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紅茶 〜Broken Heart〜

紅茶の香りが保健室に広がった。

オレンジペコというらしい。

由佳のお気に入りの――たしかジノリ――のティーカップが軽い音を立てて目の前に置かれた。

嫌味ったらしく、たっぷりのミルクを添えられて。



「今日はどうしたの?」


由佳は静かに龍也を見つめた。


「どうもしてない」


 これがいつもの放課後。


クラシックが流れる中で、由佳が煎れた高い紅茶を高級なティーカップで飲むのがお決まり。

我ながらずいぶん乙女チックだと思う。



「雨よ」


由佳は呟いた。

磨かれた窓に雨粒が伝っていく。


 由佳の良いところは、頭の回転の速さ。

三年間、同じクラスで仲違いしない女子は由佳ぐらいだったから。



「今日さ、告られた」


龍也はカップを持ち上げながら挑発的に由佳を見た。

ほんの一拍間をおいて、由佳は、そう、と答える。


「どんな子?」


誰?とは聞かない柔軟さがいい。


「後輩に紹介されたんだ」

龍也は、彼女の名前や住んでいる場所、血液型――Aだ――や兄弟構成など、思いついたことをいくつか言った。


「それで?感じはよかったの?」


興味なさげに由佳は言った。


「どうだろ、よくわかんねぇんだよなぁ」


そう、と言った由佳の顔は余裕で、ちょっと楽しそうでさえあった。




 試験最終日の終礼は嬉しい。

みんなが一斉に椅子を引く、がたがたという音も嬉しい。

ちらりと視線を走らせると、由佳がクラスメイトに答を聞かれているのが目に入った。

毎度のように学年トップの由佳の周りには、未練がましく答え合わせをしている連中が群がる。


 最終日の科目は地理か生物の選択と現国だった。

どちらも比較的楽だったので、答案を伏せてからぼんやり窓の外を眺めている時間があった。

 晴れて、いい天気だった。

龍也達の教室の窓からは、大通りと並木と信号と横断歩道が見える。

空と、向かい側の建物の屋根も。

 教室は静かで、ときどき聞こえる咳払いと、鉛筆の音だけがしていた。

由佳が、伏せた答案の上に肘をついて、窓の外を見ている。

明日から試験休みだ。



 その日の午後、由佳と街に出た。

待ち合わせのカフェにはすでに由佳がコーヒーを飲んで待っていた。

由佳は少し目線を上げ龍也を見ると、微かに微笑んだ。


「わりぃ、遅くなった」


「まだ、約束の5分前よ」

カップを持つ手首には華奢な金色の時計。

時計に対して造詣は深くないけれど高いことだけはわかった。


「出る?」


龍也が訊き、由佳はそれにしたがった。


「スウォッチが見たいんだけど」


由佳に並んで歩きながら言う。


「じゃあ、ソニプラね」


由佳の口からソニプラという言葉が出てきたのが、ずいぶんおかしかった。


 109の地下のソニプラは、例によってすごい混雑。

なかには暇な女子大生とか、何か間違えちゃったんじゃないのかっていうようなおばさんも混じっているけれど、大抵は高校生だ。

九割方女。

ブスばっかり。


 二人でスウォッチを見る。


「ねぇな」


「高橋がつけるの?」


由佳は龍也のことを高橋と呼ぶ。

龍也に限らず男はみんな名字だ。


「つけると思うか?」


一応訊いてみると、ショーケースに映った由佳が笑ったのが見えた。


「そうだったのなら、軽率ねって言ってたわ」


由佳の、笑いを含んだ声。

結局、なにも買わずに外に出た。


 「テストやべぇかも」


空を仰いで龍也が言う。


「欠点にならないように願うのね」


乾いた声が少し後ろから届いた。


 それからすぐに別れた。

由佳も龍也も無駄に外を歩くのを好まない。

ウィンドショッピングの意味はもはや理解不能だ。


「じゃあ、また休みあけに」


由佳の声に妙に淋しくなった。




 休みあけの放課後、夕暮れのなか由佳がいつものように紅茶を煎れた。

その後で、さっきまで人が寝ていたように乱れているベッドを――華奢な背を龍也に向けて――直し始めた。


 それがむちゃくちゃだが、そういう意味だと思ったし、次の行動を許可してくれているんだと思った。

それで、そうした。


 抱き締めてキスをし、ベッドに押し倒したのだ。

乱暴だったのかもしれない。

けれど経験は二人とも――この歳にしては十分なほど――あったから。

押し倒されたとき、由佳は困惑の声を上げた。

嫌がっているようにも見えた。

二人とも制服を着たままだったが、龍也はもう十分いきり立っていて、最終的にはこれを挿入しなければならない、と、考えていた。

憶えているのはそこまでだ。

後の記憶は断片的で、ともかく最後まで事を終えてしまった、ということしか憶えていない。


 行為の間、由佳は

「乱れ」

たり

「声をあげ」

たりしなかった。

あっという間だった。




 「なぜ?」


すでにベッドから出た由佳が静かに聞いた。

怒ってはいない。

でも、龍也は答えられなかった。

理由がないなんて。

理由なんているのだろうか。

 二人でベッドを挟んで散らばった制服を着た。

不思議なほど気まずくない。

あるのは、喪失感とけだるい空気だけ。



 「紅茶が冷めちゃたわ」


由佳はぽつりと呟いて紅茶を啜った。

向かいに座って飲んだ紅茶は、冷めて渋くなっていた。




 龍也の日常は変わっていない。

今日は彼女と会うし、明日は部活の試合だ。

けれどもあの日以来、保健室に行っていない。



 冷めた紅茶の渋みが、龍也の失恋の味。

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