要洋介の秘密
かなりシリアスに書いていますが、全体的にギャグ、コメディーとして受け取ってください。カッコ書きは、作者のつっこみです。笑うところですので、よろしくお願いします。
重ねて注意勧告いたします。
愛犬家の方は読まないで下さい。気分を害しても責任は持ちません。
ちなみに作者は愛犬家です。
では、どうぞ……
要洋介は、一人だった。
ある容疑者を尾行している最中だ。
時間は、休日の昼……もうすぐ午後にさしかかろうという時だ。
容疑者とは、かなりの距離をとっていた。
もし、あの人物が、自分の追っている組織の一員ならば、通常の尾行では気付かれてしまう。
彼らの能力は異常だ。同じ人間とは思えないほどの跳躍。異常なまでの素早い動き。
発砲したところで、当たれば奇跡だ。当然、その感知能力も半端ではない。
ほんの少しでも彼らの感知圏内に踏み込めば、たちまち気付かれて……また見失う。
要は、緊張していた。
だが、うららかな休日の昼間とあって、道行く人々はどこかのんびりとしている。
手をつないで歩いている老夫婦。
最新のゲームの話をしながら歩いている小学生たち。
イチャイチャしながら歩く若い男女。
ピリピリとしているのは要だけだった。
容疑者が、狭い路地を抜けて大通りに出る。
だが要は、焦ることはなかった。
この距離なら、これくらい見失うのは当然のことだ。
それよりも、いかに相手に気付かれないか……こちらの方が大事だ。
要はそのままのスピードで歩を進める。
要も、容疑者を追って大通りに出ようとした。
その時。
大通りから、要のいる路地に入って来たものがいる。
要はそれを見て、ギクリと足を止めた。
「っ……!」
その姿を見た途端に、足が凍りついたかのように動かなくなる。
いや……それどころか、全身に冷や汗が噴出した。
要の横を通り過ぎ、追い越していった若い男女が、その物体を見て黄色い声を上げる。
「きゃー、かわいい!」
「君の方がかわいいよ、なーんてね。」(古すぎるだろ)
ふざけた事を言いながら、その物体を無視して行ってしまった。
手をつないで歩いていた老夫婦は、その物体を見て頬を緩め、少しだけ立ち止まったが、そのまま手を取り合って歩いて行ってしまった。
ふざけ合っていた小学生たちは、その物体に気がつかず、風のように走り去って行った。
狭い路地に、要と、その物体だけになる。
その小さくてムクムクとした物は、ブロック塀の根元の匂いを嗅いでいる。
まだ、要に気付いた様子はない。
……小さすぎるのだ。
視界が低すぎて、大きな要が目に入っていない。
そのまま壁伝いに、ふんふんと匂いを嗅いでいる。
要はそれを見て硬直した。
……落ち着け。
ただの子犬だ。
ピンと立った耳。
くるんと巻いた尻尾。
クリーム色でムクムクの毛皮。
……間違いない。
日本犬だ。(柴犬っていうんだよ、要)
要は、ダラダラと冷や汗をかいたまま、その場で立ち尽くした。
彼は、経験で知っていた。
この物体は、逃げると追いかけてくる習性があることを。
……いきなり動いてはダメだ。
さりげなく。
あくまでさりげなく逃げるんだ。
要は足を動かそうとしたが、根が張ってしまったかのように動かない。
要は内心、焦った。
ま、まずい……このままでは敵に気付かれる……(敵ってこの子犬ね)
いや……落ち着け……
よく見ると赤い首輪をしているじゃないか……
ということは飼い犬だ。
ヒモがついているところからして、飼い主がすぐ近くにいるはず……(リードっていうんだよ)
こっちが逃げなくても、飼い主がこのヒモを持ってさえくれれば……
俺はここを通り抜けることができる。
要は、近くにいるはずの飼い主を探そうとした。
しかし、視線が恐怖の対象をとらえて離さない。
……目を離したら、終わりだ。
やつらは、目を離した瞬間に襲ってくる。
要はそれを……痛いほど知っているのだ。
あれは、蒸し暑い日だった。
十代最後の夏。
今から思えば、とんでもないミッションだった。
サバイバルナイフ一本持たされて、ジャングルに放り込まれる。
与えられた使命は、ただ一つ。
一週間生き延びろ。
しかもたった一人で、だ。
