。」

「じゃあなんだ。俺は面白かったってのか。」

「ああ。服を着たときに顔と身体が残念なぐらいアンバランスなところが。」

「てい」

 レヴは手刀をつくると、オレの後頭部を殴る。

「痛ってぇ!女子に暴力とか最低だぞ!」

「どこが女子だよ貧乳。」

 オレはその瞬間、顔を引きつらせながら立ち上がった。

「童顔にいわれたくねぁなぁ?」

「んだと!」

 レヴは眉をつり上げて立ち上がる。

「お前なんか女じゃねぇよ。」

「は?女も知らない童貞に何が分かるんだよ?」

「お前だって経験ないくせに童貞童貞言うな!そんなんだから女じゃないっていわれんだろうがペチャパイ!」

「胸はこれから成長期だっつの!」

「そう言ってもう四年過ぎたよな。」

「うるっせぇ!レヴも顔変わってねぇだろ!」

「アイの幼児体型も変わんねぇな!」

 オレは拳をかたく握った。

「乙女の鉄拳をくらいやがれ!」

「お前のどこが乙女だ!」

 レヴはオレの拳を軽々とかわした。だが、レヴがかわすことは想定していた。レヴが拳をかわした一瞬を狙ってオレは足をかけて転ばせる。それに馬乗りになってわざと勝ち誇った笑みを向けてやった。

「さぁさぁ、乙女を傷つけた代償は大きいぞレヴ君。」

 散々人の事を貧乳だの女じゃないだの言った罪をどう償わせようか。そう思っていた折、レヴがあきれ顔で息をつき、小さく呟いた。

「・・・これが乙女のすることかよ。」

 決めた。レヴはこちょこちょの刑に処す。

 そうしてオレがレヴの脇腹に手を伸ばした時だった。ドアが開く音が響いた。開かれた扉の向こうには、カガリがいた。ほんの一瞬、その場にあった全ての時間が静止した。二人きりだった部屋の中で、地面に仰向けになっているレヴの上にまたがるオレの姿どう見たってオレがレヴを襲っているようにしか見えない。

カガリは穏やかに微笑んだ。

「ごゆっくり。」

 沈黙の中、扉は静かに閉ざされた。

「ご・・・・・・ご・・・・・・」

「「誤解だカガリーーーーーーーーーーーーっ!」」

 オレ達は同時に叫んで、部屋を飛び出した。


◆◆◆


時刻は5時半を回っている。黒翼の少年――カガリ=ナギトは夕暮れの廊下を急ぎ足手で進んでいた。

今日は、アイとレヴの二人に勉強を教える約束をしているのだが、先生からの急な呼び出しで抜けてきてしまった。大した用事ではなかったが、思いの外時間が掛かってしまった。このままでは、勉強を教える前に日が暮れてしまう。

不意に誰かの肩にぶつかってしまった。

「すみません。」

慌てて謝罪する。完全に自分の不注意であった事を反省しながら、相手の様子をうかがった。褐色の肌をした、エートルの男子生徒だ。軽くぶつかった程度で、怪我はない様子だった。カガリがそのことに安堵したこともつかの間。その男子生徒は獣のように獰猛で荒んだ瞳でカガリを見下げた。カガリでも身長が高いが、彼はまた更に高い。すると、男子生徒は視線をその黒翼に向けた。その瞳には、厭悪の色が色濃く浮かんでいる。

「この悪魔が。」

 吐き捨てるように言って、男子生徒は足早に去っていった。カガリは困ったように頬をかいた。今の男子生徒は、カガリと同じ国の生まれであることが容易に想像できたからだ。あの国では、白は神聖なる色。そして黒色は、悪しき者の色。

「早く戻らないといけませんねぇ。」

 カガリは息をついて、また歩を進め始めた。今更悪魔と言われたところで、傷つく心は持ち合わせていないのだから。



ドタン。バタン。部屋の前に戻ると、そんな音が響いていた。あの二人の事だから、じゃれているだけだろう。音が静まった頃を見計らって、カガリはドアノブを捻り、扉を開いた。

「・・・・・・。」

 そこには床に倒れたレヴと、馬乗りになったアイがいた。一瞬、本当にそういう男女の仲なのかと思った。しかしすぐに、それが違うことが分かる。

「ごゆっくり。」

 カガリは微笑んで、敢えてそう言った。ドアを幾分かゆっくりと締め、そのまま歩いて行く。

「「誤解だカガリーーーーーーーーーーーーっ!」」

 そんな声が廊下まで響いてきた。ドアが盛大に開け放たれ、二人が慌てて飛び出してくる。その慌てようがどうにも面白くて、カガリは笑った。

「・・・くっ・・・あはははははっ!」

 二人が丸い瞳をして顔を見合わせた姿が印象的だった。


◆◆◆



「ったくカガリも意地が悪いよな。最初から分かってたんじゃねぇか。」

 オレがむくれていうと、カガリはまた笑った。

「いやぁ、すみません。」

「謝る気ないだろ。」

「人の部屋であれだけ暴れられたら、意地悪したくもなりますよ。」

 カガリはさわやかな笑みを浮かべていた。カガリは怒っているのだろうか。いまいち表情の読めないカガリは、大抵笑った表情を携えている。時折気難しげな表情を浮かべることもあるが、それもほんの一瞬だ。

