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第29話 いつか夜明けを


 ✻ ✻ ✻



 ――結局、翠蓮は一命をとりとめた。

 子の方は腹に留めようがなかったという。母体も衰弱しているが、ゆっくり療養すれば永らえると聞かされ璃月は胸をなでおろした。

 これからは命を狙われることもないはずだし、徒嵐が寄りそってくれれば快方に向かうだろう。


「落ち着いたら、お見舞いに行きたいわ」

「そうだな。見舞ってやるといい」


 鷹揚にうなずいたのは皇帝だった。

 至高の人は揺玉宮を訪ね、麗珂妃と璃月に囲まれてくつろいでいる。あの事件で後宮が大揺れに揺れたので、癒しが欲しいのかもしれない。



 映月宮襲撃で罪に問われたのは貴妃だった。璃月が出会った宦官たちは碧梧宮の者だったのだ。

 侵入した彼らの目的は、翠蓮の体を害すること。直接手を下す、という意味ではない。扉の蝶番をゆるめたり、階段の手すりに細工したりの遠回りな方法を試したのだとか。あの三人とは別に床下にもぐって廊下の羽目板にヒビをいれていた者までいる念の入れようだった。


 もちろん貴妃は知らぬ存ぜぬを貫く。

 宦官のことは忠全に任せてあると言い張ったのだが、さすがにそれは通らなかった。手を下した連中が貴妃から直に命じられたと自白したからだ。

 むしろ忠全は荒れ狂う貴妃を必死でなだめていたらしい。当然だ。偶然に頼って翠蓮の腹の子を始末できるわけがなかろう。


 皇后に次ぐ高位の妃の失墜に、さすがの皇帝も心を痛めた。

 とりあえず沙汰が定まるまで碧梧宮は全体が封じられた。その軟禁処分を紫婉も粛々と受け入れている。懐妊の噂は広がっていて、ほぼ公然の秘密。だが璃月といえども父に確認することはしない。



 ところで翠蓮が飲んだ薬は誰が盛ったのか――。

 調べを受けた徒嵐は自分で薬湯を作ったと白状したのだが、すぐに放免された。薬包そのものは内務府の遣いからの差し入れだとも証言したからだ。妊娠中の不調によいと勧められたので、ひと包み毒見してから翠蓮に飲ませた、と。

 その言を翠蓮本人が肯定したことにより潔白を認められた徒嵐は、内務府の宦官たちに延々と面通しさせられたそうだ。だが薬を届けに来た宦官は見つかっていないらしい。薬の出どころはいまだ調査中だった。


「しかし、そなたが修媛と親しくなっているとは知らなんだ」

「だ、だって年もあまり離れていないですもの」


 皇帝からの指摘に璃月はやや慌てる。麗珂妃の夢にあらわれた蝶を探して声をかけたのだと説明してあるが、映月宮に突撃するきっかけの白昼夢のことは内緒だ。あれが夢見といえるのか璃月自身もわからないから。


「ご懐妊が噂になってしまって、心細いのではないかとお訪ねしたら倒れているんだもの。びっくりしたわ」

「うむ」


 わざとらしい説明だったが皇帝はうなずいてくれた。

 表向き、璃月の訪問がきっかけで翠蓮は助けられたということになっている。

 不調を誰にも言えず困っていた翠蓮を璃月が見つけた。衰弱した翠蓮が出血の理由も教えられなくなっていたため、医官と娘子軍の両方を呼んだ、というもっともらしい流れだ。

 ……その後どうして建物の外で賊に遭遇することになったのかは、突っ込まないでほしいところ。


「そなたのおかげだな。あれも哀れな身の上、死なれるのは忍びない」


 父から褒められるのは嬉しいが、平然と言われた言葉に璃月は悲しくなった。

 皇帝は并県への沙汰を正当と考えているのだろうか。徒嵐の受けた刑についてはどうなのか。

 入宮した翠蓮を幸したのは人質の身を憐れんでのことだろうと頭ではわかる。側室としての立場を確固にすれば後宮で蔑まれずに済むから。だがそれが翠蓮の幸せだったかというと否だ。


 皇帝はあくまで皇帝として物を見る。考える。

 それは正しいのだろうにうべなえなかった。

 父に向かって泣きそうな顔をしてしまい、璃月はうつむいた。


「どうした璃月よ。うん? 思い出して怖くなったのか?」


 皇帝にとって璃月は、まだ怪異を嫌がるあどけない娘なのだった。そう振る舞うことで輿入れを先延ばそうと企んでいる璃月だって、父を利用する不届き者。

 皆が自分のいる場所で必死にあがいているのはわかっている。


 理不尽を行わざるを得ない父も。

 子殺しにより自らの安寧を求める、誰だか知らない犯人も。

 そして――二人で死ぬことを選びかけた翠蓮と徒嵐も。



 ✻ ✻ ✻



「手合わせお願いします、師匠!」

「……璃月さま、来るなり何を」

「しぃーっ! 今は璃英なんだから!」


 箭亭の端に駆けてきた璃月は小声ながら元気よく暁霄に稽古をねだった。

 相手の困惑顔をものともせずにトンと槍の石突きを地面に立てる。その真っ直ぐなまなざしを暁霄は正面から見返した。

 春らんまん。やわらかな風が璃月の瞳に揺れている。


「……何か景琛さまに御用があったのでは?」


 その言い方だと、用事があれば外朝に出るのも当然のように聞こえる。すっかり璃月に慣らされてしまった副官のことを景琛は笑った。


「いいんじゃないか。すこしあしらってやってくれ」

「お兄……じゃなくて、上将閣下!?」


 失礼な、「あしらう」なんて……と思ったが実力差があるのは璃月も認めざるを得ない。いずれ暁霄から一本取らなきゃと思っているが、そのためには「あしらって」もらった方がためになりそうだ。考えていると、景琛はニヤリとした。