サバイバル……つまり生き残りにおいて、まず重要なのは水の確保だ。
水さえあれば、食料などなくても一週間くらいは生きられる。
あとは安全な寝床の確保だ。
人間は眠らないと活動できない。集中力が落ちてしまう。
集中力を武器にしている自分にとって、それが最も重要だった。
普通のジャングルなら、一週間など余裕だ。
川を見つけ、木の上で眠ればいい。
しかし、そこは軍人用のミッション……当然、普通のジャングルであるはずがない。
毒虫をはじめとし、あらゆる罠がしかけられている。
銃器類はない。ナイフ一本だ。
それなのに、なぜか大型の肉食動物が生息している。
重要な川の周りには、原始的な罠が多数。
周りに生えている草木や、実っている果実は、ほぼ有毒種。
安全な食べ物は、自分の目だけで判断しなければならない。
人間は自分一人で、誰も頼れない。
それだけでも生き残る確率が狭まっているというのに。
極めつけは、わざと放たれている多数の軍用犬……だ。
彼らは、自分のテリトリーに侵入した人間を、決して許さない。
説得が利かない上に、情け容赦がない。
まるで殺人ロボットだ。
言葉を持たないくせに、群れで行動し、統制を取って獲物を追い詰める。
その組織力は、人間のそれを遥かに上回る。
テリトリー内にいる人間を排除しようとして、一つの融通も利きはしない。
最初に与えられたご主人様の命令だけが、彼らを動かすすべてだ。
―――侵入者を殺せ。
つまり……俺、だ。
要は、眉間に冷や汗が滴り落ちるのを感じた。
地面の匂いを嗅いでいる物体を、じっと見つめる。
その時に比べれば……このピンチを乗り越えるなど簡単だ。
要は、ぎこちない動きで上着の中に手を入れた。
指先に当たった硬いものが、少しだけ要を落ち着かせる。
今の俺は武器を持っている。あの時とは違う。(おいおい)
ふんふんと地面の匂いを嗅いでいたその物体が、要に気付いた。
きょとん、と大きな要を見上げる。
要は懐に手を入れたまま、ぎくりと硬直した。
し、しまった!
気付かれたっ!
さすがに野生の動物だな、この殺気に気付くとは……!(野生ちがう)
その物体は、要を見てかわいらしく首を傾げた。
巻いてある尻尾が、なぜかフリフリと左右に動き始める。(なつかれてんだよ)
要は拳銃を握ったまま、その物体と睨み合った。
もし俺に唸り声の一つでも上げてみろ……
この場で犬鍋にしてくれる……!(中国ではメジャーな冬の風物詩)
だがその物体は、敵意の欠片も見せなかった。
こっちが殺気立って睨み付けているにも関わらず、首をかしげて尻尾を左右に動かしているだけだ。しばらくそのまま歩く様子さえ見せなかった。じっと要に注目している。
要は拳銃を握ったまま、小さく呼吸を整えた。
……落ち着け……
何を考えているんだ。
この飼い犬を殺そうなど……(ほんとだよ)
今の俺は日本の警察官……
警察官がそんなことしていいのか。(いいわけないだろ)
器物損壊じゃないか。(そういう問題じゃない)
要はゆっくりと手を離し、服の中から手を出した。
だが、その物体は要を見上げたまま、尻尾をふりふりと動かしているだけだ。
落ち着け……
……こいつが俺に襲い掛かるはずがない。
見ろ。このつぶらな瞳を。
敵意の欠片もないじゃないか。
あの時の、獰猛な軍用犬の瞳とは違う。(当たり前)
この小さな黒い鼻先を見ろ。
到底キバが生えているようには見えないじゃないか。(キバっていうか犬歯ね)
―――こいつが俺を食おうとするはずがない……
要は、引きつった顔面を、無理やり微笑ませようとした。
な、なんだ……さっきすれ違った女性の言った通りだ。
よく見れば、かかかかかわいいじゃないか。
……なんてことはない。
ただの小型犬だ、愛玩動物だ。(中型犬だよ、子どもなだけ)
戦闘能力の欠片もない、ただのチビ……
要が、ほんのわずかに気を緩めた瞬間だった。
「あっ、コロちゃん!」
「!」
突然、大通りの向こうから、女の子の声がした。
すぐに、小さな女の子がこちらに走ってくる。
「ここにいたの?コロちゃん、こっちだよー」
よ、よかった、こいつの飼い主か!