「お前言葉に棘があるぞ。」

 レヴがそう言うと、カガリは声を上げて笑った。

「あはははっ!」

「笑って誤魔化すな!」

「さ、勉強の続きをしましょうか。」

 華麗にレヴの言葉を無視すると、彼はオレとレヴのノートを見た。

「今は魔術についてやってるんですね。」

「そうそう。呪術について教えてくれよ。カガリ詳しいだろ?」

 頷いて答えるとカガリは口元に指を当てて、唸った。

「そうですねぇ・・・。呪術の一番の特徴は魔力そのものを変質させることです。」

「魔力の変質?」

「そうです。属性魔術は自分の魔力属性をそのまま利用して攻撃するんですが、呪術は、自身の体内にある魔力を変質させて・・・言ってしまえば、毒のようなものに変質させて、敵を攻撃・妨害するんですよ。」

「へぇ。じゃあ変質させるために詠唱するのか。」

「違います。」

 カガリはきっぱりと言い切った。

「多くの方は、アイが言ったように誤解してしまうんですが、魔力の変質自体は、詠唱がなくてもできるんです。本来、呪術には詠唱がありませんでした。」

「?」

「古来、暗殺用魔術として生み出された呪術は、暗殺対象に直接触れ、そこから変質させた魔力・・・通称呪力を流し込むことで死に至らしめるというのが本来の姿です。今の呪術は、属性魔術を真似て、詠唱して敢えて具現化させているんです。」

「なんでそうする必要があるんだよ。」

 レヴがそう訊ねると、カガリは真剣な表情で返した。

「呪術は非常に危険なものだからです。相手を殺すだけではなく、下手すれば自分をも殺してしまう。詠唱によって一度具現化させることで、制御しやすくしているんですよ。安全装置みたいなものでしょうか。それから、俺の左肩には刺青がありますよね?」

「ああ、あの呪術使うときだけ拡がるやつか。」

 オレはカガリの左肩にある刺青を思い浮かべた。生物の目を象ったような禍々しい刺青だ。彼が呪術を使うと、左肩から腕に、そして手の甲までその禍々しい漆黒の文様が拡がる。

「呪術印と呼ばれるものです。詳しい事は省きますが、これも安全装置の役割を果たしています。大体こんなところですかね。」

「あ、質問。呪術を使えるようになるには?」

「えーっと・・・そうですね。呪術が使えるようになるには二種類の方法があります。まずは、師匠に教えてもらう方法。もう一つは、呪力の自然発生です。前者の師匠に教えてもらう方が安全ですね。」

「安全って?」

「先程述べたように、呪術は自分を蝕むような危険な魔術です。素人が下手に魔力を変質させてしまうと、それを制御することが出来ずに死んでしまいます。師匠がいれば、魔力の変質に介入して制御してくれます。そのため、呪術を習得する過程で死ぬ危険性は低くなります。」

「カガリは師匠がいたのか?」

「いえ、俺は後者の、自然発生ですね。運良く制御することができたので、生きているんですけど・・・そうでなければ死んでいましたね。」

 カガリは朗らかに笑った。

「そうそう、これは余談ですが、呪術の習得する時には、絶対に師匠以外の他人を近寄らせてはいけません。呪力が体内からあふれ出して、周囲の人も巻き込んでしまうからです。」

「どういうことだよ?」

 レヴが眉根を寄せた。

「そうですねぇ・・・戦士が魔術に弱い理由は分かりますか?」

「魔術耐性が低いからだろ?」

「それと同じです。呪力はそれそのものが毒。呪術を習得する人は、呪力が暴走状態にあり、あふれ出している。そこに耐性のない人が触れてしまえば・・・。」

 オレとレヴは、固唾を呑んだ。カガリの穏やかな金色の瞳に、鋭い光が宿った。

「確実に死にます。」

 ぞくり、と背筋に怖気が走る。オレはいつの間にか、制服のスカートを強く握りしめていた。自然と肩が強ばる。同時に、オレはカガリの左肩を見ていた。制服の白に隠されて見えないが、確かにそこに存在する呪術の証。

「・・・呪術師が少ない理由は?」

 レヴが固い声で訊ねた。

「習得が非常に難しく、命の危険が伴うこと。これにつきますね。それから、呪術の習得には最低でも一ヶ月必要で、習得するか死ぬまでの間、自身の呪力に蝕まれ散々苦しむことになります。」

 カガリはあっけらかんと笑ってみせる。その瞳にはもう、剣呑な色は宿っていない。それにほっとする反面、恐ろしくもある。底の見えないカガリの笑みが、ほんの少し、こわいと思ってしまったからだ。

「何にせよ、興味本位では手を出すべきではありません。」

 最後にそう付け加えて、呪術の説明は終わった。


 試験範囲の勉強を終える頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。夜8時以降は男子寮に入ることを禁止される――同じように、男子も女子寮に入ることが禁止される――ため、オレは急いで男子寮を出ることにした。破ってしまうと、生徒指導室で反省文と長い説教がある。それだけはごめんだ。

「途中まで送ってやる。」

 非常に上からの物言いだが、レヴなりに気を使ったのだろう。男子寮を女子一人でうろつくと、他の男子生徒に目を付けられたり、変に絡まれたりするからだ。よっぽと、他の生徒と喧嘩をしているレヴと歩く方が目を付けられそうだが。

「あ、俺も行きます。またレヴが上級生と喧嘩したら大変ですし。」

「半分はてめぇのせいだろ!」

 結局三人で男子寮を出て、女子寮の方へ向かうことになった。カガリの提案で裏口から出たため、上級生に絡まれることもなく男子寮を出ることが出来た。それから、女子寮と男子寮を隔てる一本の道を挟んで、オレ達は別れを告げた。




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