「それとも俺とやるか。たまにはいいな」

「ええー?」

「景琛さまをわずらわせるなら私が」


 妹を誘う景琛のことを、暁霄はさえぎった。


「わずら……ちょっと暁霄、ひどくない?」

「失礼、間違えました」


 暁霄は咳払いをし、言いにくそうに申し込んだ。


「ぜひ私にお相手させていただきたく」

「ほんと?」


 それで笑顔になる璃月は単純だ。

 槍を持ってピシリと立ち、一礼しあう二人。側には春芳が控える。その「始め」の声で競り合いが始まるのを見ながら景琛はもうひとりの副官にささやいた。


「暁霄……意外に嫉妬深いのか」

「かもしれないですね」


 志勇は苦笑いで応えた。さっきのは、景琛との手合わせを見ているぐらいなら自分が、ということだろうか。たまにしか会えない璃月と言葉でも槍でも多く交わしたいのはわからなくもない。

 暁霄は秘めた想いを上司と同僚に隠したがっているようだが見え見えだ。


「さっさと心を伝えればよかろうに」

「無茶言わんで下さいよ。璃月さまも困ります」

「……そうだがなぁ」


 好きな男に嫁ぐなど許されない璃月の立場。

 それを承知で想いを懸けてしまった暁霄をなんとかしてやりたいと景琛は願う。



 その璃月は暁霄をかっきりと見据えていた。色気のかけらもない目だ。

 薙ぐ。突く。身をひるがえす。

 冷静に暁霄の動きを見切ろうとする。


 ひらり。くるり。

 舞うような槍は璃月ならではか。禁衛でも娘子軍でもそんな槍筋は見かけない。

 璃月の体にはおそらく舞や楽の手習いが染みついているのだ。踊るような足さばきや変調する速さ。あまりに生き生きした璃月の姿に、相手をする暁霄は楽しくなってしまう。



「……あいつ、笑ってないか?」

「ほんの少し。気持ち悪いですな」


 暁霄の口の端が上がり気味なのに気づいて景琛と志勇はささやき合う。

 だが璃月の方も、暁霄に技を受けられるほどに笑顔になっていった。困ったものだ、これでは手合わせを止めるきっかけがない。いちおう深刻な話があって璃月は外に出てきたのだが――。




 今回の件、ひとまず翠蓮は死なずに済んだ。だが終わったわけではない。

 薬を持ち込んだ犯人は誰だったのか。璃月が会った忠全は碧梧宮の者なのか。貴妃の最終的な沙汰はどうなるのか。


 ――そして何より、璃月の見る夢とは。


 どうやら璃月にもなんらかの才はあるらしい。まざまざと見える光景は、朱家の夢見より強いのかもしれなかった。だが、その発現のきっかけがわからない。

 園遊会で倒れた時は香りのせいかと思った。しかし先日の白昼夢は花の香などなくとも不意に現れている。暁霄と目が合った瞬間だったと璃月は言うが、暁霄がいない場所でも起こる事象なので関連は不明だ。




「そこまで!」


 璃月に疲れの色を見て春芳が声をかけ、二人が槍を引いた。

 大きく息を切らす璃月に対し、暁霄はそうでもない。そんなところでも負けていて璃月は悔しくなった。一礼する暁霄に礼を返しながら宣言する。


「いつか勝つわ!」

「……璃月さま、それは困ります」

「え、困ってくれた? ふふ、ちょっと嬉しい」


 あまりに理不尽な言い草だった。暁霄もさすがにため息をつくが、同時に決意する――璃月には絶対負けない。矜持にかけて。

 このはねっかえりな発言にはさすがの景琛も呆れた。申し訳なさそうに暁霄の肩を叩き、妹を叱りつけた。


「おてんばが過ぎるぞ」

「えええ。暁霄のこと、すごいと思ってるんだってば。だから勝ちたいの」

「おまえ――こんな公主の面倒をみられる男なんてなかなかいないな。いや暁霄は器が大きい」


 わざとらしく言い箭亭へと歩き出す。茶でも飲み、真面目な話をしがてら璃月に暁霄を売り込むつもりだ。

 疲れるまで槍に熱中した璃月はケロリと兄についていった。

 ここのところの鬱屈が晴れる。やはり武芸はいい。



 翠蓮や徒嵐の抱える恋情なんて、まだ璃月にはわからなかった。叶えられずに死を選びたくなる想いとはどんなものなのか。

 それでもあの二人は引き裂かれたはずの運命をたぐりよせた。

 結ばれずとも寄りそうと決めた強さを、いずれ璃月が知ることはあるのだろうか。一歩後ろを守りながら歩く暁霄が璃月の背を見つめる。



 夢見の公主はまだ幼い。

 みずからの夜明けを夢に見るのはきっと、ずっとずっと先のこと――――。



これにて第二章【盈盈一水】を終わります。


そして、いったん完結とさせていただきます。


まだ璃月の行く末も暁霄との関係も、

そして後宮と帝位の行方も定まらないところなのですが……


今は事件の区切り、そして本一冊分の区切りとなる分量です。

なのでネトコン13の期間、この状態で挑戦いたします!


おもしろい、続きが読みたいと思っていただけたら、

評価とブクマをお届けくださいませ。

それを励みに頑張ります!


ここまでお読みいただきありがとうございました(*´ω`*)

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