さあ、早くこのヒモを持ってくれ!
俺に、ここを通してくれ……!
早くしないと、さすがに逃げられ……
要は、ほっとしてその物体から目を離し、ピンク色のスカートをはいた女の子を見た。
その、ほんの一瞬のスキをついて、子犬が要の足元までタッと走り寄って来た。
「っ……!!!!」
なっ、なんだとっ……!
こいつっ……!
俺が目を離した、一瞬の隙をついて……!
俺が気を逸らすのを、待っていたんだなっ……!(そんなわけない)
子犬は、完全に石化した要の、皮靴の匂いを嗅いだ。
こっ……殺される!!
このまま噛み付かれて、きっと軍用犬のように肉を引きちぎるまで俺を離さないに違いない……!!
ゾッとした恐怖が、足元から背中に駆け上がる。
しかし何もできなかった。指先一つ動かすことができなかった。
すでに殺されてしまったかのように、要の頭の中は真っ白になった。
その時。
子犬は腰をかがめた。
「あっ!」
要は思わず声を上げた。
ジョジョジョ~……
不思議な水音と、あったかい感触。
子犬は、いきなり要の足元でもよおしたのだ。
「あ……ご、ごめんなさい……」
それを見た女の子が、バツが悪そうに言った。
慌てて子犬のリードを引く。
だが、要はそれを聞いていなかった。
真っ白になった頭の中では、足元の濡れた感触しか感じることができなかった。
要の肩が、ふるふると震えた。
喉元から、何かがせり上がってくる。
も……もう、だめだ……っ!
限界、だっ……!
ぎゅっと強く目を瞑った時。
要の中で、なにかがプツンと切れた。
「う…………あ…………」
喉から上がってきた何かに、抵抗できなかった。
要はそのまま、それを声に出した。
「うわああぁぁあぁ……っ!!!!!!」
とんでもない叫び声を上げ、要はもと来た狭い路地を、ダッシュで逃げた。
その瞬間、子犬の瞳がキラキラと輝いた。
彼の中では、楽しい鬼ごっこが始まったのだ。
パッと要の後を追いかけて走り出した。
「あっ!」
あまりに一瞬のことで、女の子はつい手を離した。
再び自由になった子犬は、歓喜の声を上げた。
「アンアンアンッ!」
「く、くるなああぁぁぁあぁぁ……っ!!!!」
叫び声を上げながら逃げる要を見て、小さな女の子は呆気に取られてそれを見送った。
だが、すぐにはっとして子犬の後を追う。
「ま、待ってよーっ!コロちゃぁんっ!!」
「アンアンッ!」
「イヤアァァアァァッ……!!!!!」
長身の成人男性、しかも刑事が子犬に追いかけられる様は、これ以上ないくらいに無様だった。
しかしまだ……これを知る人物は誰もいない。
―――今のところは。
End…
見事に容疑者に逃げられた要くんでした。
どこかで見たオチで申し訳ない。
ここで、本編の要のセリフを思い出してみましょう。
「いい加減に乗り越えろ。でないと大事なものを守れなく……」(ry